「新要件」から「新事態」?――箍が外れた安保法制論議(3)            2015年4月20日

馬券術集団的自衛権

ま、世間では集団的自衛権についてどんな本が出ているか。書店探訪のつもりで比較的大きな書店にいって、その棚にあった「集団的自衛権」関係のものを6冊引き抜いて、目次も見ないでカウンターに持っていった。帰宅後、書店の手提げ袋から出してみてびっくり。そのなかの1冊に「エエーッ!」というのが含まれていたからだ。樋野竜司『馬券術 政治騎手 名鑑2015 集団的自衛権』(KKベストセラーズ、2014年)。店員が人文・社会系の棚に間違えて配本したものだろうが、背表紙だけで即断した私がいけなかった。

東京競馬場の近くで生まれ育ち、親戚は競馬場の獣医である。4代目を継ぐと中学生のときに曾祖父に約束したが、いろいろあって獣医にならなかった。競馬場が身近にありながら、この62年間、開催日に競馬場に入ることも、馬券を買ったこともない。その私が「馬券術」に関する本を買うはめになった。まるでジョークだが、書店に返品せずに、この勘違いするようなタイトルの本を観察してみた。

まず帯を見る。「海外+地方の脅威からこの国の競馬を徹底的に守ります!」とある。裏表紙には「集団的自衛権」の定義が書いてある。「仲間(身内)が攻撃された場合、それを助けるために武力を行使すること。日本国憲法では『個別的自衛権』(自分が攻撃された場合のみ武力を行使できる権利)は認められているが、『集団的自衛権』の行使は困難という見方が大勢を占めていたが、今回の与党案では『憲法解釈』の変更によって、その行使を条件付きで可能としている。本書では、ともすれば閉鎖的な競馬界で、集団で利権を守るという意味で使っている」と。そして最後に小さく、「レースを支配しているのは『政治力』である。どんな騎手も『政治力』から逃れられない」とある。

なかを開くと、「利害が一致するお上(霞が関の役人)と各産業界のボスたちが、『集団的自衛権』を行使して自分たちの利権をガッチリ死守している」(7頁)、「既得権益を握っているベテラン選手が、集団的自衛権を発動し、若い芽を摘み取る。本来、自由であるべきレースに、暗黙のルールという規制をかけ若手をがんじがらめに縛っている」(202頁)といった叙述が続く。よくぞここまでこじつけて、よくぞここまで紛らわしいタイトルを付けたものだと感心した。買ってよかったとは決して思わないが、競馬の世界における「政治」の意味だけでなく、集団的自衛権を「集団で利権を守る」と定義している点は鋭いと思った。

イラク戦争の号外

3月20日、イラク戦争開戦から12年の日、自民党と公明党が安保法制について合意した。この日付をしっかり覚えておこう。そして公明党が、昨年、「7.1閣議決定」に向けた自公協議の早い段階で合意していたという「裏切り」を含めて、しっかり記憶にとどめておくべきである(直言「公明党の転進を問う」)。

その3月20日の合意文書によれば、自衛隊の海外活動参加にあたり、公明党が求めていたのは、①活動が国際法上の正当性を有すること、②国会の関与等の民主的統制が確保されること、③隊員の安全確保のための必要な措置を定めることの3点で、これが「原則」として確認されたという。その上で、(1)武力攻撃に至らない侵害への対処(「グレーゾーン事態」)、(2)我が国の平和と安全に資する活動を行う他国軍隊に対する支援活動、(3)国際社会の平和と安全への一層の貢献、(4)憲法9条の下で許容される自衛の措置、(5)邦人救出などその他関連する法改正事項、の5点が各論として列挙されている。公明党は、「7.1閣議決定」の「新三要件」で武力行使が可能となる「新事態」を、武力攻撃事態対処法に書き込むことについて合意。周辺事態法を改正して、「周辺事態」という概念を削除し、地理的制限をなくして、わが国の平和と安全に重要な影響を与える「重要影響事態」を新設することにも合意した。

4月14日、自民・公明の与党協議が再開された。政府が示した安保法制の骨子は、武力攻撃事態対処法に「存立危機事態」を置いて、集団的自衛権の行使について定めるとともに、周辺事態法を「重要影響事態安全確保法」に改正し、さらに「国際平和支援法」(恒久法)で他国軍への「後方支援」を「国際平和共同対処事態」とするものである(『信濃毎日新聞』4月18日付5面)。

この協議のなかで、公明党は、集団的自衛権行使の条件として、関連法案に「他に適当な手段がない」という一文を設けるように主張したという。「公明、『歯止め』譲らず」(『朝日新聞』4月17日付)。いかにも公明党はがんばっているように見える。だが、その文言を加えても何ら「歯止め」にはならない。公明党も認めた「新三要件」、その第一要件は、日本と密接な関係にあるが攻撃を受けた際、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合に武力行使できるというものである。これはもはや「自衛」ではなく、「他衛」なのである。これを「存立危機武力攻撃」という形で武力攻撃事態対処法に書き込むならば、この法律の質的な転換が起きることになる。そのような「新三要件」を認めておいて、いまさら「他に適当な手段がない」の文言を入れるなど、まるで巨大ダムを決壊させると決めておいて、川下に小さな堤防を造るようなもので、ダム決壊という狼藉を正当化するものでしかないだろう。

思えば13年前、武力攻撃事態対処法の制定過程で、法案のタイトルがなかなか決まらなかった。2002年4月初旬の段階で「平和安全確保法」という案も出ていた(直言「有事思考を超えて」)。当時、朝日新聞のインタビュー(私の有事法制論 国会審議を前に)で、私は次のように指摘した(『朝日新聞』2002年4月18日付政治面)。

「冷戦下では、ソ連の侵攻が想定されていたが、今は米国の介入の結果、日本が巻き込まれる形で攻撃を受ける可能性の方が高い。『防衛型』有事法制から『介入型』有事法制への転換とも言える。米軍が『ならず者国家』や『悪の枢軸』を攻撃し、日本が後方支援すれば、当然反撃を受ける」と。

当時は、1954年政府解釈の「我が国に対する武力攻撃の発生」という第一要件が軸にあり、「他国」に対するそれを含めることはできなかった。その3年前に制定された「周辺事態法」の「周辺」概念も曖昧さを含み、政府は「事態の性質に着目したもので、地理的概念ではない」としていたが、さすがに「中東やインド洋は想定されない」と小渕恵三首相(当時)も答弁した。周辺事態法もまた、「我が国に対する武力攻撃の発生」を軸足にしていたからである。

さて、今度の与党協議では、公明党は「周辺事態」を削除して、「重要影響事態」にすることを認めてしまった。周辺事態法でもなお維持されていた「我が国に対する武力攻撃の発生」という縛りが完全に外され、政府が「重要な影響」があると判断すれば、「後方支援」と称して自衛隊を地球上のどこにでも派遣することができるようになった。かつて私が指摘したように、「有事法制」の「介入型」の完成である。

さらに、他国の軍隊に対して「後方支援」をできるようにする法律の名称が「国際平和支援法」、それに基づく事態が「国際平和共同対処事態」とは恐れ入る。13年前の「平和安全確保法」と同様、「平和」という美しい言葉と、「後方支援」という、武力行使とは距離感をかもしだす言葉が使われているが、数時間前まで戦闘が行われていたところにまで自衛隊員を投入することが可能になる。「戦死者」が出ることは避けられない

献灯

それにしても、「存立危機事態」だの「重要影響事態」だの「国際平和共同対処事態」だのと、国民もメディアもなめられたものである。1928年のパリ不戦条約によって戦争は違法化された。「戦争」はできないから、かつてはこれを「事変」と言い換えて、中国に対する侵略戦争がまずは東北部(満州)から始まった。国民を違和感なく戦争に引き込むには、邦人保護は特に有効である。上海事変はそれで始まった(軍派遣を求めるメディアの熱狂ぶりを示す資料があるので、いずれ「歴史グッズの話」あたりで紹介しよう)。

軍艦外務令

海軍大臣官房編『軍艦外務令解説』(昭和13年発行)によれば、「指揮官ハ帝国臣民ノ生命自由又ハ財産ニ非常ノ危害ヲ被ラムトシ其ノ国ノ政府之カ保護ノ任ヲ尽サス且我兵力ヲ用フル外兵力ヲ用フルコトヲ得」として、「昭和六年、満州事変及上海事変ニ於テハ、帝国ハ其ノ権益擁護及在留民保護ノ為、支那国内ニ於テ其ノ機関タル軍隊ニ対シ、自衛行為ヲ発動シタリ」(335頁)としている。「我が国に対する武力攻撃の発生」という明確で、外形的な要件は、武力行使のハードルとしては存外有効だった。領土、領海、領空に対する物理的な侵攻という外形的事実は濫用を防ぐ役回りを演じていたともいえる。自国は何も攻められていないのに、「存立危機事態」、「重要影響事態」といった、恥ずかしくなるような概念を捻出してまで、自衛隊を海外で武力行使できるようにする人々の発想は、旧帝国海軍の『軍艦外務令』のそれに限りなく接近している。公明党は4月14日からの与党協議で、「他に適当な手段がない」という文言にこだわったが、実は旧軍の『軍艦外務令』にも「他ニ保護ノ途ナキトキニ限リ」とあり、これが「事変」の連鎖の「歯止め」にならなかったことは歴史が証明していることである。

最後に「後方支援」だから大丈夫だろうという見方について一言。「後方」とは前線部隊に対して物理的・距離的に後ろの方という意味ではない。「後方支援」の本質は兵站支援にほかならず、燃料や弾薬、食料などを担う兵站は、戦闘部隊の武力行使と一体不可分である。敵対関係にある相手方は、米軍の補給部隊である自衛隊を攻撃し、米軍の補給路を絶つ戦法をとるのが自然だろう。80年代のアフガン戦争では、旧ソ連軍の後方支援・補給部隊からたくさんの戦死者が出た。「後方」などという言葉に惑わされてはならない。

ついでに述べておけば、「7.1閣議決定」について、「集団的自衛権と個別的自衛権とが重なり合っている部分を、新たに当てはめて、武力を行使できることを確認しただけだ」という木村草太氏佐藤優氏の主張は誤りである。この点は、直言「『7.1閣議決定』をめぐる楽観論、過小評価論の危うさ」をお読みいただきたいと思う。なお、4月28日発売の拙著『ライブ講義 徹底分析 集団的自衛権』(岩波書店)68、73、75、81-82頁でも詳しく批判しているので参照されたい)。

いま、この国は、有権者のわずか24.7%(絶対得票率)の支持で誕生した「第三次安倍内閣」という「幽霊ドライバー」(Geisterfahrer)によって操縦され、右側に極端にはみ出して逆走している。日米の「安保マフィア」、「各産業界のボスたち」が「集団で利権を守る」ために。


《付記》
文中の献灯の写真は、愛知県知多郡の神社にある。研究室の大学院生が撮影したものである。

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