安倍「最高指揮官」への懐疑            2015年2月23日

殉職メダル表

殉職メダル裏

ケース

る県の骨董品店から入手した「自衛隊殉職隊員追悼式メダル」である。平成15年10月25日。防衛庁長官 石破茂の名前がある。純銀製で、「貴金属品の品位検定区分と政府証明マーク」がついている。

「私は最高責任者だ」ということを必要以上に口にする首相のもとで、「安保法制」の転換が進んでいる。それに伴い、自衛隊が海外において武力行使に関わり、殉職者を出す可能性が増している。10年前にこのメダルをもらった遺族の方たちは、夫あるいは息子が、訓練中の事故などで死亡したケースがほとんどだろう。つまり、「戦死」はいない。だが、同じ頃、ドイツ連邦軍は、アフガニスタンで「戦死者」を出していた。10年遅れで、日本もまたその道を歩むのか。

では、人に死ぬ覚悟を要求することになる「最高指揮官」の安倍首相自身はどうかといえば、「国のために死ねるか」と問われてイエスとはいわずに、父親の話で逃げている(読売テレビ、8分20秒のところからご覧ください)。バラエティ番組だが、背筋が寒くなるシーンである。

安倍首相の発言

安倍首相は自衛隊の「最高の指揮監督権」をもつ(自衛隊法7条)。「私が最高責任者」だとことさらアピールしなくても、自衛隊の場合は最高指揮官の命令で生死が決まる。「直言」が早い時期に明らかにしたように、ホルムズ海峡には公海部分がほとんどなく、自衛隊はオマーンとイランの領海で作戦をやることになる。このことの重大な意味については、『世界』2014年7月号の拙稿で指摘し、それは衆議院の質問主意書7頁にも引用されている(PDFファイル)。「ホルムズ海峡の機雷掃海」論は破綻しているのに、安倍首相のそれへのこだわりは異様である。さすがに、安倍首相の言動に対しては、部内と周辺から危惧と懐疑の声があがりはじめた。

市ヶ谷レーダーサイト

例えば、軍事専門誌『軍事研究』2014年7月号「市ヶ谷レーダーサイト」。その見出しは、「安倍総理の防衛知識は大丈夫なのか?」である。この雑誌は創刊号からすべてもっているが、毎号、真っ先に読むのがこのコーナーである。筆者は北郷源太郎氏。防衛省・自衛隊の幹部人事の予測には定評がある。弁護士の澤藤統一郎氏のブログ「憲法日記」で、私の直言「石破前防衛庁長官729日の「遺産」」への言及とともに、このコーナーにおける安倍首相批判の文章が紹介されていた

「朝雲」

北郷氏は、「姑息な手段に逃げないで、堂々と憲法改正をすべきである」という立場だが、昨年の「安保法制懇5.15報告書」を受けた安倍首相の、パネルを使った記者会見についての批判は痛烈である。いわく。「小保方先生の実験ノートにも驚かされたが、このパネルはそれに匹敵するほどお粗末な代物だ。・・・隣国で有事となり逃げ遅れた邦人を救出しなければならない場合で、米輸送艦を護衛するための護衛艦を派遣できる環境と余裕があるのなら、なにも米輸送艦に頼む必要など最初からないのであって、海自の輸送艦やチヤーター船を派遣すればいいのではないだろうか。そもそも米輸送艦が邦人を輸送するというケースなどあるのだろうか。少なくとも日米安保条約上の義務として米軍がそうする義務はまったくないし、軍事的合理性から見てもそのようなことはしないだろう」と。私も、同様のことを記者会見の直後に指摘している

北郷氏は「安倍総理の防衛知識は大丈夫なのか?」の2点目として、安倍首相の集団的自衛権理解を問題にしている。「集団的自衛権とはあくまで集団になって防衛する権利ではなく、『武力攻撃を受けた国が自国と密接な関係にある場合に、これをもって自国の平和と安全を侵害するものと認め、被攻撃国を援助して共同防衛に当たる権利』である。平たく言えば自ら攻撃されてなくても侵略国を攻撃する権利だ。即ち憲法9条で禁止された戦力にはできても防衛力にはできない『先制攻撃』と『海外派兵』をすることなのである」と。正面から9条改正を押し出す立場からの、その限りでの明快な批判ではあり、安倍首相の言動の揺れを鋭く衝いている。

ところで、自衛隊の準機関紙『朝雲』は定期講読を始めてから35年になる。師団長や護衛隊群司令、防衛部長などの人事までチェックしてきた。例えば、番匠幸一郎氏はイラク復興支援群長のときから注目している。彼はまもなく陸上幕僚長になるだろう。その『朝雲』紙の2月12日付コラム「朝雲寸言」はおもしろかった)。

過激派組織「イスラム国」による日本人人質事件は残念な結果となった。悔しい気持ちはわかるが、自衛隊が人質を救出できるようにすべきとの国会質問は現実味に欠けている▼人質救出は極めて困難な作戦だ。米軍は昨年、イスラム国に拘束されている二人のジャーナリストを救出するため、精鋭の特殊部隊「デルタフォース」を送り込んだが、居場所を突き止められず失敗した▼作戦に際し、米軍はイスラム国の通信を傍受し、ハッキングもしていたに違いない。さらに地元の協力者を確保し、方言を含めて中東の言語を自在に操れる工作員も潜入させていたはずだ。もちろん人質を救出するためであれば、米軍の武力行使に制限はない。それでも失敗した▼国会質問を聞いていると、陸上自衛隊の能力を強化し、現行法を改正すれば、人質救出作戦は可能であるかのような内容だ。国民に誤解を与える無責任な質問と言っていい▼これまで国会で審議してきた「邦人救出」は、海外で発生した災害や紛争の際に、現地政府の合意を得たうえで、在外邦人を自衛隊が駆け付け避難させるという内容だ。今回のような人質事件での救出とは全く異なる▼政府は、二つの救出の違いを説明し、海外における邦人保護には自ずと限界があることを伝えなければならない。私たちは、日本旅券の表紙の裏に記され、外務大臣の印が押された言葉の意味を、いま一度考えてみる必要がある。

むすびの外務省設置法4条9号についての指摘は、この「直言」をお読みのみなさんも、ぜひ一度ご自分のパスポートの表紙裏を実際に確認してみていただきたい。ネット上だけでなく、与党政治家の口からもまたぞろ「自己責任論」があれこれ出ているので特に重要である。ちなみに「直言」では、2年ほど前にも、『朝雲』コラムを紹介した。安倍首相が4月28日を「主権回復の日」にしようとして失敗したときである。

第一空挺団・写真

最後に、福島県南相馬市議会の意見書を紹介しておこう。「・・・本市は、大震災と大津波及び原子力災害により甚大な被害を受けているが、自衛隊の災害派遣・支援によって大いに助けられたところである。特に福島第一原発から30キロメートル圏内、20キロメートル圏内にいち早く捜索に入るなど、国民と国土を守るために身を挺したことに、心からの敬意と感謝を表している。その自衛隊員が海外に出て行って武力を行使することは到底容認できない。よって政府は、集団的自衛権の行使を容認しないよう強く求める」。

まもなく「3.11」から4年である。「アベノミクス」は確実に大震災からの復興を遅らせている(妨げている)と私は考えているが、これはまた別の機会に書く。ここでは、筆者が「3.11」の1カ月半あとに南相馬市に取材に入ったとき、第一空挺団の部隊が遺体捜索活動を展開していたことを想起したい。意見書にいう20キロ圏の捜索は私自身も目撃している。だから、意見書に込められた思いはよく理解できる。12年以上前に、第一空挺団(習志野)の行事で30個ほど限定製作されたというフィギュアがいまリアリティをもってきた。

集団的自衛権行使を容認する「7.1閣議決定」によって、この国は「箍(たが)」が外れる状況に陥っている。「安保法制」整備の中身について、『朝日新聞』2月21日付1面は「閣議決定からの逸脱」と書くが、私はあの「7.1閣議決定」自体が、憲法からのとてつもない逸脱、「狼藉」と考えている。「歯止め」に期待する向きもあったが、安倍首相の憲法への「狼藉」はさらにその先を進んでいるわけである。安倍首相の存在そのものが、今や最大のリスクである。

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