11月21日、衆議院が解散された。私がその瞬間を記憶している最初の解散は、戦後9回目の佐藤(第二次)内閣による解散である(1969年12月2日)。以来、15回の解散風景を目撃してきた。中曽根(第二次)内閣の「死んだふり解散」(1986年6月2日)が議長応接室で行われた以外は、衆議院本会議場での、万歳を伴うお決まりのシーンである。だが、今回の解散シーンは違和感の固まりだった。解散それ自体というよりも、伊吹文明議長の立ち居振る舞いに、である。
衆議院議長というのは国権の最高機関の長として、きわめて重い存在である。だが、伊吹議長は4つの点でこれまでの議長とは違った。冒頭の写真をご覧いただきたい。「紫の袱紗」に包まれた解散詔書を内閣官房長官が衆議院事務総長のもとに届ける。事務総長はそれを確認し、議長が読み上げる際に用いるメモとともに議長に手渡す。この間、10数秒ほどあるのだが、伊吹議長は事務総長の方に手をのばし、急かすように何度も手を動かしたのである(写真)。また、議長は何やら声をかけ、事務総長が「お待ちください」というようなことをいうが、顔は引きつっている。これには驚いた。全議員が注目するなか、議長は威厳を保つのが通常である。2年前の解散の際、横路孝弘議長は、事務総長が詔書を手渡す動きをするまでは基本的に前を向いていた(写真)。これがこの場面での議長の所作だと思っていたから、伊吹議長が事務総長を急かすように手をのばす、おとなげない場面に違和感を覚えたのである。法的な問題ではないが、ここで指摘しておきたい。
2番目は、解散詔書を読み上げる前段階の言葉である。2012年解散までは、「ただいま、内閣総理大臣より詔書が発せられた旨伝えられましたので、これを朗読致します」といって立ち上がる(横路議長の朗読シーン参照)。ところが、伊吹議長は「ただいま、憲法第7条により詔書が発せられた旨、内閣総理大臣より伝達されましたので、これを朗読致します」といった(伊吹議長の朗読シーン参照)。議長自らの言葉のなかに憲法7条が出てきたのは、解散の場面ではこれが初めてではないか。
3番目は、詔書朗読の仕方である。議長が立ち上がると議場の全議員、雛壇後方に控える国会職員が全員起立する。これまでの国会議事録では、ここでは、「〔総員起立〕 日本国憲法第七条により、衆議院を解散する。 〔万歳、拍手〕 午後一時一五分」という形になる。ところが、伊吹議長は「衆議院を解散する」と朗読したあとに万歳が始まると、声を大きくして、「御名御璽 平成26年11月21日 内閣総理大臣安倍晋三」と続けたのである。そして、「万歳はここでやってください」と叫んだ。万歳が始まった。これも今までの解散風景とは大きく異なる。
そして4番目は、解散後の場面である。この写真をご覧いただきたい。議員も国会職員も全員起立しているが、伊吹議長だけが着席している。これはあり得ないシーンなのである。衆議院の解散とは、任期満了前に衆議院議員の資格を失わせる行為である。解散と同時に議員は「前議員」となり、ただの人になる。議長も同様である。前回の解散場面を見れば明らかなように(衆議院ビデオライブラリ)、議長は「解散する」と朗読した直後に始まる喧騒(万歳と歓声)のなか、着席せず、黙って頭を下げて後ろの扉から去るのである。これまでの解散で議長はみなこうやっていた。しかし、伊吹議長は万歳の声のなか、議長席に座ってしまった。彼はそこに座る資格を失ったにもかかわらず、である。事務総長は茫然と立ち尽くし、議長に何かをいう。議長が驚いたようにすぐ立ち上がり、「以上をもって散会します」といってしまったのである。通常の会議ならば、「この際、暫時休憩致します」とか「本日はこれにて散会致します」という。だが、解散によって議長は散会を宣言する権限(衆議院規則107条)を失うので、議長を含め、議員たちはただの人として国会を去っていく。同じ国会議員でも、参議院議員とは決定的に異なる点である。伊吹議長は最後の最後に大きなミスをした。
伊吹議長は当選10回のベテランである。10回の解散を体験しているはずなのに、なぜこのようなことが起きたのだろうか。4番目の「解散後の散会宣言」は、万歳が2回に分かれたことの影響で、あわてたのかもしれない。事務方のメモに「散会します」の言葉は絶対にないから、議長の間違いだろう。
実は私の講義の受講生2人が、解散の日、衆議院の傍聴席にいた。21日5限の憲法講義のあと、彼らは傍聴券をもって教壇のところにあらわれ、数時間前の解散風景について、興奮気味に語ってくれた。その一人は、「事務総長がブルブル震えていました」という。伊吹議長の一連の立ち居振る舞いは、国会事務方としてはとんでもないことだったのだろう。解散後、着席した議長に向かって何かいいながら立ち尽くす事務総長の姿は、ネットの中継でも確認できるが、やはり現場の目撃談に優るものはない。
ところで、上記3番目との関連で、議員が万歳をやるタイミングがずれたことについて、ネット上では「フライング解散」という言葉が広まった。翌日の各紙は「万歳 フライング?」(『朝日新聞』11月22日付)、「万歳三唱やり直し」(『読売新聞』同)という記事が政治面に出た。だが、本当にこれはフライングだったのだろうか。解散詔書を最後まで読み上げた例は過去にあるが、1955年1月24日の第4回解散(鳩山内閣の「天の声解散」)以来59年ぶりではないだろうか。伊吹議長は「御名御璽」まで読み上げた理由について、「解散は天皇陛下の国事行為だ」と説明した(『読売』)。天皇の国事行為性を強調するために、あえて御名御璽まで読むことで、衆院解散に関する「7条天皇説」を押し出したかったのかもしれない(通説・先例は「7条内閣説」)。与党の議員たちは、いかに1年生議員が多かったとはいえ、「衆議院を解散する」の直後に万歳に突入することくらい、長年の解散風景を見ていればわかることである。今回が異様だったのだ。伊吹議長は何のために最後まで読み上げたのか。私は、「衆議院を解散する」を、「内閣総理大臣安倍晋三」で結ぶようにという依頼が官邸からきていたのではないかと疑ってみた。ほとんどあり得ない想定である。あるいは、伊吹議長自身が、「内閣総理大臣安倍晋三」の解散であることを強調するために異例の読み方をしたのだろうか、とも疑ってみた。しかし、議長は与党の言いなりになることなく、独立して国会運営にあたるのが建前だから、これはあり得ないことである。もしそんなことがあれば、立法府の長として見識が問われる。いずれにしても、詔書の最後の「安倍晋三」をことさらに読み上げたことは、この時期、このタイミングでの不可思議な解散が、安倍首相による無理筋の解散であることを象徴しているといえよう。
さて、この解散の異例さは、解散を打ち出した直後に、安倍首相がNHKのみならず、民報各社の夜のニュース番組をはしごしたことにもあらわれている。短時間にすごい動き方である。チャンネルをまわすと、安倍首相が生番組で話しているのに、別の局にも登場しているという状況も起きた。一番驚いたのはTBS「ニュース23」である。写真をご覧いただきたい。オープニングで、何と安倍首相がキャスターと並んで立っていたのである。最初、他局がかつてやった等身大の人形だと思ったほどである。現職の首相がここまでやった例をみたことがない。「私の解散」であることを説いて回ったわけである。
番組でもっと驚いたことは、ハイテンションで自分の成果だけをまくし立て、「アベノミクス」を批判する街の声に対して、「これは皆さん選んでおられますよ」(YouTube)と、批判的な声だけを並べたのだろうといわんばかりの反論をしたことである。政治家は自分に厳しい意見が国民から出てくれば、「批判は重くうけとめます」というのが普通である。しかし、安倍首相は、メディアに向かって声を操作しているだろう、といってしまったわけである。しかも、「これはミクロの話です」といって、取るに足らない声だという扱いをした。そして、キャスターに向けて指を何度も突き出して威嚇し(写真)、「アベノミクス」をもっと評価しろといわんばかりの攻撃的な物言いを続けた。話の内容も、「6割の企業が賃上げしている。それが出ていないのはおかしいじゃないですか」といったような、自分に都合のよい数字だけを細々あげて、早口でまくしたてた。
岸井成格キャスターに「アベノミクス」以外にも重要な争点があるだろうとたしなめられるや(写真)、それぞれについて一方的かつ居丈高に、時折せせら笑いを浮かべながら(写真)反論した。特に、12月10日施行の特定秘密保護法については、「これはまさに工作員テロリスト、スパイを相手にしているから、国民は全く、これは基本的に関係ない。施行してみれば分かる」と説明した。確かに秘密保護ということについては、目に見えるような形での弾圧・抑圧があるわけではないだろう。そこが問題なのである。国民のデモでさえも「テロだ」という認識を示す政権である。まもなく施行されるこの危険な法律が誤用・濫用されない保証はまったくない。なおも特定秘密保護法の問題で食い下がる岸井キャスターに対して安倍首相は、「報道がそれで抑圧される、そんな例があったら私は辞める」とまで明言した(『朝日新聞』11月20日付)。選挙を前にして軽々しく「辞める」などという言葉を使ってはいけない。禁句である。焦りと余裕のなさというよりも、人間的器の小ささを視聴者に実にわかりやすく印象づけてくれたテレビ出演だった。
実は5年前、私は麻生太郎内閣による解散について、次のように批判した。「私の解散」という点で、いまメディアで「自己都合解散」「自己チュー解散」といわれている安倍首相にぴったりなので驚いたほどである。
「…首相が『私の解散』を語るようになってから、衆院解散という「国家統治の基本に関する行為」(苫米地事件最高裁判決)が、その存在の耐えがたい軽さをさらしている。だが、解散権を玩具のように扱った人々に対して、有権者がはっきりした意思表明をする時はもう間近に迫っている。そして、その結果はきわめて重いものとなるだろう」(直言「衆議院解散、その耐えがたい軽さ」)。
麻生首相はこの選挙に大敗して、政権交代が行われた。「傲慢無知」の世界をひた走る安倍首相は、自らのための解散をやってしまった結果、味方からも怨嗟のパワーを受けざるを得ない。そのため、結果次第では、自分を解散することになるのだろう。「安倍晋三、解散」である。
今度の総選挙は、安倍政権を終わりにする選挙でなければならない。野党は直接、間接、順接、逆接など、大胆な選挙協力の組み合わせをつくって、小選挙区で与党に勝つことが肝要だろう。野党が、「わが党はこれだけ得票をのばしました」というのは今度こそ許されない。立憲的な党の憲政が期待される。
《付記》「首相動静」欄を見ると、本文で紹介したNHKや日本テレビ、TBSなどへの過度な露出(生出演、録画)は、解散の当日、夜8時31分に首相公邸に到着し、その日の公的な首相日程がすべて終了した後に行われている。注目されるのは、解散の記者会見の後、自民党本部にもどり、そこで在京のスポーツ新聞7紙すべての取材を受けていることである(PDFファイル)。ここまでスポーツ紙にサービスした首相はかつてなかったのではないか。上記「ニュース23」の生出演はこの日最後の出演で、それまでの一方的に話せる楽な取材と違い、キャスターの突っ込みや厳しい「街の声」にむかついたのだろう。私は安倍氏のことを「振り付け首相」と呼んでいるが、彼をテレビやスポーツ紙にここまで露出させる官邸の「振付師」たちには焦りすら感じる。そろそろこの首相の賞味期限を自覚しているのかもしれない。