全国憲法研究会代表として、5月3日の憲法記念講演会(立教大学)、を主催し、5月9日の春季研究集会(東京大学)と「創立50周年記念行事」(同)を成功させるべく、目下多忙をきわめているため、米議会における安倍首相の「ともに血を流す関係」の演説、日米新ガイドライン、安保法制など論ずべき問題がたくさんあるが、今回はストック原稿をアップすることをお許しいただきたい。なお、この写真は、『日本経済新聞』5月2日付第2社会面の「戦後70年 憲法と私たち(下)」(紙面写真)で紹介された私の講義風景である。
ちょうど1年前。2014年4月24日11時32分。次のつぶやきがネット上に流れた。「法学A ツイ廃どもが 夢のあと」。続けて同37分には「法学A ツイ廃どもが 夢のあと 六法忘れて 途方にくれる」と続いた。これは当日2限(10時40分~12時10分)の政経学部の教養科目「法学A」の講義の時間中に、全世界に向けて発信された学生の「叫び」である。400人の学生が手元で何を操作していても、10号館109教室では、教壇からは何も見えない(なお、この4月から新築の3号館501教室にかわったので、教壇からの風景は一変。学生の表情や反応、動き〔スマホ、居眠りなど〕もよく見えるようになった)。
昨年のその日の講義では、「法と道徳」というテーマの導入として、軽犯罪法を細かく読んだ。六法を用意しておくようにと事前に予告してあったので、たいていの学生は持参していた。軽犯罪法1条の第1号から第34号まで(21号〔動物の虐待等〕は削除)を読んでいく。第4号「生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの」とか、第22号「こじきをし、又はこじきをさせた者」等々、エッというような条文もある。そこから、法と道徳とはどう違うのかという話に展開していくのだが、六法を持っていないとこの日の授業はお手上げにある。おそらく冒頭の学生は、ツイッター(Twitter)にハマっていたため六法を忘れ、授業で孤独感を味わい、スマホを操作して全世界に向かって嘆いたのだろう。発信時間から、ちょうど六法を使って話を進めていたときにあたるからである。
ところで、この件で初めて、「ツイ廃」という言葉を知った。「ツイッター廃人」の略で、「Twitterに没頭するあまり、日常生活に支障を来すユーザーのこと」という意味らしい。私は旧型の携帯電話(使用者は減っており、ガラケーとも呼ばれる)を使っており、スマホやツイッターはおろか、ブログもやらない(「雑談(70)ブログをやらないわけ」>)。その意味では、「時代遅れ」のアナログ人間かもしれない。
「ツイ廃」や「スマホ依存症」というのは、かつてのテレビ漬けと同様、どの時代、どんなツール(道具)について起こりうることである。33年前から学部の1年生を相手にしてきて、毎年痛感することがある。それは、文章能力の低下と文章量の減少である。近年は、スマホでのやりとりが普通になって、パソコンのメールをやりとりすることが減っていることもあろう。大講義で、参考文献などの「書評レポート」を出すようにいうと、任意ということもあり、提出者は4割くらいである。原稿用紙に手書きのレポートしか受理しないとやった年もあったが、ネットで「コピペ」したものを原稿用紙に書き移すだけのもけっこうあって、「手書き」の原則化もやめた。「書く」という営みが急速に退化している。過度のデジタル化は、受け身で従順で消極的で、なりゆきまかせの人間を増殖させていくと5年前に指摘した(直言「雑談(81)新三猿――読まざる、書かざる、考えざる」)。スマホへの過度の依存が、緩慢なる思考力の低下、スマートなアホ化(略して「スマホ化」)を生んでいるのではないか、と2年前に指摘したが(直言「雑談(101)緩慢なる思考力の低下」)、近年この現象に拍車がかかっているようである。だから、信州大学の学長が入学式挨拶で述べた「スマホやめますか。それとも信大生やめますか」というやや極端な言葉も、言いたいことの基本については理解できるのである。
「twitter」は「さえずり」「無駄話」「なじる人」といった意味があり、「つぶやき」という言い方をされることが多い。140字の世界。熟議ではなく、瞬時に決まる「即議」の世界である。140字のため、いきおい、印象的で瞬間的で、表面的な判断が先行する。語尾がいいかげんになり、およそ公共空間において、公的な事柄について発言する際には使わないような物言いになる。「じゃないの」「だよね」「~かな」等々。これは親しい間の親密な会話では使われても、公的な問題について、公的な場で用いる言葉づかいではない。
NHKのニュース番組のなかで、ツイッターの活用をウリにしているのが、News Web(ニュース・ウェブ)(平日23時30~24時)である。「ナビゲーター」は全員若い。私のような「前期高齢者」目前の、「高年齢者」(高年齢者雇用安定法にいう55歳以上)は、ニュース画面が変わるたびに、「かわいそうだよねー」「だから、少年法は変えないといけないんじゃない?」のような無責任な言葉の垂れ流しに耐えられない。
頭に浮かんだことが漏れだしたものが「つぶやき」であって、思考を経由した意見とは言えないものも少なくない。感情的反応、生理的不快感の表明、単純な反発などが理性のフィルターを通過しないで出てきたものがネット空間にあふれている。それを過度に評価して、「こういうツイートがありましたが…」などと、メールやファックスで送られた意見と同じように取り上げていいのだろうか。帰宅が遅くなり、他のニュース番組を見損なったときだけ、この番組にチャンネルを合わせる(古い表現だ)。でも、たいがい途中で切ってしまう。下の方に出てくる「ツイート」が目障りだからだ。
近年、このツイッターなるものを使う政治家が増えている。ちょっと古い数字だが、「Twitter日本「政治家・議員」フォロワー数ランキング 1-50位」というのがある。そのURLの末尾はpolitician(政治屋)であって、statesman(政治家)ではない。上位に並ぶ顔ぶれをみると、politician性が納得できる。政治家のツイッター利用が爆発的に広がっているが、これで日本の政治がよくなったとか、政治家やその活動にプラスに働いているかと言えば、私は悲観的である。確かに、自らの政治活動を多方面に、瞬時に知らせたり、情報を短時間で広めていくのには適している。だが、他方で、本音丸出しの荒れた言葉で、ことさらに問題を単純化して発信するため、その人の思考や意見が十分に展開されない段階で、140字に対して瞬間的な反応・反発が引き起こされ、それが連鎖していく。こじれたときは、汚い言葉の応酬が続くことになる。
一般に政治家の質が低下していると指摘されて久しいが、議員たちの「ツイート」をみると、その憂いはさらに深刻度を増す。こんな「つぶやき」をする時間があったら、資料や議事録などにしっかり目を通して勉強すべきだろう。参議院議員と知事の被選挙権が30歳以上になっているのは、ある程度年齢の高い、熟慮と熟議のできる人材が期待されてのことである。だが、近年は本当に30歳そこそこの議員も増えている。彼らはとにかく勉強が足りない。ツイッターに「〇〇委員会なう」などと書き込む感覚では、閣僚や官僚に対して緊張感あふれる追及・質問など期待すべくもない。
議員のレベルを久々に実体験したのが、この3月の参議院憲法審査会だった。参議院の憲法調査会の方に参考人招致されてから12年がたち、議員の顔ぶれは一変した。久しぶりに参議院議員たちと議論してみて、ずいぶん様変わりしたと感じた。表面的には、私より年輩の議員は数えるほどしかいなくなった。それだけ私も年をとったということだが、それだけではない。あまりに若く、未熟で、社会での経験(苦労)がないまま議員になったため(その典型はいまの首相)、政治家から質問をされたという感覚が残らなかったのである。私と意見が違う学生たちの方がはるかにまともな質問や批判をするのに、と思った。
そうしたなかで、ツイッターで調子にのって転んだ一例。2015年1月、IS(「イスラム国」)に日本人2人が人質にされ、殺害された事件があったが、若い衆議院議員がツイッターで安倍政権の対応を批判。「安倍政権の存続こそ、言語道断」とやって、「テロリストへの批判はないのか」などの非難が殺到して「炎上」した。だが、この議員。党の最高幹部にたしなめられるや(それもツイッターで)、自らのツイートを削除して謝罪した。「今の時期に昨日のようなツイートは不適切だと考え削除しました。 お詫びいたします」(2015年1月25日16時51分)。その程度の批判で削除するくらいなら、最初からつぶやくな、と言いたい。何よりも、「今の時期に」という言葉が気になる。内容は不適切のはずもない。安倍政権を激しく批判している議員なのだから、安倍政権「言語道断」と言っても当然だろう。それなのに、「時局がら控えます」という感覚で、ツイート削除をするとは、政治家としての信念が問われる。「お詫びいたします」とは、誰に対するお詫びなのか。まさか安倍首相に対してではないだろう。意味不明である。ツイッターで発信する前に、議員としてしっかり勉強して、やるべきことに全力をあげるべきだろう。
その安倍首相もスマホやツイッターにはまっているようだ。アメリカ滞在中にもかかわらず、頻繁にツイートしている。4月29日21時9分には、「米国の上下両院合同会議で、日本の総理として初めての演説を行いました。日米同盟は、「希望の同盟」であると強く訴えました。何度も拍手とスタンディング・オベーションをいただきました」と悦にいった書き込みをしている。
だが、普通に考えて、これを首相本人がいつもやっているとは思えない。先週、その楽屋裏が思わぬところでバレてしまった。首相の「影武者」ならぬ影の書き込み人の一人は、山本一太参議院議員だった。首相が「爆睡」したのかと思ったら、山本議員の顔が入ってしまった。あわてて山本議員が自分の名前でツイートしたが、これが本当のあとの祭り。さんざんからかわれている。事実上の首相官邸機関紙『産経新聞』は、早速これを記事にして、第2次安倍内閣でIT担当相を務めた山本氏は現在、自民党総裁でもある首相の「総裁ネット戦略アドバイザー」の肩書を持ち、「…本人がツイートする時間がなかなか取れないので、総理の要請でネット戦略アドバイザーの自分が代わりに総理の言葉を投稿している」と弁解させている(『産経新聞』2015年5月2日付)。
一国の首相が集団的自衛権に批判的な世論調査の結果を無視し(NHK5月1日ニュース7。水島のコメント付き)、沖縄の民意も無視して、47万人の「フォロワー」や「いいね」をしてくれるネット上の仮想支援者たちを拠り所に動いているとしたら、この国の民主主義にとってきわめて深刻な問題であろう。