先週、早稲田大学出版部から出す『東日本大震災と憲法――この国への直言』を校了した。「『震災後』に考える」というシリーズの9冊目として、2月25日に発売される。何冊もの単著や編著が停滞していて、新たな企画を入れるのは無理だと当初はお断りしたが、編集部の伊東晋さんと武田文彦さんは何度も研究室にやってこられた。ついに根負け。東日本大震災1周年を前に出すという急ぎの仕事のため、関連の「直言」を整理し、新稿の書き下ろしを加えて、104頁のコンパクトなものに仕上げていただいた。2012年3月末までに、とりあえず20冊の発刊が予定されている(拙著はその9番目)。早稲田全学の多様・多彩な学問分野からテーマが選ばれており、「専門知の大きな集積」(鎌田薫総長)を感じる。このシリーズは、「大震災の惨劇から立ち直ろうとする人々の営みや、それを支援する活動、それらを支える研究のなかに、新たな知の誕生を探索し、それを観察→分析→説明→行動…のすべてのステージから、できるだけリアルタイムで広く社会に提供しようとするもの」(早稲田大学出版部「刊行にあたって」〔2011年11月〕)と位置づけられている。私もその一角を担う仕事ができて、ホッとしている。再来週に発刊されたら是非お読みください(予約注文もできます)。
大学教員にとって本当に忙しい時期、入試・学年末期に入った。新原稿を書くことは困難になるので、ストックしてある原稿をアップする。今回は「親指シフト・キーボード」の話、パート2である。
9年前に親指シフト・キーボードのことを書いたが、最近、再びこれについて語りたくなる出来事があった。「小指の思い出」ではなく、「親指の思い出」である。
年明けの11日、旧友の高世仁君と、教え子の福岡元啓君(毎日放送「情熱大陸」プロデューサー)が研究室を訪ねてきた。行きつけの小料理屋で飲んだ(私はウーロン茶)。高世君は「ジンネット」という報道制作会社の代表をしているが、学部1年生の18、19歳の時から議論してきた友人である。ブログ「諸悪莫作」日記を出している。TBSの番組「情熱大陸」を制作しているのが友人と教え子というのは、私にとっては面白い組み合わせである。それで高世君から「3人で会おう」ということになったものだ。昔話や現在の世界や日本の状況についての話題から、話は一気に親指シフト・キーボードのことに発展していった。高世君が「親指」にきわめて強い関心を示したのには驚いた。
「それ、何ですか?」。還暦目前の男たちが異様に盛り上がっているそばで、福岡君は醒めた表情で話を聞いている。それも仕方ないと思う。読者の皆さんも、「何、親指って?」という方も少なくないだろう。ここではその解説は省略する。
9年前の直言を参照されたい。ただ、ここをクリックしていただくと、3つのキーボードの入力比較のシミュレーションが出てくるので、「親指」にこだわる意味の一端はご理解いただけるのではないかと思う。
80年代から90年代半ばまで、ワープロ市場では親指シフトが優勢だった。「ワープロ検定」では、入力速度や正確さの点で、「親指」は他を寄せつけなかった。だが、Windows95が普及しはじめ、世がパソコンの時代になると、富士通は親指シフトから撤退してしまう。パソコンはほとんどローマ字入力だし、ワープロ専用機のサポートも終了してしまったので、「親指」のユーザーは路頭に迷った。私は1990年、広島大学在職中、個人研究費でパソコンを導入したが、その時キーボードは親指シフトにした。ワープロ専用機はそのまま使い、ニフティサーブの「パソコン通信」も「親指」で続けたので不便は感じなかった。しかし、パソコン時代に「親指」は終わったと感じたユーザーは多く、高世君もその一人。富士通の撤退に強い怒りをもったという。かくして、21世紀を前にして、巷にはローマ字入力のパソコンしか存在しないような状況が生まれた。時の流れに乗り過ぎないと決めた私のような少数派が、全国各地でほそぼそと「親指」を使い続けているだけで。
これまでも書いてきたように、私は世間の流れに逆らって、この27年間、パソコンで原稿を書いていない。90年代の古いワープロ専用機を、自宅書斎と研究室と仕事場の3箇所に1台ずつ置いて、いつ壊れても仕事が続くよう、毎回フロッピイに保存しながら原稿を書いている。80年代は5インチフロッピィだった。黒い正方形のペラペラした大きなフロッピィ。若い人は見たことがないだろう。拙著『戦争とたたかう―― 一憲法学者のルソン島戦場体験』(日本評論社)。かつて朝日新聞社の『論座』という雑誌で紹介されたこともあるが、この本の原稿は、富士通OASYS100Sがなければ絶対に書けなかった。半年で200字詰め原稿用紙3000枚の原稿を書き上げた。故・久田栄正氏の戦争体験を聞き取りながら、資料と照合しながらワープロに文字を叩き込んでいった。この「叩き込む」という感覚は33歳の若さあればこそできたことだが、「自動書記」のように指先がどんどん動いて入力していく感覚は忘れない。これがローマ字入力なら決してできなかっただろう。親指シフトが体の一部になっていたのである。亡くなった久田氏の声が聞こえるという体験もしたが、執筆途上でも不思議な体験をたくさんした。思考と入力の同時進行に何の障害もなくなり、指が黙って動くことを可能にしてくれるのは親指シフトだけである(ちなみに、私は3種の入力方式ができる)。
この『戦争とたたかう』の原稿は、編集部にフロッピィ入稿するという当時としては最先端の方法をとった。そのことは同書「あとがき」にも書いてある。その後、3.5インチフロッピィになり、業者にファイル交換を依頼したら失敗して消えてしまった原稿もある。これは私だけの体験ではないだろう。新しいシステムが生まれるたびに、こういうことがよく起こる。これは文化の喪失ではないだろうか。
ところで、今もワープロで原稿を書くときは、パソコンのように「コピペ」はできないから、文章も注も一つひとつ丁寧に入力している。手書き時代と同様、注を途中で一つ増やすときは、全部の注の番号を書き換えたりもしている。パソコンのワードの脚注機能を使えば、数秒で終わる作業をわざわざ手作業で時間をかけてやっている。「なぜそんな面倒なことを」とお思いだろうが、これが私の性格に合っている(正反対?)のだから仕方がないのである。「直言」1本を書くのにも、200字詰め原稿用紙(ペラという)換算で書いている。パソコンでやると、私のようなせっかちな人間は、相当たくさんの脚注を入れて、たくさんの文章をあふれるように「超特急」で書いてしまうだろう。それが嫌で、わざわざ「鈍行」に自分を乗せているのである。
それよりも何よりも、親指シフトには日本語の文章を書くことを楽しくさせる何かがある。これは親指シフトを使った人たちが異口同音に語っていることである。高世君もブログで、私の研究室の様子まで写真に出して、親指シフトについて同じようなことを書いている。いわく、「特殊な指の動かし方が必要なので、面倒だなと思ったが、思ったより簡単に慣れた。使い始めると、『手ぼっこ』(山形の方言で、不器用なこと)でITオンチの私でも、その優位性ははっきり分かった。ローマ字入力やJISかな文字入力と比べて、とにかく速い!また打ち間違いが少ない。先輩がみな勧めるはずだ。文章を書くのがうれしいという感覚をはじめて持った」。
パソコンの時代になって、親指シフターの悲哀はみな同じだったのだと改めて思った。高世君の文章を引用しよう。 「…重宝して使っていたら、いつの間にか、ワープロからPCの時代になって、富士通は親指シフトから撤退した。私もあきらめて、ソニーやIBMのパソコンで、ローマ字入力で文章を書くようになった。…親指シフトが優れていることを知ったうえで、ローマ字入力をするのは、ある意味、屈辱的だった。でも、世の中の流れには逆らえないのかなと割り切った。ところが水島は、今も親指シフトをやっているという。…過去が蘇り、よし俺も立ち上がろう!とがぜん盛り上がった。親指シフトのパソコンを売っている『アクセス』という店を水島から教えてもらったので、今度ぜひ行ってみよう。親指シフトに再び栄光を!」。
高世君の「屈辱的」という言葉には正直驚いた。私は一度も親指シフトを捨てなかったので、研究室にあるパソコンでは、学内文書などの簡単なものをローマ字入力で書いている。これは自分の書きたい原稿ではないから、と割り切ってやってきた。「屈辱」という言葉には、書きたいものまでローマ字入力で「書かされてきた」彼の気持ちがあらわれている。
この高世ブログをメールにして、「直言ニュース」(私のメルマガ)の読者に送信したところ、思わぬ反響があった。親指シフト愛好者はごく身近にもいたのだ。法学部の浦川道太郎教授(民法)である。浦川教授は1982年から富士通のワープロを導入されていたので、親指シフト歴30年。私よりも3年先輩である。富士通が親指シフトから撤退したときは、社長に抗議の手紙を送ったという。「考えながら入力するには、親指シフトの一打一音の入力とOASYSの変換能力が頭の回転と丁度合っております」という指摘は、私もまったく同感である。ローマ字入力しかご存じでない方には、この気持ちは共有できないかもしれない。ただ、作家や研究者、ライターなど、日本語を大切にする人たちに親指シフト愛好者が多いのは偶然ではないように思う。前にも書いたが、親指シフトは「日本語を書く」という一点において、思考の流れに最も自然にフィットしてくれるからである。
かつて和文タイプというのがあったが、英文タイプのような速度は出せなかった。親指シフトは、最も合理的な日本語入力の方法を極限まで突き詰めるところから生まれた。浦川教授は、親指シフトを開発した神田泰典氏に文化勲章を授与すべきだと主張しておられる。
そもそも、極端な漢字擁護論者や国粋主義者が、ローマ字入力で文章を書いているのは悪い冗談としか思えない。TENNNOUHEIKABANNZAIなどと19のローマ字に分解して入力する「右翼」の諸君は、その自己矛盾に気づいていない。ちなみに、「親指」なら日本語だけで11打である。この点は、浦川教授とも高世君とも意見が一致した。今からでも遅くない。本当に日本語を大切にしたいなら、あれこれの言説やイデオロギーよりもまず、親指シフトを試してみたらいかがだろうか。
今回のことで、あちこちに親指シフターが「棲息」していることがわかった。そろそろ「親指の声」をあげていく時がきたのかもしれない。富士通という一企業を超えて、親指シフト・キーボードは、日本語文化における歴史的傑作と私は考えている。
高世君はいう。「正しいものが勝ってくれるとうれしいのだが、実際はそうならないことも多い。録画・再生システムとしては、ベータ方式が優れているといわれながら、VHSが圧勝した過去。また、『技術的に優れたものを作れば売れるはずだ』という哲学で経営してきた日本の家電メーカーが、韓国のサムスン、LGに完膚なきまでに叩きのめされている現実。水島の話を聞きながら、こういう大きなくくりで、いつか番組にしてみたいなと思った。タイトルは『敗者の言い分』」。そんな番組がテレビで流れるのを、私も楽しみに待ちたいと思う。
それにしても、である。国際競争だ、グローバル化だ、国際スタンダードだ、と私たちは追い立てられるように新しいものを導入させられてきた。パソコンはどんどんバージョンアップし、せっかく慣れたソフトが「古く」させられていく。「サポート終了」の一言でポイ、である。でも、そんなこと誰が決めたのだろう。各家庭には、いろいろな思い出のこもったビデオテープがけっこうあるのではないか。DVDの時代になって、これを見ることが困難になった。一体誰のためにやったのかという地上デジタル化により、ビデオへの録画や再生はさらにむずかしくなった。私は重要な番組を録画したビデオをDVDに変換しておいたが、それが見られなくなった。「ファイナライズ」なんて言葉、知るか!一つ前のものに愛着があって、そこにとどまる人には、本当に不親切なメーカー。その一方でスマホだ何だと、どんどん先に進む。この異様な便利さは、文化を破壊しているとしか思えない。
私は、こうした「ヴァージョンアップ・オブセッション〔新しもの強迫観念〕」の世界からはとっくに降りている。レコードとカセットテープで音楽を聴き、ブログもツイッターもやらない。携帯メールの便利さには負けたものの、かつては「携帯電話不保持宣言」をしたこともある。だからスマホもやらない。たぶんやらないと思う。やらないんじゃないかな。ま、ちょっと先のことはわからないが(さだまさし「関白宣言」の乗りで)。さらに、ワープロ専用機を使いながら、仕事のなかに手書きも残している。これらは、異様な便利さから自分を防衛するためのささやかな抵抗でもある。
最近、作家の高野和明氏が、「新・仕事の周辺」(『産経新聞』2012年1月15日付)でこんなことを書いている。「最近、文房具に凝っている。中でも、万年筆を使って字を書くのが楽しくて仕方がない。まるで小説家みたいだ、と考えてふと気づく。自分は小説家だった」と。最新作『ジェノサイド』では、「年間340日は机に向かって、42万の文字をパソコンに打ち込んだ」そうである。
昔の小説家は原稿用紙に「書いていた」が、いまは「パソコンに文字を打ち込んで」本を作るから、万年筆で書くことが楽しいという気持ちを改めてもつようだ。これと対照的なのは、先月芥川賞を受賞した田中慎弥氏である。パソコンも携帯も持たず、原稿はカレンダーの裏紙に2Bの鉛筆で下書きしてから清書するという。すばらしい! 芥川賞とは距離をとってきたが、久しぶりに受賞作を読んでみようかと思った。
万年筆を使ったから「小説家みたい」という小説家が出てくる時代である。今時の学生は万年筆を持っていない。ある授業で手を挙げさせたら、400人中2人だった。だから、学生たちには、「万年筆は学生のステータスだよ」と言って、何かの記念に親や人からプレゼントをもらえるときには、万年筆をリクエストするといいと助言している。
親指シフトの話から外れていったが、ここで言いたいことはただ一つ。別に親指シフトを始めるべきだと呼びかけているのではない。自分なりのこだわりをもって、世間の競争やら流行やら「空気」とやらに流されないで、さまざまなことを自分なりに大切にしていく指針をもつことである。ネットやパソコンに振り回されている人々が今日も多く出ている【注】。生活のなかにその人なりのアナログ的要素を確保しておくことが求められているように思う。
【注】これを執筆した日、都内でNTTドコモが5時間近く使えないトラブルが起きて、約252万人が影響を受けた。「スマホ」が急増したのに、通信量に見合った態勢がとれていなかったためである(『毎日新聞』2012年1月26日付)。