先週末、仙台弁護士会で講演してから、東松島市、石巻市、南三陸町に入った。昨年も仙台講演のあとにこの地域をまわったが、そのことについては直言「学校被災―東日本大震災から1年」で詳しく書いた。今回も、宮城県立白石高校教諭の豊永敏久さんにお世話いただいた。ショックだったのは、瓦礫が片づいたあとの更地に草がはえ、あたかも昔からそこが緑の草原であったかのように見えることだ。「復興」は遅々として進んでいない。そればかりか、東日本大震災そのものが「忘却」の過程に入りつつあるのではないか。
石巻市に入る橋は無残だった。保存か、撤去かで議論がある。震災の記憶はできるだけ残すべきだという声は、予算がなかなかつかないことなどから、いずこでもなかなか届かない。
石巻市立門脇小学校に着く。震災直後に初めてここに来たときは、黒く焼けただれた校舎に息をのんだ。今回は、校舎全体が灰色のシートで覆われていた。なぜなのか分からなかったが、帰宅後に新聞を調べると、7月から近くの2つの市立高校が体育の授業でグラウンドを使うため、被災した高校生の「心情に配慮した『目隠し』」とわかった(『毎日新聞』2003年6月20日付夕刊)。記者は、「市教育委員会は一時的な措置と説明するが、地元には残念がる声も。3階建ての校舎を巡っては、爪痕を目に見える形で残す『震災遺構』として保存するかどうか議論が続いており、今回も似た構図だ」と書いている。
石巻市立大川小学校に着く。108人の児童のうち74人、教職員13人のうちの10人が死亡・行方不明となった。山側の奥に、真新しい慰霊碑とモニュメントが建っていた。その前に立ち、しばし手を合わせる。“Angel of Hope”(希望の天使)。今年3月10日の法要に間に合わせるために、3月8日に建立された。大川地区の犠牲者で、遺族が希望した251人の名前が刻まれている。いかにたくさんの子どもたちが亡くなったのかがよく分かり、何ともが痛々しい。
「なぜ大川小だけ、あれほどの犠牲が出たのか」。この問題に関わる検証活動はまだ続いている。近々、検証委員会の中間報告が出されるが、遺族らの間に不満や批判が強まっているという。東日本大震災では、「指定避難場所」への過信が問題とされた。「自然現象は大きな不確定要素を伴う」から、想定や被害シナリオには限界がある。「大川小学校で、教師に山への避難を進言したのは、大人よりも知識や経験の少ない子どもたちだった」(『朝日新聞』5月20日付〔川端俊一記者〕)。
石巻市立吉浜小学校にも行ったが、昨年2月にあった校舎は完全に撤去され、「閉校記念碑」だけがポツンと建っていた。周辺の建物も撤去され、記念碑がなければそこに何があったかわからないような更地になっていた。
南三陸町に入る。何度も訪れた防災庁舎前には、たくさんの花が供えられていた。祈りを捧げる人が絶えない。本当に小さな庁舎だが、ここにいた42人の職員らが死亡・行方不明になっている。これを「震災遺構」として残すか否かをめぐって議論が続いている。『朝日新聞』2012年11月14日付宮城全県版は、「保存か解体か」の対論を掲載している。木村拓郎氏(減災・復興支援機構理事長)は、「遺族の感情は時間によって変化する。…今の感情だけで壊してしまっていいのか、よく考えてほしい」と述べ、牧野駿・元歌津町長は「遺族は、庁舎を見るだけで気分が悪くなる。…庁舎を壊して慰霊塔を建てれば、誰もが手を合わせられる。津波の高さを示す標識を作れば、震災を語り継ぐこともできる」と述べている。
実は、この庁舎をめぐって、遺族が南三陸町長を、避難誘導が不適切だったとして、業務上過失致死容疑で告訴している。昨年11月、宮城県警は助かった3人の職員の立ち会いのもと、庁舎の現場検証を行っている(『朝日』2013年11月30日宮城全県版)。
最近、ここで亡くなった33人の町職員の遺族が、危険な公務中の災害だとして、「特殊公務災害」に申請したところ、地方公務員災害補償基金は32人について不認定としたという。上階まで津波がくるとは想定できていなかったから、「高度の危険が予測される状況下での職務に従事していたと認めることはできない」というわけである。実務的にはそういう主張になるのだろうが、遺族は納得しない。「職務を放棄して逃げればよかったのか。町民を守るために残ったのに、『無駄死だったのか』と感じてしまう」と語っている(『読売新聞』7月6日付)。
この防災庁舎は、それをめぐるさまざまな問題が複雑に絡んで、存続の行方は微妙である。だが、「忘却力」が確実に進んでいるので、東日本大震災を想起させる象徴的な建物や場所は、可能な限り保存した方がよいと私は考えている。国がそのための予算をきちんと組むべきではないか。
帰宅後、新聞を見ていて、「戻らない復興予算」という見出しに目がとまった。復興予算の流用が膨大な額に達しているという(『朝日新聞』7月3日付)。ご当地アイドルのイベント費(「ゆるキャラのPR」を含む)や、鹿児島のジャンボタニシの駆除費、浜岡原発を停止した中部電力への支援金まで。例えば、ご当地アイドルなどに使われた予算は2000億円で、政府が返還を求めても32億円しか戻らないという。「復興」なんて簡単に言えない状況がたくさんあるというのに、「復興増税」によって国民からとった大切な税金が今後も安易に流用されていくのだろうか。
実は復興基本法1条には、「東日本大震災からの復興の円滑かつ迅速な推進と活力ある日本の再生を図ることを目的とする」とあり、被災地の復興だけでなく、「活力ある日本の再生」に使える仕掛けになっている。さらに同法2条5項には、「地域の特殊ある文化を振興し、地域社会の絆の維持及び強化を図り、並びに共生社会の実現に資するための施策」も挙げられていて、「便乗」や「流用」を可能にする文言が巧みに仕込まれている。復興予算が被災地復興という本来の目的から相当離れたところに流用されていることについては、直言「シロアリ取りがシロアリに―復興予算」で詳しく論じたので参照されたい。
7月4日、参議院選挙が公示された。メディアには、「アベノミクス問う」(『読売新聞』7月4日付)、「アベノミクス論戦に熱」(『毎日新聞』7月5日付)など、「アベコベーション」のロジックにからめとられた、浮ついた見出しが踊る。これに対して、憲法96条の問題で実にしっかりした社説を出した『河北新報』7月6日付社説は「参院選 もたつく復興」と題して、安倍首相も被災地でマイクを握り、復興と再生の加速を強調するが、「被災地以外では訴えのトーンを低くし、『地域課題』に格下げされてしまった印象もある」と書く。「各党の公約には『巧言』が並ぶ。ただ、復興が進まない要因を掘り下げた改善に努めなければ、早期の達成は危うい。…非常時と受け止め『異次元の対応』に踏み込めないものか。復興庁の機能を抜本的に強化し本庁を現地に移すぐらいの決断があっていいし、法的な特例措置も果敢に講ずるべきではないか」。政府の対応の遅さだけでなく、メディアを含めた「東京感覚」に対する苛立ちが滲み出る文章である。
昨年の総選挙前、直言「3.11と総選挙―岩手県沿岸部再訪」を書いた。「決められない政治」への苛立ちと幻滅と失望から有権者の多くが投票所に行かなかった。そのことが現在の状況を生み出したことを想起すべきである。与党が憲法改正可能な「参院3分の2」を獲得するとメディアは盛んに書き立てるが、まだ時間はある。賢明なる有権者は、「積極的消去法」を駆使して、絶妙なバランス感覚を発揮する「とき」である。
参院選の投票日、私は福島県白河市で講演しているので、期日前投票を初めて行う。