明日、6月4日は「天安門事件」24周年である。その約半年後に「ベルリンの壁」が崩壊する。ソ連のゴルバチョフ書記長(当時)は、「ブランデンブルク門で天安門を繰り返すな」と、旧東ドイツ党指導部に圧力をかけたので、国境警備隊には武器の携帯が禁止された。そのことが、1989年11月9日木曜日の夜11時50分に「ベルリンの壁」が平和的に崩壊する要因となった。あれから世界は大きく変わった。「壁」崩壊後「4分の1世紀」については、11月にまた書くことにしよう。
さて、「直言」ではこの間、「憲法96条先行改正」問題を何度も取り上げてきた。ここにきて微妙な変化も生まれている。「日本維新の会綱領」の冒頭にある、日本国憲法を罵倒する表現を借りれば、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め」ているのは、安倍晋三と橋下徹という二人の政治家だが、彼らが主張する「96条先行改正」の主張は、このところトーンダウンした感がある。
しかし、油断は禁物である。安倍首相には「私の任期のうちに憲法改正を」という異様な思い入れと思い込みがあり、祖父(岸信介元首相)と叔父(佐藤栄作元首相)ができなかった改憲をやって「新しい時代を切り開きたい」というパワフルな思い違いをしたまま、参院選に突入してくる可能性はまだある。「まず96条から」という壮大なる勘違いに、しばらく付き合わねばならない。「アベノミクス」なる「催眠政治」の賞味期限もそろそろ切れるし、TPPをめぐる公約違反(総選挙で当選した自民党衆院議員のうち205人がTPP反対だった!)も、交渉の実態が明らかになるにつれてボデイブローのように効いてくると思うので、今後3カ月が一番危ない。限られた政治的寿命のなかで、「何でもいいから、憲法改正の実績を作りたい」と盲進するおそれがある。
この日本政治史上、最も危険な「壊憲の鉄砲玉」をいかに止めるか。一研究者として微力ながら、この間、全国をまわって、「護憲か、改憲か」ではなく、「立憲か、壊憲か」を軸に訴えてきた。5月3日前後は、札幌、岡山、水戸の3都市を48時間で講演したほか、18日の盛岡講演では、東北6県から集まった「9条の会」の人々に講演し、討論にも参加した。
参加者すべてが「護憲派」だったので、議論が活発になることを願って、あえて挑発的な問題提起をいくつか仕掛けてみた。その一つが、「戦後日本に立憲主義が定着しなかった要因の一つは、『あたらしい憲法のはなし』に過度に依拠する憲法教育が行われたからではないか」という論点である。これを口にすると、会場は一瞬凍りついた。
討論のなかで、定年まで高校教師をやったという人から、「立憲主義はそんなに立派なものですか」という質問が出された。中世から存在するという意味では「たかが立憲主義」であるが、「96条先行改正」論に対する最も効果的な批判の軸になっているという点では、「されど立憲主義」である。「憲法三原則」だけで生徒に憲法を説明してきた人たちに、「憲法三原則」にとどまらず、その前提にある大切な原理(立憲主義)の説明がこれからは必要だと述べておいた。
ところで、『あたらしい憲法のはなし』は1947年8月2日、文部省により、中学校1年生の社会科用副読本として発刊された。新憲法のやさしい解説書として、一般にも広く普及した。だが、1950年に朝鮮戦争が始まると、文部省はこれを使うことをやめた。その後、教員組合や市民団体などがこれを使った学習を続けてきた。憲法教育の教材と言えば、まず『あたらしい憲法のはなし』が推薦されてきた。「今もなお、護憲派のバイブル的存在」、あるいは「平和問題を考える上での『バイブル』」といった評価がネット上にも見られる。
本文に11枚のイラストが使われ、そのうち、平和主義のところでは、兵器を平和転換させる「戦争放棄」のイラストがよく知られている。私自身、アフガニスタンから届いた武器を文具に変える「アシアナ」の玩具を紹介するとき、これを背景に掲げたことがある。
イラストだけでなく、「六 戦争の放棄」のところは、戦争放棄と戦力不保持の意味や、「国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないときめたのです」という「武力による威嚇」の放棄がわかりやすく説明されている。このあたりはすぐれた記述だと私も思う。
だが、最初から最後まで通読してみると、果してこれが「今もなお」憲法教育に有効かというと、私はかなり疑問を持っている。高校時代に初めて読んだ時、この本の語り口に漠然とした違和感を抱いた。それが何だったのか、当時はよくわからなかった。
この間、「96条先行改正」問題で全国をまわって、いろいろな人たちから、「憲法が権力者を縛るものだということがよくわかりました」という感想を聞くことが多い。ラジオやテレビに出演して語っても、一番多いのはそういう声である。憲法学では自明中の自明の立憲主義の考え方について、この国では、憲法施行66年にもなるのに、十分に普及していなかったという事実を思い知った。
その原因なり背景には、『あたらしい憲法のはなし』を過大評価し、長らく「護憲のバイブル」として扱ってきたこともあるのではないか。そもそも「バイブル」という表現がいただけない。
憲法施行直後に作られた以上、人々の意識面で、まだ戦前の発想を引きずっている面があることも否めない。特に天皇についてはそうである。「私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりお置きして、国を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が、天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう」という表現はその典型である。
まだある。「内閣総理大臣は、国会の議員の中から、国会がきめて、天皇陛下に申しあげ、天皇陛下がこれをお命じになることになっています」。ここでは、憲法6条1項の国事行為が形式的・儀礼的行為ではなく、実質的な意味で語られている。
「内閣は、…天皇陛下が国の仕事をなされるときには、これに意見を申し上げ、また、御同意を申します」とあり、天皇の国事行為が「国の仕事」と意訳され、それに対する内閣の「助言」と「承認」(憲法3条)の説明にも、内閣が天皇を「輔弼」するにすぎなかった戦前的な香りが漂う。衆議院の解散についても同様。7条3号について、「衆議院の考えが国民の考えを正しくあらわしていないと内閣が考えたときなどには、内閣は、国民の意見を知るため、いつでも天皇陛下に申しあげて、衆議院の選挙のやりなおしをしていただくことができます。これが衆議院の『解散』というのです」と書かれている。69条(衆院の解散、内閣の総辞職)も、「〔内閣〕不信任決議がきまったときは、内閣は天皇陛下に申しあげ、十日以内に衆議院を解散していただき、選挙のやり直しをして、国民にうったえてきめてもらうか、または辞職するかどちらかになります」と、天皇を軸にした説明の仕方になっている。「天皇陛下に申し上げて」「選挙のやりなおしをしていただく」「解散していただき」という下りを読んだ子どもは、天皇に実質的な解散権があるかのように思うだろう。
実は、この『あたらしい憲法のはなし』で最も問題なのは、憲法が権力を制限するものだという立憲主義の視点がきわめて弱い点にある。この小冊子では、「憲法を守ってゆく」という表現が随所に出てくる。その主体は国だったり、国民だったりする。明示的あるいは黙示的に国民を主語にしたところが5箇所ある。例えば、「私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました」「みなさんは、国民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません」等々。これを読んだ生徒は、憲法は「私たちが守ってゆく大切な国のきまり」という理解に落ちつくだろう。
この他にも、「守る」という表現は様々に使われている。国際条約を「まごころから守ってゆく」とあるし、人権を「守る」ということから、自由権の記述が薄い。「国家からの自由」(国家に対する自由)という面が理解しづらくなっている。国家機関に対しても、「みなさんは、私たち国民は、国会を、自分の代わりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、そんけいしなければなりません」と、「信頼」と「尊敬」が前面に出て、それをチェックするという視点はない。なお、国家に対する人権の尊重原則は立憲主義にも含まれるが、国民主権ないし民主主義原則は立憲主義と緊張関係に立つことも、この小冊子からはまったく見えてこない。
結びの言葉は、「みなさん、あたらしい憲法は、日本国民がつくった、日本国民の憲法です。これからさき、この憲法を守って、日本の国がさかえるようにしてゆこうではありませんか」である。こうして、憲法は「私たちみんなが守るもの」と刷り込まれていく。実際、中学・高校でそのように先生に教えられてきたと語る大学生も少なくない。
フジテレビのノンフィックス「第96条-国民的憲法合宿」に、慶應大学の小林節教授と出演したが、参加した6人の市民は護憲3、改憲3と意見は真っ二つに分かれたけれど、6人とも、憲法が権力者を制限するものだと知らなかった。
戦後、日本平和委員会の復刻版が1972年11月3日に発刊された。それには、長谷川正安氏(名古屋大学名誉教授)の「解説」が付いている。きわめて政治的な解説で、日本国憲法とそれをめぐる状況の外在的な批判はあるものの、立憲主義についての理解を助ける叙述は皆無である。それもそのはずで、長谷川氏はマルクス主義憲法学の代表格で、立憲主義に対して当然批判的である。日本国憲法も階級支配の道具であり、その「民主的・平和的条項」は擁護の対象となるが、将来の「民主的権力」が自衛措置を行う際には、9条2項は改正の対象となるという理解である。いかなる権力も憲法に縛られるという発想をとらない以上、「解説」に立憲主義という言葉が出てこないのはある意味で当然だろう。
こういう政治的な復刻版が普及する一方、2001年には、童話屋から普通の文庫版が復刊された。末尾には編集部の言葉としてこうある。「本書の一部には、現行の制度とは異なる表記や、現在では不適当と思える表現があるが、終戦直後に執筆されたもので、当時の文部省のあり方を知る上で資料的な意味があるとの判断から、そのままとした」と。
『あたらしい憲法のはなし』の限界を最もよく示す記述は、普通選挙の説明の下りにある。「気がくるった人まで選挙権をもつというわけではありませんが…」。現代ではあり得ない表記であるだけでない。先週5月27日、改正公職選挙法が参議院で可決・成立して、精神疾患や知的障害で成年後見人を付けた人にも、選挙権が回復することになった。7月の参議院選挙から13万6000人が一票を投じることができるようになる。
この66年前の小冊子に過度に依存し、「護憲のバイブル」のような扱いを続けることはもうやめるべきである。『あたらしい憲法のはなし』からの卒業である。尾崎豊『卒業』(1985年)の一節に「仕組まれた自由にだれも気づかずに この支配からの卒業」というのがあるが、言葉を借りれば、「憲法は国民が守るきまり」という思考の「支配からの卒業」である。卒業のあとにくるのは「立憲主義」という思考でなければならない。
なお、6月14日、「96条の会」のシンポジウムが上智大学で開かれる。また、今週6月8日発売の雑誌『世界』(岩波書店)7月号には、前述の小林節教授と私の対談が収録されている。
《付記》
藤井康博氏(静岡大教育学部准教授)によれば、中学校の社会科・公民の検定教科書を見たところ、10年以上前とは異なり近年の5社(教育出版、 清水書院、帝国書院、東京書籍、日本文教出版)では、「立憲主義」または「立憲政治」の項目が、憲法研究者らによって(遅まきながら)新たに的確に説明されている(育鵬社のものには「立憲主義」の項目がないが権力濫用を抑制する憲法との説明は一応あり、自由社のものでは人権保障との関連が不十分である)。 そのように中学と大学を接続させる憲法教育の発展が期待される。高校と大学を接続させる憲法教育の試みは横大道聡氏(鹿児島大学教育学部准教授)らの一連の研究がある。