参議院で「憲法とは何か」を語る            2015年3月16日

憲法審査会での様子

3月1日夜に羽田からカナダのバンクーバーに向かい、2日午後1時から、ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)で講演した(チラシPDFファイル)。日本国憲法9条の制定の背景を説明するために、広島・長崎の原爆瓦をケースに入れて持参し、会場で回覧した。カナダの研究者や元駐日大使の方から、安倍政権の歴史認識などについても鋭い指摘がなされ、大変意義深い企画だった。ただ、カナダ滞在27時間というあわただしい日程になってしまった。実はカナダ講演が決まった後に、参議院憲法審査会事務局から4日13時からの参考人質疑の打診があり、かなり綱渡りになるとは思ったがお引き受けした。だが、時差を十分に考慮しなかったため、無理が出てしまった。ご招待いただいたUBCの皆さまには大変申し訳なく思っている。

回覧した原爆瓦

帰途は2日18時40分のエアカナダ1846便でバンクーバーからサンフランシスコに向かい、21時に着いて、3日0時45分のJAL1便に乗り継ぎ、4日午前5時に羽田に着くというプランを組んだ。だが、「トラベルはトラブルなり」。まさにその通りになった。エアカナダに乗り込んで一息ついたのも束の間、コンピューター関係の機器のトラブルで離陸できなくなったというアナウンスが流れた。血の気が引いていくのが自分でもわかった。結局、機内に3時間閉じ込められた。21時30分になって、ようやく離陸。サンフランシスコ空港に着いたのは23時35分だった。人のほとんどいない、広い空港内をひたすら走り、離陸目前のJAL1便に滑り込むことができた。4日5時5分に羽田着。参議院の憲法審査会に何とか間にあった。憲法審査会事務局の方々は相当気を揉んだようで、こちらにもご迷惑をおかけすることになった。それでも、何とか無事、3時間の質疑を終えることができた。

参議院からの通知状

なぜ、7543キロも離れた2箇所で憲法について語るという無理なオファーを受けたのか。すでに終わったことなので内幕を明らかにしておこう。実は、参議院憲法審査会から参考人としての出席を求められた時、これは無理だとお断りモードに入っていた。しかし、テーマが「憲法とは何かについて」と聞いて考えが変わった。そもそもこんな一般的で抽象的なテーマを、この時期、このタイミングでやるということ自体がすでにある種のメッセージ性をもっていると直感したからである。それは、改憲に向けて爆走する安倍内閣に対して、参議院は「憲法とは何か」を考えながらじっくり慎重に進むというメッセージである。

安倍晋三首相の、これまでのどの首相にも見られない特徴は、憲法改正を自己目的化して、異様な粘着質でそれを追求していることだろう。例えば、首相は日本国憲法を、「みっともない憲法」と呼んだことがある(『朝日新聞』2012年12月15日付)。憲法軽視・無視の言説や傾向は歴代内閣にもみられたが、ここまで感情むき出し、憲法蔑視の姿勢を明確にした首相はいなかったのではないか。「96条先行改正」ではしゃいでいたのは2012年暮れから13年の連休前までで、その後、解釈・運用による「改憲」の極致である「7.1閣議決定」(集団的自衛権行使の容認)という狼藉を行った。そして、いまその閣議決定の拡大解釈によって、安保法制の整備に向かっている。

バンクーバーからもどり、参議院の委員会室で、次のように意見陳述を始めた。「報道によれば、来年参議院選後に最初の憲法改正国民投票を行うというような言説が政府から聞こえてくる。参議院が、あえてこのような抽象的なテーマで議論することは、憲法改正の重さ、その重要性を政局的にではなく大局的にとらえようとするもので、私は敬意を表したいと思う。国会は国権の最高機関だが、参議院は「国権の再考機関」(再び考える)であるということを改めて感じた。【以下、略】」と。

過激組織「イスラム国」(IS)による日本人人質殺害事件に関連して、次世代の党の議員が「憲法九条があるから国民の生命が危ない。即刻改正すべきではないか」と質問したのに対して、安倍首相は、「わが党はすでに9条改正案を示している。なぜ改正するのか。国民の生命と財産を守る任務を全うするためだ」と答弁している(2015年2月3日 参院予算委)。「日本人2人の命を救えなかった今回の人質事件を9条改正の必要性と結び付けるのは、我田引水も甚だしく、こじつけ以外の何物でもない」(『琉球新報』2015年2月5日付社説)と批判されたように、安倍首相は何事も憲法改正に結びつける安直な姿勢が目立つ。私は4年前、東日本大震災のどさくさまぎれに憲法改正に動き出したとき、これを「震災便乗型改憲」として批判する直言を出した。

安倍首相は、船田元・憲法改正推進本部長との会談で、第1回の憲法改正国民投票の時期を、2016年7月の参議院選挙後とするのが「常識的だろう」との認識を示した。船田氏は首相に、「一度にすべて改正するのは無理なので、何回かに分けて改正する。環境権、緊急事態(条項)、財政健全化(条項)あたりが候補となっている」と報告するとともに、「国民投票で否決されたら、しばらくは改正ができない。一回目の憲法改正は極めて大事だ。安全運転でいかなければいけない」と述べたという(『産経新聞』同年2月6日付)。早ければ2016年末から17年前半にも国民投票が実施される可能性があるとの見通しを示す新聞もあった(『朝日新聞』同年2月5日付)。かつて内閣法制局参事官になり損ね、いま「安倍の威を借りて」、裏の「内閣法制局長官」を自負している磯崎陽輔氏は、「憲法改正を国民に一回味わってもらう」と語ったという(同2月27日付)。自民党の憲法改正「二段階戦略」である。「味わう」にせよ、「二段階戦略」にせよ、憲法改正の必要性を堂々と論ずるよりも、ひたすら「変えることに意義がある」という傾きが強い。

審査会では、「憲法とは何か」について教科書的な内容を話すのではなく、もっぱら自民党改憲草案の「Q&A」を素材にして論じた。問題のある憲法観を論ずることによって、「憲法とは何か」について逆照射するというのが当日の狙いだった。参議院のホームページでは、20分の冒頭の語りのほか、議員諸氏とのやりとりもみることができる(リンク)。以下、当日、議員に配布したレジュメと資料を下記に掲載する。例えば、憲法に「歴史」や「伝統」や「国柄」などをやたら書き込む憲法は、米独仏の憲法にはほとんどなくて、もっぱら中国憲法、韓国憲法、北朝鮮憲法などにみられるという指摘は、ツイッターでかなり拡散させられたという。

それでは、当日のレジュメをご覧ください。

「憲法とは何か」を考える視点について

2015年3月4日/参議院憲法審査会
早稲田大学法学学術院教授(博士(法学)) 水島朝穂

はじめに――参議院がこのテーマを扱う意義

1.「憲法とは何か」を考えること

・「憲法は国の最高法規であり、その存在意義は、国家権力に足かせをはめ、その暴走を抑止するところにある。端的にいえば、国家は憲法によって授権されたことしかできない。この憲法に基づく「国のかたち」を立憲主義という」という自明のことの自明でない確認から・・・。
・「憲法とは何か」をめぐるさまざまな意見を素材に論じていく。

2. 憲法前文に、「歴史」「伝統」「文化」を書き込むべきであるという意見について
→「歴史」「伝統」「文化」について、日本、米、独、仏などの国々の憲法は前文で触れていないが、中国、北朝鮮、韓国の憲法は前文で触れている【別表参照】。

3.「人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであるべき」という意見について
 Cf.「明治憲法そのもの、したがってまたその人権宣言がヨーロッパ諸国の憲法を手本として作られたことは、客観的にも明白なこと・・・後になると、明治憲法の解説者の中に、安価な国粋主義ないし愛国心に動かされて、明治憲法に対するヨーロッパ諸国の憲法の影響をできるだけ無視しようとの努力がだんだん強くなるに至るのである」(宮沢俊義『憲法Ⅱ〔新版〕』)。宮沢俊義『憲法Ⅱ-基本的人権-〔新版〕』186頁(有斐閣)

4.「立憲主義は、国民の義務規定を憲法に設けることを否定しない」という意見について
 (1)義務規定は、欧米の国々の憲法ではほとんど見られない。
→旧社会主義国や中国の憲法は権利制限に饒舌。例:中華人民共和国憲法53条「国民は、憲法及び法律を遵守し、国家の機密を保守し、公共財産を愛護し、労働規律を遵守し、公共の秩序を守り、社会公徳を尊重しなければならない」
 (2)国民に憲法尊重擁護義務を課すべきか?
→公務に携わる者(天皇を含む)に対して憲法上の義務を課すのが「立憲主義」の基本。

5.「現行憲法は占領下の制定だから国民の自由な意思が反映されていない」という意見について
(1)ドイツ(旧西ドイツ)も米英仏3カ国占領下の憲法(基本法)制定。これを「押し付け憲法」などというドイツ人はいない。
(2) GHQ民生局で日本国憲法制定に関わったベアテ・シロタ・ゴードンへの言葉
(「皇后陛下お誕生日に際し(平成25年)宮内記者会の質問に対する文書ご回答」参照)

6. 憲法改正の「三つの作法」について
①高い説明責任、②情報の公開と自由な討論、③熟慮の期間
 Cf. 水島朝穂『はじめての憲法教室――立憲主義の基本から考える』(集英社新書)

むすび―元内閣総理大臣(第2代総裁)石橋湛山のリアリティ(『石橋湛山評論集』岩波文庫)


【別表】前文に「歴史」「伝統」「文化」を盛り込み、義務を強調する例
自民党憲法改正草案 中華人民共和国憲法 朝鮮民主主義人民共和国憲法 大韓民国憲法
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、・・・日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」(前文) 中国は、世界で歴史の最も古い国家の一つである。中国の各民族人民は、共同で輝かしい文化を創造して光栄ある革命の伝統をもっている。」(前文) 「朝鮮民主主義人民共和国は、偉大な領袖金日成同志と偉大な指導者金正日同志の思想と指導を具現したチュチェの社会主義祖国である。」(前文) 悠久なる歴史と伝統に輝く我が大韓国民は、・・・」(前文)
自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。」(12条)、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。」(13条) 「中華人民共和国公民は、自由と権利の行使に際して、国家、社会、集団の利益およびその他公民の合法的な自由と権利を損ねてはならない。」(51条) 「朝鮮民主主義人民共和国において公民の権利と義務は、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という集団主義の原則に基づく。」(63条) 自由と権利に伴う責任と義務を完遂させるようにし」(前文)
「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」(前文) 「祖国を防衛し、侵略に抵抗することは、中華人民共和国のすべての公民の神聖なる責務である。」(55条1項) 「公民は、つねに革命的警戒心を高め、国家の安全のために献身的にたたかわなければならない。」(85条)、「祖国防衛は、公民の最大の義務であり、栄誉である。公民は、祖国を防衛しなければならず、法の定めるところに従って軍隊に服務しなければならない。」(86条) 「すベて国民は、法律の定めるところにより、国防の義務を負う。」(39条1項)
全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」(102条1項) 中華人民共和国公民は、憲法および法律を遵守し、国家の機密を守り、公共財産を大切にし、労働規律を遵守し、公共の秩序を遵守し、社会の公徳を尊重しなければならない」(53条) 公民は、国家の法律と社会主義的生活規範を守り、朝鮮民主主義人民共和国の公民としての栄誉と尊厳を固守しなければならない。」(82条) なし

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