きな臭い見送りと出迎えと、再び――「ドイツからの直言」へ
2016年3月28日

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日、3月29日、安全保障関連法が施行される。勲章を政治的玩具のように弄ぶ安倍政権が、「7.1閣議決定」によりこの国の立憲主義の根底を傷つける「憲法介錯」を行ってから637日目、歴史的汚点となる日である。野党が提出した安保関連法廃止法案は審議されることはなかった。安倍首相は3月18日の参議院予算委員会で、「日米の連携を損ない、同盟関係を大きく損なう」と、廃止法案の審議自体に否定的な態度を示した(『東京新聞』3月20日付1面「廃止法案 棚ざらし」)。国会で多数を有する与党は法案を審議の後に否決できるのに、審議そのものをさせないというのは国会軽視も甚だしい。「憲法蔑視」政権らしい行態ではある。

さて、この「直言」がアップされる頃、私はドイツに向かっている。来週月曜に「ドイツからの直言」第1回を出す。17年前にも、1999年3月31日から2000年3月27日まで、同じシリーズを55回アップした。今回もほぼ同じ時期にドイツ滞在を始める(ただし今回は半年)。かつての第1回のタイトルは「きな臭い見送りと出迎えと」であった。「・・・私が日本を離れたまさにその日に、日本海の「不審船」に対して、「海上における警備行動」(自衛隊法82条)が初めて発令された。そんなぶっそうな見送りをされてドイツに着いてみたら、空港の大衆紙Bildの真っ赤な自販機からは、「ヨーロッパの戦争」の大見出し。ドイツ連邦軍のトルネード戦闘機(電子戦仕様のECR)が戦闘行動に初参加したのだ。…」 今回も安保関連法の施行という「きな臭い見送り」を受けてドイツでの生活を始める。

安保関連法の施行により、日本にも、17年前のドイツと同じ「空気」が流れはじめている。自衛隊の海外への戦闘出動の可能性が広がり、自衛官の間にも動揺が生まれている。幹部自衛官になる防衛大学校の卒業生の任官拒否率は11%(47人)に達した(『毎日新聞』2016年3月22日付)。民間企業の採用状況がいいという問題だけではないだろう。ドイツでも17年前に私が滞在を始めた直後から、「軍人への戦争参加拒否の呼びかけ」が行われた。その後、イラク戦争の時も、陸軍少佐が任務を拒否して処分された。日本でもこれから、自衛官と「海外派兵」をめぐって、さまざまな形の訴訟が展開されるだろう。

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右の写真は、フリゲート艦「カールスルーエ」(F212)の艦橋横に貼られた「武器使用基準」である。パソコンで印刷され、透明のガムテープで貼った手作り感満載である。「射撃することを許されるのは、あなたが攻撃され、本艦が攻撃され、指揮官の命令がある場合である」。2008年、ソマリア沖の海賊対処のため、ドイツ政府は、EUの「アタランタ作戦」に参加した時のかなり応急的な対応だった。派遣されたフリゲート艦の艦名に、連邦憲法裁判所の所在地の都市の名前を冠した艦艇を選び、憲法上の制約があるという隠れたメッセージをにじませている。ドイツも日本も、他国と違って、憲法(基本法)との緊張関係が問われ続けるという共通性がある(拙稿「日独における「特別の道」(Sonderweg)からの離陸―1994年7月と2014年7月」日本ドイツ学会編『ドイツ研究』50号〔2016年3月刊行〕参照)。

ドイツ基本法は1956年3月、その第7次改正において、包括的な軍事法システム=防衛憲法(Wehrverfassung)を導入した。今月はその60周年にあたる。第7次改正では、軍人の基本権保障、連邦軍に対する徹底した議会統制、軍事オンブズマンの制度など、軍事に対する立憲的統制のモデルが導入された。これは他国の制度にも参考にされていった。前回の1999年のボンでの在外研究は「基本法50周年」さまざまな問題について現地で研究することだった。今回は、60年を迎えるWehrverfassungの規範(理念)と現実についての研究を深めることが狙いである。

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日本でも焦点になりつつある憲法改正と緊急事態条項について、ドイツの規範と現実について再度調べ、新たな情報や知見を収集してきたいと思っている。ボンの近郊にある「連邦憲法諸機関退避所」も17年ぶりに訪れたい。また、ボンのおもしろさは、「西ドイツ」と呼ばれた時代の首都50年の歴史そのものにある。ボンで制定された西ドイツの憲法は「ボン基本法」と呼ばれた。それに先行する州(ラント)憲法も魅力的である。半年でどこまでできるかわからないが、上記の問題についてもいろいろ調べてみたいと思っている。

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それにしても、かつてとは違った意味で、ドイツもヨーロッパもきな臭い雰囲気に包まれている。フランスでのテロ事件に続き、3月22日、ベルギーのブリュッセル国際空港と地下鉄で爆弾テロ事件が起きた。ブリュッセル経由でボンに入る便を予約したのだが、直前にフランクフルト直行便に変更した。

ドイツでは、ボンの隣のケルンの中央駅前で、大晦日にアラブ系・北アフリカ系の人々によるドイツ女性に対する集団性暴行事件が起きた。これにより、難民問題でメルケル政権は苦境に陥った。「ペギーダ」(PEGIDA)、すなわち「欧州イスラム化に反対する愛国的ヨーロッパ人」(Patriorische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlands)が旧東ドイツのドレスデンから始まり、西の各地でも活動を展開している。写真はその集会の模様である。「イスラムにチャンスはない」「偽装難民に莫大な金がかかる」というプラカード。3月13日には、3つの州議会選挙で、反ユーロ、反移民の右翼ポピュリズムの政党「ドイツの選択肢」(AfD)が大量得票した(東のザクセン・アンハルト州では、初参加なのに24%を得て第2党に躍り出た)。集団暴行事件に右派政党の躍進。ドイツでも爆弾テロの危険性がいわれている。まさに「きな臭い出迎え」である。

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今回は半年の滞在であり、かつ還暦をとうに過ぎて気力、体力、知力などが総合的に衰えてきているので、40代半ばの時のように車でヨーロッパ各地を取材してまわることはむずかしい。更新のないドイツの運転免許証(Führerschein)をもっているので、必要に応じてMietwagen(レンタカー)を使うことになろう。かつてスイスの大トンネルで恐怖体験をしたときの「お守り」を身につけて。

読者の皆さま。4月解散・総選挙、7月衆参ダブル選挙などが喧伝されており、憲法蔑視首相は改憲という目的のためには手段を選ばず、解散権の濫用に打って出るかもしれません。そういう大変な時期に海外にいることに幾ばくかの後ろめたさを感じつつも、かなり以前に決めていた予定なので、ここはお許しをいただきたいと思います。

これから9月まで、毎週月曜には「ドイツからの直言」をクリックしてください。


《付記》冒頭の写真は、3月22日に起きたブリュッセルの爆弾テロに連帯して、パリのエッフェル塔がベルギー国旗になった写真である。研究室の大学院生がたまたまパリに滞在していて、3月23日夜に撮影して送ってくれたものである。「連帯solidaité」の声が街中のあちこちで聞かれたという。
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