緊急直言 「先制攻撃」と「先に攻撃」を区別せよ――参議院でのかみ合った審議のために            2015年7月30日

集団的自衛権行使の結果

議院で安保関連法案が強行採決されてから、国会周辺のデモはさらに高まりをみせている。明日、7月31日19時30分過ぎから、私も国会前でスピーチすることになっている(チラシPDFファイル)。安保関連法案については、9割の憲法・行政法研究者が「違憲・違憲の疑い」を指摘し、8割の国民が政府の説明に納得せず、6割近くが法案の今国会での成立に反対している(各社世論調査)。27日の参議院での審議は、民主党・北澤俊美氏の代表質問からして、明らかに空気が一変した。「法案は違憲」が軸となって、野党の攻めの姿勢が明確になってきた。潮目が変わった。その背景には、国民が法案の危険性を理解してきたことが大きい。国民がさらにこの法案の危険性について理解を深めるためにも、参議院での緻密な審議が重要なのである。

そうしたなか、集団的自衛権の行使は「先制攻撃」ではないか、という論点について、国会での審議やネット上で議論が紛糾している。北朝鮮から攻撃を受けた米国を「助けるため」、自衛隊が集団的自衛権を行使して北朝鮮を攻撃すれば、日本を攻撃していない北朝鮮からみれば、日本から「先に攻撃を受けた」ことになるので、怒りに燃えて日本に報復攻撃を加えてくるだろう。このことは、拙著『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』で詳細に論じたところである。岩波書店のウェブページで「立ち読み」(PDFファイル)ができるので、ご覧いただきたい。

この論点については、私が『世界』2014年5月号で初めて指摘し、冒頭の図を私のホームページの「直言」や、『世界』同年7月号、『集団的自衛権の何が問題か』所収の拙稿で発表してきた。2014年4月の『世界』5月号発売以後、私の指摘をもとに国会で質疑が行われるなど、この問題意識はかなり「拡散」し、「常識」になっていったと思う。この論点を初めて取り上げた「本家」からすれば、この間の集団的自衛権「先制攻撃」論とそれに対する政府の答弁には看過しがたい問題が含まれている。そこで、「緊急直言」を出すこととした。参議院でのかみ合った審議の一助にしていただきたい。

さて、7月29日の参議院平和安全法制特別委員会で、集団的自衛権の行使が先制攻撃とみなされる可能性がないかと質問した公明党の西田実仁参議院議員に対し、岸田文雄外相は次のように答弁した。

国連憲章におきまして自衛権が認められているのは、武力攻撃が発生した場合に限られています。したがって、このいわゆる先制攻撃のように、何ら武力攻撃が発生していないにもかかわらず、我が国が自衛権を援用して武力を行使すること、これは国際法上合法と言えません。一方、この集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利とされています。ここにおいては、他国に対する武力攻撃の発生、これは大前提であります。この集団的自衛権は、国連憲章上、加盟国に認められた固有の権利です。この個別的自衛権、さらには国連憲章第七章における集団的安全保障とあわせて、武力の行使の違法性を阻却するものとして認められております。ですから、国際法上合法といえない先制攻撃と集団的自衛権、これは全く異なるものであります。そして、昨日の議論で、この二つ、先制攻撃と見えるのではないかと、これは混同される可能性がある、こういった指摘がありましたが、これは、集団的自衛権を行使しますと、その後、国連に対しまして、国連の安保理に対しまして、しっかりと報告をしなければなりません。これは内容をしっかりと説明する義務が生じるわけです。また、今回、限定された集団的自衛権の行使を新三要件に基づいて行使するということにつきましても、国内法において、しっかりと対処基本方針を策定して、国会に承認を求める、こういった手続もあります。これは混同されることはないと考えております。

まず指摘したいことは、法律論と事実論を厳密に区別しなければならないということである。結論から先にいうと、この岸田答弁は、法律論としては一応筋が通っている。だが、法律論としては、集団的自衛権の行使は「先制攻撃」(これは法律用語である。)ではないが、軍事の事実論、現実論としては、集団的自衛権の行使は日本が武力攻撃を受けていないのに「敵国」を日本が「先に攻撃する」ものである。法律用語としての「先制攻撃」と区別するために、「先に攻撃する」と表現すべきである。この点、私は2015年6月2日の緊急直言「集団的自衛権行使の条文化――徹底分析!「平和安全法制整備法案」(その2)」で、野党の国会議員に向けて、次のように提言していた。以下、少々長いが、国会審議を正確に理解するために引用する。

・・・私は拙著『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』93頁・94頁で、「北朝鮮から攻撃を受けた米国を「助けるため」、自衛隊が集団的自衛権を行使して北朝鮮を攻撃すれば、北朝鮮から見れば攻撃していない日本から「先に攻撃を受けた」ことになりますから、日本は国土を含め、北朝鮮の報復攻撃を受けることを覚悟しなければなりません」と指摘した。

驚いたことに、安倍首相は、事実上、この私の指摘と同じことを答弁で述べた。「外形的に他国が攻撃を受け、それを防御する場合には、これは間違いなく、集団的自衛権になるわけでありまして、それを個別的自衛権と言い張ることは、結局かえって、ではそれは先制攻撃をしているのかという批判すら浴びかねないわけでありまして、つまりこれは国際的に認められている集団的自衛権であるという整理をするのが、これが当然のことであろうとこのように思います。」(2015年5月27日 衆院平和安全特別委員会)と。

結局、日本に対する武力攻撃をしていない「敵国」からみれば、日本がその武力行使を集団的自衛権の行使と呼ぼうが、「先制攻撃」と呼ぼうが、日本が先に攻撃をしてくることには変わりがないわけである。安倍首相は、日本に対する武力攻撃がない以上、日本の武力行使を国際法上正当化するためには集団的自衛権と整理せざるをえないだろうと言っているのであるが、いずれにせよ、日本が先に攻撃をすることには変わらないわけであり、図らずも安倍首相は日本が先に攻撃することになることを認めたわけである。

なお、今後の国会審議のために一言述べておくと、「先制攻撃」と「先に攻撃」は法的な意味が違う。政府を追及しようとする野党議員は不用意に「先制攻撃」と言ってはならない。例えば、次のような国会でのやりとりがある。

2014年6月6日 衆議院安全保障委員会

○辻元委員 法制局長官にお聞きしますが、ということは、日本が自分の国が攻められていないけれども武力行使をした場合、相手国から見た場合、これは、日本から先制攻撃を受けた、またはその国と交戦状態になる可能性があるという理解でいいですか。
○横畠政府特別補佐人 先制攻撃という御指摘は当たらないと存じますが、国と国の関係におきまして、いわゆる戦時の国際法というものが適用される関係になるのではないかと理解しております。

ここは法制局長官答弁が正しい。直言でも『ライブ講義』でも、私は「先制攻撃」という言葉を慎重に避け、「先に攻撃してきた」(『ライブ講義』91頁)、「先に攻撃を受けた」(『ライブ講義』94頁)と表現している。国際法上その合法性が疑われている「先制攻撃」と国際法上合法な「集団的自衛権」は異なるので、不用意に「先制攻撃」と言ってはならない。かみ合った審議をするためには、「先に攻撃」と言えばよいのである。議員は今後、この点に注意して政府を追及してほしいと思う。・・・

お読みいただいたように、「国際法上その合法性が疑われている「先制攻撃」と国際法上合法な「集団的自衛権」は異なる」という私の指摘と、先に挙げた「国際法上合法といえない先制攻撃と集団的自衛権、これは全く異なるものであります」という岸田外相の答弁は全く同じである。「先制攻撃」という言葉は、日常用語でもあり、法律用語でもある。安倍内閣は、野党議員が日常用語の「先制攻撃」のつもりで質問をしても、必ず法律用語としての「先制攻撃」で返してくる。これでは永久に議論がかみ合わず、安倍内閣に逃げ道を与えることになる。安倍内閣を追い詰めるため、必ず「先に攻撃」という言葉を使って質問をすべきである。

さらに、「攻撃の意思がない場合でも、私たちの自衛隊は、攻撃をしてきていない国に対して、新三要件が当てはまれば攻撃できる可能性を排除しないんですか。」との民主党の寺田学衆議院議員の質問に対し、中谷防衛大臣は「排除しません」と明言した。集団的自衛権の行使である以上、「敵国」に日本攻撃の意図があることを要しないのは当然である。だからこそ、集団的自衛権行使を認めることは極めて危険なのである。日本を攻撃する意図のない「敵国」からすれば、いきなり日本から武力攻撃を仕掛けられるわけである。「先に攻撃」以外の何物でもない。「敵国」にしてみればたまったものではない。これが果たして「専守防衛」なのか。6月1日の質疑からみてみよう。

2015年6月1日 衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会

○安倍内閣総理大臣 これは、先ほど三要件について中谷大臣から答弁をさせていただきましたが、三要件目の、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由そして幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険、明白な危険とは何かといえば、それはすなわち、その状況のもと、武力を用いた対処を行わなければ、我が国が武力攻撃を受けた場合と同じ、同様、そして深刻な被害が及ぶことが明らかな状況。そういう状況をどうやって判断するかということで、寺田委員も例として出されたわけでありますが、それはまさに、攻撃国の意思もあれば能力もあるわけでありまして、また、発生場所やその規模や態様、推移などを総合的に勘案するわけであります。
 その総合的に勘案する中において、当該国が日本に対しては攻撃する意思はありませんよと言っている、しかし、その場所、能力、その状況から見て、そうでもないかもしれない、そういう推測も十分あり得るわけでありますから、これは単純に見ることはできないわけでありまして、総合的に判断していくということは、私は当然のことではないかと思います。
○寺田(学)委員 政府御自身が御答弁されている中で、単なる主観的な判断や推測等ではなく、客観的かつ合理的に疑いなく認められるという条件をつけられているので、主に攻撃国の意思があるかないか、そのことは非常にデジタルに考えられると思います。
 中谷大臣にお伺いしたいんです。攻撃の意思がない場合でも、私たちの自衛隊は、攻撃をしてきていない国に対して、新三要件が当てはまれば攻撃できる可能性を排除しないんですか。そこは、排除するなら、それは認めないと言ってください。もし排除できないのなら、排除できない理由を述べてください。
○中谷国務大臣 排除しません。わからない場合もあります。
 攻撃国の意思、能力、こういうことを総合的に判断しますが、あくまでも我が国の存立にかかわる事態でございますので、そのために、我が国と密接な国に対する攻撃が発生したという場合で判断をいたします。
○寺田(学)委員 排除しなかったということは、その国が我が国に対して攻撃の意思がない場合においても、法理上可能だということの御答弁でした。

次に、集団的自衛権を行使した結果である報復攻撃についてみておこう。拙稿『ライブ講義』91頁から93頁までを引用する。冒頭の絵をもう一度見てからお読みいただきたい。なお、この絵は『ライブ講義』92頁に、より精密な形にリライトして収録してあるのでご覧いただければと思う。

・・・パネルには、朝鮮半島周辺と思われる海域を航行している米輸送艦(軍艦)が描かれており、赤ん坊を抱く不安顔の母親の図が不自然に大きく強調されています。安倍首相は、他国から攻撃を受けている「まさに紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子供たちかもしれない。彼らが乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない。」と熱弁をふるいました。安倍首相は、「七・一閣議決定」後の記者会見でも、またこのパネルを使い回しました。

では、安倍首相のこの想定において、集団的自衛権行使はどのような「結果」をもたらすでしょうか。次の図をよくみてください(本直言の冒頭の絵参照)。

大前提として、米輸送艦を攻撃している国(仮にA国とします。)は日本に対して武力攻撃をしていないことを確認してください。①米輸送艦がA国に攻撃され、②自衛隊が攻撃国であるA国に対して、集団的自衛権の行使として反撃すれば、日本を攻撃していないA国にとっては先に攻撃をしてきたのは日本ですから、③A国は自衛隊=日本に反撃あるいは報復攻撃し、その後は日本とA国との間の武力衝突に発展します。

日本が集団的自衛権を行使すると報復攻撃を受けるという展開は、1954年6月3日の衆議院外務委員会で下田外務省条約局長が次のように認めています。

「現憲法のもとにおいては、集団的自衛ということはなし得ない。国際法上、たとえば隣の国が攻撃された場合に自国が立つ、そうすると攻撃国側は、何だ、おれはお前の国を攻撃してわけじやない、なぜ立つて来るかといつて、これは国際法上、攻撃国側から抗議あるいは報復的の措置に出られてもいたし方のない問題でありまして・・・」

しかし、安倍首相は集団的自衛権を行使した「後」のことについてまったく言及していません。彼はその「後」に起こる戦争について覚悟しているのでしょうか。日本が攻撃すれば、それこそ「子どもたち」が乗っている米艦もただではすみません。日本本土への報復攻撃も行われるでしょう。相手国の船にも被害が出る。いずれにしても、たくさんの人が死ぬのです。まっさきに攻撃の目標となり得るのは沖縄でしょう。北朝鮮の朝鮮労働党の新聞、『労働新聞』2013年3月31日は、「米帝侵略軍の前哨基地である横須賀、三沢、沖縄、グアム島はもちろん アメリカ本土もわが射程圏にある」として、米軍基地のある横須賀、三沢、沖縄を名指ししていました。

私のこの指摘を用いた衆議院議員の質問に対し、政府は次のように答弁しました。「集団的自衛権とは、国際法上、一般に、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利として現在確立されている。国際法上、一般に、違法な武力攻撃を行っている主体が、適法な集団的自衛権を行使する主体に対し、集団的自衛権を行使されたことを理由として武力を行使することを正当化することはできない。」(2014年6月27日答弁271号 対辻元清美衆議院議員)とされていますが、政府は答弁をはぐらかしています。これは、国際法上「武力を行使することを正当化することはできない」という評価で答えているだけなのであって、それでも現実には国際法を無視、あるいは独自の主張を組み立てて、集団的自衛権を行使された相手方が反撃・報復攻撃をしてくるという問題は別問題です。日本国が攻撃される危険性が高まるのではと問うた質問に対して、「問題ない、安全」とは答えていません。・・・

さらに詳しい内容は『ライブ講義』を読んでいただきたいが、ここでも、法律論と事実論を厳密に分けて議論する必要性は明らかだろう。野党議員が「先制攻撃だ」と事実論で主張しても、政府は「先制攻撃ではない」と法律論で返してくる。野党議員が「報復攻撃を受けるではないか」と事実論で主張しても、政府は「報復攻撃は国際法上正当化できない」と法律論で返してくる。法律論はある行為を法的にどう評価するかという問題である。これに対して、事実論は、事実そのままである。殺人は刑法で禁止されており、殺人罪として違法であるが、殺人をする者は事実として存在する。法律論と事実論は別である。事実論、現実論として、日本が先に攻撃をすれば、日本の攻撃を受けた「敵国」は、何らかの「理屈」をつけて、日本に対する報復攻撃をしてくる。個別的自衛権行使しか認められていなかった場合にはあり得なかった事態である。

最後に、拙著『ライブ講義』98頁を引用して終わりにしたい。この間、百地章日大教授(菅官房長官が挙げた安保関連法案を「合憲」とする3人の憲法学者のうちの1人)とNHKで2回討論した。いずれにおいても、百地氏は、米国が世界の安全保障について抑制的になっていることを指摘した上で、日本がもっと積極的に行動していく必要性を説いた。「巻き込まれる」のではなく、むしろ積極的に米国を「巻き込んでいく」という構図である。だからこそ、下記の指摘は一層リアリティを増すと思うのである。

「万一日本が攻めてしまったら」のリアリティ

集団的自衛権行使の概念について、高辻正己元内閣法制局長官は「他国に対する武力攻撃の停止を第三国に対して求める我が国の主張がその第三国に受け入れられないこと、つまり我が国とその第三国との間に国際紛争のあることが、必然の前提として存在し、したがって、集団的自衛権の行使は、そのような国際紛争を第三国の意思を圧服することによって解消させるため武力に訴えるもの、すなわち、我が国がその第三国に対して武力攻撃を仕掛けるもの、というほかはない」(内閣法制局百年史編集委員会『内閣法制局の回想』ぎょうせい、1985年)と正当に指摘しています。

そもそも、北朝鮮や中国との関係では、「もし万一攻められたらどうする…」ということばかりが語られますが、いま重要なことは「もし万一日本が攻めてしまったら」ということのリアリティでしょう。安全保障の中心は、「攻められない」ようにする条件をどう作るかにあります。安倍首相は集団的自衛権の行使が限定的だといいますが、「日本が北朝鮮を攻めてしまった結果、日本が北朝鮮に攻められてしまう」のが集団的自衛権行使の帰結です。「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」(新3要件、2限51頁)といっても、北朝鮮がアメリカに武力攻撃をしているのであって、北朝鮮が日本に武力攻撃をしているわけではありません。・・・

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