10月29日に召集された第181回国会(臨時会)は、異例の幕開けとなった。冒頭の内閣総理大臣の所信表明演説が衆議院だけで行われるという、「憲政史上初めての事態」になった。第180国会で野田佳彦首相に対する問責決議案が参議院で可決されていたため、自民党などが野田首相の所信表明演説を拒否したものである。当然、代表質問もなかった。参議院野党は27年ぶりとなる「緊急の口頭質問」(国会法76条)を行って帳尻を合わせたようだが、こういう形で緊急質問が使われたこともまた異例だった。
憲法は国会について二院制を定めている(憲法42条)。ここから国会の「独立活動の原則」と「同時活動の原則」が出てくる。前者は衆参両院それぞれが別個に独立して議事を行い、議決するというもの。後者は両院が同時に召集され、同時に閉会するというものである(例外は参議院の緊急集会〔憲法54条2、3項〕)。国会が同時に召集されることに伴う一連の行為として、所信表明演説や代表質問がある。ただ、所信表明を含めた政府演説については法令上の根拠はなく、長年にわたる慣例として行われてきた。これについての説明は、衆議院と参議院とで異なる。
浅野一郎・河野久編著『新・国会事典』(有斐閣、2008年)などによれば、衆議院先例483は、「議案について発言する」ために首相が議院に出席することを定める憲法63条と、国会法70条(発言の通告)を参照条文としている。これに対して参議院先例350は、憲法72条(一般国務に関する国会への報告)を参照条文に掲げている。所信表面演説などの政府演説について、衆議院は「議案についての発言」と捉え、参議院の方は「一般国務の報告」と考えているようである。このあたり、さすが二院制である。
だが、所信表明演説を「議案についての発言」と捉えるのには無理があろう。所信表明には単なる「議案」を超えた、内外の諸情勢に関する内閣の姿勢や対応なども含まれるからである。また、一般国務に関する国会への報告も首相の職務として憲法が定めたもので、そこから内閣に演説を国会でさせろという権限が出てくるわけではない。議院がこれを拒否したとしても、そこから直ちに違憲や違法の問題が出てくるわけでもない。議院運営委員会の判断ということになる。今回、参議院において所信表明演説・代表質問が行われなかったことは、「同時活動の原則」に伴う従来の慣例とは異なるケースが生まれたということにすぎない。
法的に説明すればこうなるのだが、しかし、政治の問題として見た場合には、いまの国会の状況は明らかに異常である。
『東京新聞』の特設欄「こちら特報部」の見出しに、「こどものケンカ臨時国会――首相の所信表明演説、衆議院のみ」とあった(『東京新聞』10月30日付)。そもそも税と社会保障の一体改革の消費税増税法案に、自民党は民主党とともに賛成している。その自民党が他の野党の出した問責決議案に賛成して、前国会は終了した。もう一度問責決議を行うことなく、前国会の問責を理由にして、所信表明演説を拒否する。自民党にも一貫性がない。やはり「こどものケンカ」と言われる所以である。しっかりした議論の場でなくなっただけでなく、まともな議決もできなくなったという意味では、尾崎行雄(咢堂)が「国会議事堂ではなく国会表決堂だ」と嘆いた頃よりも悪い。いまの国会を評すれば、まさに「国会戯児堂」である。
復興予算のあきれるような使われ方もチェックできず、東日本大震災の被災地の期待をことごとく裏切り続ける「政局家」(政治家にあらず)たちによる「子どものケンカ国会」と比べ、本物の子どもたちによる「子ども国会」の方がまともだった。
7月29日・30日、参議院において、「子ども国会――復興から未来へ」が開催された。1997年の「参議院50周年記念子ども国会」と、2000年の「2000年子ども国会」に続く3回目である。全国から選ばれた150人の子ども国会議員が参加した。
応募資格は小学5・6年生。男子66人、女子84人の計150人の名簿(写真と自己紹介付き)を見ると、全国47都道府県のうち、東京、大阪の大都市を含め44都道府県はすべて3人ずつ選ばれ、岩手、宮城、福島の3県のみ6人と倍増されている。議員定数は人口比例ではなく、東日本大震災からの復興という「テーマ比例」のようである。
参議院議院運営委員会理事会が「子ども国会実行委員会」となって準備を始め、事務方には企画実施委員会が設置された。このほど、参議院の事務方の関係者から「子ども国会」関係資料の送付を受けた。それを見ると、本会議場も委員会室を実際のものを使い、開会式から閉会式まで、本会議から委員会審議まで本物と同じように行われている。議事録も本格派だ。例えば、本会議冒頭の議長の開会宣言はこうである(抜粋)。
平成24年7月29日 午後1時39分開会
○議長(岩下莉及君・長崎県)
…昨年発生した東日本大震災では、多くの方々が亡くなられました。その中には、私たちと同じ小学生もたくさん含まれています。亡くなられた方々の御冥福をお祈りするとともに、被災地の一日も早い復興を願い、ここに集まった私たち全員で黙祷をささげたいと思います。…〔総員起立、黙祷〕
…この子ども国会では、「東日本大震災からの復興と私たちの未来」をテーマに、全国から集まった150人の子ども国会議員が、被災地の復興のために私たち子どもにできることは何か、いろいろな人とのきずなを深め、より良い未来を築くために必要なことは何かについて話合いをし、その結果を子ども国会宣言にまとめます。…
本会議のあと、子ども国会議員たちは「家族、友達ときずな」、「地域、日本全体のきずな」、「世界の人たちとのきずな」をテーマにして、それぞれ第1委員会と第2委員会に分かれて開会した。各委員会は定員25人。委員長1、副委員長2を選び、150人の子ども国会議員全員が、委員会審議に参加し、活発に発言している。6つの委員会の議事録を読むと、子どもたちの真剣な議論が伝わってくる。A4版174頁の議事録からいくつか発言を引用しよう。
○伊藤太雅君(福島県)
…震災後、原発の影響で外での〔サッカーの〕練習、試合ができないもどかしさを経験しましたが、家族と一緒にいられることの安心感を実感しました。そして、今でも放射線測定器を持たされながら、自分のやりたいことに打ち込ませてくれる家族がいる心強さ、そして共に熱くなれる友達がいることを本当にうれしく思っています。…
○佐々木綾香君(宮城県)
私は、東日本大震災で父と祖父を亡くしました。父は石巻市の小学校の教員として、学校の子どもたちを必死で守ろうとし、祖父は私と弟を迎える準備をしていて亡くなりました。…この震災を通して、家族の温かさ、大切さ、きずなの深さを、身を持って強く感じました。…
○山口高幸君(徳島県)
僕は伊方原子力発電所に見学に行ったことがあります。以来、原子力発電は、少ない量で大きなエネルギーを生み出せるし、CO2を出さないから環境に優しいクリーンエネルギーだと思ってきました。東日本大震災が起きるまでは。…僕はもう原発はやめるべきだと思うようになりました。これからは、自分で使うエネルギーは自分でつくる、エネルギーの自給自足を目指すべきだと思います。…
○大津果穂君(岩手県)
震災後、私は避難所で生活しました。…夜は電気もなく歩くことも難しく、暗くて寂しい日々です。私たちよりも小さい子もいて、暗い中をトイレに連れていく日が続きました。そんなときにうれしかったのが、全国から届いた食料や服等の物資と励ましの手紙です。…お礼の手紙に現在の私たちの様子を書くことで、支援等を受け取るだけでなく、こちらからも情報等を発信していこうと取り組んでいます。…
○瀧口美沙君(山梨県)
…残念なことに震災の風化は進んでいます。そして思うように進まない復興。…被災地、被災者の方々を独りぼっちにしないことです。震災後、東北の自殺者数は増えたそうです。そのために被災者の方々の心のケアが必要だと私は思います。…
○副委員長(中山香澄君・宮城県)
…去年、私が通っている学校に刺しゅうが入ったカードが届きました。それは、フィリピンのスモーキーマウンテンというごみの山から鉄くずや木くずを拾い、それを売って生活している子どもたちから届いたものです。自分たちの生活も大変なのに日本の私たちのことを心配して応援してくれる人がたくさんいることを知り、うれしさと感謝の気持ちでいっぱいでした。私は、震災のとき、食べるものがなく、電気や水道も使えない日が何日も続く経験をしました。…だから、貧しい国の人たちの暮らしももっと大変だろうと想像できます。…大人になったら、貧しい国の人びとへ物資を支援したいと考えます。…
7月30日午前11時30分再開の本会議で「子ども国会宣言」が採択された。
家族、友達とのきずなをより深め、支援の輪を広げ、日本全体が協力して被災地の復興をはかり、みんなが支え合い、助け合える地域や国づくりを進め、世界の人たちの支援に感謝し日本が世界に役立つために何が必要かということを書いている。「子ども国会宣言」は参議院のホームページから読むことができる(→ここから読めます)。
「子ども国会」議事録には、ボランティアという言葉が頻繁に登場する。この震災で、子どもたちは、人のために何をするか、何ができるかを学んだという。それがボランティア活動への強い関心となってあらわれている。被災地でのボランティアの活動は、子どもたちに鮮烈な印象を与えたようである。そして、自らもそういう活動をやってみたいと口々に語っている。
ただ、ちょっと気になったのは、過度な「きずな」の強調である。6つの委員会すべてに「きずな」がセットされ、これがキーワードになっている。「子ども国会」の「議院運営委員会」には大人(参院議員と職員)が関わっている。大人たちは、「家族」「友だち」「地域」「世界の人たち」の関係を、すべて「きずな」でつないだ。子どもたちは、「きずな」という曖昧な言葉をまったく自然に、ある意味では無批判に使っていく。もちろん、家族や友だちの大切さを認識したことには意味がある。震災によって、地域や世界との関係について気づかされたことも多かっただろう。だが、「きずな」の上からの称揚は、いつの時代でも、「愛『国家』心」に回収される傾きと危うさをもつ。公助をカットする口実として機能する面があることも否定できない。そうした自覚なしに、「きずな」ですべてを括ろうとした国会運営には問題があったように思う。その意味では、「子ども国会」が「子ども翼賛議会」にならないような配慮と工夫が求められたのではないか。
震災後の「絆(きずな)の連呼」への違和感については、直言「絆は『深める』ものなのか」で論じたので参照されたい。そこでも紹介したが、「『孤独な力』でつながる」という落合恵子さんの視点は、逆説的表現に聞こえるが、かけがえのない一人ひとりの個人が連帯していくことの大切さを説いたものとして重要である。
なお、この9月7日の第180通常国会の会期末の参議院本会議で、議長から、子ども国会宣言の採択と、「本院が今後も、我が国の未来を担う子どもたちに、このような機会を提供していくよう、期待するものであります」という発言がなされた。次回の「子ども国会」は、2017年の「参議院70周年」に合わせて開催する方向が、議運委理事会で申し合わされたという。
第4回「子ども国会」が開かれる5年後。その時、日本はどのような政権に統治されているのだろうか。