新年早々に大きな事件が続いている。先週の土曜日は阪神淡路大震災から20年だった)。フランス・パリにおける雑誌編集部襲撃事件は、「ベルリンの壁」崩壊から25年を経て、「冷戦」後の世界から新たな「熱戦」の時代の第1年度に入ったかの如くである。安倍政権の暴走によって、この国は政治、経済、社会、外交などすべての分野で、たがが外れたような状態になっている。書くべきことはたくさんあるが、入試・学年末という、大学教員にとって超多忙な時期に突入してしまった。「直言」毎週更新は非常に困難のため、この時期は「雑談」シリーズなどのストック原稿をアップすることでお許しいただきたいと思う。パリの事件とその読み解きは、いま準備中である。
というわけで、緊迫する国際・国内情勢のなかで脱力する話題で恐縮だが、今回は「雑談」シリーズの「『食』のはなし」である。これは4年ぶりになる。前回は、水島ゼミの6期ゼミ長の「川越いも」の話だった。
さて、毎年の正月休み、卒業を目前にしたゼミの4年生全員を、八ヶ岳南麓の仕事場に招いて、「おでんパーティー」(以下、ゼミ生間の通称の「おでん会」という)をやっている。はじまりは、2005年の正月、ゼミ7期・8期生が東京の自宅に年始の挨拶にうかがいたいといってきたことである。札幌時代は、正月にゼミ生を招いて「手巻き寿司の会」をやっていた。広島時代は東京で正月を過ごしたのでゼミの正月の会はなかったので、久しぶりだった。何を出してもてなそうと妻と話し合った。結局、年末年始のおせち料理やごちそうに飽きただろうから、おでん鍋はどうかということになった。3つほどのおでん鍋をつくり、オードブルなどを準備した。2006年も同じパターンで8期生を迎えた。そして2007年1月から八ヶ岳の仕事場でゼミ生を迎えることにした。以来、「おでん会」としては、今回の17期生で10周年となる。
都内から列車で2、3時間はかかる。地方出身の学生は正月ラッシュで都内にもどるのは大変だが、みんな努力して集まってきてくれた。迎える方としては、人数が多いので、たくさんのおでん鍋を用意するのはけっこう大変である。何度かやるなかで、妻がうまい方法を見つけた。おでんの鍋は大きめの土鍋など7つを動員する。おでんの具材を土鍋で10分ほど煮込み、火をとめて、新聞紙と毛布でくるみ、床に並べていく(写真)。グツグツといった音が毛布の合間から聞こえてくる。レンジやコンロで煮込むのではなく、土鍋が自分の熱の力で鍋のなかで調理を進めていってくれるわけである。一晩ねかせて、土鍋を取り出すと、煮くずれもせず、いい具合に煮えている(写真)。これを再び火にかけ、学生たちが着いたら卓上コンロに移して食べるわけである。ダイコンはやわらかく、奥までしっとり、深く味が染みている。普通に火にかけて煮込んだだけでは出ない、何ともいえない味わいとなる。
正月にゼミ生とおでんを食べて10年。その11回目が先々週にあった。正月の飛行機の都合などでこられないゼミ生が何人か出るのはやむを得ない。今回は17期生11人が参加してくれた。若い学生たちの旺盛な食欲には感心する。鍋がどんどん取り替えられていく。私はアルコールを一切たしなまないので、いろいろな方からいただいたワインや銘酒、珍しい焼酎などが仕事場に並べてあり、学生にはちょっと贅沢だなと思いつつも、せっかく遠いところをきてくれているので飲んでもらっている。学生たちは大喜びである(ごきげんの12期生〔2010年〕)。
お腹がふくらむと、2時くらいから冬の「信玄棒道」散策を行う。武田信玄が信濃攻略のためにつくった戦略道路といわれており、ここを歩きながらものを考えると、いいアイデアが浮かぶので、私の好みのコースになっている(直言「『政治主導』と憲法改正――信玄棒道で憲法を考える」。出発前にいつも記念撮影をする(12期生のとき)。11期生(2009年)のときは、遅く出発しすぎて、途中で真っ暗になり、私が道路から足を踏み外したこともある。13期(2011年)のときは、私が道をあやまり、学生たちをクタクタにさせてしまった(まだ笑顔の段階の写真)。14期(2012年)のときは、途中で雪が降ってきた(写真)。何期のときか忘れたが、鹿に遭遇したこともあった。日頃のゼミの時間ではできない話もできるし、彼らの進路やいろいろな相談も歩きながら受けることができる。
なお、かつては「水島ゼミ」と検索するとサジェスト機能で「おでん」と出てくることがあった(いまは全国に「水島ゼミ」がたくさんあるので、そういうことはなくなったが)。きっかけは9年前、「おでん会」を八ヶ岳で始めた最初の9期生のとき、たまたま千葉県銚子市の缶詰会社の社長さんから、「缶詰おでん憲章」の起草を頼まれたことだった。遊び心で引き受け、学生にも遊び心で起草してもらった。起草の場所は新宿のおでんの名店「お多幸」。起草の中心になったのは、当時9期副ゼミ長をしていた桑本千紗都さんである。彼女が書いた「日本の伝統食を食べながら――憲法を考えるきっかけに」という文章が『早稲田ウィークリー』2006年12月7日号に掲載された。
9年ぶりに読み直してみて、いろいろと思い出したことがある。第7条には、災害時の役割として、「缶詰おでんは保存性にすぐれ、『備えあれば嬉しいな』という観点から、災害時において被災者の心と体を温め、災害を乗り越える気力と体力を回復することに寄与する」とある。ゼミ生と阪神淡路大震災を想起しながら、避難所でこれが配られればよかったということを議論してこの文章になったと記憶している。
また、憲章第9条は、「多様な具材が互いを引き立てあいながら共存し、日々うまみを増していく缶詰おでんは、人と人とが互いを尊重しあいながら生きるという国際平和の象徴である」となっている。ちがった味のものが一緒に熟成していくから、味が深くなる。今回の「おでん会」でも、イカ巻を入れた鍋と入れなかった鍋とでは、大根の味が微妙に違うことに気づいた。「多様な具材が互いに引き立てあいながら共存」することでうまみを増すということ。これは、みんなが一緒につついて語り合う「鍋」のよさ一般に通ずることかもしれない。
なお、「憲章」全文は、私の直言「雑談(55)『食』のはなし(10)缶詰おでん憲章」で読むことができるので、関心のある方は参照されたい。英語版まである(The Charter is available in English version!)。この「憲章」は、『朝日新聞』(東京本社版)や『千葉日報』などで紹介された(PDFファイル)。『毎日新聞』や『日本経済新聞』にもローカル版で紹介された。
こういう経緯で、2010年頃までは、「水島朝穂」あるいは「水島ゼミ」と入力すると、サジェスト機能で「おでん」と出てきたわけである。私が料理としておでんが特に好きだとか、こだわりがあるとかいうのではなく、10年前の正月からやっている学生との「おでん会」がきっかけとなったさまざまな出会いの連鎖のなかの産物なのである。
出会いのおもしろさは、雑誌との仕事のなかでも感ずることになった。小学館の雑誌『サライ』編集部からメールがきて、2014年12月号で憲法についての特集をやるという。私はこの雑誌を買ったことも、手にとったこともなかった。でも、送られてきたバックナンバーをみると、京都旅行とか仏像とか、実に美しい写真が満載されている。こういう雑誌を買う読者にも、憲法の基本的なことを知ってもらいたいという気持ちで引き受けたのだが、実際に掲載誌が届いてびっくりした。表紙におでんの写真があり、特集は「『日本国憲法』をもう一度」と「おでん東西」だったからである。私は、「憲法とは何か――これだけは知っておきたい基本のき」というのを担当した。掲載誌のおでん特集をみて笑ってしまった。冒頭は、「東の『ちくわぶ』か、西の『ころ』か。具論沸騰 おでん東西」である。いずこもおでんに何を入れるかは、地方色豊か、各人各様というところだろう。