マックス・ヴェーバー『職業としての政治』(脇圭平訳、岩波文庫、1980年。原文:Max Weber, Politik als Beruf, 1919)によれば、政治家にとっては、情熱(Leidenschaft)、責任感(Verantwortungsgefühl)、判断力〔見通す力〕(Augenmaß)の3つの資質がとくに重要となる。「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」と熱く語りつつ、「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず! (dennoch!)」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職(Beruf)」を持つ」で結ばれる。
政治家、あるいは政治家をめざすという人々が一度は手にとって読んでおくべき古典中の古典だが、それにしても、どんな困難や圧力に対しても、自己の信念に基づき、堂々と「にもかかわらず」といえる政治家が少なくなって久しい。私益を追求する「生業としての政治家」が多すぎる。特に自民党内の状況は、北朝鮮か旧ソ連のような中央集権的色彩が濃厚で、総裁選でも対立候補が出られない窒息状況にある。安倍・党中央の絶大なる権力のおごりと昂りのもと、所属議員や閣僚たちの不祥事や失言が量産されている。安倍第1次政権のときの「何とか還元水・大臣」や「絆創膏大臣」などはまだご愛敬だった。いまは言葉の滑り方が尋常でない。これも安倍・党中央の「傲慢無知」と「厚顔無知」が投影しているのだろうか(右の写真は『朝日新聞』2016年2月19日付のまとめ)。
とりわけ、高市早苗総務大臣が、放送法4条の「政治的公平」に関連して、放送局の電波停止(電波法76条)に言及したことはきわめて重大である。放送法が1条で「放送による表現の自由の確保」をうたうことを前提に、4条2号の「政治的に公平であること」は放送事業者が自主的、自律的に遵守する倫理規定と解されてきた。これは戦前の新聞紙法、映画法、出版法などの言論弾圧立法への反省から、国家による直接介入を避けて、業界内部での自主的チェックに委ねたことが重要である。高市総務大臣は、憲法研究者や法律専門家の反対意見に耳を傾けることなく、集団的自衛権行使を「合憲」とする閣議決定を行い、安保関連法を実現した安倍首相の「お友だち」らしく、多数のメディア研究者が指摘する、放送法4条の倫理規定的理解(解釈)を完全に無視して、放送事業の統制に燃えているようである。
そうしたなか、安倍政権の「国家先導主義」は行き詰まりがはっきりしてきた。それでも安倍首相は、自民党総裁の任期を延長して、憲法改正と東京オリンピックの開催時の首相になろうとしている。自分のために総裁任期を延長する。「総理・総裁」という言葉が復活した日本では、総裁任期延長は首相在任期間の延長に連動する。これは国家運営の私物化にほかならない。任期に手をつける権力者は危ない。地方にもそういう人物がいる。
この「直言」では、約11年前に、埼玉県の上田清司知事が、知事の任期を連続3期12年までとする「多選自粛条例」を議会に提案して成立したことについて書いた。だが、上田知事は、自らこの条例に反して4選出馬して当選した(2015年8月9日)。その県知事選の投票率は26.6%(川口市は20.9%! !)だった。当選直後、自ら主導して制定した多選自粛条例を改廃する意向を表明した。県議会は反発。自民党は「(4選を否定する条例がある以上)4期目以降の知事は存在しない」と主張して、一般質問に立った8議員のうち5議員が知事に答弁を求めなかった。
この事態について、毎日新聞さいたま支局の鈴木梢記者の「記者の目:埼玉知事「多選自粛」破り」が問題点を的確に指摘している(『毎日新聞』2015年11月27日付オピニオン面)。横見だしは「『変節』し4選 説明を」である。これによれば、あの橋下徹・前大阪市長も、上田氏が4選出馬した当日、「自分の政治信条で条例化したのであれば、努力義務でも守るのは当然。政治家として価値観は合わない」と批判したという。
県知事選以来2回開かれた埼玉県議会では、自民党県議団が上田知事に質問しない戦術を展開した。一般質問に立った16人の自民党県議のうち、上田知事に質問したのは7人。あとの9人は事務方の部長らに答弁を求めて、知事への答弁を意識的にしなかった。県議団が上田知事を無視するのは、知事の「存在」そのものに関わる公約違反があったからである(『朝日新聞』2016年1月17日付)。
国政であれ、地方政治であれ、そのトップの在任期間に一定の制約を設けることは、選挙で多数を占める可能性があっても立候補することを認めないということになるから、特別の説明を必要とする。そこで、以下、アメリカ合衆国大統領の3選禁止規定の意味について書いた拙稿から引用しよう。これは拙著『18歳からはじめる憲法』(法律文化社、2010年)第1章からの抜粋である。なお、最新情報にあわせてバージョンアップした、『18歳からはじめる憲法〔第2版〕』(法律文化社、2016年)が近々に発刊されるので参照されたい。
◆ 大統領3選禁止規定の意味
・・・憲法に基づく自由な政治には、信頼ではなく、猜疑心が必要である。これは、アメリカ独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンの言葉である。「権力の問題においては、それゆえ、人に対する信頼に耳をかさず、憲法の鎖によって、非行をおこなわないように拘束する必要がある」(「ケンタッキー州議会決議」1798年)。権力への疑いの眼差し(懐疑)は立憲主義の深部に沈殿し、さまざまに工夫され、制度設計に活かされている。
その工夫の1つの例として、大統領の任期の制限がある。アメリカ合衆国の初代大統領ジョージ・ワシントンは、高い支持と人気で3選が可能だったにもかかわらず自らそれを断り、以後、大統領は再選までというのが慣行として定着した。憲法にも3選禁止規定が1951年に追加された(合衆国憲法修正22条)。かくして、大統領制をとる国の多くが、3選禁止規定をもつことになる。
なぜ、選挙に出れば確実に多数の支持を得られるという場合でも、3期目はなしなのか。「人気があっても、任期でやめる」わけで、再選がよくて、3選がだめな理由を合理的に説明するのは必ずしも容易ではない。ただ、権力の長期化が政治腐敗につながるという経験知が背後にあることは確かである。
なお、2期目の終わりに、無理に憲法を改正して3選を可能にしようとした大統領はけっこういる。ペルーのフジモリ元大統領もその1人だが、無理がたたって不幸な晩年を過ごした。ベラルーシでは、3選禁止規定を削除する憲法改正を国民投票までして行い、ルカシェンコ独裁政権が延命している。ナイジェリアのオバサンジョ大統領やロシアのプーチン大統領も3選禁止規定削除の改憲を在任当時狙ったが、さまざまな抵抗があり果たせなかった〔が、その後は第2版で加筆〕。権力者が「人気があるので、任期を延ばせ」といいだすとき、立憲主義を踏み外す危険な一歩が始まる例として記憶されてよい。・・・