ドイツ基本法67周年の風景――「自由の敵」のかたち
2016年5月30日

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6歳と3歳の孫が2週間の予定で滞在しているので、ボンのわが家は「非日常事態」(Ungewöhnlichkeit)になり、私の仕事も停止状態である。6歳の孫が恐竜と城が大好きなので、レンタカーを使ってゼンケンベルク自然博物館ホーエンツォレルン城をめぐる旅をした。前者は見事な恐竜骨格のみならず、動物剥製の執拗な展示に驚く。後者は、評価は別にして「プロイセン」(Preußen)という歴史的存在が、山の上の城とその内部にギュと詰め込まれており、とにかく圧倒される。6歳児の矢継ぎ早の質問に、かつては足早に通りすぎたところにも立ち止まり、じっくりみて説明するので、私自身、「こんなところにもプロイセンのこだわりがあったのか」というような新しい発見もあった。南西側にドイツ皇帝ヴィルヘルム一世とその父、祖父の3代の像が並び、その目はフランスを向く。そうした点も含めて、6歳児の「これなあに」の執拗な質問に答えようとしていたら、すでに彼の関心は扉に張ってあったドローン禁止のポスター(写真)に移っていた(汗)。冒頭の写真は城の入口にある表示(1849年に設置されたホーエンツォレルン州(Hohenzollernsche Lande)のもの)。タイムスリップしたような風景だが、この城全体がプロイセン・ホーエンツォレルン家の所有物になっている。幸い、これについての質問はなかった(これに答えるのはかなりむずかしい)。

往復935キロの旅だったが、道路は工事現場が随所にあって渋滞が生じていた。運良く大規模な渋滞は回避できたが、帰りにB27(連邦道27号)が大学街Tübingenの手前で、工事のため片側閉鎖・迂回路(Umleitung)になっており、細い田舎道で迷ってしまった。17年前は分厚い道路地図(ATLAS)で通りの名前を探して何とか走ることができたが、今はこの道路地図がサービスエリアやスタンドから姿を消していた。通りの名前が細かく出ていない大雑把な地図しか入手できなかったので、カーナビに依存することになった。ナビは女性の太い声で、「1キロ先右折。アウトバーン3号に入り、左側を維持。ケルン方向」なんて命令口調である。たいていのドライバーはヘンディ(スマホ)を併用している。帰宅後ネットを調べると、渋滞・迂回路の情報が確実に入手でき、私が迷った道路の迂回路も出てきた。最後はナビも無視して、基本方向を地図で確認しつつ帰宅できた。迷ったおかげで名も知れぬ田舎町のきれいな教会も見ることができた。ナビやスマホを使わないアナログな旅も悪くはない。なお、途中のアウトバーンで、車が道路から転落して火を吹き、消防車が消火中という生々しい現場を通りすぎた。

前回「直言」を出した5月23日はドイツの憲法記念日(基本法67周年)だったが、新聞記事としての取り上げ方は地味だった(デジタル版のみで触れたものもある)。「ボン基本法」の歴史にまつわる原稿を書いたのだが、6月以降、「わが歴史グッズの話」シリーズの第38回(前回は2015年11月16日)としてアップすることをご了承いただきたいと思う。

さて、その5月23日のドイツの新聞各紙のトップ項目は、前日に行われた隣国オーストリアの大統領選挙(決選投票)だった。緑の党の元党首のアレクサンダー・ファン・デア・ベレン(72歳)が僅差で勝利した。ベレンが50.3%、右翼ポピュリストの自由党(FPÖ)のノルバート・ホーファー(45歳)が49.7%という、すさまじい僅差だった。投票率は72.7%で、過去16年で最も高い数字とされ、投票総数は460万票。それが真っ二つに割れた。当初の開票速報では自由党の候補が優勢だったが、「郵便投票」(2007年導入)の開票が進むと逆転。最終的に31,026票差でベレンが当選した。オーストリアは同じ2007年に国政選挙にも16歳選挙権を導入したから、それがどのように影響したか興味深い(ちなみに、地方選挙に16歳選挙権を導入したドイツのブランデンブルク州では、16、17歳の投票率が高く、最も低いのは21歳から24歳という数字がある)。

新聞各紙には、「knapp(すれすれ)」 という表現が使われ、高級紙の一面評論には、「もし31,027人のオーストリア人が連邦大統領選挙において別の候補者に投票していたら、この国は褐色の泥沼に沈んだことだろう」という挑発的な書き出しの論評が載った(ただ、この論評はそうした指摘は否定。Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 25.5.2016, S.1)。「全ヨーロッパが胸をなでおろしている」(Ganz Europa fällt ein Stein vom Herzen)というシュタインマイヤー(ドイツ外相)の言葉が象徴的である。

各紙の報道を見ても、大統領選挙は「ヨーロッパにとっての実験」と比較的好意的に書く保守系紙は別として(Die Welt vom 23.5, S.1)、おおかたは、右翼ポピュリスト政権がオーストリアにできなかったことに安堵する論調だった。EUの不安定要素は、難民排斥から報道の自由への抑圧、憲法裁判所への圧力など、中国・北朝鮮なみの人権感覚をもつ右翼ポピュリストが政権をとっているポーランド、ハンガリー、フィンランドといった「先輩」がいるが、やはりドイツの新聞を見ていると、「中欧なしにヨーロッパなし」という観点から、オーストリアが踏みとどまったことを肯定的にみている(FR vom 24.5, S3)。もしホーファーが当選していたら、8年遅れで、右翼ポピュリストのJ.ハイダー(ケルンテン州首相。急逝)が権力を獲得したのと同じ状況が生まれたかもしれない。しかし、当時と違ってより深刻な問題は、ハイダーが得票できたのは最大11%だったが、今回は過半数にわずかに及ばないところまで迫ったことである。難民排斥や表現の自由制限、反EUなどの姿勢が、かなりの国民に共感を呼んでいるということだろう。

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「オーストリアは褐色(braun)にならず、色とりどり(kunterbunt)になった」(Süddeutsche Zeitung vom 25/26.5, S.4)。「褐色」はナチスを意味するが、色とりどりの意味はファン・デア・ベレンが左から保守までの「反ホーファー連合」のみこしに乗って当選したため、個々の政策ではまさに「色とりどり」で、そのあたりが政権の不安定性につながるという見方もある。自由党は当面の選挙には敗北したが、決して負けたとは感じておらず、勢いがある。とりわけ、市町村ごとに最大得票をした候補を色分けした地図(Frankfurter Rundschau vom 24.5, S.2)を見ると、当選したファン・デア・ベレン候補(緑色)はウィーン、グラーツ、リンツ、ザルツブルク、インスブルック、クラーゲンフルトなど都市部では勝ったが、それ以外ではほぼすべてホーファー候補が第1位だった。右翼ポピュリストを支持する人々が地方には多いということである。今後のオーストリア政治の展開のなかで、この「31,026票」という際どい差がいつでもひっくり返る可能性がある。そして、ドイツの州議会選挙、続く連邦議会選挙で右翼ポピュリスト政党「ドイツのための選択肢」(AfD: Alternative für Deutschland)躍進が確実視されている。この党は、基本法の憲法価値を正面から否定することはしないものの、それを内容的に空洞化し、無意味化することをめざしている。

この点で、コール政権と第2次メルケル政権で法務大臣だったサビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガーが『南ドイツ新聞』に寄せた長文の論稿が興味深い(Süddeutsche Zeitung vom 25/26.5, S.2)。タイトルは「自由の敵」。FPÖの僅差の敗北からの一教訓として、「AfDのイデオロギーはオーストリア自由党(FPÖ)にまさるとも劣らず反動的である。そして残念なことに同様に魅力的である」として、その極端な主張が人々の心をつかむ危うさを指摘している。AfDはドイツを1955年よりも前にもどそうとしているとして、その「原則綱領」の反動的モデルも批判する。AfDのアイデンティティの構成のなかにアンチ・モダーンが明確になっているとして、それは1848年、1871年、1919年の憲法伝統には見いだされるが、決して現行のドイツ基本法のなかにはないとする。右翼ポピュリズムは常に自由敵対的、反啓蒙主義、開かれた社会に敵対的に作用しようとするがゆえ、右翼ポピュリストには明確かつ内容的に対処すべきであると彼女は強調する。そして、わが(憲法)価値との不合致性はAfDの(主張の)内容に即して明確にされねばならないとして、「少なくともオーストリア(の選挙結果)が示していることは、右翼ポピュリズムがいかに早く(ドイツにおいても)死活的な問題になり得るかということだ」と警告し、論稿を結ぶ。

この元法相は、監視国家やプライバシーの問題にことのほか強い主張をもち、コール政権の法務大臣時代、基本法13条(住居の不可侵)を改正(3項新設))して、組織犯罪に対処できるように住居に盗聴器設置を可能とする政府方針(「大盗聴」)に強く反対。1996年1月に法相を辞任している。そして、盗聴は違憲として、連邦憲法裁判所に憲法異議の申立てを行っている。それでも、2009年にメルケル政権の法務大臣に任命されている。ちなみに、辞任した大臣が同じ大臣に再任された例は、ドイツの歴史上存在しない。それだけ、彼女の憲法や基本権へのアフェクションは強烈である。オーストリアの選挙結果と同様のことが、ドイツにおいても起こりうるのかどうかはわからない。だが、地方選挙や世論調査の結果を見ても、この党のむき出しの本音主張に喝采する人々がいることは確かである。

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ところで、そのAfDは、今年3月の州議会選挙で大躍進したが、その余波は、AfDが初参加で24%を超える得票をして第2党となったザクセン=アンハルト州におけるきわめて不自然な連立政権(アフガン連立[保守(黒)と社民(赤)と緑の党]という)に及んでいる。誰がこんな政権ができると想像したか。政治不信が深まり、AfDはそれを「栄養」にして力をつけていく。「自由の敵」「憲法の敵」は、自由そのものをベースに、憲法の手続きを利用して、自由と憲法を葬るという教訓の今日的意味が注目されている。

ただ、他方において、「自由の敵に自由なし」、「憲法の敵」といった政治的闘争概念(Kampfbegriff)については慎重さも求められる。同じ『南ドイツ新聞』翌日付に、ベルリン・フンボルト大学の若手公法研究者が論文を公表した。タイトルは「〔憲法〕愛国主義の汚れた側面」、サブタイトルは「誰が憲法の敵なのか?その概念〔憲法の敵」〕は法律学的には限定的に、しかし政治的には広範かつ曖昧に捉えられる」(F. Meinel, Die schmutzige Seite des Patriotismus: Wer ist ein Verfassungsfeind? Juristisch ist der Begriff eng gefasst, politisch aber weit und unscharf,in:Suddetusche Zeitung vom 27.5, S.12)。以下、この論稿のポイントを紹介しつつ、この論点について簡単に解説しよう。

ヴァイマル憲法のもとで「憲法の敵」という考え方を打ち出したのはカール・シュミットである。どんな憲法にも、民主政治の任意の処理に委ねられない、価値的な規範的「憲法核心」(Verfassungskern)があり、この内容的に特定された憲法核心〔基本権、法治国家原理など〕を拒否または政治的に敵視する者は、形式的に合法な手段をとる場合でも「憲法の敵」となる。では、誰が「憲法の敵」と「憲法の友」を決めるのか。シュミットはこれをライヒ大統領であるとした〔「憲法の番人」〕。そして、ナチスの授権法を新しい「憲法の核心」に祭り上げ、ナチ独裁への露払いの役回りを果たした。戦後のドイツ基本法は、最初から「憲法の敵」の考え方を採用したものの、その文言は使わなかった。そして、表現の自由などを濫用した者の「基本権喪失」(基本法18条)、「自由な民主主義的基本秩序」(FDGO)を侵害・除去等を目指す政党の禁止(同21条2項)などを定めた。その意味で、「憲法違反性」(Verfssungswidrigkeit)と「憲法敵対性」(Verfassungsfeindlichkeit)の区別は重要である。後者は基本法上文言として存在しない。しかも、憲法違反かどうかの判断権を連邦憲法裁判所に独占させている。これがドイツの「たたかう民主制」である。1950年代のアデナウアー政権時代に、ナチスの残党(SRP)とドイツ共産党(KPD)が憲法違反政党として禁止されて以来、これらの条文は使われていない。したがって、「憲法の敵」という概念の使用には法学的には厳密さと慎重さが求められる。

この論稿によれば、フランス極右の国民戦線のル・ペンも、ドゴールがつくった第5共和制憲法の真の番人という自己理解をもっており、AfDも法治国家原理や民主制、基本権などに基づく姿勢を綱領のなかでとっている。

かくして、この若手研究者は、前日に出た元法相の論稿を意識しつつ、「憲法の敵」の政治は、連邦共和国の憲法愛国主義の汚れた側面であり、それへの安易な依拠は「たたかう民主制」の憲法諸制度を弱化させるだけでなく、政治制度への信頼の低下をももたらすと批判しつつ、「憲法が脅かされているみる者は、漠然とした同一性政策をいやおうなしに促進していくことになる」と指摘するのである。

しごくもっともな指摘であり、右翼ポピリュリズムの台頭に対処するのには、「たたかう民主制」の諸制度の動員には慎重であるべきで、あくまでも言論には言論の姿勢が重要だろう。ただ、それにしても、「オーストリアの状況は明日のドイツである」という危機感が広まっていることは確かである。

AfDの党首フラウケ・ペトリーは、今年の1月には、難民の流入阻止のため、難民の女性や子どもに対しても危急の場合、武器の使用があり得ると発言した(Mannheimer Morgen vom 30.1.2016)。警察官労働組合から抗議され、発言を撤回している。そのAfDは、5月1日、シュトゥットガルトで開いた党大会で、2013年2月の結党以来初めて、党の「原則綱領」(Grundsatzprogramm)を採択した。その概略は下記の通りである(Süddeutsche Zeitung vom 2.5, S.5)。

・イスラム教との関係
イスラム教はドイツには属さない。我々の法秩序を尊重せず、敵対さえし、かつ単独に妥当する宗教としての支配要求を唱えるオーソドックスなイスラム教は、わが法秩序と合致しない。公共の場および公勤務におけるブルカとニカブの禁止。
・移民・刑法
無規律な庇護移民はドイツに損害を与える。難民の流入を中止する。ドイツ国境の保護のための柵を設ける。処罰されるべき外国人の国外追放を容易にする。すべての少年の刑事責任年齢を14歳から12歳に引き下げる。
・EUとの関係
政治同盟としてのEUはもはや存在しない。欧州経済共同体(EEC)をモデルにして経済共同体にする。「ユーロの実験」は「整然と終了」。ユーロ圏にとどまるかの国民投票を実施。トルコは決してEUに加盟させない。
・選挙と政党システム
スイスモデルのプレビシット(直接民主制)の要素を強化する。連邦大統領を直接選挙で選ぶようにする。議員の委任期間は、選挙区から直接選出される議員を除き、4立法期に限定する〔比例選出議員の多選禁止〕。
・家族政策
保育園と家庭教育は同等で併存する。伝統的家族を指導理念とする。「父母と子ども」が社会の細胞(Heimzelle)である。男女同権政策、クォーター制、「間違って理解されたフェミニズム」は批判。多産家族の促進。堕胎の抑制。
・経済・租税政策
租税法は劇的に単純化する。低所得、中間層とその家族は免税。相続税の廃止。営業税は再検討。最低賃金は維持。
・メディア政策
現在の形態の公法上の放送(ARD, ZDF)は受信料もろとも廃止する。実際に放送を利用する者が払う。
・環境政策
脱原発を抑制し、原発の運転期間を延長。環境へのCO2の影響はプロパガンダである。シェールガス開発の研究はすすめる。
・防衛政策
男性の一般的兵役義務を再導入する。NATO加盟は問題にされないが、軍事同盟はドイツの国益に適合させる。

AfDの主張をみていると、ところどころ今の安倍政権や橋下徹(おおさか維新)のそれと重なる。直接民主制の恣意的な強調(憲法96条先行改正)、旧家族制度的発想による家族政策、メディアの統制、原発再稼働、徴兵制…。憲法のもとで成立した政権だが、憲法の根幹を傷つける「憲法介錯」による壊憲を行う政権という点では、まさに「憲法の敵」であり、市民的自由の統制にことのほか熱心という点では「自由の敵」といっていいだろう。ドイツの「憲法記念日」に隣国オーストリアの選挙結果が警告した問題は、日本においても死活的意味をもってきている。

《付記》
5月26日、オバマ大統領が原爆投下71年目にして初めて広島を訪れるアメリカ合衆国大統領となった。平和公園で行われた17分間のスピーチの評価について、日本でも意見が分かれている。ドイツの報道も『南ドイツ新聞』をはじめ興味深いものがある。これはまた稿を改めて紹介することにしよう。
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