内外ともに大きな事件が目白押しだが、今週は久しぶりに「わが歴史グッズの話」をお送りする。「わが歴史グッズの話」は昨年7月の「内閣総理大臣グッズ」以来である。これを書いていたときは、まさか野田内閣のあとに安倍晋三内閣が蘇生するなどとは、夢にも露ほども毛の先ほども思わなかった。
さて今回は、ごく最近、ネットオークションで、競り合いの末に落札した『警察予備隊』創刊号(警察時報社、1950年12月1日発行)を紹介することにしたい。「実務と教養の雑誌」とあるように、採用試験の問題解説まである。研究室には警察予備隊関係のグッズがいろいろあるが、これは大変珍しい。隊員が聖火ランナーよろしく、地球の上の日本に凛々しく立っている。背後には警察の旭日章(旭影)と鳩が合体した太陽が輝く。何とも不思議な構図である。
1947年5月3日、軍隊と戦力の不保持を定めた日本国憲法が施行された。そのわずか3年後、警察予備隊(National Police Reserve) が、国会の制定した法律ではなく、占領下のポツダム政令によって設置された。警察予備隊令(1950年8月10日政令260号)がそれである。「わが国の平和と秩序を維持し、公共の福祉を保障するのに必要な限度内で、国家地方警察及び自治体警察の警察力を補うため警察予備隊を設け、その組織等に関し規定することを目的とする」(1条)。「警察予備隊の活動は、警察の任務の範囲に限られるべきものであって、いやしくも日本国憲法の保障する個人の自由及び権利の干渉にわたる等その権能を濫用することとなってはならない」(3条2項)。これだけ見ると、およそ軍隊ではない。
定数7万5000人の部隊編成は、米陸軍軽歩兵師団の編制表が使用された。憲法9条との関係で、「兵」や「戦」という言葉は避けられ、戦車は「特車」と呼ばれた。職種(旧軍の兵科・各部)では歩兵は「普通科」に、砲兵は「特科」、工兵は「施設科」と読み替えられた。装備はすべて米軍のお古(貸与兵器)で、教育訓練は米軍式だった。長官には香川県知事(内務官僚)がなり、制服トップの本部長には、軍隊経験のない内務官僚(宮内庁次長)が就き、各部幹部のほとんどを内務官僚が占めた。
冒頭の雑誌の目次を見ると、増原恵吉長官の「警察予備隊の使命について」がトップに掲げられている。そこには、「…部隊編成の典型的なものは軍隊であるので、部隊行動を建前とする予備隊が所謂軍隊的な外形を持つに至ることは自然の勢といえよう。然し内容に於て予備隊が軍隊と異なるべきは論を待たない。…予備隊は軍隊ではないから例えば朝鮮戦争の様な際国外に出撃する様なことは絶対に考えられない」とある。外形は軍隊だが、中身は国外に出撃する軍隊ではない、と隊員や志願者に表明している。
また、この雑誌には、日本国憲法制定に尽力した憲法担当国務大臣、金森徳次郎の「警察予備隊に望む」も掲載されている。扱いは別格で、内容も内務官僚たちのものと異なり、格調高い。「我々は軍隊を持たない」という節には、「…我々は無理と知りつつ非武装を決定したのである。国民は特に大英断をしたのである。…」とある。「憲法は警察力を否定していない」という節では、「憲法は戦争に関する意味で兵力不保持を宣言したのである。警察力そのものには無関係だ」と述べている。そこから警察予備隊の存在意義を説くが、戦前の統帥権の独立の誤りに言及し、今度は内務官僚の横暴により同じようなことがないとは言えない、と警鐘を鳴らしているのはさすがである。なお、編集後記に、「金森博士に〔は〕…縦横に走る筆の下から射かける手強い戒めの矢は恐らく誰も感銘を以つて読了されることと思う」とあり、戦前の軍のありように対する反省を「戒めの矢」としている点が印象に残る。
さて、この雑誌には、警察予備隊採用試験の模擬問題もたくさん出てくる。一番驚いたのは教養問題で、「ノーモア・ヒロシマ」は次の説明のうち、どれが最も適当か挙げなさいという問題があったことだ。選択肢は3 つ。(1) 広島を繰返すなということは転じて広島のような軍港都市を再び作るなということである、(2) 広島を世界平和都市として人類が二度とこのような悲劇をくり返さぬよう努力しようという平和運動、(3) 広島に原爆が落ちたので、戦争が終結した。今度落ちれば人類の破滅であるとの強い警戒の言葉である。正解は(2) なのだが、どれもが正解のように思える。他にも、“ヘェー”というような問題が採用試験で出題もしくは予想されていたのは興味深い。「軍隊ではない」という建前は、採用試験にも徹底されていた。
これらの写真は、警察予備隊員の帽章、肩章、襟章、ボタン、ネクタイピン、PXバッチ、おちょこ、金杯などである。すべて旭日章(旭影)と鳩が写っている。そもそも旭日章は警察のシンボルマークのはずである。それが半分だけ顔を出して、鳩が羽ばたいている。タカ派よりもハト派が演出されている。警察予備隊のジープにも、フロントグリルに大きな鳩のマークが付けられていた。これはけっこう重く、大きい(ボールペンと比較せよ!)。
この額の写真は、階級章から徽章等まで網羅的に集めていたコレクターのもと思われる。よく整理されていて、警察予備隊に関連する徽章や肩章、帽章などがすべて揃っている。こんなものもあったのか、と驚きであった。
他にも、『警察予備隊マンガ絵はがきNo.1』というのがあって、営内の日常生活がユーモラスに描かれている。ローカルな資料だが、京都府福知山駐屯地(現在は陸自第7普通科連隊)の警察予備隊創立1周年記念のガリ版刷り資料が手元にある。そこには、「予備隊川柳」も掲載されている。
警察予備隊は実質的に軍隊である。例を挙げれば、警察との違いを象徴するものが銃剣だろう。警察官は警棒をもつが、当然のことながら銃剣は所持しない。警察予備隊の『銃剣格闘訓練教範案』を見ると、米軍式で作られた予備隊だが、米国人との体格上の問題を考慮して、旧日本軍の白兵戦の技(「短突」)を基本に据えている。ここに軍隊としての実質を見て取ることは容易だろう。
警察予備隊はわずか2年で保安隊となり、さらにその2年後に自衛隊となる。実態に即して言えば、陸軍だけの警察予備隊が海軍をもつことになって、海上警備隊を設置するときに、陸を保安隊と名称変更した。そして、空軍を持つことになったときに、陸、海、空の三自衛隊となったのである。名称だけでなく、憲法解釈も変えてきた。海軍をもつときは、9条2項の「戦力」概念の定義で乗り切り、空軍をもつときには「自衛力」概念(「自衛のための必要最小限度の実力」)を捻り出して、自衛力=合憲という主張を打ち出したわけである。この政府解釈(「自衛力」合憲論)は、今日まで続いている。「自衛隊は軍隊ではない」というとき、それは憲法9条2項の「戦力」にはあたらず、「自衛力」として合憲であると解釈されている点に注意が必要である。
ここで、警察予備隊・保安隊→自衛隊となる過程で、隊員としての宣誓を拒否する者が7300人も出たことが想起される(直言「『宣誓』のやり直しが必要だ」参照)。家庭の事情等もあるが、「軍隊には参加したくない」という人も確実に存在した。自衛隊になってしばらくは「旭影と鳩」の徽章やボタンを使っていたが、やがて「鳩から鷹へ」と徽章や帽章も変わっていく。
2007年には、防衛庁から防衛省へと「昇格」した。自衛隊の本来任務に海外派遣が加えられ、軍隊としての実質をもった訓練も行われるようになった。
それでも、自衛隊は軍隊ではない。ここは重要である。自衛隊を憲法上正当化するギリギリの線は、「自衛のための必要最小限度の実力」という1954年の政府解釈である。安倍首相はかねてから、この解釈を突破しようとしてきた。そして、2012年4月、自民党はついに、自衛隊を「国防軍」とする憲法改正案を公表するに至った。単なる名称変更ではない。軍刑法や軍事秘密保護法、軍法会議(国防軍審判所)まで憲法上明記され(9条5項)、軍としての全属性を具備することになる。
警察予備隊63周年を前にして、この国が軍隊を持てないことの積極的意味を、もう一度考えてみる必要があるのではないか。