16年前のドイツ滞在中、アウトバーン(自動車高速道)を使ってヨーロッパ各地をまわった。スイスの大トンネルを抜けてイタリアからドイツ・ボンまで、1日で1100キロを走ったこともある。ポーランドでは、とんでもない交通取締を体験した。だから、「ガイスターファーラー」(Geisterfahrer)という言葉を聞くと、「ポルターガイスト」(心霊現象)よりも怖い。「幽霊ドライバー」という意味で、アウトバーンを逆走するドライバーのことである。それに出くわすとこの写真のようになる。目の前にこれが出てきたら、幽霊よりも恐ろしいだろう。米ABCニュースも「車逆走で事故多発」として、2014年に1000人が死亡していることを伝えている(NHKニュース「おはよう日本」4月7日6時45分「世界のニュース・ザッピング」より)。
いま、この国は、「ガイスターファーラー」によって運転されていると言えるのではないか。私たちは毎日のように「エエーッ! 」という統治手法を目撃させられている。安倍晋三首相とその政権の特徴の一つは、その極端なイデオロギー性と狭隘かつ狭量な政治姿勢である。安倍首相は批判に対する耐性がない。自身に対する批判に対して「誹謗中傷」という言葉で切り返す。「国会会議録検索システム」で「安倍 誹謗中傷」と入力すると、衆院予算委で2回、参院予算委で3回、この言葉を使ってヒステリックに反論していることが確認できる。防衛大学校卒業式(3月22日)では、安保政策に対する批判的な意見を「荒唐無稽」と切り捨てた(『産経新聞』3月23日付)。「反対論や慎重論があったからこそ自衛隊の武力行使には厳しく歯止めがかかった。その結果、戦争に巻き込まれずにきたとも言えるはずだ。それを荒唐無稽とは…」(『毎日新聞』4月1日付夕刊コラム「与良政談」)。さらに、日本国憲法に対して、「みっともない憲法」という尋常でない言葉を使ったのも、歴代首相として初めてである。
実は、憲法政治の「ガイスターファーラー現象」ともいうべき異常事態は、沖縄県知事選で大敗して以降、安倍首相が県民に選ばれた翁長雄志知事に会おうとしていないことである。官邸に赴いた知事に、菅義偉官房長官すら会おうとしなかった。米国の州知事(governor)は「アメリカ合州国」といわれるだけあって、きわめて地位が高い。日本の首相が自国の「ガヴァナー」に会わずに、米大統領に会いにくるというのは、米国側としても愉快ではないはずである。おそらく米国からの示唆で、まずは菅長官が翁長知事と会ったのだろう。急遽かつ嫌々会ったために、言葉にも態度にも心がこもらなかっただけでなく、開催場所の選択を決定的に誤ってしまった。その「アウトバーン逆走の光景」を私たちはテレビで目撃した。
4月5日、「那覇市内のホテル」で菅長官は翁長知事と会ったわけだが、「辺野古埋め立てを粛々と進めている」という長官に対して、翁長知事は「『粛々』という言葉を何度も使う官房長官の姿が、米軍軍政下に『沖縄の自治は神話だ』と言った最高権力者キャラウェイ高等弁務官の姿と重なる。県民の怒りは増幅し、辺野古の新基地は絶対に建設することはできない」と断言した。見事だった。
1972年5月以前、沖縄は米国の暫定統治下にあり、そこで植民地総督のように振る舞ったのが琉球列島高等弁務官(現役の米陸軍将官)であった。沖縄の人々の自治権を求める運動が高まるや、1963年3月、当時のキャラウェイ高等弁務官は、「沖縄の自治は神話にすぎない」と演説した(詳しくは『琉球新報』1963年3月6日付参照)。その場所が、米民政府職員・米軍将校のための社交施設「ハーバービュークラブ」だった。沖縄はこの差別的発言に強く反発。その演説はそれが行われた場所とともに記憶されてきた。復帰後、その場所に全日空が「沖縄ハーバービューホテル」を建設。このホテルは県庁から400メートル、一番近い高級ホテルということで、政府関係者が会場に選んだものと思われる。だが、少しでも沖縄現代史の知識があれば、かつて高等弁務官が琉球政府主席を呼びつけた「ハーバービュー」に沖縄県知事を「呼びつける」形はとれなかったに違いない。官房長官が県庁か知事公邸を訪問すればすむことだったのである。私は「那覇市内のホテル」と最初聞いたとき、よもやここは使わないだろうと予測していたが、甘かった。安倍政権は、4月28日を「主権回復の日」として祝うという、とんでもない「厚顔無知」をさらしたことを思い起こさせる。
それにしても、会談における翁長知事の態度も言葉も立派だった。沖縄の歴史と沖縄県民の想いを全身で受けとめて、笑みを決して浮かべることなく(こういう場合は正しい!)、毅然として「ヤマト政府」の高官に向き合った。その冒頭発言全文をお読みいただきたい(沖縄タイムス)。『東京新聞』4月11日付も、特報面すべてを使ってこの発言の全文を収録して解説している。これは沖縄現代史に残る歴史的発言になるだろう。10年後の大学入試の問題に使われるかもしれない。
さて、「ハーバービューへの知事呼びつけ」も十分「ガイスターファーラー現象」だったが、3月に行われた政府の辺野古埋め立てをめぐる行政不服審査法に基づく手続もまた、高速道路で突然、目の前に車があらわれるような仰天の出来事だった。
翁長知事は3月23日、辺野古沖のサンゴ礁が国の基地移設関連作業により損傷された疑いがあるとして、沖縄防衛局に作業停止を指示した。県の岩礁破砕許可の根拠は水産資源保護法に基づく県漁業調整規則である。24日、防衛局は、同法を所管する農林水産大臣に行政不服審査法に基づく審査請求を行い、同時に県の指示の執行停止を申し立てた。林農林水産大臣は、移設作業を止めれば事業が大幅に遅れて普天間周辺の危険性や騒音が継続し、「日米両国間の信頼関係への悪影響による外交・防衛上の損害等といった回復困難で重大な損害が生じ」るとして、執行停止の判断を行った(決定書PDFファイル)。翁長知事の指示は審査請求の裁決が出るまでは効力が止まり、防衛局は作業を継続できることになった(『朝日新聞』3月30、31日付)。
私が仰天したのは、国が行政不服審査法を使ったことである。「この法律は、行政庁の違法又は不当な処分その他公権力の行使に当たる行為に関し、国民に対して広く行政庁に対する不服申立てのみちを開くことによつて、簡易迅速な手続による国民の権利利益の救済を図るとともに、行政の適正な運営を確保することを目的とする」(1条)とあるように、明らかに行政庁による違法・不当な処分など、もっぱら公権力の行使から国民の権利を救済するところにこそ、その目的がある。
行政不服審査法では、不服申立適格(不服を申し立てることができる資格)に関する規定は特に設けてない。判例はその対象を「不服申立をする法律上の利益がある者、すなわち、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者」(最高裁1978年3月14日判決)としている。行政契約(都営バスの運送契約)などに見られるように、「私人が事業者である場合と変わりがない」とされる場面もあり得るだろう。今回の岩礁破壊については、岩礁破壊それ自体を単体で取り上げて「私人が事業者である場合と変わりがない」と考えるか、それとも、普天間飛行場の辺野古移設を全体として念頭に置きつつ、その一過程として岩礁破壊を捉えると、はたして「私人が事業者である場合と変わりがない」と言えるだろうか。今回、沖縄防衛局を私人と同様に取り扱うことには疑問がある。
一般に、国と地方との関係において、国が法的に使える手段を使って目的を達成しようとすること自体はありうる話である。しかし、国が高圧的にそうした手段を動員して地方を黙らせるようなやり方は明らかに異様である。「不服申立適格」を広くとることが法的にまったく不可能ではないとしても、地方自治体との話し合いを拒否して、ここまで居丈高に地方に対応したことは、これまでなかった。
2006年3月に行政不服審査制度研究会の報告書が出された(PDFファイル)。 そこでは、「不服申立適格」についてこう書かれている。「現行の行政不服審査法では、不服申立適格について「処分に不服がある者」とのみ規定し、解釈上、不服申立適格の具体的範囲は取消訴訟の原告適格の具体的範囲と同様とされてきた。今回、不服申立適格を拡張する可能性も含めて検討したが、「処分」についての不服審査の仕組みにおいては、行政事件訴訟法に基づく取消訴訟との連続性にも配慮し、不服申立適格については現行の取扱いを維持すべきと考えられ、・・・」と。
かつて行政不服審査法に基づき沖縄防衛局が辺野古漁港で生物調査をしようとして名護市に不許可となり、これに対して農水大臣に審査請求をしたケースがあるが、結論は出なかった。国が行政不服審査を申し立てるということはこれまでほとんどなかったと言っていいだろう。それよりも、なによりも、この法律の目的は国民の権利利益の救済であって、国と地方公共団体とのトラブルについて、国が審査請求をするというのはやはり異様である。
この問題では、3月30日の参議院予算委員会における福島みずほ議員(社民党)の質疑が注目される。
〇福島みずほ君:行政不服審査は広く国民を対象としているもので、国は申請人としての性質を持たないと考えるが、総理。
〇中谷元防衛大臣:沖縄県の漁業調整規則では、岩礁破砕等を行うにあたり、国が事業者である場合も県知事の認可が必要であり、私人が事業者である場合と変わりが無いために、国に申立の適格があるものと認められた。
〇福島君:…辺野古の問題で、農水大臣が今日決定を出したことについて説明をお願いします。
○国務大臣(林芳正君):沖縄防衛局長からの審査請求、それから指示の執行停止の申立てにつきましては、行政不服審査法に基づいて、まず沖縄県に対して弁明書、これは審査請求に対してですが、それから意見書、執行停止の申立てに対して、それぞれ提出を求めておりましたが、3月27日に沖縄県から農林水産省に対して執行停止の申立てに対する意見書の提出がございました。
本件の審査庁である農林水産省として、行政不服審査法の規定に基づいて、沖縄防衛局及び沖縄県から提出された書面の内容を十分検討しまして、本日付けで、沖縄県知事から沖縄防衛局長にした指示について、裁決があるまでの間、その効力を停止することとしたものでございます。
○福島君:行政不服審査は広く国民を対象としているもので、国は申請人としての性質を持たないと考えますが、総理、いかがですか。
〇国務大臣(中谷君):沖縄県の漁業調整規則では、岩礁破砕等を行うに当たり必要な沖縄県知事の許可については、国が事業者である場合を除外しておりません。国が事業者である場合も県知事の認可が必要であり、私人が事業者である場合と変わりがないために、国に申立人としての適格が認められたものであると承知をいたしております。
○福島君:どこが私人なんですか。公権力中の公権力じゃないですか。
○国務大臣(中谷君):この工事に伴いまして岩礁破砕等を行うに当たりまして必要な沖縄県知事の許可については、国が事業者である場合を除外しておらず、県知事の許可が必要でありまして、私人が事業者である場合と変わりがないために、国に申立人としての適格が認められたものと承知をいたしております。
○福島君 原告と裁判長が一緒なんですよ。…今まで行政不服審査法を使った例がありますか。
○国務大臣(中谷元君:急なお尋ねでございますので、調べてまいります。
○福島君:質問通告していなくて済みませんが、名護市が環境現況調査を許可しなかったということについて行政不服審査法を使った例が一度だけあるんですが、これは結論が出ていません。出ていないんですよ。今日の農水大臣のこれが初めてなんですね。これはなぜかというと、やっぱり行政不服審査法は、行政法の通説は、国や公共団体はこの行政不服審査法に基づく不服申立てをすることはできないと考えられてきた。今まで、もし私人と同じ行為だったらできるよと言ったらたくさんできたかもしれないが、違うんですよ。裁判官と原告を同じにしてはいけない。だから、今日こういう結論が出したことは、そもそも行政不服審査法として適当、妥当ではないというふうに思います。
一方的で演説調の国会質問に辟易するなかで、この質疑は論点が次第に明確になっていくよい例と言えよう。少なくとも国の機関が、国の機関に審査請求をする本件のような場合には、「裁判官と原告を同じにしてはいけない」という上記の指摘も有効だろう。かりに審査請求が認められるにしても、取り返しのつかない自然破壊の発生可能性を指摘しての県知事の指示である以上、まずは工事中止の指示を認めたうえで、審査請求の内容を、まさしく「粛々と」審査をするのが農水大臣のとるべき対応であった。それを、通常(国民からの申立て)であれば、「行政執行の停滞を招く」として執行停止を認めることがきわめて稀であるこの国の不服審査実務とは異なり、「行政執行の実務の停滞を招く」というまさにその同じ理由で、国からの申立てには間髪をいれずに執行停止を行った農水大臣の本件行為は異常であり、ここにも本線を逆走する「幽霊ドライバー」が登場したと言えるだろう。
最後に、名護市在住の芥川賞作家・目取真俊氏の言葉を引用する。
「私たち名護市民は去年、1月の市長選から衆院選まで5回も選挙をしました。全部、辺野古への移設反対派が勝っている。知事選で『断固阻止』を掲げた翁長雄志氏を圧勝させたのが、沖縄の民意なんです」と述べ、「ヤマトゥ〔本土〕離れの意識が、この2~3年で急速に広がっています。もっと自治権を高めていかないと二進も三進もいかない、という自立に向けた大きなうねりが、いま沖縄で起きている。辺野古の海の抗議活動は、この地殻変動の一つの表れなんです」と指摘する。そしていう。「安倍晋三首相が沖縄県民の代表である翁長知事に会うことすら拒んでいるのは、権力による形を変えた暴力です。暴力が横行する事態を避けるため築いてきた民主主義というルールを、いま政権が自らの手で壊している。そして、憎悪と怒りを沖縄じゅうにばらまいています」(インタビュー「対立の海で」『朝日新聞』2015年3月13日付オピニオン)。
安倍晋三とそのご一党(自民党とイコールではない)の「幽霊ドライバー」たちを、政府という車の運転席にいつまで座らせておくのだろうか。統一地方選挙における「ねじれ」の垂直方向での創出が運転手交代への重要な一歩となるだろう。