この「直言」で何度も引用するヒトラー『わが闘争』の一節がある。「大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわり忘却力は大きい」(平野一郎・将積茂訳・角川文庫・上巻238頁)。ヒトラーはこの「忘却力」を利用して、宣伝にあたっては重点をしぼり、単純化したスローガンを反復・継続することが効果的であると説く。憲法違反を公然と法律で定めた「授権法」(全権委任法)を強行成立させたヒトラーは、政党新設禁止法などで独裁体制を強化する一方、国民生活を改善する経済、社会政策を矢継ぎ早に打ち出し、完全雇用をめざす失業抑制政策を強力に実施した。ドイツは1929年大恐慌のため、失業率は30%以上だったのが、短期間に経済は好転する。大気汚染や水質汚濁を防ぐため、工場に汚染防止の施策を義務づける公害対策も周到に行われた。健康増進にも熱心に取り組み、禁煙エリアを拡大した。「全権委任法」制定後3年で、ベルリンオリンピックを開催している。憲法違反の法律を制定して、憲法を破毀したことなど、国民の多くはすっかり忘れていた。
現代の日本では、9月19日に憲法違反の安保関連法が成立して、その「余韻」もさめやらないなか、24日の自民党両院議員総会で、安倍晋三首相の総裁再選が正式に決まった。直後の記者会見(自民党担当の「平河クラブ」以外の記者を入れない)は、安保関連法についてはほとんど触れず、話題を経済課題に特化して、すべての人が職場や家庭で活力を発揮できる「1億総活躍社会」を目指すとあっけらかんと表明した。アベノミクスの第2ステージ、「新三本の矢」と銘打ち、(1)国内総生産(GDP)600兆円の達成、(2)子育て支援拡充、(3)社会保障改革に重点的に取り組むと訴えた。「希望と、夢と、安心のための、『新・三本の矢』であります。『戦後最大の経済』、そして、そこから得られる『戦後最大の国民生活の豊かさ』であります。GDP600兆円の達成を、明確な目標として掲げたいと思います。第二の矢は、「夢」を紡ぐ「子育て支援」であります。そのターゲットは、希望出生率1.8の実現です」と。
根拠のない自信、空虚な数字と目標、歯が浮くような表現法。とりわけ、「介護離職ゼロ」という、「昔からあるけれど、最近特に目立ち始めた課題」を唐突に打ち出した。年金、医療、子どもの貧困、東日本大震災から4年半、仮設住宅にいまだ6万8000人が住むなど、解決すべき重要な課題がたくさんあるというのに、なぜか「介護離職」だけが前面に出てきた。安倍首相のことを私は「振り付け首相」と呼んだが、自ら十分咀嚼していない概念や単語を多用して、周囲にここまで「言わされている」ことに哀れささえ感じた。
この記者会見の内容は、安保関連法成立の翌日(20日)、事実上の官邸機関紙=産経新聞の「単独インタビュー」のなかですでに展開されていた。他紙が安保関連法成立を一面トップで伝えるなか、安倍首相の顔写真を大きく配した『産経』一面の紙面構成は異様だった。
安保関連法案の違憲性や、立法事実(法律制定を根拠づける事実)がないことが国会審議を通じて明らかになっていたために、安倍政権はそのイメージを、法律成立と同時に完全に「経済優先」に切り換えて、法律の違憲性の議論を覆い隠すことを狙っている。「アベノミクスの第二ステージ」などと、「第一ステージ」の失敗の総括もなしによくも言えるものだと思う時間も与えず、国民の「忘却力」に期待する。「国民的理解は広がっていくと確信する」というのは「国民的忘却は広がっていくと確信する」の言い換えである。しばらくは「経済優先」を前面に掲げて突き進み、来年の参院選の選挙公約に憲法改正を入れていく。法制局長官経験者や元最高裁判事らが「憲法改正なしにはできない」と一様に批判した「政府解釈による集団的自衛権行使の容認」。これを「7.1閣議決定」から1年2カ月で実現した安倍首相が、明文の憲法改正を提起する資格があるのか、と批判するのは可能である。だが、彼にとって「みっともない憲法」である日本国憲法を葬ることが最終目標なのである。論理や筋道など、この人物の頭にはない。「憲法改正」を参院選の選挙公約に入れる方向をすでに打ち出している。安保関連法に憲法を揃える、改憲への「最終ステージ」がすでに始まっているのである。
しかし、安倍内閣や政府与党の横暴、狼藉をずっと見ていた国民は、果たしてこれを忘れるだろうか。憲法に違反する法案の廃案を要求する、あの国会の内と外とが一体となった図は、まさに議会制民主主義が可視化された瞬間だったように思う。これまで選挙に行かない、あるいは選んだ後は任せっぱなしで知らん顔であったのが、安保法案の違憲性、審議の不作法に直面し、ことここに至り、ようやくこれまでの無関心や諦観が間違いだったと気づいた主権者たちの意思がそこにあらわれてきたのではないか。気づいてしまった人々は、今後、政治を放りっぱなし、任せっぱなしにはしないだろう。
政府与党や法案に賛成した議員らが忘れてはならないのは、国会前に集まった市民とその後ろにいるめざめた有権者は、安保法だけを問題にしているのではない、ということである。「7.1閣議決定」の「狼藉」をした者たちに、安全保障のみならず、国家運営をとても任すことができないと判断したのである。
野党は、安倍政権によって壊された立憲主義を回復させるという一点で選挙態勢を整えるべきであろう。そうしなければ、国民の政治不信は極限にまで達し、それは、「政党嫌い」(Parteienverdrossenheit)から、さらには「民主主義嫌い」(Demokratieverdrossenheit)の域にまで達するだろう。
9月19日に安保関連法案が成立した直後、『東京新聞』21日付1面の「言わねばならないこと」のコーナーで、田中秀征氏(元・経済企画庁長官)は、「私は今回成立したとされる安全保障関連法を法律として認めるつもりはない。憲法違反の法律は国会で可決されたからといって、合憲にはならないからだ。もちろん違憲立法は無効だから、政府がそれに基づいて国民や自衛隊に義務を課し、協力を求めても従う人は少なくなる。・・・われわれは違憲な法律を認めないとともに、昨年の閣議決定を撤回し、この法律を全面的に見直すことを目指さなければならない」と明確に述べている。「7.1閣議決定」の撤回まできちんと指摘している点で、まったく同感である。
ここからは、これまでの流れを少し振り返りつつ、全国憲法研究会のことなどを書く。2年前の2013年10月、私は500人の憲法研究者からなる全国憲法研究会の代表に選ばれた。時は安倍政権が集団的自衛権行使に向けて爆走を開始したときだった。代表として主催した最初の憲法記念講演会について書いた直言「自己抑制を失った安倍政権――憲法施行67周年に」で、「いま、私たちは、自分で決めたことを自分でチェックすることが「歯止め」になると本気で考える政権と向き合っている。どんな政権でも、自己以外の他者のチェックを受けることを当然のように折り込む。しかし、安倍政権にはそれがない」と指摘し、「立憲主義の真正の危機」の警鐘を鳴らした。この危機に学会としてどう向き合うか。運営上の問題を熟慮した結果、「全国憲声明」とか「全国憲有志の声明」という形をとらずに、運営委員会内に設けた憲法問題特別委員会の主催で、市民向けの講演会を複数回実施した(直言「「壊憲の鉄砲玉」といかに向き合うか――憲法研究者の「一分」とは(その3)」)。この講演会はNHKのニュースでも放映された。
全国憲の2回目の憲法記念講演会については、直言「戦後70年の憲法記念日――「安倍カラー」に抗して」で書いた。また、「再び、憲法研究者の「一分」を語る―天皇機関説事件80周年に」では、「安倍政権は、立憲主義をおおらかに蹂躙しているため、憲法研究者は、立場や思想信条を超えて批判の声を挙げざるを得ない状況にある。沈黙するか、これに対して自己の学問的な存在をかけて発言・発信するか」と指摘した。
流れが変わったのは、6月4日、衆議院憲法審査会で3人の憲法研究者が、集団的自衛権行使について憲法違反と断言したことだろう。ここから、安倍政権は、安保関連法案の違憲性を問われ続けるという「原罪」を背負い続けることになった。全国憲が行った2回目の市民向け講演会について書いた直言「安保関連法案は「一見極めて明白に違憲」」では、安倍政権が違憲と断じた憲法研究者に対して、「まったくあたらない」「まったくの間違い」と、専門家や専門知といったものに対するむき出しの敵意をあらわにしてきたことを批判した。80年前の天皇機関説事件における憲法学者に対する抑圧を彷彿とさせる乱暴な言葉づかいだった。「学者の言う通りにしたら日本の平和が保たれたか極めて疑わしい」(高村正彦副総裁)、「憲法学者は憲法の条文の方が国民の生命と安全よりも大切な連中だ」(自民党幹部)という侮蔑的な言説も飛び交った。
菅官房長官が、「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と発言したため、集団的自衛権行使を合憲とする憲法研究者は「何人いるのか」という数字が世間の関心をひくようになった。学会の運営に携わるものとして、一人ひとりの研究者に「違憲か合憲か」の踏み絵を迫るようなやり方に危惧を表明したこともあった。しかし、私の心配を超えて、まず若い世代の憲法研究者が中心になって声明を出したり、国会前にいってリレートークをやったり、メディアに積極的に出て見解を表明したりするようになった。これは私も驚く現象だった。
朝日新聞や東京新聞などが憲法研究者のアンケート調査を行ったが、NHK社会部が行った日本公法学会会員に対する調査が最も精度の高い、内容もある調査だった。これが遅くとも7月の第1週の時点でニュースとして放送されておれば、安倍政権が押し進める安保関連法案の違憲・合憲の議論の決着は事実上ついていたはずだった。だが、これを妨げる力学がさまざまに働いた。現場の懸命な努力と、これに誠実に回答した憲法・行政法研究者の努力は葬られ、「違憲か、合憲か」をめぐる専門家の見解が多くの国民に伝わることはなかった。しかし、「クローズアップ現代」の枠で、ほんの少しだけ流れた。この番組をみていない国民は、違憲・合憲について、日本の公法専門家の間で明確に決着がついていることについて知ることはできなかった。なぜ、これをニュースとして放送させなかったのか。その後も、ニュースや解説のなかで「違憲か合憲か」をまるで意見の相違かのようにフラットに扱い続けて、安倍政権を助けたNHK上層部の公平・公正に反する政権迎合・忖度の責任は重大である。
安倍内閣は、参院選の公約に「憲法改正」を入れて、明文改憲にシフトすることを宣言した。そこで、この機会に、5月に発刊された全国憲50周年記念論文集『日本国憲法の継承と発展』(三省堂)に書いた「あとがき」を掲載することにしたい(代表としての謝意などは削除した)。ぜひ、現物を入手されて全体をお読みいただければ幸いである。なお、私は来月(10月16日)、京都で開催される全国憲法研究会総会で代表任期を終えて、退任する。あとがきいまから半世紀前、1965年4月に全国憲法研究会(全国憲)が発足したとき、55大学、112人の会員が共通して抱く危機感があった。それは、その前年7月、内閣に設置された憲法調査会の最終報告書が国会に提出されたことである。この報告書を実質的に受けた内閣は、第一次佐藤栄作内閣だった。発足メンバーに共通していたのは、憲法改正の動きが本格化するとの危機感だった。だが、佐藤内閣は憲法の明文改正には関心を示さず、最終報告書は事実上たなざらしの状態に置かれた。そのことが実兄の岸信介を苛立たせたともいわれている。いま、叔祖父の佐藤ではなく、祖父の岸を強烈に意識した安倍晋三が第三次内閣を組織して、憲法改正を推進すべく強い決意で臨んでいる。
これまでのどの首相にも見られない安倍首相の特徴は、憲法改正をいわば自己目的化していることだろう。例えば、首相は日本国憲法を、「みっともない憲法」と呼んだことがある(『朝日新聞』2012年12月15日付)。憲法軽視・無視の言説や傾向は歴代内閣にもみられたが、ここまで憲法蔑視の姿勢を明確にした首相はいなかったのではないか。
2012年暮れから13年前半にかけて、安倍首相は、憲法96条の改正発議要件の緩和(「3分の2以上」から「過半数」へ)を前面に押し出してきた。その理由について、「たった3分の1をちょっと超える国会議員が反対すれば、国民の皆さんは指一本触れることができない。議論すらできない。あまりにハードルが高過ぎる」と述べた(『毎日新聞』同年12月24日付)。だが、憲法研究者をはじめ世論の反発が強いとみるや、この「96条先行改正」の動きは下火となった。そして、13年夏前から内閣法制局長官の人事に介入。1年足らずで、14年7月1日、60年間続いた集団的自衛権行使に関する政府解釈の変更を閣議決定で行うに至ったのである。
安倍首相の憲法認識、立憲主義理解はこうである。すなわち、「〔憲法は〕国家権力を縛るものだという考え方はあるが、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方であって、今まさに憲法というのは、日本という国の形、そして理由と未来を語るものではないか」(同年2月3日衆院予算委)と。こうした理解に対しては、民主主義の現代においても権力者が暴走してきた過去に眼を閉ざし、暴走しうる現在・未来の可能性にも盲目になるものと評さざるを得ない。
15年に入ると、安倍首相は憲法の明文改正への意気込みを隠さなくなった。自称「イスラム国」の日本人人質殺害事件に関連して、「次世代の党」の議員が「憲法9条があるから国民の生命が危ない。即刻改正すべきではないか」と質問したのに対して首相は、「わが党はすでに9条改正案を示している。なぜ改正するのか。国民の生命と財産を守る任務を全うするためだ」と答弁している(2015年2月3日参院予算委)。そして、船田元・自民党憲法改正推進本部長との会談で、第1回の憲法改正国民投票の時期を、16年7月の参議院選挙後とするのが「常識的だろう」との認識を示した。船田氏は首相に、「一度にすべて改正するのは無理なので、何回かに分けて改正する。環境権、緊急事態(条項)、財政健全化(条項)あたりが候補となっている」と報告した(同)。船田氏は、「国民投票で否決されたら、しばらくは改正ができない。1回目の憲法改正は極めて大事だ。安全運転でいかなければいけない」と本音を披瀝している(『産経新聞』同年2月6日付)。「早ければ16年末から17年前半にも国民投票が実施される可能性がある」と書く新聞も出てきた(『朝日新聞』同年2月5日付)。
全国憲発足時と異なり、半世紀後が経過した今日、現政権が推進する憲法改正の動きは、個々の憲法条文の加除・修正という意味での「改憲」というよりも、立憲主義の基本を損壊するような動きとして、あえていえば「壊憲」として、否応なしにこれと向き合うことを私たちに求めている。
全国憲はいま、発足時の約5倍の会員を抱える、憲法に関する最大の全国学会である。多様かつ多彩な研究が展開され、政権との距離や個別的な政策についての憲法的評価についても、かつてとは比較にならないほどに自由かつ多様になっている。だが、こと立憲主義の基本に対する姿勢、あえて業界でよく知られた用語を使えば「立憲主義へのアフェクション」については、会員すべてに共通する思いになっていると信ずる。その意味で、全国憲50年を記念して発刊された本書は、戦後世代の憲法研究者の知見と経験、問題意識を継承しつつ、若い世代の研究者が多彩かつ創造的な研究を発展させていくことを期待して編まれたものである。表題に「継承と発展」を付した所以である。