わが歴史グッズの話(33)――内閣総理大臣 2012年7月23日

日、米軍の高速強襲輸送機MV22「オスプレイ」12機を載せた貨物船が山口県岩国港に接岸する。配備が予定される沖縄県だけでなく、山口県なども反発を強めており、「破壊的軽口」で知られる民主党政調会長も「民意を軽く考えすぎている」と、野田首相を批判。オスプレイ陸揚げに慎重なポーズをとっている(『東京新聞』7月18日付)。

 今週の金曜日(27日)はロンドンオリンピックの開会式が行われる。メディアはオリンピック報道(メダルレース)に彩られる。キャスターたちが妙なハイテンションで朝のニュースからはしゃぎまわる、何とも憂鬱な「季節」がやってきた。8月12日の閉会式までの間、政治的に重要なことがたくさん起きても、その報道の扱いは小さくなる。ただでさえ劣化しているメディアの批判力が一段と落ちる時期である。この17日間は、「こっそり決める政治」が跋扈しやすいので、要注意である。

 さて、3カ月ぶりの「わが歴史グッズの話」である。前回は講和条約発効60年と沖縄本土復帰40年関係だった。そのなかで、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領の顔を彫り込んだ沖縄返還記念メダルも紹介した。今回は、この佐藤栄作を含む日本の歴代首相に関連するグッズである。

 国会見学者が立ち寄る売店には、歴代首相の関連グッズが売られている。「歴代首相漫像」の湯飲みや灰皿は定番だろう。私が持っている湯飲みのラストは小泉純一郎で、灰皿の方は海部俊樹である。安倍晋三以降は1年前後しかもたない短命内閣が続いているので(これからも?)、湯飲みに並ぶ顔は短期間に6つも増えた。どうでもいいことだが、いま販売されている湯飲みの絵は、並べる顔が急に増えて、一つひとつの顔がかなり小さくなっているのではないだろうか。

ところで、上記の湯飲みには犬養毅の顔が見える。その下方には、69日しか在任しなかった宇野宗祐の顔も。その犬養が立憲政友会総裁として、1932年2月の総選挙を前に、自党の衆議院議員候補者に書き送った檄文がある。達筆で、自党候補に対して、選挙での勝利を実に熱く書いている。いまの各政党の党首は、総選挙近しのなかで、自分の党の候補者にここまで熱い言葉を、しかも肉筆で励ましているだろうか。この激励文はその年の1月に出したものだが、犬養首相は4カ月後の「5.15事件」で、海軍青年将校に銃撃され、死亡している。

次は、東條英機首相名の任官書である。真珠湾攻撃から1年後の1942年12月に陸軍少尉に任官した人が、ずっと大事に保存してきたものである。東條の時代はまさに大政翼賛会の時代であり、選挙も「翼賛選挙」であった。これについては、「わが歴史グッズの話」22回で「翼賛政治体制協議会」(翼協)の腕章を扱っているので参照されたい

さて、戦後初期の頃、最も長く在任したのは吉田茂である。第5次内閣まで、通算2616日になる。死亡した時、首相としては戦後唯一、国葬(「国民葬」)となった。1967年10月、神奈川県警が、葬儀警備の担当者の労を讃えて配った「記念メダル」がある。「吉田茂国民葬記念 神奈川県警察本部」とある。「国葬」と言われるが、1926年の「国葬令」は戦後廃止されたので、1967年の吉田茂の葬儀は「国民葬」としてとり行われた。なお、吉田の直筆と内閣総理大臣印の入った旧総理府の文書がある。研究所への調査委託の地味な書類だが、吉田の直筆を知ることができる

吉田よりも長期政権となり、未だにその在任レコードが破られていないのが佐藤栄作である。3次にわたる内閣改造を行い、通算2798日在任した。冒頭の写真は、「内閣総理大臣銀杯」である。純銀製で、桐の紋が彫られている。社会的に功労のあった人や褒章受賞者などに贈られるもので、銀杯の底部には「純銀」(1000)というマークが付いている。箱のなかには、「貴金属製品の品位検定区分と政府証明マーク」という説明書きがあり、純銀製であることを政府が認定している

 この銀杯が贈られたのは、内閣憲法調査会事務局長のKT氏である。箱には「憲法調査会記念」とある。添付の礼状には、憲法調査会が報告書を内閣と国会に提出し、憲法調査会廃止法の施行により活動を完了したこと、内閣総理大臣佐藤栄作名で感謝の印として銀杯1個を贈ると書いてある。内閣憲法調査会報告書の別表11を見ると、事務局職員の異動状況が記されている。それによると、KT氏は昭和31年6月26日就任、昭和38年7月12日退任になっている。

次に長期政権となったのは、中曾根康弘である。3次の内閣改造を行い、通算1806日在任した。この盃は、中曾根が1967年に、第2次佐藤内閣の運輸大臣として二度目の入閣を果たしたとき、支持者などに配った記念品である。

「戦後政治の総決算」を掲げ、日本の国家・社会の基礎構造を新自由主義的に改変していく上で大ナタを振るった。「三公社五現業」のうちの三公社(日本国有鉄道、日本電信電話公社、日本専売公社)をJR、NTT、JTに分割・民営化したのも中曾根時代である。

 残った「五現業」のうち、郵政を民営化するために驀進したのが、小泉純一郎である。3次の内閣改造を行い、通算1980日在任した。中曾根と同様、テレビ映りがいいと自認する政治家なので、メディアの影響を利用しやすい「首相公選論」を勢いよく打ち出した点でも共通している。もっとも、小泉はこれにすぐに飽きてしまい、立ち上げた懇談会も寂しく終わったが。この点でも、自らが派閥力学(「田中曽根内閣」と言われた)で首相になってしまうと、首相公選論などすっかり忘れてしまっていた中曾根と似ている。なお、15年前、朝日新聞政治部の三浦俊章記者(現・論説委員、テレビ朝日「報道ステーション」)が、中曾根の首相公選制を導入する改憲案のその後について書いている

 さて、小泉グッズもいろいろある。上記は、直言でも過去に紹介したことがあるが、2001年の自民党総裁選挙から首相になる過程で売られたT シャツである。また、褌一丁で郵便ポストと切り結ぶ小泉の、ちょっと表に出すことのはばかられる絵はがきは、これをクリックすると見ることができる(笑)

今となって見ると、あの郵政民営化の熱気は何だったのか。全員一致制の党内合意機関である総務会で郵政民営化法案を多数決で決めることで、「自民党をぶっ壊」してしまった小泉(元政調会長・堀内光雄著『自民党は殺された!』(WAC、2006年)参照)。郵政民営化に反対する自民党議員に「刺客」を立候補させた「9.11総選挙」その結果の異様さ。その一方で、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落しても、高輪のホテルで一人オリンピック観戦に夢中で、かけつけた沖縄県知事との面会を断り、緊急に必要な初動の対応を怠った。それは、新潟県中越地震発生時、六本木ヒルズの国際映画祭出席を重視して、官邸にすぐに戻って対応にあたらなかったことにもつながる(直言「『危機』における指導者の言葉と所作」参照)。この中曾根、小泉に続いて、首相公選制に熱心なのが、メディアを見事に駆使する橋下徹大阪市長であることは、先取り的に要注意である。

 さて、その後の短命首相たちのグッズは、辞任時の号外が多い。かろうじて、1年ゼミ生を連れて国会見学したときに売店で買った「麻生太郎まんじゅう」の箱が残っていた。歴史認識が怪しい漢字が読めない「未曾有(みぞうゆう)」の首相だった。上の写真は、その箱に入っていた商品説明の紙を、この4年間、研究室のブッシュ人形の横に置いてきたものだ(ちょっとピンボケで失礼)。なお、まんじゅうの箱に「開封後はお早めにお召し上がりください」とあったが、それを学生たちと食べた頃には政権交代が起きて、民主党・鳩山由紀夫内閣になっていた

「マニフェスト」を掲げて総選挙がたたかわれた。私はこの言葉に違和感を表明した。そして、政権交代が行われた。外国のメディアに初めて大きく取り上げられた日本の政治事象について、やや興奮しながら直言「『政権交代』の意義と課題」を出した。 あれから3年。マニフェストからの離反は著しい。「マニフェスト。イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命がけで実行する。書いてないことはやらないんです。これがルールです。書いてないことを平気でやる。これおかしいと思いませんか。…」。実に筋の通った、実に立派なことを演説している国会議員がいた。この人物が現在の首相、野田佳彦である。この人に関係するグッズはまだ持っていない。いずれ総辞職か総選挙の時の新聞号外を、学生が研究室に届けてくれることだろう。ただ、国会の売店で、「どじょう顔」が入った湯飲みを買う気にはなれない。

研究室には、2008年に入手した小沢一郎民主党代表の顔を入れた手提げ袋とTシャツがある。「国民の生活が第一」と書いてある。裏側は英文である。「国民の生活が第一」と日本語で小さく書いてある。この袋は頑丈で、たくさんモノが入って実に便利なのである。この1年ほど、たくさんの資料やグッズを使う講義では、この袋をもって教室に向かった。「国民の生活が第一」。エレベーターで同僚に会うと、みんな怪訝そうに私の手元を見た。7月11日に、この名前の政党が発足したので、残念ながらこの袋はもう教室への資料の運搬手段にはならなくなった。でも、手提げ袋としては、私が持っているその種の袋のなかで一番しっかりしているので、選挙が終わったら、また使いはじめるかもしれない。袋自体、日本政治史の資料としても。

《文中敬称略》

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