「壊憲の鉄砲玉」といかに向き合うか――憲法研究者の「一分」とは(その3)            2014年8月18日

7.1官邸前

倍首相は「壊憲の鉄砲玉」である(と私は言っている)。「鉄砲玉」の定義はあえてしない。我田引水、手前勝手、牽強付会の「新自己チュー政権」は、ある意味で手ごわい。トップが強烈な思い入れと思い込みで固まり、周囲がそれを面白がって操縦している。いずれトップが再び政権を放り出して終わるだろうが、それまでに、どれだけの損害をこの国に与えるだろうか。暗澹たる思いがする。たちが悪いのは、これを操る官邸とその周辺の官僚たちである。官僚が政治家をバカにするのは今に始まったことではないが、それが極端に「進化」している。野党の批判や、自民党内良識派の懸念や危惧、地方の反発、メディアの批判を心配することがほとんどなくなった分、好き放題に首相にものを言わせ、動かしている。

8月9日、長崎平和祈念式典では、被爆者代表が閣議決定を正面から批判したが、その間、NHKのカメラは首相の顔をしっかりとらえていた。これを見ると、心のなかがそのまま外に出ている。式典後、集団的自衛権行使容認を批判する被爆者代表に対して、「見解の相違ですね」という捨てぜりふが放たれた。敵意と無関心を顔にも態度にも出し、常日頃、「国民の皆様に対して丁寧に説明をしていきたいと思っています」と言っているのが単なる「お題目」であることを露呈させた。

先週14日朝、沖縄防衛局は、普天間飛行場の辺野古沖「移設」に向けた海底ボーリング調査のためのブイ(浮標灯)設置作業を開始した。なぜ、県民が慰霊モードになっている「8.15」の前日を選んだのか。安倍首相は先月、「なぜ作業が遅れている。さっさとやれ」と、海底調査開始の遅れについて防衛省幹部に対して、机をたたくなどしてまくし立てたという(『琉球新報』2014年7月19日付)。「地元に丁寧に説明し、理解を求めながら進める」と繰り返す同じ人間の言葉とは思えない。いや、ここに安倍晋三氏の危うさがある。「鉄砲玉」と呼ぶ所以である。

この政権が誕生したとき、その執拗で粘着質な手法を含めて、その際立った「危険物」性に警鐘をならしておいた(直言「憲法突破・壊憲内閣」の発足)。いま、私たちが相手にしているのは、論理も条理も法理も、道理も事理も無理すら通用しない安倍晋三という最強の人物である。「箍(たが)が外れる」という言葉があるが、この首相のもとでの2年8カ月、どれだけたくさんの、この国の「財産」が壊されてきたか。まず、決して他国に対して武力で威嚇するような国ではない、という「平和国家」のイメージが崩れた。イデオロギッシュな「価値観外交」と「ダイヤモンド安保」という偏った対外政策が、この国の国際社会における信用と評価を大きく棄損している。また、フクシマの現実をみれば、どういう神経の持ち主なら、お目々キラキラまっすぐに原発再稼働に向かい、他国に原発を売り歩く「トップセールス」などできるだろうか。武器輸出3原則という国是を撤廃して、兵器を売ってもうける国にこの国を変質させつつある。

特定秘密保護法の成立。悪法施行まで4カ月をきった。さらに、小中高の教育への介入大学教育大学の自治の破壊者として驀進している。TPPにおける二枚舌は、農業だけでなく、医療、福祉、年金、労働法制などの仕組みを、「岩盤ドリル」感覚でぶち壊している。「アベコベーション」として警鐘をならした財政・金融政策の破綻はもはや誰の目にも明らかだろう。法人税減税、消費税アップ(8から10、そして・・・)、「携帯電話税」と、庶民いじめの施策に、政治家として、何の悩みも一抹の罪の意識すら感じない。これは能力というより、生まれながらの「才能」と言えるかもしれない。

第一次安倍内閣のとき、私はある覚悟をもって、「憲法研究者の『一分』」という「直言」を出した。続編を「その2・完」としたが、7年半後に「その3」を書くときがきたようである。その2で「完」にはならなかった。

7年前の上記「直言」では、米議会図書館で発見された文部省思想局文書を素材に、天皇機関説事件以降の、大学や憲法学者の寒々とした状況を描写しながら、今に生きる憲法研究者のありようを問うた。80年前も、文部省が直接圧力をかけるというより、大学当局を通じて直接、間接、さまざまな手法で圧力がかかっていったことが、資料から読み取れる。今後、政府批判の言説に対しては、例えば、ネット上の「炎上」という形で、現代的な「焚書」を演出して圧迫してくるかもしれない。学生の声を使った教員の授業への圧力も、80年前は講義ノートの回収だったが、今日ではメールやSNSを通じて行われている

憲法について無知・無視・蔑視・嘲笑の態度をとる最高権力者に対して、憲法研究者はいかに向き合うべきか。その懐に飛び込み、論理の力でカウンセリングしていくという「戦術」もあるのかもしれない。だが、権力の横暴が激しさを増していくなかでは、むしろ、正攻法の原則的批判こそが重要になるように思う。かつて樋口陽一氏が強調したのは、「当たり前のことをだれも言わなくなったとき、その当たり前のことを語りつづけることこそが、批判的かどうかの試金石となるだろう」(樋口陽一「建設の学としての憲法学と批判理論としての憲法学」『法律時報』1996年5月号、『憲法 近代知の復権へ』平凡社、2013年に所収)ということである。改めてこの言葉をかみしめたい。

第二次安倍内閣と、憲法研究者はいかに向き合うべきか。憲法研究者157名が「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定の撤回を求める声明」を出した(『東京新聞』8月5日付など)。私も賛同した。

代表を務める全国憲法研究会に対しても、声明を出してほしいという要望がさまざまな方から届いている。従来から、学会としての対応を議論してきた結果、運営委員会のもとに「憲法問題特別委員会」を置いて、講演会・シンポの開催や関連書の出版という形で対応してきている。今回も、7月12日に市民向けの緊急の研究会を開催した。これはNHKのニュースでも報道された。以下、そこでの代表挨拶を抜粋して掲載することにしたい。これは代表挨拶という形をとっているが、特別委員会の依頼趣旨では、「問題提起」ということで、学会としての見解ではなく、私個人の意見であることをあらかじめ明確にしておきたい。なお、「・・・」は省略した箇所である。

全国憲法研究会代表挨拶(要旨)
緊急研究会、専修大学、2014年7月12日

全国憲法研究会は1965年に創設され、来年50周年を迎えます。全国憲が創設された背景には、ちょうど50年前の1964年7月、内閣に設置された憲法調査会が報告書を提出したことがあります。安倍首相の大叔父にあたる佐藤栄作首相の内閣のときです。憲法研究者がこれに批判をするためにつくりました。それから半世紀。まさに、内閣が閣議決定で憲法9条の政府解釈を変更するということに直面して、この国は大きな岐路にたっています。
   全国憲は、憲法改正や集団的自衛権などの問題について、学会として対応するために、運営委員会での議論を経て、早稲田大学の西原博史さんを委員長とする憲法問題特別委員会を設置し、シンポジウムや法律時報の臨時増刊などを出して世論に訴えてきました。今回、集団的自衛権の問題について、全国憲として姿勢を示すべく、この緊急研究会を開催したものです。・・・
   私はここで、5月15日の安倍首相の記者会見から7月1日の閣議決定に至る経過とその問題点、今後の課題について3点、お話しておきたいと思います。・・・

第1に、まず注目すべきは、閣議決定文の6900字のなかに「切れ目のない」という表現が5回も出てくることです。安倍首相は妙な言い回しを繰り返し使うことで知られています。規制緩和の場面から大学改革の場面でも、なぜか「いかなる岩盤も、私の『ドリル』の前には無傷ではいられません」といってみたり、周辺諸国との関係でも、「我々は屈しない」とか「恐れない」といってみたりと、妙な力みと気負いが感じられます。ここでも「切れ目ない安全保障法制の整備」という表現がくり返されるのは、逆に言えば、現行の安全保障法制は切れ目と隙間だらけという認識があるようです。これまでの制約(事前手続き、閣議決定、国会の承認、大臣の承認など)をすべて外し、スピード感あるものにしていく。「切れ目のない」は「歯止めのない」の言い換えではないでしょうか。
   一方、「歯止め」「要件」「限定的」という言葉も濫用されています。いわゆる「新3要件」に「他国」という言葉が入った瞬間、いままでの政府解釈の「歯止め」が外れました。「新3要件」は自衛権発動の第一要件たる「わが国に対する急迫不正の侵害」が除かれたわけで、その意味で重大な変更です。従来の政府解釈が、自衛力合憲論から自衛隊を合憲とする際、キーワードが「自衛のための必要最小限の実力」でした。この根幹部分を否定したわけです。首相は、自衛から「他衛」にかじを切り、「専守防衛」も平和主義も捨て去った。それでも変わらないというのは、ジョージ・オーウェル『1984年』のダブルスピーク(二重語法)にほかなりません。
   閣議決定を急いだのは、新・新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)の内容を決めるためでしょう。ガイドラインは日米防衛協力の基本的な枠組みや方向性をついて示した文書(安全保障セクションの間の実務的合意)で、条約や協定のような法的拘束力がありません。でも、実質的に日米安保条約をグローバル仕様に改定するものです。解釈改憲ならぬ、「解釈改安保」です。

第2に、そうはいっても、尖閣問題があるし、中国の海洋進出があるし、国民のなかには漠然とした不安感があります。これに便乗した行為が今回の閣議決定とも言えます。世論調査をみても、学生たちと議論していても、中国の脅威、「抑止力の必要性」から集団的自衛権行使に賛成する人が少なくありません。その背景には、「私たちの豊かさを守りたい」から「私たちだけの豊かさを守ればいい」と考える「新自己チュー」(新自己中心主義)が広まっていることがあるのではないか。それは、自己中心主義と自己中毒(過激なナルシシズム)の合体とも言えます。日本でもナショナリズムとナルシシズムの合体版が勃興してきた。「日本こそナンバー1」と扇動する政治家と一緒に、武力を普通に行使する国になるのか。・・・この緊急研究会のタイトル「平和と安全保障構想のいま」からも、そうした国民の不安感にもこたえる平和構想、安全保障構想を市民の立場から練り上げていくことが求められています。

第3に、憲法研究者は、この状況にいかに向き合うかです。閣議決定が行われましたが、これから関連法案が国会に出てくることになります。でも、これは従来の法律改正の一部改正ではすまない。自衛隊法にせよ、周辺事態法にせよ、すべてこれまでの政府解釈が前提でした。例えば、周辺事態法1条(そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態)も、変化が生まれる。「他国」が入ることによって、軸足が変った。これまでの法律の「改正」だけではすまない。例えて言えば、ウィンドーズで新しいソフトをインストゥールし、朝起きたらマックになっていたということです。つまりハードが変わってしまった。これは笑い話ではありません。朝起きたら憲法が変わっていたということです。
   ところで、閣議決定後、国会でのチェックを受けていません。来週月曜〔14日〕と火曜〔15日〕に衆・参両院の予算委員会の閉会中審査が行われます。しっかりした質疑を期待したいと思います。
   ・・・また、三重県の松阪市長などの違憲確認の訴訟の動きがあります。今日の新聞各紙に出ている三重県元職員による閣議決定の違憲確認訴訟。訴訟の組み立てや理由づけには工夫がいりますが、今後、いろいろな訴訟が起きたとき、裁判所はこれまでのように簡単に却下や棄却の判決ではすまないかもしれない。理由のなかで違憲の主張を展開するだけでなく、海外での武力行使のための出動(政府解釈にいう「海外派兵」)を拒否した自衛官の懲戒処分を取り消す判決も出るかもしれない。軍刑法や軍事裁判所がまだありませんから、裁判所で違憲判決が出る可能性は十分あります。憲法研究者がさまざまな形で理論的にも関わってく場面が出てくるでしょう。・・・
   憲法9条はこの閣議決定によって「憲法破毀」の状態になったのでしょうか。・・・絶望する必要はありません。憲法9条の明文改憲がまだできていないからです。憲法96条だけ変えようという安倍首相の試みは昨年失敗しました。このことが、国民に立憲主義についての意識を広める結果になったのは皮肉です。藪蛇だった。憲法9条はまだある。「勝っていないけど、負けていない」状態です。・・・
   悲観も楽観もすることなく、安倍政権のこれからの動向をしっかり見極めて、きちんと批判していくことが大事でしょう。各論的な緻密な批判と、安全保障構想の提示を同時に行っていくことが必要だし、私たちも今後それぞれの立場で努力していきたいと思います。
   どうもありがとうございました。

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