1月7日のパリの編集部襲撃事件の5日後、ネットオークションで『シャルリー・エブド』の前身、『Harakiri』1966年6月号を入手した。1960年創刊の月刊誌。フランス語の「H」は発音しないので「アラキリ」と読む。明らかに日本の切腹(はらきり)を念頭においたネーミングである。フランス人の切腹への関心と嫌悪感は、1868(慶應4)年の「堺事件」(フランス水兵11人が攘夷派の土佐藩士に斬殺され、藩士20人がくじ引きで選ばれ、切腹させられた事件。見学していたフランス人が嘔吐・失神した)の影響が大きいといわれている。そうしたタイトルをつけて、日本も風刺されたわけである。『Harakiri』時代は、キリスト教(特にカトリック)やユダヤ教、政治家、当時のさまざまな権威や権威者(有名人)がやり玉に挙げられている。1961年に発禁になり、1966年に復刊。冒頭の写真は、復刊したばかりの号の表紙ということになる(1992年から今日みられるタブロイド版週刊紙となった)。
誌名のすぐ下に「バカで意地悪なジャーナル誌」(JOURNAL BETE & MECHANT)とあり、自らをも茶化すセンスは相変わらずだ。自転車の写真は、チコリ味のデカフェという朝食用飲物のブランドを下着に付けた男の後ろ姿。このブランドを皮肉ったものだろう。1頁目は「デゥニ・ディドロ氏、映画原作者への、バカ意地悪賞」。これは、18世紀の哲学者ディドロの『修道女』(La religieuse)が、ジャック・リヴェット監督によりこの年に映画化されたため、これを皮肉ったものだろう。左側が修道女で、右側が哲学者ディドロ(ここにも「バカで意地悪」とある)。その次の頁では、イエス・キリストと明らかにわかる足をわずかに見せて、これを皮肉っている。全体として「エロ、グロ、ナンセンス」とされかねない世界が広がる。キリスト教、教会、司祭、政治家を風刺するといっても、それがいかなる意味で皮肉・風刺になっているのかは、当時の時代背景や空気などを含めて相当な知識がないと理解できないだろう。
ところで、平均売り上げ5万部そこそこの『シャルリー・エブド』が、「私はシャルリーだ」(Je Suis Charlie)とばかり、全世界で「共感」の波が一時的に押し寄せ、1月14日号は何と700万部も出たという。その1部を、これまたネットオークションで入手した。日本円でけっこうな高値になっていた。新聞や雑誌が表紙の写真を掲載しているが、私はその裏表紙に注目した。真ん中に2コマ漫画を配し、デザイナー(風刺漫画家)「25年の仕事」。そして、下のコマに銃撃犯「テロリスト、25秒の仕事」。周囲に12コマの単発の漫画を配している。でも、すべてを茶化し、風刺するこの週刊紙の心根からすれば、700万部の「権威」となった自己自身を風刺する必要が出てくる。裏表紙にはそういう漫画も見られる。メジャーになるのは自己の美学に反するからだろう。また、かつて発禁処分にしたフランス政府までが「表現の自由を守れ」なんていうのも気持ちが悪い。そこで、最適解は、今までのようにキオスクの隅で売られるくらいに関心が下がるまで、しばらく休刊するという選択だったのではないか。案の定、「シャルリー・エブドは当分の間(vorerst)休刊する」という記事が出た(Die Zeit vom 1.2.2015)。表向きは、編集者が疲れ果てたというのがその理由である。
どの時代、どこの国にも、この種の雑誌(週刊紙)は存在するが、『シャルリー・エブド』の特徴は、宗教や宗教家が風刺の主対象になっていることだろう。フランス憲法第1条は「フランスは、不可分の非宗教的(laïque)、民主的かつ社会的な共和国である」と定める。「ライシテ」という世俗主義・政教分離の原則はフランス革命以来一貫しており、表現の自由においても、宗教に対する批判を自粛したり、控えたりすることなど、あり得ないことなのである。「お行儀のいい表現の自由」など自由に値しないという姿勢である。だが、イスラム教を風刺の対象にするようになってから事情が違ってきた。偶像化を否定する宗教を偶像画で風刺することの問題も、今回の襲撃事件で極端な形で明らかとなった。ただ、これを契機に、「表現の自由と宗教の冒涜(涜神)」というアングルから議論がなされる際、「表現の自由にも配慮が必要だ」というどこか道徳的な結論の範囲に着地させるだけで、ことの本質を十分に理解できたといえるのだろうか。もっと広く、深く、濃く検討していく必要があるように思う。最近、かつて献本されていた藤野寛・齋藤純一編『表現のリミット』(ナカニシヤ出版、2005年)を再読した。最初に読んでから10年目の「再会」だが、例えば「現われの消去」「傷つける表現」「憎悪の再生産」など、かつて赤線を引いていなかったところにも興味深い叙述をたくさん見つけた。それだけ表現ということに関して、時とともに世の問題状況が顕在化・複雑化したということだろう。
『シャルリー・エブド』の事件は、世界各地にさまざまな波及効果をもたらしている。例えば、イランでは、「国際ホロコースト漫画コンテスト」が行われている。賞金は1万2000ドル。「表現の自由」についての西欧の偽善性を明らかにするのがコンテストの狙いだという。かなり以前から「ホロコースト」否定は、イランで広まってきていた。元大統領のアフマディーネジャードは、ナチス第三帝国時代のユダヤ人虐殺を繰り返し否定してきた(die taz vom 2.2.2015))。
この「ホロコースト」否定の漫画展はヨーロッパに広がる反イスラム運動やネオナチの思想と行動とも響き合う。だが、イランはイスラム教の国だから、ここにねじれが生まれている。違った宗教、違った文化との共存、異質な他者との共生のなかで、社会は豊かに発展するが、いま世界は、これとは逆の方向に急角度で進もうとしている。
『シャルリー・エブド』の事件直後、ロイターのパリ特派員は、「欧州各地で反移民の機運を一段と高め、宗教や民族的なアイデンティティをめぐる『文化戦争』を燃え上がらせる可能性がある」と書いた(ロイター・1月8日付電子版)。私はこの「文化戦争」という言葉に注目した。10年ほど前に志田陽子『文化戦争と憲法理論――アイデンティティの相剋と模索』(法律文化社、2006年)が出版された。1980年代末以降、アメリカにおいて多文化主義をめぐる論争が展開されてきたが、それは人種、性、宗教、思想に関する多様性をめぐって、いわゆる「文化戦争」と呼ばれうる状況へと発展している。この本は、「文化戦争」を「価値観の対立」に解消せず、「アイデンティティの衝突・排除」との関わりでも解明しようと試みる。この衝突→排除の過程に政治性・権力性が生まれ、ここで「憲法的害」が問題となりうるとする。
「文化戦争」というと「敵意」「憎悪」が連想されるが、問題の本質を「ステレオタイプ的偏見」すなわち「スティグマ」であるとした点もこの本のポイントである。そこで、10年近く前にまとめた本書の著者に、私が直接インタビューすることで、『シャルリー・エブド』の問題についての問題点と課題を提示していただこうと思った。入試・学年末の忙しい時期でもあり、電話とメールで志田氏のご意見をうかがった。以下、そのインタビューを掲載しよう。
志田陽子武蔵野美術大学教授へのインタビュー
Q: このところメディアで「文化戦争」という言葉をよく目にしますが、この「直言」読者のために言葉の意味を簡単に解説してください。
志田: 「文化戦争」(culture wars)という言葉は1980年代の終わりに、アメリカの宗教社会学者ジェイムズ・D・ハンターが使って有名になった言葉です。価値観の対立が政治領域で争点化され、これをめぐって社会が二分されるという状況とされます。アメリカでは主に宗教、人工妊娠中絶、同性愛、歴史教育、(人種)差別是正策のあり方などを対立軸にしてそうした現象が起きてきました。今だったら、医療費政策(オバマケア)や移民政策改革をめぐる議論もここに入るでしょう。社会の日常に当然に見られる価値観の違いや議論の衝突ということではなく、選挙での勝敗や住民投票のような政治世界と一般社会を巻き込んで、《価値の選択をめぐる討議》というよりは《価値の争奪戦》が起き、それが市民生活上のさまざまな利害にもつながってくることから、とくに「戦争」という言葉が充てられています。また、こうした価値選択が「〇〇系移民」や「〇〇信者」といったアイデンティティに結び付けられやすいことから、アイデンティティ集団間の衝突や排斥の様相を呈してしまうことも、「戦争」と呼ばれる所以です。
Q: では、フランスで起きた風刺画をめぐる事件はこれにあてはまりますか?
志田:事件は「暴力」そのもので、「文化戦争」が顕在化した「症状」と言うべきです。殺害行為などの暴力そのものに対しては、それに応じた対処が論じられるべきで、むしろその背後で続いてきた社会的緊張関係や衝突を「文化戦争」として考察すべきだと思います。たとえば公的場面で女性がイスラム・スカーフを着用することを禁止する法律をめぐる対立が一例ですし、風刺表現をめぐって「表現の自由か宗教的尊厳の保護か」が対立してきた状況もそうだと思います。「私は〇〇」「私は〇〇ではない」という言い方で、多くの人が自分の価値観を自己定義の表明として掲げることは、これ自体を「文化戦争」と言う必要はないと思いますが、これがフランス国内やヨーロッパの政治世界で宗教的・文化的アイデンティティとしての《イスラム》対《非イスラム》の対立へと変化してしまい、排斥と排斥への反発とが政治的衝突になっていった場合、「文化戦争」ということになると思います。
Q: 多文化主義との関連はどうですか?
志田: 「文化戦争」は多文化主義が招いたものだという言い方がされることもありますが、私はそうは思いません。この二つは実際には絡み合ってしまうことが多いにしても、別の問題だと思います。
多文化主義は、先住民族や移民集団が何らかの歴史的経緯によって征服を受けたり、土地・資源についてフェアとは言えない取り決めに服していたり、文化面でフェアとは言えない同化強制を受けてきたり(十分に同化できないことをもって「劣等」のレッテルを貼られてきた)、そうした背景があることを前提として、状況への見直しと是正を求める議論です。
アメリカを例にとれば、差異と多様性の尊重を求める主張が出てきたこと自体を指して「文化戦争」と呼ぶべきではないと思います。しかし、こうした主張が他文化を否定する自文化絶対化に陥って他文化と衝突したり、こうした主張を《国家を分裂に追い込みアメリカのアイデンティティを見失わせるものだ》と危惧する政治勢力が抑え込みの政策を提案したり、さらに妊娠中絶禁止を訴える一部の社会勢力が妊娠中絶や避妊アドバイスを行っていた医療クリニックを爆破し医師を射殺するといったテロ行為を繰り返したりする場面では事態が文化戦争化したと言えます。
Q: 憲法論として、「文化戦争」の観点から事態をみる意味はどこにあるのでしょうか?
志田: そのような衝突は、マイノリティ側が泣き寝入りせずに声を上げたから起きるわけですが、《衝突が起きないようにするためにマイノリティを沈黙させる》、というのは、民主政治の観点からも憲法的観点からも、本末転倒です。まずはこのことを確認するために憲法論が必要だと思います。
もともと民主主義の国家であれば、社会内にさまざまな価値観の違いが《ある》ことが当然の前提で、だから暴力的衝突を回避しつつ調整を行うルートとしての《民主政治過程》があり、信教の自由や表現の自由といった個人の自由権が憲法で保障され、《政教分離》によって衝突を回避する仕組みが統治に組み込まれています。憲法はその背後に控えて、政治過程・社会過程の自由と公正性を保障しつつ見守る姿勢を取るわけです。
しかし、ある論争テーマが「文化戦争」の状態に陥ると、特定の集団が排斥され、または文化的信条を否定された結果、社会の中に居場所を失う、といったことが起きやすくなります。こういう場合には「自由」に委ねて見守るだけでは足りず、憲法問題として取り上げ、立憲的な歯止めを確認する議論が必要になってきます。
Q: なるほど、明快ですね。ところで、「文化戦争」への処方箋についてお考えをお聞かせください。
志田: この用語を使ったハンターは、紛争に至る前の段階での十分な社会的・政治的議論が必要だと言っています。憲法論のほうでこれを受けるなら、司法による「人権」保障の確認は当然大事だけれども、それがすべてではない。対話や民主主義の活性化というルートが重要だ、ということです。しかし、だからといって、裁判所が「このテーマは文化戦争になっているから司法は関わらない」と言って身を引いてしまっては、裁判所本来の職責を果たせません。申し立てられている主張が、法的判断に名を借りた弱者の追い詰めや、特定宗教教義の正統化の認定になっているような場合には、「司法はタッチしない」が正解です。しかし、当事者にとっての実害が先にあって、当事者がそこからの救済を求めて「権利」に基づいた訴えをしている場合、裁判所は素直に憲法判断を行なって、権利保障のための職責を果たさなければならないはずです。
Q:「文化戦争」に対しては、司法による救済は最終的な解決ではない、ということですね。
志田: はい。当事者の対話や民主政治プロセスへの組み込みと、司法場面での人権保障と、どちらが適切なのか、衝突や差別状況の具体的場面に応じた解決ルートを見分ける作業が必要だと思います。とくに刑法による「禁止」を通じた解決は、その導入をめぐって当事者が《勝つか負けるか》の関係に立ってしまうため、対立をかえって深める可能性もあるので、その前に可能な限り他のルートを模索すべきだと思います。背後にある格差問題への政策や、「私たちにとっては笑いごとではない重大な問題なのだ」という対抗言論に対して社会が「耳を傾ける」場面など、さまざまな場面を考える必要があると思います。
たとえば日本で1985年に起きた「アイヌ肖像権訴訟」では、「そういう描かれ方をしたら当事者の自尊感覚は深刻に傷つくのだ」、ということを当事者が訴えたとき、当事者の請求を認める判決には至らなかったにしても(裁判は和解で終了)、裁判そのものが社会に対して気付きを促す役には立った、という例もあります。憲法論を裁判規範として見た場合には、「表現の自由」の保護が優先されるという判決が出たら「そこで終わり」と受け止められがちですが、マイノリティの立場にある人々が「その話はこれでおしまい、もう黙れ」と命じられたかのような受けとめ方をしてしまうと、あとは自力救済としての《むき出しの暴力》が出現しやすくなります。裁判の判決自体は、勝訴・敗訴という形をとらざるをえないわけですが、「表現の自由」を支持した判決がマイノリティを「敗者」としてスティグマ化する成り行きに転じないように社会がその後の見識を維持する必要があると思います。少なくとも「そこでおしまい」にしない言論環境が必要で、「表現の自由」が保障されることの意義もそこにあるのだ、という認識を双方が確認することが必要だろうと思います。