雑談(104)おじさん、おばさんがいない社会             2014年3月10日

植物図鑑

3歳の孫が「オッジ」といって特別の感情をあらわすのが、彼の伯父、すなわち私の息子である。孫は生後8カ月頃から、「オッジ」があらわれると怖がり、「オッジがくるぞ」というだけで物陰に隠れたこともあった。いまは思い切り遊んでくれるので、「オッジ、オッジ…」と喜びをあらわすようになった。

私にとって、子どもの頃から特別の存在だったのは、伯父の水島正美である。父は三男で中学の数学教師、次男は獣医の三代目で、東京競馬場の水島診療所を継いだ。長男の正美おじさんは、植物学者で東京都立大学(現在の首都大学東京)助教授だったが、47歳で急逝した。親族のなかで男の子は私だけだったので、曾祖父も祖父も私が獣医の四代目を継ぐことを望んでいた。私自身、中学2年の夏の自由研究で、子牛の頭骨の標本を作ったことがある。曾祖父は喜んで、猿の頭骨をくれた。この写真がそれだ。100年以上前のもので、曾祖父が解剖した猿を丁寧に処理して頭骨標本に仕上げたものである。脳の細かな神経管まで見ることができる。私は中学まではこの頭骨を机の横において、いつも眺めていた。でも、高校に入る頃には獣医よりも社会問題への関心が強くなり、高校紛争の影響もあって社会科学へと関心が向かう。しかも、実務・臨床よりも研究者の道に憧れていた。それは正美おじさんの影響ではなかったかと思う。


猿の頭蓋骨

小学校のとき、理科で押し花の宿題が出たことがある。図鑑を調べても判断できないような草花を隣家の正美おじさんの書斎に持っていき、「これ、なんという名前?」と聞く。おじさんはサッと見て、たちどころに名前をいい、手元にある標本ラベルに、和名と科名、それに学名を書き、「ここに採集地と今日の日付、君の名前を書きなさい」といってくれた。厚手の紙に採集した植物をはりつけ、標本ラベルをつけて学校に持って行った。担任の先生は、学名まで記した本格的な標本ラベルに目を丸くしていた。

書庫の棚に古い『植物百科図鑑』(集英社)がある。冒頭の写真がそれだ。ずいぶん昔、おじさんからもらったという記憶はあったが、この原稿を書くために今回久しぶりに手にとり、表紙を開いて驚いた。小学校5年生の私におじさんが謹呈サインをしてくれていたことに初めて気づいたからだ。東京オリンピックの年に出版されたものだから、半世紀はたっている。

ネット検索をかけてみると、正美おじさんの標本がカラー写真で存在していたことがわかった。さらに検索してみると、牧野標本館で分類作業をしているおじさんの姿が残っていた。

おじさんが植物分類の研究をしていた東京都立大学(首都大学東京)の牧野標本館古い植物標本のなかには、正美おじさんが整理・分類したものが多く含まれていると思うので、一度、現物を見に行きたいと思っている。

おじさん(伯父、叔父)、おばさん(伯母、叔母)というのは、親とはまた違った、独特の存在だと思う。例えば、山田洋次監督作品「フーテンの寅」の主人公、車寅次郎はミツオにとっては「おいちゃん」である。おじさん、おばさんは、親子関係のようなダイレクトな関係ではなく、どこか距離のある、クッションのような役回りかもしれない。子どもを軸にすると、垂直では祖父母、水平では伯父(叔父)、伯母(叔母)存在が「親密圏」における微妙な位置関係にあるといって言いだろう。私が研究者を目指したのは、小さい時から書斎にこもって原稿を書いたり、庭の温室をまわって植物の観察をしたりしている正美おじさんの影響があるように思う。

もし、おじさん、おばさんがいない社会ができたらどうなるだろうか。これが現実のものになりつつあるのが今の中国である。

1979年から改革開放政策を開始した中国は、同時に、人口抑制のため「一人っ子政策」をはじめた。それから35年。私の息子と同じ年齢の男女を最高齢とするおじさん、おじさんが中国には存在しない(ブログ「上海ワルツ」参照)。今後、おじさん、おばさんがいない社会がずっと続くが、ここへきて変化の兆しも見えてきた。

昨年11月15日、中国共産党中央委員会総会(3中全会)で採択された決定によると、35年近く続けた「一人っ子政策」を見直し、「夫婦のうち一方が一人っ子の場合、第2子の出産を認める」という方針が打ち出されたのだ(『毎日新聞』2013年11月16日付)。2014年春から順次実施されていく。35歳未満の男女は一人っ子が圧倒的に多いから、若い夫婦の場合は第2子を出産できる可能性は広がるのかもしれない。政策転換であることは確かだが、第3子は許されないという点では、国家的産児制限が続くことに変わりはない。

今年になって意識的な引き締めも見られた。北京五輪の開会式・閉会式の演出を手がけた映画監督の張芸謀氏が、「一人っ子政策」に違反して3人の子どもをもうけたとして、「罰金」(社会扶養費)748万元(約1億3400万円!! )を徴収されたという(『東京新聞』2014年1月10日付)。庶民では考えられない金額なので、公開銃殺と同様に、党治国家による見せしめ的行為だろう。

本来、子どもを妊娠し、出産するというのは、人間の最も重要な営みの一つであり、日本国憲法上は、13条から出てくる「リプロダクションの自己決定権」、あるいは「人格的生存の不可欠な重要事項」であるリプロダクションにかかわる事柄(出産、堕胎、避妊)として保障される。だが、中華人民共和国憲法25条は「計画出産」を定め、さらに49条2項で「夫婦は、双方ともに計画出産を実行する義務を負う」として、出産する、しないのみならず、子どもを何人つくるかについても、国家の計画に従って励むことが憲法上夫婦に義務づけられている。そこに自己決定権が語られる余地はない。

国家が夫婦間のことがらに介入して、子づくりを求め、あるいは禁止し、あるいは一人っ子にしろと制限したり、たくさん産めと要求したりする。「小さな親切、大きなお世話。小さなお節介、大きな迷惑。小さな勘違い、巨大な害悪」へと発展していく。「平均5人は産め」の例が、「人口政策確立要綱」(昭和16年1月22日、閣議決定)である。

5人産ませるための施策が実に細々としている。公的機関が積極的に結婚の紹介・斡旋・指導を行う。結婚費用の軽減のための各種貸し付け。20歳を超える女性の就業の抑制。家族手当て、多子家族に対する優先配給。きわめつけは、避妊や堕胎等の人為的産児制限の禁止である。目的は軍事要員確保のための男子の増産。この国の歴史のなかで、国家がリプロダクションに過度に介入した事例として記憶されるべきだろう。

「アベノミクス」の「第3の矢」とされる「成長戦略」は、「異次元の金融緩和」や「財政出動」に比べると目玉がいま一つである。安倍首相は、「第3の矢」の中核に女性の活躍を挙げ、企業に対して「3年間抱っこし放題」を実現する育児休業の拡充を要請した。この「3年間抱っこし放題」という物言いには強い違和感を覚える。 それはともかく、安倍首相は、仕事をもつ母親は子どもが3歳になるまで家にいて、子どもの世話をすべきだと考えている節がある。だが、3年間も職場を留守にして、そう簡単に職場復帰できる環境がいまの日本社会にあるだろうか。

内閣府の有識者会議「少子化危機突破タスクフォース」が『生命と女性の手帳』(仮称)の配布を検討した。そもそも、子づくり、子育てに「タスクフォース」(任務部隊)というキナ臭い軍事用語はいただけない。30代後半になると妊娠しにくくなることや、結婚や出産を人生設計に組み込む重要性を啓発する構想だったが、こういうデリケートな問題は「誰が」いうか、「どのように」出すかで変わってくる。「タスクフォース」などと力んだ人々では無理だったようで、批判が噴出。『手帳』は見送られた(「平成の『産めよ、働けよ』政策を考える」『アエラ』2013年6月24日号)。

というわけで、今回は私の人生に影響を与えたおじさんの話をしながら、おじさん、おばさんがいない社会にならないようにするにはどうしたらいいかという問題について書いた。


《付記》
今日は東京大空襲69周年であり、明日は「3.11」の3周年だが、多忙により、「雑談」シリーズのストック原稿をアップした。大前治氏との共著『検証 防空法―空襲下で禁じられた避難』(法律文化社)が、NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」が防空法や大阪大空襲を描いたこととの関連で注目された。「ごちそうさん」のなかに出てくる地下鉄御堂筋線への避難の問題については、拙著を読まずにネット上であれこれ間違った評価がつぶやかれているので、次回以降、詳しく触れる予定である。なお、拙著と「ごちそうさん」については、水島宏明法政大学教授のブログで詳しく紹介されている。

【追記】 直言「雑談(140)牧野富太郎と水島正美――NHK連続ドラマ「らんまん」を契機に」をアップしたので、ここに追記する。2023年11月6日記

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