昨年まで「憲法理論研究会」の代表(運営委員長)を2年務めた。この15年ほど「全国憲法研究会」の運営委員もやっている。早大法学部の学生サークル「公法研究会」(今年、創立60周年を迎えた)の会長も。このように、「研究会」を名乗るのは、全国憲や憲理研のような学会から、学生サークルまでさまざまある。
先月、憲法の研究会がもう一つ立ち上がったというので注目した。だが、新聞記事を読んでのけぞった。「憲法96条研究会」。特定条文を冠してはいるものの、真面目な学会や知的な勉強会とは似ても似つかぬ、志の低いものだった。「憲法改正手続緩和検討会」あるいは「憲法9条改正のハードルを下げる会」、「憲法改正をやりやすくする政治家の会」とでも名乗った方が実態に合っているのではないか。
安倍晋三首相の「まず96条から改正しよう」という言説の怪しさについてはすでに述べた。いま、憲法96条をめぐる動きが急である。その意味で、『読売新聞』2013年3月8日付政治面の紙面構成は象徴的だった。トップ見出しは「憲法改正 成人年齢下げ先送り 自民提案 国民投票へ環境整備」。3月7日、衆院憲法審査会が開かれ、自民党が成人年齢引き下げの先送りを提案したという。2007年5月に成立した憲法改正手続法(国民投票法)は、憲法改正国民投票の投票権を持つのを18歳以上と定め、選挙権や成人年齢を20歳から18歳に引き下げることを、付則と付帯決議で求めていた。
この記事の下には、「96条研究会」という見出し。3月7日、「96条研究会」設立に向け、民主党、維新の会、みんなの党有志が集まったという。また、同日、超党派の議員が参加する「憲法96条改正を目指す議員連盟」が活動を再開。代表に現職の国家公安委員長を選出した。さらに同じく7日、日本維新の会代表の橋下徹氏が記者会見で、「(憲法96条の)改正を良しとするか否かは決定的な価値観の違いだ。これで分かれている人が一つの政党にまとまるなんてあり得ない。民主党は96条を改正するかどうかで、ピシャッと分かれた方がいい」と述べたことが、似顔絵入りの囲み記事になっていた。橋下氏は、「96条改正」は「基本的な価値観」の問題だとして、民主党の分裂を煽っている。このように、96条がらみの動きが3月7日に集中したわけだが、『読売新聞』だけがこれをことさらに拾って伝えていた。執拗に改憲草案を出してきた新聞社らしい。
こうした傾向に対して、政治家で最も的確な言葉を発したのは、かねてから憲法改正についても積極的だった小沢一郎・生活の党代表だった。2月28日、小沢氏は党内の会合で、「96条の要件緩和を先にやるという話は学問的、論理的、理念的にへんちくりんな議論だ」と言い切った(『産経新聞』3月1日付)。これは正鵠を射た指摘である。なぜなら、学問的には、憲法改正手続の改正は、憲法制定権力の制度化である憲法改正権力によってはできないという説があるし、権力担当者が自らに対する制約を緩和せよと主張することは論理的におかしい。これは立憲主義の理念にも反するからである。
慶応大学教授の小林節氏は、鳥取県紙『日本海新聞』で「一刀両断」というコーナーをもち、連載を続けておられる。その3月12日付は「憲法96条改正先行論は邪道だ」である。
「改憲マニアの政治家たちが思い付いたのが、改憲手続きのハードルを低くすること、つまり、96条の改正を先行させることである。しかし、そのような発想は、憲法の存在理由つまり立憲主義を無視した『邪道』である。国家基本六法のうち、民法・商法・民事訴訟法・刑法・刑事訴訟法が、私たち国民大衆の共同生活を規律するものであるのに対して、唯一、憲法だけは、例外的に、主権者・国民大衆の最高意思として『権力担当者』(政治家とその他の公務員たち)を規律するものである。そして、それこそが立憲主義である。にもかかわらず、その権力担当者たちが自ら拘束する憲法の改正を提案する条件を緩和するということは、文字通り、立憲主義を軽んじていること以外の何ものでもない」と。
小林氏は改憲論者であり、私と見解は異なる。だが、小林氏は上記のように述べた上で、「改憲論者に望まれることは、何よりも、説得力のある改憲案を主権者・国民大衆に提案することである」と述べている。きわめてまっとうな指摘と言うべきだろう。
メディアでは、『河北新報』2月23日付社説が秀逸だった。これが先鞭をつけ、『朝日新聞』3月13日付、『佐賀新聞』20日付などの社説が続いた。安倍首相は「〔憲法改正のハードルの〕『3分の2』はリアリティがない」などと語っているが(3月11日衆院予算委、『読売新聞』3月12日付)、憲法改正手続が一般法律よりも重く定められるという世界の常識をリアリティがないと言い切ってしまう安倍氏のリアリティのなさはすごい。
「憲法96条研究会」まで立ち上げて国会議員が憲法改正に突き進むなか、裁判所がその国会議員たちに対して、「正当に選挙された国会における代表者」としてはクェスチョンだという強烈なメッセージを投げかけたのは実に的確であった。
「一票の較差(格差)」が最大2.43倍となった2012年12月の衆院選が憲法14条(法の下の平等)に違反するとして選挙無効を求めた訴訟において、全国の高等裁判所(支部)で、3月6日東京高裁を皮切りに、27日の仙台高裁秋田支部まで、3週間で計16件の判決が出揃った。結果は、違憲(選挙無効)2件(広島、岡山〔支部〕)、違憲(選挙有効)12件(東京、札幌、仙台、金沢〔支部〕、高松、松江〔支部〕、東京、宮崎〔支部〕、那覇〔支部〕、大阪、広島、秋田〔支部〕)、違憲状態2 件(名古屋、福岡)である。合憲は一つもない。これは特筆すべきことである。しかも、従来のように、違憲と宣言しながら選挙は有効とする事情判決の法理を適用せず、選挙無効に踏み込んだ判決が2件出てきたことが注目される。その最初の一歩が、3月25日の広島高裁(筏津順子裁判長)判決である。その骨子は下記の通り。
(1)国会の広範な裁量権は、投票価値の平等に反する状態や民主的政治過程のゆが みを是正するという極めて高度な必要性から制約を受け、区割り規定の改正などを優先的に実行する憲法上の義務を負う。(2)当該区割り規定は、平成23年最高裁大法廷判決が違憲状態として廃止を求めた一人別枠方式に基づいているのに、憲法上要求される合理的期間内に是正されず、憲法14条に違反する。
(3)本件選挙は、選挙権の制約や民主的政治過程のゆがみは重大であり、最高裁の 違憲審査権も軽視されるなかで実施され、憲法上許されない事態に至っているから事情判決をするのは適当ではなく、選挙は無効と断ぜざるを得ない。
(4)選挙無効を宣言した上で、その効力を一定期間停止し、その間の是正を強く国 会に迫る「将来効判決」をすべきであり、区割り改定作業から1 年が経過する今年11月26日をもって選挙無効の効果が発生する。
この判決は、戦後の裁判所として初めて、国会議員の選挙を無効としたもので、大いに注目される(なお、戦中に鹿児島2区翼賛選挙無効判決があった)。ただ、「将来効判決」という手法をとり、選挙無効の効果を8カ月先に延ばした。これは一種の時限爆弾的効果であるが、違憲だが選挙有効よりも踏み込んだものの、選挙無効の効力を一定期間停止した後に発生させるというのは、「その間に国会に是正を迫る」という政策的な手法であり、司法の立場としてはやや先回りないし配慮しすぎの感がある。事情判決の法理をとらなかったことは評価できるが、すっきりと選挙無効を出すべきではなかったか。
その点で、翌26日の広島高裁岡山支部(片野悟好裁判長)はさらに踏み込み、岡山2区の選挙を無効とする判決を言い渡した。広島高裁判決のような「猶予期間」を設けなかった点は大いに評価できる。判決が確定すれば議員は失職する。これは日本の裁判史上初めて、国会議員の首を涼しくさせることになった。岡山支部の判決骨子は次の通りである(→全文はここから読めます)。
(1) 投票価値の平等は国民主権・代表民主制の原理及び法の下の平等の原則から憲 法の要求する最も重要な基準であって、国会は選挙区制を採用する際、投票価値の平等を実現するよう十分に配慮しなければならず、これに反する選挙に関する定めは、合理的な理由がない限り、憲法に違反し無効である。(2) 本件区割り基準と区割り規定は、本件選挙時、憲法の投票の価値の平等の要求 に反する状態に至っていた。国会議員は憲法尊重擁護義務を負っており(憲法99条)、平成23年最高裁大法廷が速やかに立法措置を講ずるよう求めたにもかかわらず、本件選挙施行までに選挙区割りを是正しなかったことは国会の怠慢であり、平成23年判決など司法の判断に対する甚だしい軽視である。本件区割り規定は投票価値の平等の要求に反し、違憲である。
(3) 投票価値の平等は最も重要な基準であるから、これに反する状態を容認する弊 害に比べ、選挙無効による政治的混乱が大きいとは直ちに言えない。したがって、本件選挙を違憲としながら、選挙の効力については有効と扱うべきとの事情判決の法理を適用することは相当ではない。
(4) 本件区割り規定は憲法に違反し無効であり、その区割り規定に基づいて施行された本件選挙のうち岡山2区における選挙は無効である。
岡山支部判決の場合、国会へのプレッシャー(時限爆弾)効果は広島高裁判決よりも明確かつ明快である。選挙無効効果を先延ばしすることは、国会にもう一度逃げるチャンスを与えることになり、結果的に憲法違反の状態が続くことになる。判決は、岡山2区選出議員を欠くことによる政治的混乱よりも、「長期にわたって投票価値の平等に反する状態を容認することの弊害」の方が大きいという司法判断に立って、投票価値の平等を「最も重要な基準」として貫徹したわけである。その意味では、裁判所が政治部門の事情を斟酌しすぎることのマイナスにも自覚しながら、違憲審査権を有する裁判所らしく、政治部門に向かって、憲法の価値を毅然と押し出したものとして高く評価されよう。憲法上、唯一違憲審査権を与えられた裁判所として本来当然のことではあるが、この国の司法の現状からすれば実に立派な態度である。
今後、国は16件すべてについて最高裁に上告するだろうから、16件を一括審理して、この秋にでも出される大法廷判決が注目されるところである。高裁判決の多数は違憲・選挙有効判決だが、おそらく最高裁は独自の判断を出すだろう。違憲判決となるのはほぼ確実だが、その先については、広島高裁判決の「将来効」のバリエーションに類似した選挙無効判決が出る可能性も捨てきれない。2年前の最高裁「違憲状態判決」で5つの個別意見がつき、また「一人別枠方式」廃止に踏み込んだことを考えれば、より厳しい判決が予想される。
また、現在の最高裁裁判官の大半が関わった昨年10月17日の参議院議員定数訴訟において、最大較差(較差)5.0倍を「違憲状態」としながらも、具体的な選挙制度のありようを次のように指摘していたことが注目される。すなわち、「より適切な民意の反映が可能となるよう、単に一部の選挙区の定数を増減するにとどまらず、都道府県を単位として各選挙区の定数を設定する現行の方式をしかるべき形で改めるなど、現行の選挙制度の仕組み自体の見直しを内容とする立法的措置を講じ、できるだけ速やかに違憲の問題が生ずる前記の不平等状態を解消する必要がある」と。
個別意見には、「選挙区単位から広域な区域への変更」(櫻井龍子裁判官)や「都道府県の枠を超えるブロック単位の選挙区」(金築誠志裁判官)などの指摘が見られた。立法府に対して、あるべき選挙制度のあり方を具体的に提言する傾向も見られる。今回は衆議院の選挙制度が問題となっている。事情判決の法理でお茶を濁すとは思えない。
昨年12月の総選挙は、最高裁によって違憲状態とされた公職選挙法に基づいて行われた「違憲状態選挙」であった。違憲状態を解消することが、首相の解散権行使の内在的な限界をなしていたのに、野田首相(当時)は「一発で倒す」というプロレスファン的のりと執念で解散権を行使した。低投票率と小選挙区比例代表「偏立」制に助けられ、自民党は「相対的大勝利」を得た。選挙後の「直言」では、「この選挙は、選挙終了と同時に選挙無効訴訟が起こされ、最高裁が「選挙無効」判決を出す可能性もある」と書いておいたが、まさに16高裁(支部)の圧倒的多数が出した結論は、昨年12月選挙は憲法違反ということである。その違憲選挙で誕生した安倍政権が「アベコベーション」の政策を立て続けに打ち出すなど、政治の劣化は著しい。
「違憲状態選挙」で選ばれた議員たちに憲法改正を語る資格はない。「憲法96条研究会」などにうつつをぬかしていないで、裁判所の指摘を謙虚に受けとめ、まずは違憲状態の解消に努力すべきである。その際、「0増5減」という安易な小手先対応ではなく、現行の小選挙区比例代表「偏立」制の抜本的見直しを含む、民意の反映を基軸にした選挙制度改革に取り組むべきであろう。
ところが、先週の衆院憲法審査会で自民党の中谷元氏(一票が全国で5番目に重い高知2区選出)は、「国会が決めた選挙のあり方について、違憲とか無効とか、司法が判定する権利が、三権分立上許されるのか疑問だ。立法府への侵害だ」「最高裁の判断がおかしい時には、おかしいと言うために、国会の中に審判所なりを設けよ」と主張したという(『朝日新聞』3月27日付コラム「天声人語」)。権力分立や違憲審査権に対する無理解は極まれりである。こんなところにも「アベコベーション」は浸透している。