憲法9条効果のリアル――「国防軍」改憲は時代錯誤 2013年8月12日


日は28年目の「8.12」である。日本航空123便墜落事件。一体、28年前の今日、何が起きたのか。このまま「8.12」を過去の出来事にしてはならないだろう

さて、安倍晋三氏は不思議なキャラクターである。この人が最高権力に上り詰めるとき、従来の自民党政権ではあまり優遇されてこなかったような人材が一気に浮上し、枢要な地位を占める。そして、政治に「価値観」が過度に持ち込まれ、国内外の政策や周辺諸国との関係がバランスを欠いていく。7年前、この人が首相になったときに書いた直言「美しい国から2006秋」を見ると、まるで「いま」のようである。集団的自衛権をめぐる当時の議論もしっかり確認していただきたい。ただ、7年前との決定的違いは、法制局長官人事に介入するという禁じ手をやったことだろう。衆参両院で圧倒的多数を握り、「何でもあり」高揚感のなせる技である。

この国はいま、非常に危ないところに来ている。『ニューズウィーク』誌副編集長が7年前に「ブッシュ化する安倍新首相」という指摘を行っているが、「金正日」を他の複数の人物に置き換えれば、そのまま現在への警告になるだろう。なお、オバマ大統領の安倍嫌いは、「ブッシュ化」というこの指摘のなかにヒントがあるように思う。

 さて、先週に引き続き、夏休みモードの既発表原稿の転載である。全国保険医団体連合会機関紙『全国保健医新聞』の依頼で2回ほど連載したうちの1本である。「直言」ですでに論じた内容だが、医療関係者向けにアレンジしてある。なお、小見出しは編集部が付けたものである。




憲法9条効果のリアル
―「国防軍」改憲は時代錯誤―

                                    

はじめに

 人生の歯車が微妙にズレていれば、私は今頃、獣医の4 代目として、東京競馬場で診療にあたっていただろう。中学2年までは獣医学部に行くつもりだったし、祖父の書斎にあった猿の頭骨をもらって、人体や馬の標本模型と並べて自室に飾っていた。結局、大学は法学部を選び、4代目は幻に終わったが、いまでも医師や獣医師の仕事には関心がある。

医療の軍事目的利用
   人の命を奪う凶器に

 この6月中旬に、『戦争とたたかう―憲法学者・久田栄正のルソン戦体験』(岩波現代文庫)を出版した。太平洋戦争の激戦地、フィリピン・ルソン島の戦場から生還し、マラリア再発の病床で日本国憲法草案9 条を知り、この憲法に命をかけようと憲法学者になった久田栄正氏。その久田氏から軍隊経験の聞き取りを行い、極限における人間の行動、戦争と軍隊の実相をさまざまな資料と証言で裏づけていく対話方式の本である。私が33歳の時のこの作品が、4分の1世紀を経て、文庫の形でリニューアル復刊されるのも何かの縁だろう。
 実は、この本を書く過程で、久田氏と同じ部隊にいた獣医少尉と軍医見習い士官(実名は本書に記載)と連絡がとれ、本人や親族から貴重な証言を得ることができた。野戦重砲兵連隊なので、15センチ榴弾砲を牽引する馬がたくさんいた。獣医は戦場で、動けなくなった馬の「処置」もする。軍医も同じだった。傷病兵の治療にあたるだけでなく、撤退時には捕虜にならぬようにと、静脈注射や薬で殺害した(本書第7章「人間廃業の戦場」参照)。
 医師の職業倫理に反することが、「生きて虜囚の辱を受けず…」(「戦陣訓」第8項)を旨とする日本軍では行われていた。医療が軍事目的に使われれば、医療本来の目的を離れて、人の命を奪う凶器にもなる。関東軍第731 部隊のトップは、石井四郎軍医中将だったことが想起される。

武力行使の禁止が
   自衛隊の犠牲を防いだ

 どこの国の憲法にも、その国における過去の失敗や国民的体験の記憶を記録し、記述(規範化)したものが含まれている。日本国憲法9条は、一切の戦争・武力行使(威嚇)を放棄し、戦力の不保持と交戦権の否認を伴う徹底した平和主義を採用したが、その背景には、戦争の手段が目的を破壊してしまう人類初の核戦争(ヒロシマ・ナガサキ)の記憶と記録とともに、アジア諸国に多大の犠牲を強いた重い責任が沈殿している。とりわけ「戦力不保持」は、国家の対外的機能から軍事的オプションを排除する強い規範的制約であり続けた。
 1950年に「再軍備」が行われたが、そこで設置されたのは「警察予備隊」だった。「戦力不保持」の厳格な縛りが、「警察」と「軍隊」の間の子のようなものを生んだわけである。2年後に保安隊となり、そのまた2 年後に自衛隊が発足しても、警察の旭日章と鳩をコラボさせた徽章や肩章、オーバーのボタンなどはそのまま使われた。何とも不思議な「軍隊」だが、法的には軍隊(戦力)は違憲である。1954年の政府解釈は、戦力に至らない、「自衛のための必要最小限度の実力」(「自衛力」)は合憲という論理を捻り出した。この解釈は、今日まで59年間維持されている。
 この政府解釈をベースにして、集団的自衛権行使の違憲解釈や海外派兵禁止原則などの「準憲法的政治了解」が定着していった。例えば、10年前のイラク戦争のとき、イラク特措法は、「人道復興支援」という建前から、武力行使(威嚇)禁止を基本原則として明記し(2条)、武器使用にも警察的な制約を課していた(27条)。軍隊なのに軍隊でない、この何とも不徹底で中途半端なありようが、自衛隊員に死者が出なかった背景にあったことが最近わかった。イラク武装勢力の幹部が、「州での〔自衛隊の〕活動は我々に敵対的ではない」「(かつて米国と戦争した)日本とは共有すべきものがある」という観点から、自衛隊を直接攻撃しない合意が武装勢力内部に存在したことを明らかにしたからである(『朝日新聞』2013年3月17日付国際面)。この幹部は、「武装部門が組織的に攻撃していれば、自衛隊員に死者が出ていただろう」とも語っていた。

海外の人々からの信頼
   日本人を守る

 日本企業が海外展開し、世界中に日本人が活動する以上、その安全を守ることは重要である。だが、真の守り方は、現地に溶け込み、現地の人々に信頼されることである。「平和を愛する諸国民(peoples)」(憲法前文)、平和的解決を望む民衆同士のネットワークをいかに構築するか。安全を守るためには力の政策を、というのでは内向きの「守り」につながる。むしろ、平和と安全の「開かれた守り方と創り方」が大切だろう。

軍隊の「需要」は低下
   国防軍設置なら戦死者

 「邦人を守れないのは憲法9条のせいだ。今こそ改憲を」という議論がまたぞろ出ているが、これは議論が全く逆である。「国防軍でなかったからこそ」、イラク復興支援群は死者を出さなかったのではないか。自衛隊はまだ軍隊ではない。イラクへの自衛隊派遣では、まだこれがギリギリの効果をもっていた。
 2012年4月、自民党は、自衛隊を「国防軍」とする憲法改正草案を公表した。この9条改正案は単なる名称変更にとどまらない。軍刑法や軍機保護法、軍法会議(国防軍審判所)まで憲法上明記され、軍としての全属性を具備することになる。
 しかし、世界の状況をリアルに見るならば、実は軍隊(それを支える軍事関連産業)の「需要」は落ち続けている。世界が日本に求めているのは技術力、医療、教育などの総合的な力である。いま、憲法を変えて完全な軍隊にするのは究極の時代錯誤と言えるだろう。そして、もし、海外での武力行使を「普通に」行える軍隊になったなら、今度こそ「憲法9 条の貯金」は機能せず、日の丸にくるまれた戦死者の柩が羽田空港に到着することになるだろう

終わりに

 「国防軍」について饒舌に語る政治家たちが「戦場」に赴くことはない。その意味で、ほんの68年前まで日常の光景だった、「軍隊内務班」の人間改造工程(前掲書・第2 章)や、軍隊が暴走したときに誰が、どのように不幸になるかについて、若い政治家たちにはしっかり勉強してほしいと思う。

〔『全国保健医新聞』2013年7 月15・25日号8 頁所収〕

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