「8.14閣議決定」による歴史の上書き――戦後70年安倍談話            2015年8月17日

天皇の写真

「8.15」の70年。天皇の「おことば」は毎年恒例のもので、その内容も例年、あまり変化はなかった(257字)。ところが、今年は違った。字数にして329字。増えた70文字の内容は、正午の時報前に「戦没者を追悼し、」まで読み始めてしまうという「フライング」以上に、驚くべきものだった。最大の変化は、昨年まで、「終戦以来既に〇年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。」(81字)となっていたものが、135字に増え、下記のようになったことである。

「終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。」

「感慨」の対象は、今日の平和と繁栄が、戦争による荒廃からの復興・発展のための国民の努力によってもたらされたと同時に、「平和の存続を切望する国民の意識」によって支えられてきたことに向けられている。「平和」はそのままでは失われてしまう。その「存続」のために国民が努力してきたからこそ、いまの平和があるという認識である。国会前の若者たちのデモもこれに含まれるというと我田引水だという批判がすぐツイートされそうだが、例年変えていなかった内容に、あえて今年、「平和の存続を切望する国民の意識」という表現が入ったことはやはり異例である。

次に注目されるのは、「先の大戦に対する深い反省」という明確な言葉が入ったことである。「8.15」の「おことば」に「深い反省」という言葉が使われたことはかつてない。しかも、「戦後50年」(1995年)以来ずっと使われてきた「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」という箇所は、「今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」となって、「今後」という言葉が挿入されている。「戦争の惨禍が再び」という下りは、日本国憲法前文第1段の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」の部分に似ており、「おことば」にはさすがに「政府の行為によつて」は書かれていないものの、「今後」という言葉をあえて挿入したところに、安倍政権の安保政策への危惧が感じ取れる。それほどに、「今後」という言葉は特別の響きをもつ。なお、これまでずっと「繰り返されないことを切に願い」だったのが、「繰り返されぬことを切に願い」に変わった。「ぬ」という打ち消しの助動詞(連体形)の使用により、より強い否定の意志が込められたのだろうか。

村山談話のフリップ

「8.15」の前日(8月14日)、安倍内閣は臨時閣議を開き、「戦後70年談話」(以下「安倍談話」という)を決定した。戦後50年の「村山談話」(1285字)、戦後60年の「小泉談話」(1135字)の約2.6倍の分量(3354字)である。各方面から批判や注意を受けていてもなお、安倍首相の自己主張を入れたい分、そのカモフラージュの言い訳と取り繕いに字数を割き、全体として冗長にして冗漫な談話になっているだけではない。「村山談話」「小泉談話」、この二つの談話を「全体として継承する」といいながら、安倍首相が触れたくない、使いたくない、口にもしたくない「4つのキーワード」(痛切な反省、お詫び、侵略、植民地支配)すべてを、意味を伴わない「単語(たんなるご)」としてだけ入れ、「村山談話」の内容を実質的に否定し、あの戦争は完全に間違っていたわけではなく、西欧諸国の植民地政策からのアジアの解放の戦いだったという「安倍色(カラー)」が散りばめられていた。

「閣議決定」というのは、全閣僚が合意した内閣としての意思決定であり、閣議了解や首相個人の意見などとは質が異なる。集団的自衛権行使を違憲としてきた政府の憲法解釈は、「7.1閣議決定」によって変更されてしまった。そしてこのたびは、長年にわたる政府のいわば「歴史解釈」を、「8.14閣議決定」で変更してしまったのである。この閣議決定によって「村山談話」(その枠内の「小泉談話」)が実質的に否定されたことは、「ネトウヨ」たちの雄叫びにも示されている。

例えばこうだ。「村山富市氏が今夜の安倍談話にかんし、『(自分の談話が)引き継がれた印象ない』とのコメントを出したが、これこそ『安倍談話』にたいする最高の『評価』ではないか。『安倍談話』は形式的に『村山談話』を継承しているように見えるが、実質上、村山談話の『精神』を完全に葬り去った」と。

「安倍談話」による歴史の上書きは、まず、「痛切な反省」と「お詫び」の相対化にあらわれる。「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。」 どう読んでも、「痛切な反省」と「お詫び」について、いままで「表明してきました」という「現在完了形」で語られ、「安倍談話」ではそこに主体的な姿勢は感じられない。「村山談話」にあった「私」という主語は存在しない。

事変・侵略・戦争

「植民地支配」と「侵略」という表現の相対化も甚だしい。「わが国」が、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」(村山談話、小泉談話)となっていたものが、「安倍談話」では、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」、「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」となり、「侵略」、「植民地支配」いずれからも、「わが国」という主語が外されている。日本だけではない。どこも同じだといわんばかりの傍観者的視点である。「侵略」を「事変」と「戦争」でサンドウィッチする手法は、相対化の極みではないか。1928年のパリ不戦条約で戦争が違法化されて以降、日本は「事変」という名前で戦争を拡大してきた(今日の安倍内閣は「事変」から「存立危機事態」「重要影響事態」などの「事態」を好む)。戦争の言い換えである「事変」という言葉と「侵略」をパラレルに並べることによって、日本の侵略を相対化する姿勢を貫いたわけである。この点を記者会見で共同通信の記者に問われると、「先の大戦における日本の行いが侵略という言葉の定義に当てはまれば駄目だが、当てはまらなければ許されるというものではありません。」「具体的にどのような行為が侵略に当たるか否かについては歴史家の議論に委ねるべきであると考えています。」と繰り返していた。

「植民地支配」についてはどうか。朝鮮に対する日本の植民地支配について、「安倍談話」は触れないどころか、19世紀以来の西洋諸国の植民地政策一般に問題を解消してしまっている。のみならず、日本が戦争に向かう流れを、西洋諸国の植民地支配の波がアジアに押し寄せ、「その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となった」という認識から、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」という形で、「大東亜共栄圏」に向かう日本の道筋に肯定的な光をあてる。「すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」という言葉の臭いには、どこか「八紘一宇」を説きつつアジア諸国を侵略していった際のスローガンをさえ想起させる。そして、世界恐慌後、欧米諸国による経済のブロック化のなかで、日本が「孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました」という形で、日本の戦争政策を経済のブロック化に原因があるかのように描いてみせる。「新しい国際秩序」への「挑戦者」という表現には、「目的は正しかったが手段がまずかった。もっとうまくやればよかった」という肯定的な含みが感じられる。

そもそも、談話とは何か。何のために出すのか。「村山談話」は、戦後50年にあたり、それまで、あの戦争に対する日本の反省を言葉にしたことがなかったことで、ずっと続いていた近隣諸国とのわだかまりを、少しずつでも解決していこうとする、それこそ未来志向の政策だったのではないのか。その「村山談話」、さらに「小泉談話」を継承するといいながら、継承するつもりなどなく、安倍首相は、自らの歴史解釈を打ち出すために、閣議決定を私的に使ったようなものである。

最後に「安倍談話」のその「未来志向」についても指摘しておく。ここには二つの問題がある。一つは、「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という下り。この談話のなかで、おそらく安倍首相の個人的な想いが最も強烈に出た箇所がここだろう。「ネトウヨ」のつぶやきに、この箇所を挙げて、「70年間の『お詫び』の歴史に明確な終止符を打った。それだけ、今回の安倍談話は歴史的快挙であった」というのがあった。謝罪を続けることをやめて、「私たちで終止符をうつ」という何とも自己中心的な「未来志向」である。

『産経新聞』8月15日付は「安倍談話」を高く評価し、一面トップ見出しは「『謝罪』次世代に背負わせぬ」である。『産経』の「歴史戦・上」は、ヴァイツゼッカー・ドイツ元大統領の1985年演説「荒れ野の40年」のなかの言葉を恣意的に解釈して、安倍談話が謝罪にケリをつけるのはこれと同じだという。社説は「この談話を機会に謝罪外交を断ち切ることだ」と書き、中国や韓国との「歴史戦」に備えよと説く。だが、「歴史戦」論者の評価とは違って、ドイツはポーランドやフランスなどと、どのように和解してきたか。すでにこの直言では「戦後60年」を前にして、「記念日外交」として詳しく書いているので参照されたい。

ここでは、2004年8月11日に、ドイツ領南西アフリカ(現在のナミビア)におけるヘレロ族・ナマ族虐殺事件の100周年にあたり、当時のドイツ政府が開発担当大臣をナミビアの記念式典に派遣し、帝政ドイツ時代に行った行為について、「ドイツは政治的および道徳的責任を認める」と謝罪したことを挙げておこう。式典で大臣は慎重に言葉を選びながら、ドイツの道徳的責任を認めつつ、補償をするのではなく、開発援助金の提供を申し出た。開発担当相をアフリカの旧植民地に派遣して、道徳的謝罪と援助を組み合わせて、ドイツ帝政時代の「過去」の問題に向き合ったのである。閣僚が靖国神社に参拝する日本とは対照的だ、と当時この直言でも書いた。被害を与えた側が受けた側に向かって、「俺はもう謝らないぞ」という子供っぽさは、ラルフ・ジョルダーノ『第二の罪』の第8の言い訳(「もういい加減に忘れなくてはならない、もういい加減にケリをつけねば・・・」)に該当する)。「安倍談話」のこのやり方は、ドイツが隣国との関係だけでなく、遠くアフリカの旧植民地諸国とも「過去の克服」を行っていったのとは実に対照的である。

積極的平和主義

なお、「先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という「安倍談話」の発想に対しては、ジャック・デリダ/守中高明訳『赦すこと――赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』(未來社、2015年)の訳者解説にある守中氏の次の指摘を引用しておこう。「この国の首相が朝鮮半島の人々、中国の人々、そしてかつて侵略し植民地支配下においたその他の東アジア各地域の人々に対して行うべきなのは、赦しを想定しない謝罪、赦されることの可能性を考察の外に置いた、エコノミー外の、絶対的謝罪である。これが現在の東アジアの中で日本という国家が取り得る、取るべき唯一の歴史的―倫理的行為である」(同書126頁)と。

安倍流「未来志向」のもう一つの問題は、集団的自衛権行使とのリンクである。談話はいう。「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。」と。談話のなかで、周辺諸国を並べる際、意識的に、「台湾、韓国、中国など」と、中国が嫌がる台湾をあえて前にもってくるいやらしさは何だろうか。わざわざ「積極的平和主義」を入れて、自らの内閣の宣伝に用いている。言うまでもなく、安倍首相の「積極的平和主義」とは、武力に積極的なやり方である(直言「地球儀を弄ぶ外交――安倍流『積極的平和主義』の破綻」参照)。安倍首相は新たな国際秩序への「挑戦者」たらんとして、日本を集団的自衛権行使のできる国に強引に変えようとしている。その際、歪んだ「積極的平和主義」の主張を「高く掲げ」、自由や民主主義の点で「価値観」を共有しない国に対して、「価値観」を共有する米国と手をくんで、集団的自衛権行使を可能とする仕組みをつくろうとしている。それが「安保関連法案」である。

この立憲主義の真正の危機をいかにして克服するか。それは、「平和の存続を切望する国民の意識」がどれだけ高まっていくかにかかっている。

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