選挙法は憲法違反――ドイツ連邦憲法裁判所判決 2012年7月30日

挙制度改革ほど期待できないものはない。現職の国会議員たちが自分で自分の首を切る制度に情熱を傾けるはずがないからである。国民は誰しもそう思っている。参議院について言えば、高裁で違憲判決が相次いでいる「一票の較差」について、「4増4減」の公職選挙法改正案を成立させて乗り切ることで、先週、民主・自民間で合意したという(『読売新聞』2012年7月26日付)。較差は現行の5.124倍から4.746倍になるだけで、最高裁が違憲判断の目安とした5倍をわずかに下回る程度の「彌縫策」と批判される所以である。

衆議院の方はもっと展望がない。与党は小選挙区「0増5減」と、比例区に「連用制」を導入する案を示しているが、各党の足並みは揃っていない。そもそも現行の選挙制度(衆院)は、小選挙区比例代表並立制と言われているが、その実質は小選挙区制にかたよった「小選挙区比例代表偏立制」にほかならない。現行制度は、「一票の較差」にとどまらない、根本的な問題を抱えているのである。

そんな国会議員のさぼり癖に対して、近年、裁判所がけっこう元気である。日本の最高裁も昨年3月、2009年総選挙(一票の最大較差2.30倍)について、「違憲状態」の判断を下した。特に「一人別枠方式」(小選挙区300のうち、47都道府県に1議席を別枠で配分して、残り253議席を人口比例で配分する方式)については、憲法の求める投票価値の平等に反するとして、その廃止を明確に求めた。これは立法裁量の尊重に傾斜しがちな従来の最高裁の姿勢からすれば、驚くほど踏み込んだ判断だった。だが、いま与野党が検討している案のなかには、「一人別枠方式」の廃止は含まれていない。最高裁の問題提起に国会が鈍感なまま、「0増5減」でお茶を濁そうとしたならば、今度こそ、最高裁は、問題となる選挙区について選挙無効の判決を出す可能性が高い。

 野田首相がどのような状況下で衆院解散に出るかはわからないが、少なくとも「一人別枠方式」の廃止と人口比例原則に基づく都道府県への定数再配分、新規の選挙区割りが「首相の解散権行使の前提条件である」という指摘は重要であろう(高見勝利「『1人別枠方式』廃止を」『毎日新聞』7月15日付オピニオン「論点」欄)。

 先週の水曜(7月25日)、ドイツの連邦憲法裁判所も、連邦選挙法に対して違憲判決を出している。問題となった論点はいろいろあるが、まず、連邦選挙法6条1項1文による州名簿の形成は「負の投票価値」(negatives Stimmgewicht)の効果を可能にし、それ故、選挙の平等性と直接性、および政党の機会均等の原則を侵害すること(基本法38条1項、21条1項)。もう一つは、「超過議席」(Überhangsmandat)は比例代表選挙の本質的性格を損なわない範囲でのみ受忍し得るものであること、具体的に言えば、超過議席が生じた場合、それが院内会派を構成するのに必要な議員数〔30人〕の半分を超える場合は、選挙の平等と政党の機会均等の原則を侵害すること、である(BVerfG vom 25.7.2012)

 この判決は、連邦議会の社会民主党(SPD)と「緑の党」の議員によって申し立てられた規範統制手続と、3000人を超える市民による憲法異議(Verfassungsbeschwerde)手続、それに連邦議会「緑の党」会派等の機関訴訟手続を併合したものである。複雑な専門的な議論を含むので退屈になるといけないが、少しお付き合い頂きたい。

冒頭の写真(FAZ vom 25.7.2012)にあるように、ドイツの投票用紙は1枚で2種類の投票をする。左側が第1投票で、有権者は候補者個人の名前に×を付ける(ドイツでは賛成は×なのです!)。右側が第2投票で政党名が書いてあり、有権者は自分の支持する政党名に×を付ける。この制度は小選挙区比例代表併用制とされるが、これは「人的要素を加味した比例代表制」と言い換え可能だろう。

連邦議会の定数は598。第1投票では、299の小選挙区で最も多く得票した者が当選となる。残りの299議席を比例で選ぶというのではない。それでは「並立制」になってしまう。第2投票の結果は連邦全体で政党別に集計され、598議席すべてに対する各党の配分議席数を決める(政党間の議席配分)。これを「上位配分」(Oberverteilung)という。基本は比例代表制なのである。その上で、第2投票の得票率に応じて、16州の各党のそれぞれの配分議席数を決めていく(政党内の州組織間の議席配分)。これを「下位配分」(Unterverteilung)という。

そして、各州における各党の議席配分が決まったところで、第1投票の当選者は自動的に当選となり、これを各州の配分議席数から引いた数を、州名簿の1番から順番に当選者としていくわけである。

問題は、各党の州への配分議席数よりも第1投票の当選者が多くなる場合である。これが「超過議席」である。2009年9月の総選挙では、キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)が小選挙区であまりに勝ちすぎたために、超過議席が24も生まれてしまった。特にバーデン・ヴュルテンベルク州で激しかった。その結果、連邦議会の総議席数を598から622に増やすことになった

 ドイツの小選挙区比例代表併用制は、比例代表制を基軸としつつも、「顔の見える選択」も尊重する工夫といえる。だが、その影にある制度設計の無理が、憲法問題として浮上してきたわけである。

超過議席は、比例で決まった配分議席よりも多くの議席を得るという意味で、選挙の平等(基本法38条1項)を侵害し、小選挙区で勝てる大政党のみが恩恵によくするという点で、政党の機会均等(基本法21条1項)を侵害する。だが、判決文を慎重に読んでみると、裁判所は超過議席を全面的に違憲とはしていない。「比例代表選挙の基本的性格を廃しない範囲においてのみ受忍し得るもの」としており、15人までは許容限度としている点が注目される。院内会派を構成するのに必要な議席数は30であり、超過議席がその半数を超えると選挙の平等と政党の機会均等の原則を侵害するというのが裁判所の判断である。

 判決は、旧西ドイツ時代からの超過議席の発生を歴史的に追いながら、ドイツ統一以降、超過議席数が明確に増えていると指摘する。裁判所は、人物選挙(小選挙区)と結びついた比例代表制を採用する以上、超過議席が発生することは今後も想定し得ることを前提に、15議席を上限として、過度な超過議席の発生を防ぐ手だてを議会に求めたと言えよう。この結果、野党は超過議席の全面廃止を求める憲法訴訟を起こせなくなったという指摘もある(die taz vom 26.7)。

判旨の順番と前後するが、超過議席の問題と関連して、裁判所が違憲性を指摘したのが、「負の投票価値」の問題である。第2投票(比例)でたくさん得票するほど、獲得議席が少なくなる、あるいは逆に第2投票の得票数が少ない方が議席が多く獲得できるという逆転現象のことで、超過議席の「副産物」とされている。

 「負の投票価値」の問題が起きる可能性が想定されるときは、その党の支持者は第2投票であえて自分の党には入れず、第2投票の得票率を下げる動きをした例がある(ザクセン州ドレスデン第1区)。

 このパラドックスについて、すでに連邦憲法裁判所は、4年前の2008年7月3日、連邦選挙法7条3項2文(+6条4、5項)によって生まれる「負の投票価値」の効果が、平等選挙と直接選挙の原則を侵害し、違憲であると判示していた(BVerfGE 121,266)。裁判所は、連邦選挙法を、「遅くとも2011年6月30日まで」に憲法適合的な規定に改めることを立法者に要求した。連邦議会はこの期限までに法律の改正をしなかった。2011年10月になって、ようやく選挙法を微修正して、「負の投票価値」の緩和をはかったが、この選挙法改正(第19次)に対して、規範統制や憲法異議などの形で提訴が行われた。そして先週、憲法裁判所が違憲のだめ押し的判断を下したというわけである。

「負の投票価値」は、小選挙区で当選者を出せる大政党の問題のように見える。だが、裁判所は「稀な例外ではない」という。これが生ずる原因としては、第2投票の議席の比例配分を二段階構造にしている点にあるようである。日本のように、比例名簿を各政党の中央本部がすべて作成するのとは違い、ドイツでは16州の党組織がそれぞれ名簿を作成して順位を決めていくから、選挙法は「下位配分」という仕組みを作った。政党組織にも連邦制的構造が貫徹しているわけである。

 問題の解決策としては、「下位配分」を廃止して、当該政党の中央組織に一元的な名簿リストを作成させて「上位配分」だけでいくか、逆に「上位配分」を廃止して、すべて州ごとに完結した議席配分(つまりすべてを「下位配分」にする)か(Gerechtigkeit im Überhang, in:FAZ vom 25.7)。左派党(Die Linke)のG.ギジ元議員団長は、すべて「上位配分」でいくべきだとして、それは連邦議会の議席配分を第2投票の結果に実際上照応させるメリットがあると主張する(die taz vom 26.7)。

 ただ、基本法21条の政党条項によって、政党はその内部組織の民主的あり方を憲法上要求されている。この政党内民主制の憲法的要請は、ナチスの「指導者原理」と共産党の「民主集中制」という負のモデルが想定されており、比例名簿の中央一元化は容易ではないだろう。なお、議席の割り当ては毎回の選挙の得票で左右されるよりは、最初から人口数・有権者数に対応して確定的なものにすべきという主張もある(FR vom 26.7)。

 いずれにしても、選挙法をどのようにするかは、民主主義の根幹に関わる問題である。あれこれの法律と異なり、国民代表を選ぶ仕組みや手続きを定めているからである。選挙法の改正は、憲法改正に匹敵するとされる所以である。

 連邦憲法裁判所のA.フォスクーレ長官の言葉を借りれば、選挙法は「機能する民主主義の不可欠の基礎(unverzichtbares Fundament)」として、立法者の最高度の綿密性と最大可能な客観性を求められるものである(Ch. Bommarius, Deutschland verlernt die Demokratie, in: FR vom 25.7)。だからこそ、立法者、すなわち国会議員は、選挙法や選挙制度にもっと真剣に向き合うべきなのである。

 歴史を振り返れば、1949年にドイツ基本法(憲法)を制定した基本法制定会議(Parlamentarischer Rat)の議員たちは、基本法だけでなく、第1回の連邦議会選挙のための選挙法も制定していた。これに関わった政治家たちは、「議会が繰り返しの空間」(Halle der Wiederholungen)であることを痛感した。何度も何度も、繰り返し、繰り返し議論し、最後は妥協に達する。基本法を制定した草創期の政治家たちが今の政治家たちと違う点は2つあるという。第1に、「民主主義の基礎としての選挙法は、確固とした、100%民主的な素材から鋳造されねばならない」ということ、第2に、「選挙法は他のどんな法律以上に、可能な限りすべての会派の同意を必要とすること、すなわち、妥協以外の何ものでもあり得ないということ」を知っていたことである(Ch. Bommarius, Ach ja, die Demokratie, in: FR vom 27.7)。

日本でも、ドイツでも、時々の政局的判断から、選挙制度改革についての腰の座った議論が欠けている。日本では、自民・民主の二党だけの合意で、参議院の「4増4減」が決まった。選挙制度改革に関しては、「可能な限りすべての会派の同意」が求められるだろう。自らの選ばれ方を決めるのだから、本来なら、党派的な議論を最も控えるべき筋のものなのである。その点で、民主的に選ばれていない裁判所が、選挙に関する憲法上の原則を掲げて、政局に邁進する政治家たちに警告を発するのは興味深いことである。

「酔いをさます判決」(Ernüchterndes Urteil)という見出しを付けた新聞評論があったが、言い得て妙であろう(FR.vom 27.7)。

《付記》判決が出て3日後に執筆したため、ドイツの法律雑誌や判例批評などを参照できていない。走り書きの印象記にとどまることをお断りしておきたい。

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