原子力基本法が改正された 2012年6月25日

ったく個人的な話で恐縮だが、2012年6月25日は私にとって特別な日である。1989年のこの日、父が59歳で亡くなった。当時私は北海道の大学に勤務していた。ニセコでのゼミ合宿を終えて帰宅すると、東京の母から電話があり、父が脳出血で倒れたという。羽田に向かう飛行機の後部にあった機内電話を使い、東京に電話する。「間に合わなかったわ」という母の声。還暦を目前にした突然の死だった。その父の年齢になってから初めて迎える6月25日を、一つの節目と考えてきた。幸い、いまの私はいたって元気である。先週も1年ゼミのフィールドワークで、霞が関・永田町周辺をまわった裁判の傍聴参議院や弾劾裁判所の見学、そして終了後のコンパまで。18、19歳の1年生と7時間以上つきあった。ポケットの万歩計は、17000歩を超えていた。70歳の定年まで、これをあと10回やることになるが、今日という日を無事に迎えることができて、何となく出来そうな気がしてきた。15年間休まずに続けている「直言」の更新も、これまで同様、地道に継続していきたい(直言2012年3月12日の付記参照)。

 思えば1997年1月、「直言」の第1号を出した時は橋本龍太郎首相だった。現在の野田佳彦首相で10人目である。1年程度しかもたない短命内閣が続いている。ヒトラーの首相就任前までのドイツ・ヴァイマール共和制の内閣の平均存続期間が8カ月半だったことに鑑みれば、1年前後で首相が交代する日本の政治状況は、ヴァイマール末期よりも深刻かもしれない。国会の審議も不十分なままに法案があがっていく。国会議事堂ではなく、「国会表決堂」と批判したことが定着したかのようである

 先週の水曜(6月20日)、参議院で13の法案が可決・成立した。『朝日新聞』21日付は「駆け込み成立」「会期延長、遅れた判断」という見出しをつけた。会期末ぎりぎりまで会期延長方針が決まらなかったため、重要法案が十分な審議もなしに一気に成立させられたわけである。その翌日には会期延長(9月8日まで)が決まっているから、一体、この「駆け込み成立」は何だったのか。もっと時間をかけて審議すべき法案がたくさんあったように思われる。そこには、音楽・動画の海賊版ダウンロードを処罰する改正著作権法案や、宇宙開発機構の活動を平和目的に限るとした規定を削除する改正宇宙航空研究開発機構(JAXA)法案などと並んで、福島原発事故を受けた原子力規制委員会設置法案も含まれていた。これは原子力規制委員会や原子力規制庁を設置する組織法で、31カ条のシンプルなものなのだが、そこに膨大な附則がついている。新たな組織をつくる場合、それまでの法律群を改正する必要があるのだが、実はその附則で、この国の原子力政策の基本を定める原子力基本法の改正も行われたのである。

『東京新聞』6月21日付は一面トップで、この原子力規制委員会設置法の持つ隠れた問題性について取り上げていた。見出しは「『原子力の憲法』こっそり変更」「規制委設置法 付則で『安全保障』目的追加」「軍事利用へ懸念も」「手続きやり直しを」である。

同法附則12条で、「原子力基本法の一部を次のように改正する」として、原子力基本法2条に、「原子力利用」の「安全の確保」について「我が国の安全保障に資することを目的として」という一文が付け加えられた。

「原子力の憲法」とされる原子力基本法(1955年)2条は、「原子力の研究、開発及び利用は、平和目的に限り、民主的な運営の下、自主的にこれを行うものとし、その成果を公表し、進んで国際協力に資するものとする」と定めていた。これにより、半世紀以上にわたり、日本の原子力利用は平和目的に限られ、かつ「自主・民主・公開」の3原則が明確にされてきた。

1977年に原子力基本法が改正され、「…平和目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下、…」と、「安全の確保」が付け加えられた。ここでいう「安全の確保」とは、前後の文脈からも明らかなように、核物質や原子炉、重水などの原子力資材等々の安全を確保するということである。

 それが、今回の原子力規制委員会設置法案の政府原案である「原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案」では、同法案3条による原子力基本法の一部改正により、原子力基本法2条の「原子力の研究、開発及び利用」を「原子力利用」という言葉で一本化するとともに、1977年に挿入された「安全の確保」の中身を具体化する第2項が新設されていた。すなわち、「前項の安全の確保については、これに関する国際的動向を踏まえつつ、原子力利用に起因する放射線による有害な影響から人の健康及び環境を保護することを目的として、行うものとする」と。

 法案についての3党修正協議の過程で、自民党の塩崎恭久議員(安倍晋三内閣の内閣官房長官)が、「我が国の安全保障に資する」という一文の挿入を主張。民主・公明の議員も同調して、政府案による改正後の原子力基本法2 条2 項は次のように書き換えられ、6月15日に衆議院に提出された。すなわち、「前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする」と。

一見して明らかなように、そこでは単に「我が国の安全保障に資する」という文言が付け加えられただけではない。

「安全の確保」は、「放射線による有害な影響から人の健康及び環境を保護する」ことから、「国民の生命、健康、財産の保護」という形で、「人」から「国民」に変わり、それと「我が国の安全保障」という文言が結びつくことによって、原子力利用に国家安全保 障の視点が盛り込まれたわけである。

 前述の塩崎議員は、「核の技術を持っているという安全保障上の意味はある。…日本を守るため、原子力の技術を安全保障から理解しないといけない」と語っている(『東京新聞』21日付)。明らかに「核の技術」をいつでも核武装可能という意味での「抑止力」として捉える発想がそこにある。これは原子力基本法の立法趣旨とは明らかに異なるものだろう。

 なお、加えて言えば、「人」を「国民」に変えて外国人の被曝を排除し、国際環境汚染も度外視する意図のようにも受けとれる。「放射線による有害な影響から」の文言を外して「財産」を加えることによって、経済的な理由から「国民の生活(生命)」を守るた め原子力利用を可能にするという隠れた意図も読みとれよう。

これだけ重大な変更について、国会で一体どこまで審議がなされたのだろうか。6月15日、この附則12条を含む原子力規制委員会設置法案が衆議院に提出されると、環境委員会で即日可決。その日午後の本会議で可決された後、すぐに参議院に送られた。15日午後の参院本会議で法案の趣旨説明が行われた。議員が法案を手にしたのは、当日の朝だったという。20日午前の参院環境委員会の質疑では、水野賢一議員(みんなの党)が拙速な審議を強く批判した。谷岡郁子議員(民主党)が核武装の可能性について指摘し、市田忠義議員(共産党)も「安全保障に資する」という文言付加の不自然さを質した。これに対して細野豪志環境大臣(兼・原子力行政担当内閣府特命大臣)は、「我が国の安全保障に資する」の意味は、核物質の不正転用やテロなどを防ぐ「セーフガード」(保障措置)を指すなどと説明した。

だが、「セーフガード」と「安全保障(セキュリティ)」とは明らかに異なる概念である(『朝日新聞』21日付解説記事)。修正後の第2 項を見れば明らかなように、「並びに」でつなげられたことで、「我が国の安全保障に資する」は意識的に「セーフガード」と区別されている。ここに今回の改正の最大の問題があるのだが、委員会の議論はそれ以上深められることはなく、その日午後3時半からの本会議で、賛成206、反対28で可決された。衆院に議案が提出されてから、わずか6日間で成立したわけである。

 原子力規制委員会設置法という組織法の附則で、原子力基本法という法律の重要な原則規定が改変されたことを、『東京新聞』21日付は「こっそり変更」という見出しで批判している。「設置法の附則という形で、より上位にある基本法があっさりと変更されてしまった」(編集委員の解説記事)と。だが、これは少し違う。

 『東京新聞』の記事で問題があるのは、「より上位にある基本法が…」という指摘である。憲法を頂点としてその下に法律や命令(政・省令など)と続くが、「基本法」という名称の法律が他の法律よりも形式的効力において「上位」にあるわけではない。改正手続も普通の法律とまったく同じである。教育基本法が「準憲法的法律」とされたのは、その内容の重みを理念的に表現したものであって、形式的には他の法律とまったく同じである。したがって、附則で他の法律が改正されること自体は通常のことであるから、基本法が附則で改正されること自体を疑問視することはできない。

 2004年に制定された「独立行政法人日本原子力研究開発機構法」(平成16年法律第155号)の附則15条では、「原子力基本法の一部を次のように改正する」として、原子力基本法7条にあった旧原研と旧動燃に関連する規定を、独立行政法人として統合された日本原子力研究開発機構に改めている。組織改変に照応した改正にすぎないが、基本法はこういう形でも改正されているのである。

 附則で「こっそり改正」「ひっそり変更」という変え方を問題にするよりも、「安全保障」という多義的概念を挿入して、国家安全保障の選択肢の一つとして、核武装まで可能なように解釈される傾きが強いことを正面から批判すべきだったろう。

 この点で韓国の反応は早かった。『朝鮮日報』(電子版)22日付の社説「中朝の軍事力拡大を口実に核武装目指す日本」を読んでみた。社説は、大阪維新の会などの右派連合が国会で過半数を占める可能性があり、そうすれば日本は「いつでも核武装して軍事大国を目指すという憲法改正の条件が整いつつある」と警鐘を鳴らしている。

『東亜日報』(電子版)22日付も、「韓国だけ非核化を叫んで『孤立』するのではないか」という憂慮の声を紹介しつつ、「〔韓国〕国内で核主権論が再燃する可能性もある」と指摘している。「日本の核武装が現実化すれば、東アジアの核秩序は崩壊する。台湾やフィリピンなど、これまで米国の核の傘に依存してきた周辺国が一斉に核武装に乗り出し、核ドミノが広がる恐れがある」(『東亜日報』同・国際面)と。韓国に向かって、「それは誤解だ」と言うだけの積極材料はない。

『朝日新聞』と『毎日新聞』も時間差で社説を出した。『朝日』社説は22日付で、タイトルは「『安全保障』は不信招く」。『毎日』社説は23日付でタイトルは端的に、「『安全保障目的』は不要」である。各紙とも一様に、「安全保障」(セキュリティ)という文言を使えば、「国家の防衛」という軍事的安全保障を意味し、その具体的オプション(選択肢)の一つとして、限定的な核武装も将来的にありうると危惧している。『朝日』社説は、「原子力、宇宙開発といった国策に直結する科学技術に枠をはめる法律が、国民的な議論をせずに、変えられていく。見過ごせぬ事態である」と結論づけている。

一方、『毎日』23日付社説は、「将来、核兵器開発に道を開く拡大解釈を招かないか」と指摘しつつ、「誤解を招く表現は避けなければならない。『安全保障』部分の削除を求める」と明快である。

『東京新聞』22日付社説は、「軍事的利用に道を開いたのはフクシマからほんの1年だった―将来、そんな禍根を残すことにならないか。政府は原子力の平和利用の原則を堅持すべく、基本法の再改正をすぐにも考えるべきだ」と結ぶ。

私はこれらの社説の結論はまだ甘いと考える。核武装や軍事転用だけが問題なのではない。「フクシマ」が問うているのは、原子力の「平和利用」そのものである。野田内閣は何から何まで、すべて時代逆行をやっている。 「フクシマ」を重く受けとめ脱原発に向かう国もあるという時に、この国は、「平和利用に徹せよ」「核武装にまで行くな」というところまで時計を戻してしまうのか。これでは「3.11」は一体何だったのか。よりによって、「3.11」に対応する原子力規制委員会(規制庁)を設置しようという法律で、こういう姑息なことをやってしまうところに、この国の政治の劣化の極致を見る思いがする。

 永田町・霞が関のそうした現実に対して、市民は怒っている。この静かな怒りは少しずつ形をとってきた。6月15日夜、その前日14日に私が1年ゼミ生を連れて首相官邸前を歩いたときとは、その周辺の様相は一変した。ツイッターなどで知った普通の市民が1万人も集まって、大飯原発再稼働に反対するデモを行ったのである。その翌週22日には4万5000人にもなっていた。しかし、メディアはこれを大きく取り上げていない(6月22日のテレビ朝日「報道ステーション」は詳しく報じたが)。今週29日には10万人のデモが呼びかけられているという。1989年10月9日の「月曜デモ」が毎週のように膨らんで、ついに11月4日のベルリン100万デモとなって「ベルリンの壁」を崩壊に導いた。市民が歴史を動かす。日本の「金曜デモ」にも注目したい。

 なお、6月17日放送のNHK・ETV特集「“不滅”のプロジェクト――核燃料サイクルの道程」は、いろいろな意味で興味深かった(番組予約時のタイトルは「核燃料サイクルの“迷走”の軌跡」だった)。個人的には、元内閣調査室調査官の志垣民郎氏が、自らの日記の1968年3月18日をもとに行った証言が注目された。彼をリーダーにして、極秘のうちに核武装の研究が始まった。メンバーは垣花秀武(東工大教授)、永井陽之助(上智大教授)、前田寿(東工大教授)、蝋山道雄(上智大教授)の4 人。それぞれの頭をとって「カナマロ会」と称していた。これは新事実だと思う。

 この資料のことは、「直言」では10年前に初めて紹介したその4年後にも触れたことがある。この4月7日にTBS「報道特集」でこの資料が紹介され、私も短時間出演してコメントしている(→ここから観られます)。

付記:冒頭の写真は、原爆ドーム健全度調査の風景(2009年3月4日)、水島ゼミ7期生の撮影。この調査については直言でも書いた

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