絆は「深める」ものなのかーー政府言論・異聞 2012年2月13日

よいよ大学教員にとって超多忙な時期、入試・学年末期に入った。書き下ろし原稿を書くことはきわめて困難になるので、その時のためにストックしてある原稿をアップする。今回は、昨年末に書いた既発表原稿に一文を追加したものである。

 昨年3月の震災後、テレビをつければ、ACジャパン(旧公共公告機構)のCMが何度も何度も、繰り返し、執拗に、反復継続して流れてきた。音楽の最初の1音が聞こえただけで、反射的に次に続く言葉が予測できる。郡山市の避難所に行ったとき、ロビーにも中二階のスペースにも大きなテレビがあって、そこからACのCMが流れていた。東京で見る以上に違和感があった。双葉郡から避難してきた人の「しつこいね」という一言が耳に残った。

ACのCMは、その独特の言い回しが、ジョークになってネット上で再現されたりもした。例えば、こうである。「『こころ』は誰にも見えないけれど、『下心』は見える。思いは見えないけれど、思い上がりは誰にでも見える。菅直人よ」とか、「『大丈夫?』っていうと、『大丈夫』っていう。『漏れてない?』っていうと、『漏れてない』っていう。『安全?』っていうと、『安全』っていう。そうして、あとで怖くなって、『でも本当はちょっと危ない?』っていうと、『ちょっと危ない』っていう。こだまでしょうか、いいえ、枝野です」等々。また、この時期、特定の婦人病を38歳で発病したという有名人が、その病気の検診を呼びかけるCMが頻繁に登場したため、本人に抗議がいくという気の毒な事態も起きたようである。一番多かったCMは、「日本は強い国」「絆を深めよう」「ニッポン、ニッポン…」という上からの「絆」称揚。ACが純粋な民間機関でないことを含めて、そこに「政府言論」の臭気を感じる。「政府言論」とは何か。

現代社会において、政府は私人の表現活動の単なる「規制者」として登場するだけでなく、自らもまた「言論者」として表現活動を行っているとされる。一口に「政府は語る」と言っても、それはきわめて多様な形態や方式をとる。憲法学における「政府言論」の理論もまた、いくつかの異なる視点から、政府が「言論者」として振る舞う場面を問題にしてきた。

例えば、「政府言論」についての初期の議論は、戦時下の政府の広報活動に関するものだった。現在でも、例えば消費税増税のためのキャンペーンなどの施策は、有権者への情報提供という建前は持ちつつも、一方で、政府による世論操作という側面も有する。政府による説明・説得と国民による同意という民主制の回路にとって、政府言論は必要であるとはいえ、その「受け手」が、政府によって「教化」される危険性を常にはらんでいる。「囚われの聴衆」に向けられた政府言論は、個人の思想・信条にも影響することに注意したい。

また、政府は実際に「語る」ための手や口を持たないので、政府言論は、必然的に政府に属する公務員や私人を手足として行われる。とりわけ私人が行う表現活動が、政府の保有する場所や資金を通じて行われるような場合がやっかいである。なお、この問題につき、米国における判例や議論の検討を含めて、詳しくは城野一憲「表現の自由理論における『言論者としての政府』というメタファー:“government speech”をめぐる言説への懸念」(『早稲田法学会誌』61巻1号(2010年)245-294頁)を参照されたい。

 そこで、以下、震災時の政府言論の問題について、既発表の原稿を転載することにしたい。冒頭の節は連載の前の回への補足なので、直接この「直言」には関係ない。

絆は「深める」ものなのか

◆前回の補足

この連載では、漢字4字とアルファベット3字略語に注意を喚起した(連載82回、本誌588号)。その際、TPPについては触れたが、その後TPRというものがあることを知った。TPRとは「TaxのPR」という造語。中曾根政権時代の1986年、大蔵省(当時)が売上税推進のため、政・財・学界3000人のリストを作成して、説得・接待工作を展開したプロジェクトのことである。大学教員もターゲットにされ、審議会委員のポストなどを餌に取り込まれていったという(ブログ「植草一秀の『知られざる真実』」、同著『日本の再生』[青志社、2011年]参照)。原発をめぐる政・財・官・学界の「原子力村」に例えて言えば、TPRはさしずめ「増税村」の宣伝部隊ということになるだろうか。この手法はいまも続いているようで、何ともおぞましい。前回の補足としてTPRについて言及しておくが、詳しくは植草氏のブログと著書を参照されたい。

◆2011年は「絆」

 その年の世相を漢字1字で表すことが恒例となって久しい。清水寺の森清範貫主が毎年12月12日に揮毫し、それを「今年の漢字」としてメディアは比較的大きく伝えている。  2011年は「絆」が選ばれた。貫主は「みなが手をひとつに携えて復興を重ねていこう。そんな願いを込めて書きました」と語っている(『朝日新聞』12月13日付)。「災」「震」「波」という災害を連想する候補が多いなか、最多得票をしたのはこの「絆」だった。いい漢字という感じだが、講談社『日本語大辞典』によると、語源は、(1)動物をつなぐ綱、(2)肉親間などの、絶ちがたいつながり、深い関係、ほだし、とある。「ほだし」の意味は明確で、「束縛すること。人情でからむこと・もの」とあって、必ずしも積極的意味だけではない。

 ところで、東日本大震災は、人々の生き方やライフスタイルにも大きな影響を与えた。縁もゆかりもない「赤の他人」だった人々が、お互いに助け合い、支えあう。人間は自己意識をもって他の人間と関係をとりあう存在とされるが、その存在自体が脅かされるような事態に陥ったとき、「理性・意志・心情」が人々をつないでいく。震災後に見られた感動的行動の数々は、人間としての自然な発露だったと言えよう。

他方、震災後、メディアを通じて、「日本人よ、絆を深めよう」という形で、「日本人として」のアイデンティティを強調するような傾きも生まれている。テレビをつければ、サッカー選手の「日本が一つのチームなんです。ニッポン、ニッポン」という乗りの独白や、「日本は強い国。日本の力を、信じている」と妙に力んだ語り口も頻繁に登場した。これらは、ACジャパン(旧公共公告機構)のCMとして、繰り返し、反復継続して、執拗に流された。震災で多くのスポンサーがCM放送を「自粛」した結果、空きスペースにACのCMが大量に使われることになったためである。脳に刷り込まれ、夢にまで出てきそうな勢いだった。ちなみに、震災当日からの15日間に、首都圏で流れたこの種のCMは約2万回。これはトヨタ自動車の1年分に相当する回数だというから驚く(『朝日新聞』5月26日付)。視聴者からは「耳障りだ」「くどい」といった苦情や抗議が殺到し、ACは「お詫びとお知らせ」まで出すに至った(3月18日)。  「日本人よ、絆を深めよう」というが、そもそも絆とは「深める」ものなのか。絆は綱だから、強く引いたりするわけで、「深く引く」とは言わない。語源からすれば「絆を強める」ではないのだろうか。それはともかく、「絆の連呼」に違和感をもった人々も少なくなかった。

◆「絆の連呼」と政府言論

 その一人に、精神科医の斎藤環氏がいる。「家族や友人を失い、家を失い、あるいはお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷につなぎとめるもの」、「個人がそうした『いとおしい束縛』に対して抱く感情を『絆』と呼ぶなら、これほど大切な言葉もない」とする一方で、斎藤氏は「絆を深めよう」という言説を批判する。「しがらみとしての絆」は「しばしばわずらわしく、うっとうしい『空気』のように個人を束縛し支配する。…絆に注目しすぎると、『世間』は見えても『社会』は見えにくくなる、という認知バイアスが生じやすい」として、これを「絆バイアス」と名づける(『毎日新聞』12月11日付「時代の風」)。同感である。ただ、これは、上や横から「絆を深めよう」と言われることへの違和感であって、それぞれの個人が思い描く「絆」を否定する趣旨ではないだろう。

 上からの「絆」称揚との関連では、あのACのCMに「政府言論」(government speech)との連動を感じとる指摘にも注目したい(阪口正二郎「ACのCMと、『自粛』、作られる『安心』」『法学セミナー』2011年11月号)。何かを「語る」ことだけが言論行為ではなく、何かを「語らない」こともまた言論行為である。原発事故について政府は徹底して語らなかった。決定的な瞬間に放射能の拡散予測を伝えず、その後の原発事故の状況についても政府情報の過少は著しい。そうしたなかでACのCMが「根拠のない安心感を蔓延させている」とすれば、これもまた政府言論の一環に位置づけることも可能だろう。

◆個人が「連帯」に向かうとき

 では、「愛『国家』心」に回収される危うさをもつ「絆」称揚ではない道はあるのか。私は落合恵子さんの「『孤独の力』でつながる」という視点が大切ではないかと思う(『毎日新聞』12月16日付夕刊ワイド「この国はどこへ行こうとしているのか」)。孤独と孤立は違う。「『孤独』とは一人であること。自分自身であること。『孤独』からスタートして初めて、人は他者とつながっていけるのではないでしょうか。私の『孤独の力』は、人とつながる力でもあるのです」と落合さんはいう。逆説的表現に聞こえるが、「『孤独の力』でつながる」とは、かけがえのない一人ひとりの個人が連帯していくという視点であろう(本誌555号、585号所収の拙稿参照)。前述の斎藤氏が、「束縛としての絆から解放された、自由な個人の『連帯』のほうに、未来を賭けてみたいと考えている」と指摘する点とも重なる。

 落合氏はまた、「被害者の立場の人々が分断され、対立させられてしまっている。…権力はいつも、被害者を分断し、対立させることで生き延びようとしているのです」と語り、放射能を恐れて西に避難する人には、「親の介護や仕事のために、その地を動けずにいる方々のことをどうか忘れないでください」といい、東の福島にとどまる人には、「出て行った人のことを郷里を捨てたといわないでください」といい、「放射能への不安の声をかき消さないで」と呼びかける人には、「声すらあげられずにいる人に、声をあげることを無理強いしないでください」という。真の連帯の可能性はこういうところから生まれていくのではないだろうか。

《水島朝穂の同時代を診る(83)「絆は『深める』ものなのか」『国公労調査時報』590号(2012年2月)より》

付記:冒頭の写真は、昨年3月の上野公園花見中止の風景(ゼミ出身の通信社記者撮影)。次の写真は同年4月の石川県議会議員選挙告示日(ゼミ出身の新聞記者[金沢支局]撮影)、最後の写真は2012年元旦、山梨県北杜市の身曽岐神社参道で撮影。

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