17年前の1月3日から始めた「直言」は、週一度の更新を続け、今回900目を迎えた。これも読者の皆さんの応援のたまものである。
ホームページ開設当時の内閣は橋本龍太郎内閣(第二次)であった。厚生大臣は小泉純一郎、官房長官・梶山静六、経済企画庁長官・麻生太郎、自民党幹事長は加藤紘一という面々だった。米国大統領は民主党のビル・クリントン。前年の「日米安保共同宣言」により、日米安保体制がアジア・太平洋安保にシフトしていく時期だった。日米新ガイドラインの策定、そして何より普天間飛行場の辺野古「移設」が動き出したときでもあった。
名護市辺野古沖(キャンプシュワブ沖)に政府が計画する基地は当初「海上ヘリポート」と呼ばれた。『沖縄タイムス』はこの年の11月5日付夕刊から「海上ヘリ基地」とすることに決めた。『琉球新報』は「ヘリポート」は「言葉の詐術」だとして、「海上基地施設」とした。改めて17年前に書いた「直言」を読んでみて、当時のメディアでは「海上ヘリポート」という言葉が一般的で、政府がこの基地を暫定的な存在であるとの印象を与えようとしていたことがよくわかった。実態は恒久的な「オスプレイ」基地になるのだが、当時はそれがまだ十分に認識されていなかったのである。
1997年後半は、海上ヘリ基地問題に関する名護住民投票が焦点となった。札束を大量投入した北部振興策による「国家的利害誘導」にもかかわらず、名護市民は基地受け入れを拒否した(直言「名護市民は負けなかった」)。辺野古「移設」に対する名護市民の「民意」は17年前に決していたのである。 住民投票の結果を受けて比嘉鉄也名護市長は辞任。翌1998年2月、市長選挙が行われた。本土では、住民投票で「基地ノー」を示した名護市民は、1カ月後の市長選挙で基地賛成の候補者を選び、市民の判断は「ねじれた」と報道された。だが、市民はある意味ではしたたかだった。基地に対する意思表示はすでに住民投票で行ったのだから、政府とうまくやって、振興策を引き出せる人を市長に選ぶ。基地をめぐって家族が賛成・反対に引き裂かれるのはもうごめんだという意識が市民のなかにあった。 市長選の半年後の1998年8月、私はゼミ合宿を初めて沖縄で行った(2012年が沖縄合宿8回目)。その際、「住民投票班」の学生たちが名護市役所で、岸本建男市長に取材した。学生たちは「基地賛成派の市長」というイメージをもって取材に臨んだが、岸本市長は自らが一坪反戦地主であることを強調し、今後もそれをやめるつもりはないと語ったという。ゼミ1期生で班長だった高橋力君(現在・弁護士)は、「岸本さんの本心は基地受け入れに反対だったのだなとみんなが受け取った記憶があります」と、取材時のことを私に語ってくれた。なお、岸本元市長の奥さんは琉球朝日放送で、1999年に7つの条件を付けて基地受け入れを表明したことについて、「これは夫が本当は基地を造らせないための作戦だったのではないかと考えています。なぜならその7つの条件とは、15年の使用期限や、基地の使用協定締結などとても現実的にはありえない、ハードルの高いものでこうした条件を出すことで断念させようとしたのだと考えているのです」と述べている。 2014年1月、その名護市に再び、基地受け入れ賛成か反対かを問う選択が押し付けられた。冒頭の写真にあるようなジュゴンのいる美しい海を埋め立て、軍用機が飛びかう基地にしたくない。これは市民共通の思いだろう。1月19日の選挙結果は、基地受け入れを断固拒否する稲嶺進現市長の再選であった。市民は1997年12月の住民投票に続いて、「基地受け入れノー」の意思を明確にしたのである。 それにしても、一地方の市長選挙なのに、中央の政治家たちが大挙して乗り込み、金で票をむしりとるような選挙を展開したのは何ともおぞましい。昨年11月に、県外移設を求める沖縄選出国会議員と県連を力で屈伏させた石破茂幹事長は、「琉球処分官」に例えられるほどの専横ぶりだった。12月には、安倍首相が仲井眞沖縄県知事から辺野古埋め立て承認をもぎ取った。沖縄振興策を2021年まで毎年3000億円にするという「異次元のバラマキ」がその見返りだった。 ここまでやるか、の世界ではあるが、石破幹事長はさらにその上を行く。投票日直前の1月16日、名護地域振興に向けて「500億円規模の基金」を立ち上げると、唐突に表明したのである。政府レヴェルの検討を経た話ではなかったため(そもそも一つの市への「振興基金」って一体?)、稲嶺氏の当選が決まるや否や、いとも簡単に撤回してしまった。「品格が疑われるようなえげつない話」(『沖縄タイムス』1月23日付社説)である。 17年前の名護住民投票における政府・自民党のやり方と、今回の違いを考えてみた。当時の橋本首相も梶山官房長官も旧田中派である。当時の北部振興策では、実にきめの細かいお金のばらまき方を工夫し、政治家たちの腰も低く、まさに露骨な「利害誘導」だった。安倍政権はどうか。「丁寧にご説明申しあげる」という言い回しを使いながら、恫喝と札束で頬をはたく稚拙な手法が目立った。県知事と自民党議員は屈伏できても、名護市民まで金で絡め捕ることはできなかった。投票率も高く、無党派層の7割、自民党支持層の3割が稲嶺氏に投票したことからも、名護市民は再び明確に「基地ノー」を選択した。 ところが、政府は選挙直後に基地移設に向けた作業を開始するなど、自らの都合に沿わない民意は無視するという、きわめて中央集権的な権力姿勢に終始している。それを支える言説が『読売新聞』1月20日付に掲載された。政治部次長名の評論「地方選を悪用するな」である。 「地方の首長選挙で国政の是非を前面に掲げて争うことは、現行憲法下の地方自治の仕組みからみて、好ましいことではない」。基地や原発の問題は、全国的な視点に立って行われるべきもので、地方選挙で国政の課題を争点にすべきではなく、選挙結果が国政を揺るがすようなことはあってはならないという。例えば、名護市長が港を資材置き場に使うことを許可しなければ、基地の移設工事は滞るとして、こうした市長の行為は「『地方自治の本旨』(憲法92条)に照らして、首長による権限の乱用以外の何物でもない」と言い切る。都知事選もしかりで、「東京電力の株主だから…」「脱原発の住民投票を知事が許可すれば…」という発想自体が大きな誤りだ、と政治部デスクはいう。 だが、この認識は正しくない。憲法92条にいう「地方自治の本旨」は、住民自治と団体自治の総和にとどまらない。それは地方自治の一般条項として、地方自治の未来に向けて開かれた性格をもつ。 政府は、外交や安全保障の問題は中央政府、とりわけ内閣の専管事項であるとしてきた。内閣は憲法上、外交処理権(73条2号)と条約締結権(同3号)をもつ。だが、これは、一国の対外的諸事務をすべて中央政府が独占することを意味しない。中央政府による「国家安全保障」が、何ものに対しても優先する「公益」であるとする考え方は、日本国憲法の原理に反する。明確に禁止された事項を除き、地方自治体は中央政府の外交活動全般に「重複して」関与できるという学説もある。周辺諸国の地方自治体が協力しあう実践も、90年代から続けられている(北東アジア自治体連合、環境日本海拠点市長会議)。「国の専管事項」という言葉の前で思考停止してはならないのである。 原発再稼動や、地震国トルコなどに原発を売り歩く狂気のトップセールスを止めるためにも、東京都知事選挙の結果は重大である。 今回、連続更新900回を迎えたが、500回記念のときは、「知のモラル」の問題について書いた(「人生のVSOP―500回連続更新に寄せて」)。そこでは、「批判」の学から「建設」の学へという時代思潮のなかで、あえて「批判」の学にこだわることの意味について述べた。900回目のいまはどうか。「知」の世界にも、「権力への懐疑」よりはむしろ、「権力への回帰」に向かう傾きがある。「批判」の学の意義は依然として失われてはいない。この「直言」もまた、この機会に改めて肝に銘じておきたいと思う。 2015年12月末に「直言」は1000回を迎える予定である。読者の皆さん、それまでどうぞよろしくお願いします。