今日、5月23日はドイツ連邦共和国基本法67周年、ドイツの「憲法記念日」である。その記念すべき日なのに、事情により関連の「直言」をアップすることができない。原稿はすでに半分ほど書き上げているが、アップは少し先になることをお許しいただきたい。
今回は、雑談シリーズの第112回(前回〔111回〕は映画「野火」の話)として、「ドイツの生活」第1回「トイレ編」をお送りする。ドイツ基本法1条1号は、「人間の尊厳は不可侵である」(Die Würde des Menschen ist unantastbar.)〔PDFファイル〕と定める。ユニセフ(国連児童基金)とWHO(世界保健機構)の報告(2015年)によれば、地球上に住む24億人がトイレのない生活をしているという。「人たるに値する生活」(ein menschenwürdiges Dasein)(ヴァイマル憲法151条)といえるためには、衣食住を基本として、「食」と一対である「排泄」もまた確保されていなければならないだろう。排泄は「人間の尊厳」にもかかわる。というわけで、今回は基本法67周年にドイツのトイレの話をすることにしよう(とかなり苦しい「理屈」)。
たかがトイレ、されどトイレである。外国を旅行するとき、あるいは外国で生活するとき、必要にして切実な問題、それが旅先(外出先)でのトイレへのアクセスとその内容(特に清潔さ)である。椎名誠『奇食珍食 糞便録』(集英社新書)を読めば、中国やロシア、途上国におけるトイレのカタストロフな話に、身をよじって笑うことだろう。「11月10日」(いいトイレ)が「トイレの日」であることは、この原稿を書く過程で、日本トイレ協会(英名:Japan Toilet Association)のホームページで偶然知った。トイレの問題は、とりわけ災害現場で深刻〔PDFファイル〕である。東日本大震災における問題は私自身も現場で直接見聞きしたが、今回の熊本地震でも、この問題は改善されることなく繰り返されたようだ。
ところで、私がドイツを初めて訪れ、1カ月ほど滞在した1979年秋。まずびっくりしたのは、トイレのドアを開けるとそこに白衣の女性(Toilettenfrau)または男性(Toilettenmann)が立っていて、白い皿の上に50pfennig(0.5Mark)を置いていくように求められたことだった。これが何ともわずらわしくて、便意をもよおすと財布が気になり、小銭がないために、我慢しながら先に買い物をしたこともある。25年前の旧東ベルリン滞在中は、西に比べてさらに悲惨なトイレ状況を体験した。17年前のボン滞在中も、「直言」番外編でトイレ論を1本書いている。ネット上にも、ドイツ旅行中の「トイレの50(いまはcent)」についてのコメントがいろいろとあるようだが、今回はそれらを見ないで、あえて自分の体験に特化して、やや立ち入って(少々くどく)書くことにしよう。
3月末にフランクフルト空港に着いたとき、トイレの表示にしたがって移動しても、なかなか見つからなかった。上の階に行けといわれてエレベーターを上がり、どこかの航空会社の職員らしき人に聞くと、「ず~っとま~すぐ行け」(immer immer geradeaus! )といわれた。重いスーツケースを引きながらようやく到着すると(写真)、ずいぶん小さなトイレだった。男性トイレの小便器の数はたった6つ(写真)。このフロアでこれだけ、という少なさで、女性トイレも押して知るべし、である。障害者トイレのマークもあったが、フロアの端にあり、かなりの距離を歩かされる点では同じである。今回なぜ、空港到着時の「課題」がこれだったのかといえば、それは、前回の滞在が46歳の中年真っ盛りであり、今回が63歳で、世間的には定年退職者の年齢であり、かつ人並みに老化が進んでいることと無関係ではない。
そういえば、フランクフルト行きのルフトハンザ便には、関東のある高校のオーケストラ部のドイツ演奏旅行の生徒たちが乗り合わせていた。60人以上はいただろう。これだけの人数なのに機内では実に静かで、驚くべき行儀のよさだった。しかし、飛行機が着陸態勢に入る少し前、機内のすべてのトイレの前に20人以上の女子高校生たちの静かな、長い列ができたのである。これはすごい風景だった。やがてベルト着用のサインが出る。しかしまだ何人も並んでいる。決してもどろうとしない。客室乗務員は、最後の一人が終わるまで何もいわなかった。逆にドイツ人らしき乗客が、この生徒たちの毅然とした行列の迫力に驚いて、座席にもどってしまった。空港に着いてロビーに出たところで、日本人のコーディネーターらしき女性が、その高校の名前入りの札をもって出迎えていた。ドイツ在住の通訳兼コーディネーターであろう。この女性が事前に高校側に連絡して、「空港にはトイレが少ないので、着陸前にすませておくように」とアドバイスしたに違いない。あの集団が、随所にトイレがある羽田空港などの感覚でロビーに出てきたらと思うと、実に適切な指示だった。
ドイツの街中にトイレが少ないという点では、17年前から進歩がない。当時書いた「直言」にこうある。「・・・ボンの地元紙は、私が住むBad-Godesberg の中心部の劇場横に公共トイレを設置するかどうかをめぐって、1頁の半分も割いていた(General-Anzeiger vom 26.10.1999)。区議会で、そこに障害者用も作ろうと与党が提案。金をとる業者用にすべきだとの意見も出て、結局2000年中には実現するだろうと書いている」と。先週の金曜、東京から2週間の予定でボンにきた娘と孫2人と街中に買い物にでかけたおり、6歳の孫が急にトイレに行きたいというので、小走りで劇場横のトイレに連れて行った。2000年にできた公共トイレなのでトイレフラウはいないが、鉄の扉が重くて、小さな子どもや障害者では開けられない。このあまりきれいでない小さなトイレが、この地域の唯一の公共トイレなのだから、17年前の区議会の議論は何だったのか。
デパートやレストランはどうか。ボン最大のカウフホフ(百貨店)での体験談。建物全体で4階の衣料品売り場にしかないトイレの入口に、トイレフラウが白衣を着て、「50cent」という紙を乗せた白い皿の前に立っている。妻が私の分と合わせて1ユーロ(130円)を財布から出して置こうとしたまさにその時、私たちの真後ろを4人の若いドイツ人女性が笑いながらすり抜けていき、そのままトイレに入ってしまった。一瞬のことだった。
ボンでもよく知られた老舗レストランで、ボン大学の関係者と妻と4人で飲食をしていた時のこと。トイレに行こうと狭い階段を降りていくと、階段下の隙間に、太った白衣の男性が座っていて、太い声で「グーテンターク」といってきた。小便器の上に手書きで「50cent」と書いてあるので、手を洗ってから財布をあけ、50centを出して皿に置いた。「ダンケ~」。たいしてきれいでもないどころか、レストランに似つかわしくない「トイレの香水」を階段上まで漂わせている男になぜチップか、という思いだった。妻がそのあとに行って、10centと1centを混ぜて出して50centにして置いてきたという。でも、次に行った人の話では、50cent硬貨1枚だけが皿に乗っていたそうだ。立派な店だが、トイレは興ざめだった。
このトイレに立っている(座っている)人たちに渡すお金の問題について、ケルンの新聞に面白い記事を見つけた。「法的問題:トイレの金は払わねばならないのか」。そのものズバリのテーマである(Kölner Stadt Anzeiger vom 8.8.2008)。トイレフラウとの接近遭遇について、「極端に心理的な圧迫状況」とは、実に見事にそこでの心象風景を描写している。トイレを使う人は純粋に法的に見れば、トイレフラウに対する法的支払い義務はない。トイレフラウと当該施設(レストランや百貨店など)の経営者との間で清掃の委託契約があるだけである。トイレ利用者による支払いは常に「好意」(„Gefälligkeit“)であり、契約的基礎のない、法的義務のない給付である。ここで重要なことは、常に一種の「勧め(推奨)」(„Empfehlung“)であって、決して利用者に対する、法的拘束力ある契約の要請ではない、と。
納得のいく説明である。これからは胸をはって、50centを置いていかないことにしよう、というところまで私は強くはない。この国に半年だけ滞在する外国人として、「好意」の実質的な強制(心理的圧迫)であったとしても、ここは気前よく応じてしまうだろう。それよりも、ドイツではトイレは階段下の地下が多いという問題がある。なぜ、トイレは地下なのか。
一番驚いたのは、コブレンツの市立図書館が入ったビルのトイレである。旅行者用インフォメーションがあるので、さすがにトイレはあるだろうと期待して立ち寄った。インフォ横にトイレの表示があり、ドアをあけると階段があった。ところがその階段がいつまでたっても終わらないのである。気がついたら50段以上で、地下2階まで降りていた(ドイツの建物は日本より天井が高い分、階段の段数が多い)。そこには50centを入れないと動かない鉄のパイプがまわる機械が設置してあった(冒頭の写真と同種のもの)。幸い50centあったので、用を足すことができた。両替機は離れたところにあり、「事前」には気づかなかった。配慮が足りない(ベルギーのブルージュの博物館でも同じ)。ここでも若者が3人、パイプを乗り越えてドヤドヤと入ってきた。さすがに帰りはエレベーターを使ったが、妙に遅い。車椅子でも使えるエレベーターで、これが「障害者にやさしい配慮」というのなら、なぜ最初から1階奥につくるよう設計できなかったのか。子どもがたくさん訪れる観光施設に一箇所しかないトイレも同様。切羽詰まってトイレに向かったものの、21段もある階段の前で一瞬とまどっている(写真)。
アウトバーン(高速自動車道)の有料トイレも事情は同じである。東京からきた孫たちのことを考え、VWを長期レンタルした。17年前にボン市でとった運転免許証は、更新がないのでそのまま使えた。これでアウトバーンA3(オランダ国境からミュンヘンの先まで行く基幹道の一つ)を120キロの安全速度で、ボンからフランクフルト空港までの往復304キロを迎えにいった。その途中、17年ぶりにアウトバーンのトイレ事情を「取材」してみた。その結果、A3のトイレには4つのタイプがあることがわかった。
第1のタイプは、この間の民営化の進展を反映して、清潔でサービス満点だが一人70cent(日本円で90円近い)とられる民間会社(SANIFAIR)の有料トイレである。ガソリンスタンドとレストランがあるサービスエリアはこのタイプで、冒頭の写真がその入口のシステムである。常にレストランなどがあるフロアの階段下にある。ちょうど障害をもった子どもが必死に手すりにしがみついてお父さんと降りていくところだった。私もこの写真を撮ってからあとに続いたが、ここでハプニングが起こった。私の頭は昔から、トイレは「50pfennig」(いまは50cent)という固定観念があって、硬貨投入口に50centを入れた。だがパイプが動かない。「えっ、これは何だ」と、私の予測と生理的要求との間で混乱をきたしたまさにその瞬間、横から突然女性の手が伸びてきて、小さな硬貨を一つ投入口に入れたのである。ガタンと私のパイプがまわった。ここは70cent だということを知ったのはことがすんだあとだった。70と表示してある液晶画面は暗く、私のような年寄りには見えにくい(写真)。1ユーロを入れたおつりの一部を私のところに入れてくれた若い女性の配慮がうれしかった。瞬間的なことで、お礼をいう余裕もなかったので、女子トイレの前で待っていると、通りかかったトイレフラウに思いっきり睨まれた。明らかに不審者扱いである。ちょうど女性が出てきたのでお礼をいい、20centを渡そうとすると、笑顔で断ってサッと出て行ってしまった。ドイツ人ではなかった。
親切な女性の後ろ姿を見送り、パイプをまわして外に出て妻を待っていると、横に人型の穴を見つけた。この穴を通れる身長の子どもは無料ということである。障害者と妊婦は呼び鈴を押せば、ここを開けて無料で通れるということらしい。だが、表示は小さく、すぐ気づくような大きさではない。私がその穴を見つめていると、別のトイレフラウに「お前はそこからは入れない」というしぐさをされて、またも睨まれた。車にもどろうと階段をのぼると、80歳をとうに超えた白髪の老人たちが20人近く、観光バスから降りて、ゆっくり歩きながら(杖をつく人もいる)トイレに向かってきた。一人ひとりを観察すると、手ぶらの人が多い。男性もセーター姿なので財布をもっているのだろうか。そのあと、70centをめぐる壮絶なやりとりが階下で始まるのかと想像しながら、車に向かう。
車のなかで妻が、「70cent入れたのに50centの領収書しかもらえなかった」という。後でわかったことだが、これは領収書ではなく、サービスエリアで飲食する際の、50cent割引チケットだった(写真)。ということは、トイレフラウの取り分が20centということだろうか。小さな文字の詳細な説明を読んでからトイレに入る人などまずいない。清潔なトイレ(特に女性の便座は自動クリーナーが付いている)だったが、本来自発的に出すチップであるはずのものが、トイレフラウのために20cent分上乗せされているとすればあまり気分はよくない。いずれにしても、この清潔なトイレは70cent金がかかり、無料トイレを求めるならば他のパーキングに向かうしかない。清潔だが不快感が残った。
アウトバーンA3のトイレの第2のタイプは無料トイレである。これは「P、WC」(+電話)という表示の駐車スペースにある。サービスエリアと違うので、売店やレストランはない。ただ、無機質なトイレの建物だけがある(写真)。日本の高速道路だとどこも入口にドアはなく、そのまま入ることができる。しかし、ドイツは鍵のついた堅い鉄扉なのである。車を駐車して、その扉に手をかけるまで、そこが開くという保証がないという不安をかきたてる仕組みである。たまたま出てくる女性がいたので、私には必要性はなかったが重い扉を開けて中に入ってみた。決して清潔とはいえない、日本のどこにでもある公共トイレである。70centの有料しかないサービスエリアに入らず、無料トイレを求めてトラックがたくさん駐車している。その情報はスマホ上に表示されるらしく、ネットを検索して見つけたサイトには、ドイツ全国2454を超える無料トイレが地図上に表示されていた。ドライバーの必要性と切実性を背後に感じさせるサイトである。
3つ目のタイプは「P、WC」という表示があるのだが、公共トイレが「運休中」(außer Betrieb)と表示され、堅い鉄柵で閉鎖されているパーキングである(写真)。障害者用トイレも運休中のマーク。かなり前からこの状態のようで、表示は3カ国語で書いてあるが、必要性からここに駆け込もうとして、冷たい鉄柵を見れば誰でもわかることである。その前には仮設トイレが2つ並んでいる(写真)。駐車場には40台近いトラックが停車しているから、2つの「個室」をめぐる行列は終わったあとなのだろうか。白髪の老女のあとに、トラック運転手が3人並んでいるだけだった。「P、WC」の表示のパーキングには、仮設トイレが8つだけというところもあった。その一つに入ってみたが、便器はこわれ、悲惨な状態だった。
そして、第4のタイプ、そして決して当局は公には認めないであろうタイプがある。それが実質的な「野外トイレ」である(写真)。アウトバーン上の道路標識は「P」だけ。「WC」が書かれていない。さすがに今回、そこに駐車して「取材」する勇気はなかった。25年前も、統一後のインフラが不十分な旧東ブランデンブルク州のパーキングで体験済みだったからである。駐車場だけで、周辺は草むらになっている。随所に「痕跡」が残っていて、目も当てられない。まさに前掲「椎名誠の世界」である。基幹高速道のA3にも、そういう駐車場が何箇所かあった。その一つの横を通過する際、妻にシャッターを押してもらった。オランダからきた車(ナンバープレートが黄色)で、写真には入らなかったが、男性の「列」がそこにあった。
アウトバーンA3のトイレの4タイプから見えてくるのは、トイレ格差の著しい開きである。お金を出せば、清潔さはどこまでも徹底して追求される。他方、無料トイレについては進歩がない。もっと公共トイレ論が発達して、いろいろと体にガタのきた私のような老人の「必要性」にもこたえられるトイレの増設と整備を求めたいと思う。
この点において、日本はトイレの先進国であると確信をもっていえる。日本の「ハイテク・トイレ」について3年前に書いたことがある。そこでも触れたが、学生の留学率の減少には隠れた理由があって、それは、「ウォシュレットがない国には行きたくない」というものだった。ドイツの新聞は、トイレ文化の世界チャンピオン(Weltmeister)は日本だと書いていたが(Die Welt vom 18.11.2012) 、現在、ドイツの生活で享受できていないので、実に懐かしい記事ではある。
ドイツ在住の方にうかがった話だが、日本に里帰りしたときにお土産にウォシュレットを持ちかえったという。難しいのではと思われる水道の配管も、パートナーが技術屋なので、難なく取り付けられたそうだ。また、ベルリンに住む別の女性が語るには、「ベルリンの壁」が崩れ、翌々年にソ連軍が全面撤退する際、軍人らはドイツで使っていた便器をはずして持ちかえったとのことである。ロシアがいかにトイレについて問題があるのかについては、7月にロシアのモスクワとヴォルゴグラード(旧スターリングラード)に取材に行くので、その後の「直言」で報告する機会があるだろう。いまから恐ろしい。