昨年8月、沖縄ゼミ合宿(隔年実施で9回目)で辺野古のキャンプ・シャワブに行った。ゲート前には県警の警備車両が停まり、1人が外に出て目立つように監視を続け、2人がビデオ撮影をしていた 。 この時は民間の警備員が前面に出て、機動隊の1個小隊が、基地内に停車した大型輸送車(いすず)に待機していた。
昨年から今年にかけて、激しい対立は辺野古沖の海上だった。そこでの警備の主体は海上保安庁である。昨年の「直言」で、強圧的警備への転換についてこう指摘した。「安倍首相の強い意向は、この海保の姿勢を転換させた。地元採用の多い11管区〔海上保安本部〕の職員たちにとってはつらい警備だったろう。力の対応には応援部隊が投入された(私が見たのは第2管区〔本部・宮城県塩釜市〕のそれ)・・・」。沖縄とは縁の薄い東北の隊員を投入して、強引にゴムボートに乗り移る「海上ごぼう抜き」の過剰警備を実施した。これも安倍首相が「早くやれ」と机を叩いたのでこういう流れになったようだ。
2015年、この国の中央政府と沖縄県との対立は決定的となった。11月に入り、ついに警視庁機動隊2個中隊規模が辺野古警備に投入された。琉球新報辺野古取材班のツイッターが、多摩ナンバーの機動隊車両がキャンプ・シュワブのゲート向かいに停車していると伝えた。多摩ナンバーなら立川市所在の第4機動隊か、調布市所在の第7機動隊だが、フロントガラス下に「4-6」とあるので、第4機動隊第6中隊の遊撃車Ⅲ 型(ゲリラ対策車)だろう。大学紛争時代に「鬼の四機」として知られ、重要局面で投入された精鋭である。1個中隊は約70人だから、辺野古には、第4機動隊の第6中隊ともう一つの中隊(もしくは他の機動隊からの選抜)が投入されたとみられる。強引な警備は、この夏の国会前デモ規制でも私自身が体験した。警備の現場ではなく、官邸の意向が働いていたのではないかと考えている。辺野古への警視庁機動隊投入も、県警の「要請」は形だけではないか。
冒頭の写真は、11月4日朝、ゲート前にいるデモ隊に対して、従来の2倍の200人態勢で「ごぼう抜き」制圧に出たところである(『琉球新報』11月5日付)。正面には民間警備員が壁をつくり、その前で、孫くらいの年齢の都会の機動隊員が、おばぁたちを引き抜いている。ウチナーの隊員には、さすがにこれはできないだろう。海上も地上も、「ヤマト」の部隊を投入して強圧的な警備を実施した。これをみて想起したのは、1989年「六四事件」のとき、天安門広場にいた学生・市民に残虐な武力弾圧を行ったのが、彼らをよく知る北京警備部隊(第38集団軍)ではなく、中ソ国境を警備する第27集団軍(多くは北京語を話さない兵士たち)だったことである。いずこの権力者も冷酷で無慈悲なところがある。憲法を足蹴にするところも共通だ。楊尚昆と菅義偉の顔が重なってみえた。
日本国憲法の第8章「地方自治」は4つの条文からなる。まず「地方自治の本旨」は、国会の多数決では奪えない「憲法原則」である(92条)。その核心は、地方公共団体の長と議員を住民が直接選ぶという「住民自治」(93条)と、地方公共団体は国から独立して行財政を行い、条例という自主立法を制定できる「団体自治」である(94条)。そして、一の地方公共団体だけに適用される特別法については、当該自治体の住民投票を法律成立の要件とする地方自治特別法である(95条)。
こと沖縄に関する限り、この憲法の4つの条文はことごとく蹂躙されている。そのことについて東京のメディアはきわめて鈍感である。そして国民の関心も薄い。「沖縄のメディアは過剰に騒いでいる」と冷笑する「学者」もいる。だが、もし同じことを、沖縄以外の46都道府県のどこかでやったらどうなるか。メディアも沸騰するに違いない。では、なぜ、沖縄でだけこんな理不尽が通るのか。
私はこの「直言」を始めた1997年から沖縄についてたくさんのことを書いてきた。バックナンバーをのぞいてほしい。「ヤマトンチュ」の私が怒りをもって書き続けてきた軌跡を確認できるだろう。でも、本土メディアの冷淡さはいっこうに変わらない(もちろん、きちんと伝える努力をする人々はたくさんいるが)。
憲法の「住民自治」の観点からみれば、沖縄の民意は決着がついていることは明らかだ。世論調査を持ち出すまでもない。沖縄県会議員選挙(2012年6月)、参議院選挙(2013年7月)、名護市長選挙(2014年1月)、名護市会議員選挙(2014年9月)、衆議院総選挙(2014年12月)で、ことごとく辺野古基地反対派が勝利している。決定的なのは、2014年11月の沖縄県知事選挙において、翁長雄志氏が圧勝したことである。沖縄の民意はトータル、基地反対となった。この知事選後、中央政府、安倍政権の陰湿な「沖縄いじめ」は露骨さを増した。翁長知事が上京しても、首相も官房長官も会わないという異様な事態が5カ月も続いた。この陰湿さ、冷酷さ、姑息さ、そして傲慢さは安倍政権の際立った特徴である。かつての橋本龍太郎首相や梶山・野中両官房長官の沖縄に対する施策や対応について、この「直言」でも厳しく批判してきたが、安倍首相や菅官房長官と比べれば、彼らが何と人間的に見えることか。
県知事選から5カ月近くたった4月、菅官房長官は、那覇市内の曰く付きの場所に翁長知事を呼びつけた。沖縄の人々は激怒した。もしその場所の意味を知っていてそこを選んだのだとすれは、菅官房長官は本当にかつての米高等弁務官と同じ発想ということになる。
さて、安倍政権の憲法の地方自治破壊は、憲法94条の「団体自治」についても際立っている。地方公共団体としての沖縄県も名護市もともに、憲法および地方自治法に基づき、国との関係で独立した行政を行うことができる。国の施策と対立したときは、それ相応の調整が行われる。ところが、この間の安倍政権の手法は、沖縄県、名護市の団体自治をまるで存在しないかのような姿勢で臨んでいる。これには驚く。2点指摘しよう。
その一つは、翁長知事が辺野古の埋め立て承認を取り消したことに対し、沖縄防衛局が行政不服審査法に基づき、国土交通省に審査請求と執行停止の申立てを行ったことである。 沖縄防衛局は、全国8箇所に置かれている防衛省の地方支分部局の一つであって(防衛省組織令211条)、施設の取得や装備品の調達・補給・管理等、駐留軍関係の物品・役務の調達等、防衛省の地方における出先機関である(防衛省設置法33条1、2項)。国の出先機関が国の国交省に審査請求をすることなど、茶番である。すでに半年前の「直言」で詳しく批判した通りである。
ここでの問題を一言で表現すれば、行政庁による違法・不当な処分など、もっぱら公権力の行使から国民の権利を救済することを目的にした制度を、国が使って弱いものいじめをしていいのかということだ。10月27日、石井啓一国交大臣(公明党)は、翁長知事が出した辺野古沿岸部の埋め立て承認取消しについて、国(沖縄防衛局)の主張通りに執行停止を決定した。あわせて代執行の手続をとる方針まで発表した。
予想通りの展開だが、決定が出された27日、沖縄県弁護士会は臨時総会を開き、「辺野古新基地建設にかかる沖縄県知事の公有水面埋立承認取消処分の尊重を求める決議」を行った。そのなかで、「沖縄住民の同意なくして、どうして国が新たな米軍基地の建設を強行できるのか」という大切な問題提起をしている。すでに指摘したように、沖縄の民意はすべてのレベルの選挙で決着がついている。これを無視して基地建設を強行することは、憲法92条の「地方自治の本旨」を踏みにじるものである。この声明は、沖縄の弁護士会として、沖縄の歴史を踏まえ、法理と論理を駆使して訴えかけている。
この問題については、専門の行政法研究者93人も声明を発表した(10月23日付)。声明は、防衛局は「固有の資格」で基地建設という国家の行為を行っており、この場合、私人の救済を想定した行政不服審査法で審査請求をすることを予定しておらず、請求自体が「不適法」だと書いている。また、国の機関である沖縄防衛局が「一般私人」と同様の立場で審査請求・執行停止申立人になり、国交相が審査庁として執行停止を行おうとしていることは、「国民の権利救済制度である行政不服審査制度を濫用するものであって、じつに不公正であり、法治国家にもとるもの」だと批判している。声明は、防衛局を「私人のなりすまし」と断ずる。そして、来年施行される改正行政不服審査法7条2項が、このような形の処分を適用除外にしていると指摘する。これは重要である。
1962年に行政不服審査法が制定されて以来、長らく改正はなかった。昨年、大きな改正が行われ、行政不服審査法(平成26年6月13日法律第68号)として公布された。2016年施行だが、その7条2項には、「国の機関・・・はその機関に対する処分で、これらの機関・・・がその固有の資格において当該処分の相手方となるもの・・・については、この法律の規定は、適用しない」とある。来年の法施行後は、今回のように国の機関が審査請求をすることができなくなる。この制度をつくった人々が、沖縄に対して、自分でできないようにしたやり方を駆け込み的に使う。鉄面皮とはこういうことをいう。
「団体自治」への介入の二つ目は、補助金絡みである。菅官房長官は、名護市の辺野古、豊原、久志の「久辺3区」の地域振興事業費を直接交付すると発表し、10月26日、官邸にこれらの区長を呼んで直接申し渡した。これも驚くべきことである。基地建設予定地に隣接する3区は、名護市にある計55ある行政区の一部で、区長はいわば町内会長のようなもので、選挙で選ばれてはいない。国が市を通さないで、直接、町内会に税金を支出するのは、地方自治への介入であると同時に、税金の不正支出ではないか。「札束で地域の分断を図るような手法」(『琉球新報』11月1日付社説)といわざるを得ない。防衛省は本年度予算から3区にそれぞれ1000万円ずつ支出するというが、基地所在市町村に支給する「特定防衛施設周辺整備調整交付金(9条交付金)」の事業は自治体を通じて行うことになっており、3区への直接支出は法的根拠が不明確である。税金の使い道として、来年、会計検査院から指摘を受けないという保証はない。菅官房長官は、11月6日の記者会見で、名護市を介さない「久辺3区」への直接支出の理由を問われて、「反対運動の方の違法車や騒音が激しく、住民の生活安定のために対応していく必要がある」と語ったという。地元紙はこれを「反対運動の迷惑料」と報じた(『沖縄タイムス』11月7日付)。政府に楯突く個人や自治体に対して、権力のうまみを最大限に活かして、硬軟とりまぜて締め上げていく。あまりに見え透いた、あまりに汚いやり方ではないか。
最後に、95条の地方自治特別法の問題だが、これは20年前、軍用地特別措置法をめぐる職務執行命令訴訟において、95条の住民投票が必要だという県の主張を最高裁は退けたことを指摘するにとどめる(『憲法判例百選Ⅱ[第6版]』有斐閣(別冊ジュリスト218号、2013年)370-371頁〔水島朝穂執筆〕参照)。
以上、憲法が保障する地方自治を、安倍政権がいかに破壊しようとしているかをみてきた。これは本土のすべての自治体にとって「明日はわが身」といえるのではないか。このような国のやり方に、本土の自治体や市民が無関心や沈黙を決め込むことは許されない。
45年前、「コザ暴動」が起きた。行政不服審査法の適用をめぐって「法治国家」たることを怪しまれているこの国は、沖縄に対して「放置国家」であり続けた。その怒りが、1970年になって爆発した。怒りの根底には、沖縄への差別があった。
1875年5月、陸軍の熊本鎮台分遣隊が古波蔵村(現在の那覇市古波蔵)に駐屯。歩兵1個中隊が首里城に入った。琉球処分を実施するための圧力だった。その140年後に沖縄に派遣されたのは、国に逆らう自治体や住民を抑えつけるための警視庁機動隊の精鋭だった。「第二の琉球処分」(『東京新聞』11月3日付特報面)あるいは、「新たな琉球処分」(『毎日新聞』11月2日付オピニオン面「琉球新報から」)」と言われるが、安倍政権がやろうとしていることは、現代の「沖縄処分」にほかならない。
今日、11月9日は「ベルリンの壁」崩壊から26年である 。あれからドイツもヨーロッパも大きく変わった。シリア難民の大量流入で、「新たな壁」の建設を叫ぶ人々も出てきた。いま、日本の本土と沖縄の間に横たわる「北緯27度線の思考」の惰性を崩壊させなければならない。本土の人々は、中国の海洋進出や尖閣問題を理由に、 「抑止力」(沖縄では「ユクシ(嘘)」力という)維持のため辺野古基地建設に賛成してしまう人も少なくない。これを支えているのは、沖縄について真剣に考えない姿勢、思考の惰性である。この「壁」を崩壊させて、 「普天間基地閉鎖、辺野古移設なし」という「圏外移設」の発想に転換することが求められている。