臨時国会のない秋――安倍内閣の憲法53条違反
2015年10月26日

サンデーモーニングより

民党が野党時代の2012年につくった「日本国憲法改正草案」53条に、「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があったときは、要求が・・・あった・・・日から・・・20日・・・以内に・・・臨時国会が召集されなければならない」とある。これを解説した『日本国憲法改正草案Q&A増補版』(自民党、2013年10月)にはその趣旨が次のように説明されている。

「現行憲法では、いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣はその召集を決定しなければならないことになっていますが、臨時国会の召集期限については規定がなかったので、今回の草案では、『要求があった日から20日以内に臨時国会が召集されなければならない』と、規定しました。党内議論の中では、『少数会派の乱用が心配ではないか』との意見もありましたが、『臨時国会の・・・・・召集要求権は・・・・・・少数者の・・・・権利として・・・・・定めた以上、・・・・・・きちんと・・・・召集されるのは・・・・・・・当然である・・・・・』という意見が、大勢でした。」

これは何とも皮肉である。いま、安倍内閣は、野党が「少数者の権利」を行使して臨時国会の召集を要求したのに対して、これを拒絶した。自らが野党時代につくった改憲草案の解説が、これに対する的確な批判になっている(なお、だからといって憲法53条改正が必要なわけではない。国会法を改正するなりして期限を定めれば足りる)。

10月21日、野党5党は、125人の議員の連名で衆議院議長に対して召集要求を行った。だが、政府は「外交日程」を理由に召集に応じない見通しである。通常国会を1月4日に前倒しする意見も与党内に出ているという(10月24日現在)。

トルクメニスタン大学での名誉教授授与

菅義偉官房長官は先週21日の記者会見で、臨時国会召集について、「首相の外交日程を優先せざるを得ない」と語った。10月下旬、独裁的といわれるトルクメニスタンを皮切りに中央アジアを歴訪し、11月中旬にトルコで開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議などの国際会議に出席する。羽田の政府専用機前でのぶらさがり記者会見で、歴訪の狙いの一つに「トップセールス」を挙げていることからみても、中央アジアの訪問風景をみても(写真は、トルクメニスタン国立総合大学名誉教授号授与式)、臨時国会を開かない緊急の必要性は見いだせない。また、菅長官は、外交日程に加えて、「予算編成も考慮しなければならない」として、「臨時国会を開かなかった先例もある」と述べた。これに対して、『東京新聞』10月22日付社説は、「野党の要求は憲法に基づく重いものだ。前例を口実に要求を拒み、憲法の規定を軽視する愚を再び犯してはならない。集団的自衛権の行使を違憲とする歴代内閣の憲法解釈を一内閣の判断で変更した安倍政権である。憲法順守の姿勢に強い疑念が持たれていることを、あらためて肝に銘じるべきであろう」と指摘したが、その通りだろう。

憲法53条は「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」と定める。臨時国会(正確には臨時会)は必要に応じて召集され、召集権者は内閣である。首相が臨時国会の開催は必要ないと判断すれば、開かれることはない。1984年の第2次中曽根内閣と、2005年の第3次小泉内閣のときに臨時国会が開かれていない。だが、衆議院か参議院のいずれかの院の総議員の4分の1以上の議員から要求があれば、内閣は臨時国会の召集義務が生ずる。「召集を決定しなければならない」という文言を素直に読めば、そう解釈せざるを得ない。そもそも憲法が「4分の1以上」という数字にしたのは、定足数の「3分の1以上」(憲法56条)では重すぎる。2分の1以上あれば与党になれるわけだから、4分の1にして、議会内反対派にも配慮するという趣旨だろう。

また、議員からの召集要求が期日の指定を伴っていたとき、内閣はこれに拘束されるか、という論点がある。現行憲法下で37回の召集要求が行われているわけだが、その最初のケースの1948年7月のときは、「急速に召集するよう」と書いてあった。しかし、実際の召集期日は、指定期日よりも遅れる傾向にある。遅れたとき、野党は「要求補完書」を出してさらに要求する。一番遅れたのは、1949年7月7日に、7月31日召集を指定した要求があったのに対して、吉田内閣は10月25日になってやっと召集したという例である。このとき、8月25日に「要求補完書」が出されている(樋口陽一他『注解法律学全集 憲法Ⅲ』青林書院、1998年、107頁[樋口執筆])。

菅官房長官がいう「臨時国会を開かなかった」先例は第3次小泉内閣のときである。2003年秋、野党の要求に対して臨時国会を召集しなかった理由を、当時小泉首相はこう説明していた。

○内閣総理大臣(小泉純一郎君) ・・・昨年11月27日、憲法第53条の規定に基づく臨時国会召集の要求が内閣に提出されました。政府としては、これに適切に対応すべく検討してまいりましたが、諸課題を整理して予算編成等を行うとともに、これらを踏まえて施政方針演説を用意して第159回通常国会を召集したところであります。決して国会を軽視するものではございません。・・・(衆-本会議-3号2004年1月22日)

臨時国会の召集要求に対して、これをしなかったことは憲法違反ではないのか。この点について、内閣法制局長官が答弁している。参議院外交防衛委員会閉会中審査の議事録(2003年12月16日)から、簡略化して引用しよう。

○齋藤勁君(民主党) ・・・暮れに、例えば、かつて11月28日に内閣に送付をして召集詔書が公布されましたのが12月3日とか、・・・暮れであってできないということはない。・・・短期間でも、4日間でも、17日間でも、年末、秋になって実施している例があります。これ怠慢なんですよ、憲法違反になるんですよ。重大なことなんです。

○政府参考人(秋山收君) 憲法第53条の問題でございますので、一般的な考え方を御説明いたしたいと思います。憲法53条後段は、「内閣は、」その要求があった場合に「その召集を決定しなければならない。」と規定しておりますが、召集時期につきましては何ら触れておりませんで、その決定は内閣にゆだねられております。このことから、いつ、いつ召集してもいいということではもちろんございません。臨時会の召集要求があった場合に、仮にその要求において召集時期に触れるところがあったとしましても、基本的には、臨時会で審議すべき事項なども勘案して、召集のために必要な合理的な期間を超えない期間内に召集を行うことを決定しなければならないというふうに考えられているところでございます。もっとも、この合理的な期間内に常会の召集が見込まれるというような事情がありましたら、国会の権能は臨時会であろうと常会であろうと異なると、異なるところはございませんので、あえて臨時会を召集するということをしなくても、憲法に違反するというふうには考えておりません。

菅官房長官が「過去に召集しなかった例がある」として、憲法上問題ないという根拠にしていると思われるこの法制局答弁をよく読んでみよう。例外として通常国会の召集と近接しているような場合は、臨時国会を召集しなくても憲法違反ではないという解釈を展開している。ある学説は、53条の趣旨は、4分の1の要求があったとき「国会を召集しなくてはならないとするのであって、その国会が常会であるか、臨時会であるか、または特別会であるかは、そのいずれであっても、国会としての機能がまったく同じである以上、本条のあえて問題とするところではない」としている(宮澤俊義・芦部信喜補訂『全訂 日本国憲法』日本評論社、1978年、401頁)。法制局長官の答弁はこれに引きずられたものだろう。

しかし、召集時期が書かれていないので内閣の裁量だと答弁しながらも、「召集のために必要な合理的な期間を超えない期間内」という表現に注目したい。予算編成などの理由をあげて先延ばしすることは、この「合理的な期間」にカウントされないだろう。あくまでも召集の準備にかかる期間と解される。いわんや、外交日程というまさに外在的理由は、「召集を決定しなければならない」という強い憲法上の要請を免れる根拠にはならない。53条後段の期日指定が曖昧なことをいいことに、「しなければならない」という法的拘束を安易に緩和するならば、それは憲法の要請を没却するものといわざるを得ない。

別の学説によれば、「内閣の準備不足を理由に召集をのばすことはできないというべきであり、召集手続そのものをおこなうために客観的に見て通例必要とされる範囲内で、できるだけ要求された期日に近い期日に召集することを、決定しなければならない」(樋口・前掲108頁)。さらに、「少数派の権利」のための 53条後段によれば、相当遅れた従来の召集には違憲の疑いがあるとの指摘もある(制憲期の法制局参事官だった佐藤功『ポケット注釈全書 憲法(下)〔新版〕』有斐閣、1984年、 712頁、木下智史・只野雅人編『新・コンメンタール』日本評論社、2015年、485頁〔只野執筆〕)。憲法が「召集を決定しなければならない」としている以上、召集することが原則なのである。

齋藤議員がいうように、過去には4日間とか、年末に行ったというような例もある。とりわけ、今回の 安倍内閣の場合、10月21日に野党が召集要求をしているから、召集のための「合理的な期間」を考えれば、11月の上旬には開会することも可能である。菅長官が先例とする小泉内閣のときは、野党が11月27日に召集要求をしているから、「合理的な期間」を考えると、通常国会の開会時期に近かったという点は見逃せない。安倍内閣が、通常国会まで2カ月以上あるのに国会を開かず、政権の綻(ほころ)びを国民に知られることなく年を越すという戦略だとすれば、これ以上の憲法への反逆はない。通常国会までにかなり時間があるなかで、4分の1召集要求を無視することは、法制局長官答弁を前提にしても、これを合憲とするのは困難だろう。岡田民主党代表は端的に憲法違反といったが、その意気込みで野党をまとめてほしい。

なお、与党は「国会軽視」との批判をかわすべく、衆参予算委員会で閉会中審査に応じるとしている。だが、これはおかしい。閉会中審査をするのは、国会法47条2項により前国会の各議院の議決で決まっていることである。閉会中審査をもって臨時国会の召集に応じない代替策とすることはできない。なぜなら、閉会中審査はすでに召集された前国会の権限の「残滓」であって、新たな国会を召集しないことのかわりはつとまらないからである。

9月27日に国会が閉会してから、環太平洋経済連携協定(TPP)の合意内容が明らかになった。農林関係者を中心に戸惑いと動揺が広がっている。安保関連法が成立したが、まだ施行もされていないのに、自衛隊の海外展開に向けた具体的な動きが目立つ。首相はこの法律について「国民の理解がさらに得られるよう丁寧に説明する努力を続けたい」と言いながら、「安保から経済へ」と論点をずらすばかりである。「GDP600兆円」などを目標とする「新3本の矢」や「1億総活躍社会」を掲げたが、その中身はきわめて怪しい。記者クラブだけの「内輪の記者会見」でお茶をにごすのではなく、国会で堂々と所信表明演説を行って、委員会審議を通じてその内容を明らかにすべきだろう。

名護市辺野古への新基地建設問題でも政府と沖縄県の対立が深まっている。知事の埋め立て承認取消しに対し、政府が行政不服審査請求を行ったことなどについても、国会でしっかり追及されなければならない。難民対策なども、議論すべき問題は山積みである。これだけの問題を2カ月以上も審議せず、すべて来年1月の通常国会に持ち越すというのはあまりのご都合主義である。内閣改造をやって、9人の閣僚を入れ換えたのだから、関係する委員会で所信表明を行うのが通例である。復興特別委員会では「下着泥棒問題」、沖縄・北方問題特別委員会では「顔写真入りカレンダー」配布問題が追及されるなど、大臣の首が涼しくなるのを恐れての臨時国会不召集だとすれば、あまりに姑息である(冒頭の写真はTBS「サンデーモーニング」10月25日より)。

質問する人、逃げる人

この夏、安全保障法案審議のため、そして95日間という「戦後最長の会期延長」のせいもあってか、近年では珍しく国会が注目され、NHKの国会中継やネット中継の利用者が多かった。国会や国会中継に人々の関心が集るとき、そこに「役者」の存在は欠かせない。かつては各党それぞれに個性的な論客がいた。60年代、岸信介首相に迫る石橋政嗣議員ら旧社会党の「安保5人男」がいたし、その一人、「オカッパル」こと岡田春夫議員は1965年2月、「三矢作戦研究」で佐藤栄作首相に爆弾質問を行ったことで知られる。公明党にも論客がいたし、最近でも直言「答弁を引き出す国会質疑を―31年前の公明党市川雄一議員の例」で紹介した。

1976年のロッキード事件証人喚問では、国会中継が人々の話題になった。証人の全日空や丸紅の幹部などが議員の質問に答える。その際、委員長が「大久保利春く~ん」と呼ぶのをみていた小学生が、テレビニュースで丸紅専務の姿が映ると「あ、おおくぼとしはるくんだ」と叫んだという話を友人から聞いたことがある。国会の「君付け」の先例が子どもにも興味をもたれたわけで、それだけ家庭に国会中継が流れていたことがわかる。

このロッキード事件のときは、共産党の正森成二議員の質問が光った。イデオロギー色のない、弁護士らしい理詰めの追及は、1.4%から6.9%に国会中継の視聴率をアップさせたとも言われた。『情と理―後藤田正晴回顧録』(講談社、1998年)にも名前が出てくるし、中曽根康弘元首相も国会では、旧制静岡高校の後輩の正森議員には一目置いていたという。とはいえ、正森議員の迫力ある質問の基礎には、徹底した勉強があった。

「私の勉強の仕方は担当の秘書に教えてもらって初歩的な本や資料を読み、そのうえで国会図書館の立法考査局・・・のベテランに調査目的を言って該当の本を貸してもらうという順に進む。そしてこれらの本を読んでいると自分の関心のある部分で注として引用文献がのっていることが多いからこれをまた借りだして読み、更に場合によってはその本の引用文献を読む――つまり子から親、親から祖父母というようにさかのぼるのである。こうして孫引きではなく祖父母引きまでいくと大体その狭い分野では政府側の役人と少なくとも同等、大ていは、はるかにこちらがよく知っていることになる。・・・」(正森成二『質問する人 逃げる人―議会(国会)の論戦はどのようにするのか』清風堂書店、2002年)

研究者の卵たちでさえ、ネット検索の発達で「孫引き」や「曾孫引き」がみられるなか、多忙な国会議員が「祖父母引き」までやっていたことに頭が下がる。この夏の「安保国会」でもよく調べて追及していた議員もいたが、勉強不足著しい議員も目立った。先輩議員の姿勢から大いに学ぶべきだろう

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