安倍内閣の暴走はとどまるところを知らない。安保法制懇の報告書を受け、集団的自衛権行使に向けた「各論」的動きも急である。「大学の自治」破壊につながる学校教育法93条改正の審議も始まった。そうした緊迫する状況のなか、8コマの授業と各種の会議をこなしつつ、論文数本を同時並行で書き進めている。そのため、週一度の「直言」更新はけっこう大変である。多忙期のためのストック原稿として「雑談」シリーズがある。106回目の今回は、「親指シフト・キーボード」という特殊な世界の話である。
特殊といっても、そこには、ネット時代の「絶滅危惧種」の問題として片づけられてはならない、日本語の未来にかかわる重要な問題が含まれている、と私は考えている。日本人のホワイトカラーの生産性はOECD諸国で最低で、その原因は、速度と効率の悪いローマ字入力にあるという指摘があり、こうした点からも「親指シフト」は見直されつつある。富士通の経営陣にこの「直言」を最後までお読みいただき、日本語の歴史と文化の観点から、長期的な視野での検討と英断を求めたいと思う。
さてはじめに私自身について言うと、私はスマホやツイッターはおろか、ブログもやらない(直言「雑談(70)ブログをやらないわけ」)。アナログとデジタルの両方を重視して、二兎を追うような生活をしている。デジタル派としては、ホームページを、この17年4カ月の間、900回以上、一度も休まずに更新を続けてきた。このまま継続できれば、2015年12月に1000回を迎える予定である。でも、パソコンが苦手のため、テクニカル面については、すべて管理人にまかせている(現在、9代目)。
これまでパソコンでは原稿を書かず、90年代の富士通OASYSワープロ専用機を自宅、研究室、仕事場の三箇所に置いて原稿を書いてきた。例えば、ワープロ専用機で「直言」の原稿ができると3.5インチ・フロッピーに保存して、パソコンのコンバーター(ファイル変換機能)を使ってOASYS文書からWord文書に変換。プリントアウトして手書きで赤を入れ、Word で修正し、それをメールで推敲担当者に送りチェックを受ける。それらすべての修正が反映された原稿を管理人にメールで送ってアップするという、超面倒くさいことを長年にわたってやってきた。
思えば約30年前、富士通のOASYS100シリーズを使い始めた。当時、ワープロは軽自動車1台買うほどの覚悟が必要だった。職場でもワープロで原稿を書く人は数えるほどだった。5インチ・フロッピー(若い人は見たこともないだろう)を使った「フロッピー入稿」という最先端の技術を使って本を作ったこともある(拙著『戦争とたたかう』〔日本評論社、1987年〕「あとがき」参照)。やがて3.5インチ・フロッピーへ。それをWordファイルに変換できるパソコンが少なくなってきた(フロッピーディスクドライブがない)。フロッピーそのものが使われなくなってきたことも大きい(米国ではまだ5インチを使うところがあるというが)。
今年1月27日、直言900回を迎えたのを契機に、パソコンで原稿を書くことにした。私にとっては大きな転換だが、直接のきっかけは、WindowsXPのサポート終了という強いられた事情である。まだまだ使えるのにと腹もたった。Windows 7を導入した結果、フロッピードライブの外付けで、けっこう費用がかかることがわかり、この機会にパソコンで原稿を書くことにした。
ここからが本題である。私がなぜ、「親指シフト」にこだわるのか。何よりその入力のスピードと正確性がダントツだということである。まずは右の画像をクリックして、入力速度を比較してみていただきたい。
ご覧いただけたと思うが、同じ文章を入力するのに、「親指シフト」はローマ字入力よりも圧倒的に速い。「ワープロ検定」では、入力速度や正確さの点で、「親指」は他を寄せつけなかった。11年前に初めて「親指」のことを書いたとき、「まだ使っているの?」という反応もあった。「昔はみんな使っていたね」と懐かしむ人もいた。信濃毎日新聞社では、かつて記者全員が「親指シフト」のOASYSワープロを使い、いまも本社内の展示室には、主筆・桐生悠々の机と一緒に、当時の「親指」のOASYS が展示されている。しかし、私にとっては「親指シフト」は過去を懐かしむツールではなく、いまも大切な人生の一部である。もちろんローマ字入力もできるが、物書きとしては「親指」なしに生きていけない。「『親指シフト』は体の一部になっている」「墓場まで持っていく」と言っている(『法学セミナー』連載1998年1月号プロフィール)。
「親指シフト」のすぐれたところは、日本語の特性と流れを最大限追求・重視した設計になっていて、「思考をかき乱す」ことが少なく、本来の「書く」という作業に近いものになっていることである。指先がどんどん動いて入力していく感覚。「思考と入力の同時進行に何の障害もなくなり、指が黙って動くことを可能にしてくれるのは親指シフトだけである。親指シフトには日本語の文章を書くことを楽しくさせる何かがある」。作家やシナリオライターという「書く」ことを生業とする人々に愛用(愛着)者が多いのも頷ける。これと関連して、かつてこう指摘した。
「…そもそも、極端な漢字擁護論者や国粋主義者が、ローマ字入力で文章を書いているのは悪い冗談としか思えない。TENNNOUHEIKABANNZAIなどと19のローマ字に分解して入力する『右翼』の諸君は、その自己矛盾に気づいていない。ちなみに、「親指」なら日本語だけで11打である。…本当に日本語を大切にしたいなら、あれこれの言説やイデオロギーよりもまず、親指シフトを試してみたらいかがだろうか。…」
さて、ここからが今回の本当の本題である。実は、「親指シフト」を開発して日本語文化に貢献してきた富士通が、何と自らの財産(私は文化財といっていいと思う)を捨て去ろうとしていることである。
この1月、長年通っている富士通専門店「アクセス」で、XPからの転換のため、LIFEBOOK-A744/Hシリーズを購入した。この店では4台目になる。店主は親子二代にわたる。現在の店主の方から、意外な話を聞いた。親指シフトが使えなくなる可能性があるというのだ。「えーーッ」、と目の前が真っ暗になった。「墓場まで持っていく」と宣言した「親指シフト」が、私が墓場に行く前に消えてしまうのか。
富士通は現在販売しているLIFEBOOK-S762/Gをもって親指ノート(モバイル)は終了と通告してきたそうだ。後継機種は「検討中」とされており、完全に「終了」というわけではないものの、新たな商品開発はまったく進んでおらず、富士通としては「親指シフト」ユーザーの高齢化に便乗して、このまま「親指シフト」の自然消滅を待っているかのようである。
「アクセス」の店主によると、ハード、つまりキーボード自体の確保よりも、むしろソフト、すなわちキーボードで入力するための日本語入力システムの問題が大きいのだという。親指シフト用日本語入力ソフトはJapanist2003である。この10年間、新しい版になってはいない。Windows VistaやWindows 7については、無償のアップデートパックで対応を続けているものの、限界があるという。Japanistが進化しないマイナス面として、相対的に辞書が古くなることがあげられる。例えば、新規開通路線「副都心線」「おおさか東線」などが正しく変換できないなど、新語への対応が不十分という(10年近く新規提供なし)。
富士通のサイトによると、Windows 8では、Japanist2003は「Windowsスタイルアプリでは利用できない」「規定の言語にしても利用できないことがある」など、致命的とも言える制限事項が出てくるという。この制限事項について、「アクセス」の店主によれば、「3. Windows 8、Windows Server 2012での留意事項」のうち、(1)で「Modern UI」と書かれているものが、「Windowsスタイルアプリ」に該当する。Windows 8では、Modern UIという新しいユーザーインターフェースが導入された。このUIにJapanist2003は対応していない。ということは、親指シフト・キーボードを利用しての入力ができない。ゆえに、Windows 7が今回のXPのようにサポート終了してしまうと、私はWindows 8では、親指シフトで日本語を入力できなくなるわけである。
Modern UIは、従来のUIに慣れ親しんだ人たちには不評であり、Windows 8.1では、従来のデスクトップUIの大幅な改善がなされ、今後も予定されているという。従来のUI上では親指シフトが使えるから、これは幸いである。だが、タブレット端末などが普及する中、いつまで従来のUIが残るかは分からない。店主の方はいう。「このままの状況が続きますと、モバイル仕様どころか、すべての親指ノートがWindows 7モデルの出荷停止に合わせて販売終了に追い込まれてしまう可能性があります。これはノート型パソコンだけでなく、デスクトップ型も含めて影響を受け、親指シフト・キーボード全体が事実上の終了となるおそれがあります」と。
私は暗澹たる思いになった。「親指シフト」が使えなくなる。いまも「親指シフト」を愛用している方々が少なからずいるというのに、である。とりわけ作家やシナリオライター、研究者に「親指」を愛する人々は確実に存在する。日本語を大切にするがゆえに「親指」を愛する人々を、「マイナーだから」とか「グローバル化のため」などといって切り捨てていいのか。もちろん、新規開発が難しいのは分かる。ユーザーの多いATOKのような日本語入力ソフトでさえ、Windows 7までの従来のUIから8でのModern UIへの対応は「解決しなければならない課題が山積みだった」という。しかし、富士通は、市場が狭まった「親指シフト」の世界から撤退するというような安易な決定をしてはならない。
世の中の変化だからといって、採算がとれないからといって、完全撤退は日本語文化に対する冒涜ではないか。富士通は「親指シフト」を開発し、普及してしまった責任がある。「親指シフト」によって文章を書くことにはまってしまった私のような人間を全国に増やしてしまった責任がある。これまで富士通はJapanist2003をアップデートし続け、特に64bitOSに対応させるという大改良を経てその重責を果たしてきたのである。富士通経営陣の高度の政治判断を望みたい。ひとつの文化を担う誇りと気概を自覚してほしい。
いまこそ、全国の「親指シフト愛好者」(親指シフター)、そして「親指」も習得してローマ字と「両刀遣い」をめざす若い人たちを含めて、「親指シフト」の存続・発展をめざすすべての人が声をあげよう。「万(全)国の親指シフター、団結せよ!」
最後に、富士通の経営陣に言いたい。あなた方のなかには、若いときに「親指シフト」の開発に携わったり、その普及に尽力し、努力なさった方がおられるだろう。いま、そのあなた方の仕事の結果として、「親指シフト」にほれこんだ人々が全国にいる。その人々のためだけでなく、これから新たに「親指シフト」を習得しようという人々、特に若い人たちのためにも、Windows 8/8.1の新しいUI上で「親指」が使えるようにJapanistの新版なり、あるいは別の形なりでのソフトの開発をしていただきたい。また、ハード面の改良を今後も続けてほしいということである。
私は声を強くして言いたい。「親指シフト・キーボード」は日本の文化財である、と。