象徴天皇の「務め」とは何か――「生前退位」と憲法尊重擁護義務
2016年8月15日

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シア取材に引き続き、ドイツ東部5州のうちの3つをまわり、ボンの家を2週間近く留守にしている間に、街路樹のマロニエはいつのまにか実をふくらませ、ナナカマドの実は鮮やかな赤い色に変わっていた。気づくと、木々の繁みのなかでひっそりしていたリスが姿を見せるようになった。今年のボンの夏は雲が厚く、時おり雨も降り、最高気温が25度を上回る日はわずかだ。先週帰宅してからも朝は10度に届かず、自動で暖房が入ったほど。たまたま家主と天気について話すと、「きわめて異例(ungewöhnlich)、ほとんど秋です」と両手を広げた。

3回のロシア連載を終えて、ドイツ東部の過去と現在にかかわる問題についての「直言」原稿を書いていたが、8月8日朝8時(日本時間の同15時)から天皇の「お気持ち」映像が流れるという情報を得て、早朝からネットをつないでNHKのサイトをみていた。居間のテレビをつければ、290チャンネルで英語放送「NHKワールド」をみることができるが、これは籾井会長肝入りの「美しい国・日本の宣伝放送」としかいいようのない代物で、ほとんどみていない。ネットをつないで待っていると、画面に天皇が出てきた。こういう形で天皇が直接国民に語りかけるのは、東日本大震災の時以来、2回目である。だが、この形式の異例さは、天皇が「生前退位」の意向を自ら示唆するというその内容の異例さによって加速され、それはあたかも「玉映放送」のように海外でも注目を浴びた(「玉音放送」は正午、今回は午後3時)。

「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」〔ここで読めます〕(全文は宮内庁ホームページ参照)。11分ほどで、ワープロ原稿縦書き、全角数字・読み仮名含めて1823文字の簡潔なものだったが、政治家たちの饒舌で軽い語りとは異なり、推敲に推敲を重ねた文章という印象である。最初に聞いたときに耳に残った言葉は「個人」と「家族」。そして頻繁に出てくる「務め」(7回)と「象徴」(8回)。「天皇の務め」「象徴の務め」「象徴天皇の務め」という使い分けのなかから浮かびあがるのは、象徴天皇制への徹底したこだわりである。ペリリュー島などへの慰霊の旅を「象徴的行為」と表現したところは、憲法学上の象徴行為説を自ら採用したかのようだが、それはともかく、「象徴」と「務め」がこの「おことば」の核心をなしていることは確かだろう。「おことば」に対する日本のメディアの反応、同業者の議論などを十分踏まえて論ずることのできない海外在住という状況のもと、まずはドイツメディアの反応を紹介しながら、私なりのコメントを加えていくことにしたい。

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「おことば」を、ドイツのテレビで最初に伝えたのは、ARD(第1放送)昼12時のニュース(tagesschau)だった。1分31秒で、「明仁が退位を示唆する」(Akihito deutet Abdankung an.)というタイトルである。ZDF(第2放送)の夜のニュース番組(heute journal)では、資料映像も使って2分33秒と、比較的長く伝えた。ネットに残るその放送タイトルは「日本の天皇明仁:力が衰える」(Japans Kaiser Akihito: Kraft lässt nach)である。

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翌9日のドイツの新聞各紙のなかでは、『南ドイツ新聞』が一面トップに写真を持ってきて、近所の店の新聞コーナーで一番目立った。そこに付けられた見出しは「天皇は疲れている」(Der Kaiser ist müde)で、4面の解説記事(「象徴が退く」〔Ein Symbol tritt ab〕)の出だしの文章もまた、「天皇明仁は疲れている」だった。ともにChristoph Neidhart東京特派員の執筆である(Süddeutsche Zeitung vom 9.8.2016, S.1, 4, 7)。解説記事では、象徴天皇制の成立についてコンパクトに解説した上で、「戦前の社会秩序への復帰を夢想している」安倍晋三首相周辺のナショナリストたちの動向にも触れながら、安倍が米国の後見から脱して、軍事的にも米国に近づこうとしている(S.4)、「保守的な与党自民党の安倍周辺の多くは退位に反対している」(S.7)と書いている。「天皇には政治的表明・行為は憲法上禁じられており、退位には法律の改正が必須なので、彼はこの可能性についてただ行間でのみ(nur zwischen den Zeilen)語った」「明仁は1989年に天皇に即位して以来、宮中の硬直した規則の慎重な改革に取り組んだ。同時に彼は、心の底から(mit vollem Herzen)平和憲法を支持し、かつ第二次世界大戦中の日本の暴力的なナショナリズムを拒否している」(S.7)。

『フランクフルター・アルゲマイネ』はPatrick Welter東京特派員のほぼ1頁を使った記事(「新しい年号(Zeitrechnung)のはじまり」)を掲載している(Frankfurter Allgemeine Zeitung vom 9.8.2016, S.1, 3)。そのなかで、「天皇の退位の願いとは別に、安倍自民党は、憲法改正において天皇を再び国家元首にしようとしている」が、「彼〔明仁〕は、戦後憲法のもとで、その職に神の如き元首として就かなかった最初の天皇である」(S.1)。特集記事は、天皇が皇后とともに雲仙普賢岳災害、阪神大震災、東日本大震災などで被災者を見舞ったことや、第二次世界大戦の犠牲者の慰霊の旅を続けたことなどに触れながら、2015年新年の挨拶で、戦争が1931年の満州事変によって始まったことを想起しつつ、それが中国への日本の侵略であったこと、そして天皇がこれによって、西欧の侵略に対する防衛戦争であったとする〔歴史〕修正主義者に否定的な立場をとったとしている。なお、この記事は、「皇太子徳仁はこのような発言で注目されることはこれまでなかった」と付加する(S.3)。

総じて、日本国憲法下の象徴天皇制の歴史と経緯を振り返りつつ、日本の国家・社会の変化のなかでそれが果たしている役割に注目している。多くの記事や映像が、大震災の被災地(多くは「Tsunami」と紹介したが、「Fukushima」としたものもあった)を訪問した際の天皇の映像・写真を使った。他方で、安倍政権の改憲路線と天皇の憲法に対する姿勢との間の「距離」にも関心が集まっている。

さて、1800字あまりの「おことば」を読むと、これまで天皇が語ったものにはない焦燥が感じ取れる。『南ドイツ新聞』が二度も使った「天皇は疲れている(müde)」という表現に引きつけていえば、一体誰が天皇を疲れさせ、このような不自然な形式と内容の「おことば」を発せざるを得ない状況にさせたのか、ということである。そのことに触れる前に、まず「おことば」の内容に関わって感想を述べておこう。日本における新聞・雑誌などにおける専門家の議論などはほとんど読んでいないので、あくまでも「おことば」に即して私が気づいたことを記していく。

まず、「社会の高齢化のなかでの高齢天皇」という問題提起は、人間を「象徴」とした日本国憲法に内在する「巨大な宿題」といえる。生身の人間を「象徴」の地位に据え、皇室典範4条(「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」)により、その「死」をもってしか代替わりに着手できないという制度を採用したために、1988年9月19日(月)から翌年1月7日(土)まで、昭和天皇の「死」を待つ長い過程(それは「自粛」という形での社会的停滞を生んだ)を必要とした。一人の人間の生物学的な死が、そのまま「国の象徴」の交代につながる仕組みの必然的結果であった。メディアは「Xデー」として「その日」の紙面(予定稿)の制作に余念がなかった(Y紙の県版が事前に漏れるというフライング現象も起きたが)。そうした状況を最も身近で、かつ切実に体験した現天皇の「おことば」は、驚くほど率直なものだった。

「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合」に「社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶこと」、天皇の終焉にあたり、「重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月」、その後1年にわたり「喪儀に関連する行事」と「新時代に関わる諸行事」が同時進行することにより、「行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれ(る)」。「こうした事態を避けることは出来ないものだろうか」と。「残される家族」という表現は、「天皇に私(わたくし)なし」とする保守派が当惑するほどの大胆さである。

天皇の死による代替わりの仕組みを改めるには、皇室典範4条を含むいくつかの条項の改正が必要となる。天皇自身がこの「おことば」で、「現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したい」として、「個人」という言葉を使った。現行の皇室典範では一般に、天皇という、生きている限りその地位から離れることを許されない人が、「公的」な場で語る限り、「個人的見解」を自由に述べることは許されない。だが、1946年の「天皇の人間宣言」からちょうど70年。これを2016年の「天皇の個人宣言」とまでいうかどうかはともかく、強い決意をもって「個人」という言葉を使ったことだけは間違いないだろう。

次に注目されるのは、「天皇の高齢化に伴う対処の仕方」として、「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくこと」について、明確に「無理」と断定していることである。そもそも憲法上に根拠のない「象徴としての行為を限りなく」拡大してきたのは歴代政府であり、その「ご公務」の異様な多さが、高齢となった天皇に巨大な負担となってのしかかるというジレンマを生んだわけである。天皇はその解決法として、「行為」の漸進的縮小の方向を拒否した。これは天皇の「行為」に対して「助言と承認」(憲法3条)をなす内閣に対する不満の表明に等しい。

さらに、「おことば」のなかで驚かされるのは、未成年の天皇や重病などによる機能不全の場合に置かれる「摂政」(憲法5条)の可能性をはっきりと否定したことである。その理由は、摂政を置いても、「天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」として、「務め」を果たせぬまま死ぬまで天皇でいるのはごめんだという強い意志が示されている。それは、安倍政権の周辺から聞こえてくる、「摂政で対応する」という動きに対して、明確に「ノー」を突き付ける結果になった。

「象徴」という言葉が繰り返し使われ、日本国憲法のもとでの象徴天皇を「守り続ける責任」という表現も見逃せない。別のところでは、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくこと」が強調されている。ここに、「象徴」に加えて自民党「改憲草案」が打ち出す「天皇元首化」に対する危惧の念が潜んでいるのではないか。

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「務め」という言葉も幾度となく使われている。天皇にとって「務め」とは、「何よりもまず〔国民の〕安寧と幸せを祈ること」「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」とされる。これは前述のドイツ紙各紙がいずれも言及する、震災現場に直接足を運ぶ姿勢として知られている。そして、憲法1条の天皇の象徴性が発揮されるためには、国民が、「天皇という象徴の立場への理解」を深めると同時に、天皇自身が、「自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる」という箇所も見逃せない。本文では主語と述語の関係が微妙に操作されているが、私がここに書き換えたように、明らかに天皇は、自らの地位と存在そのものを決定できる主権者・国民に対して、もっと天皇と憲法に対して関心をもってほしいと求めているのではないか。また、「務め」について、自らへの戒めだけでなく、「次の天皇」に対する心構えを説いたという面もあるだろう。

「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。」と憲法4条を意識した慎重な言い回しをしながらも、「おことば」には明らかに、象徴天皇制のあり方の転換(皇室典範の改正を含む法制度の改変)と、摂政を置くことの事実上の拒否という、内閣の政策判断への強い方向づけを含んでいる。4条にいう「国政」とは、憲法学上、国の政治上の機能または国の政治に実質的影響を与える機能と解釈されているから、厳密にいえば、この「おことば」により天皇が「国政」に事実上コミットする結果となったことは否定できないだろう。8月6日(ヒロシマ)と8月9日(ナガサキ)をはさんで、8月15日の1週間前というタイミングも意味深長である。この天皇の行動を憲法4条違反という角度から論ずることも可能だが、私はその立場をとらない。

一般に、憲法学で天皇について語るときは、何よりも「象徴」の形式的・儀礼的な存在性から出発する。天皇の地位を「主権の存する国民の総意」に委ねたことを重視すれば、天皇の地位は「憲法改正の限界」には含まれず、その廃止の選択肢も、理論上は排除されていない。そして、天皇の行為は、「この憲法が定める国事に関する行為のみ」に限定され、国政との関係を切断されている(4条)。「のみ」という強い表現に着目すれば、天皇の行為は、首相と最高裁長官の任命行為(6条)と、7条に限定列挙された10個の行為、それに国事行為の委任(4条2項)の計13個に限られる(それ以外の行為類型について諸説あり)。純粋な私的行為を除き、天皇の行為について内閣の助言・承認が必要となり、すべて責任は内閣が負う(3条)。憲法が定める国事行為という形式的・儀礼的行為を実施するときにのみ、またその限りにおいて、天皇は国の象徴となる。象徴天皇制というものを国民主権との関係でギリギリ親和的に説明すればこうなるだろう(拙稿「国民主権と象徴天皇制」)。

ちなみに、手元の電子辞書に収録されている『アクセス独和辞典』で“Kaiser”と入力すると、例文は“ In Japan hat der Kaiser nur symbolhaften Charakter.”(日本では天皇は象徴としての役割しか持っていない)と出てくる。試しに『アクセス和独辞典』で「天皇」と入力してみると、同じ文章がたった一つの例文として出てくる。だが、70年近くにわたって存在してきた日本国憲法の象徴天皇制について、「象徴としての役割しか」という表現では片づけられない側面があることも率直に認めなければならないだろう。象徴天皇制の「運用」全般をさまざまな角度から検証することが求められる所以である。

まずいえることは、日本国憲法の象徴天皇制は、現天皇において初めて完成水準に到達したということである。昭和天皇の場合、「元首」「大元帥」の時代がおおよそ3分の1、「象徴」としての時代がおおよそ3分の2であった。これに対して、現天皇は日本国憲法のもとでの象徴天皇第1号、その意味では「純粋象徴天皇」ということになる。父親は完全なモデルにはならない。戦争中「大元帥」であった父に身近で接してきた彼は、「日本国憲法下の皇太子」の時代から、象徴天皇制とは何かを考え続けてきたと語っている。その意味では、現天皇以上に憲法(9条を含め)と象徴天皇制について考え、模索し、実行してきた人はいないだろう。28年あまりの象徴天皇としてのプラクティス(「憲法実践」)の積み重ねのなかで、彼は憲法と象徴天皇のあり方に心をくばってきたはずである。その流れから診れば、今回の「おことば」は明らかに異例である。皇室典範改正への「国政」の議論を誘導することになることを承知の上で、あえて「おことば」に踏み切った。憲法に対してどこまでも真剣に考えてきた天皇だからこそ、従来なら考えられないほどに「踏み出す」ことになったのはなぜか。「やむにやまれぬ気持ち」を病気と手術という「自分ネタ」によって表現し、かつ自らの「生前退位」というわかりやすい形で世界に向けて発信した。そこには憲法に基づく象徴天皇の「命がけの飛躍」があった。

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現在の天皇は、今回の「おことば」ほどの「飛躍」ではないにせよ、過去にも憲法に対して真剣に考えてきたことが分かる発言をしている。例えば、2013年12月18日の発言「天皇陛下お誕生日に際し(平成25年)」はこうだ。「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」(宮内庁ホームページ)。この発言は、その前年に「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」(『朝日新聞』デジタル2012年12月14日)といってのけた安倍首相との対比で注目された。

また、12年前の2004年秋、東京都教育委員・米長邦雄氏は園遊会で天皇に向かって、「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが、私の仕事でございます」と胸をはった。ところが、天皇は、「やはり、強制になるということでないことが望ましいですね」と返した。米長氏の狼狽ぶりは、テレビのニュースで全国放映された。この「やはり」という言葉は、憲法のことを真剣に考えてきた天皇自身、思想・良心の自由を保障した憲法19条との関係で強制になることを危惧する認識を持っていたからではないか。

憲法99条は天皇に憲法尊重擁護義務を課している。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」天皇に関する憲法上の条文は、憲法1条から8条まで、そして88条(皇室財政)があるが、1条は別格として、他のいずれにも内閣あるいは国会が関わっている。だが、99条だけは天皇が、国務大臣や国会議員とフラットに並んでいる。憲法尊重擁護義務の担い手として列挙されるなかに、天皇も含まれているのである。この義務の行使にあたっては、内閣の助言と承認なしでも、天皇自らの判断でその義務を果たすことが憲法上不可能とまではいえないのではないか(拙著『18歳からはじめる憲法(第2版)』法律文化社、2016年19頁参照)。

前述の「天皇陛下お誕生日に際し(平成25年)」や園遊会での天皇の発言よりも一歩踏み出し、例えば、内閣が違憲行為を行い、国会が十分にそれを統制できないような状態が起きた場合、天皇に憲法擁護義務が課せられていることの意味をどう考えたらいいか。昨年の集団的自衛権行使をめぐる「7.1閣議決定」安保法案の国会通過・成立というこの一年間の状況をみるとき、いままさにそうした状態にあるのではないか。しかも、半数近くの有権者が選挙に参加しないという形で、国民がこの状況を結果的に追認した形になっている。参議院選挙では改憲勢力が3分の2を超えた。「みっともない憲法ですよ、はっきり言って」という首相の内閣がさらにパワーアップし、内閣改造では核武装も辞さない大臣が加わり、憲法改正への動きが加速している。象徴天皇制を定める日本国憲法は、その存続の危機に陥っている。そのとき、天皇が憲法擁護義務を果たすべく「おことば」を発したとしたら、これを憲法4条からみて疑問ということができるか。日々の国政ではなく、立憲主義の根底が覆させられようとするとき、憲法99条に基づく憲法擁護義務の行使は、憲法4条が禁ずる「国政に関する権能」(powers related to government)の行使にあたらず、まさに国政が作動すべき立憲主義的な枠組みの維持のための憲法擁護行為ということができるだろうか。

そもそも憲法が天皇に憲法尊重擁護義務を課したのは、国民主権と世襲君主制の絶妙なアマルガム(妥協の産物)である象徴天皇制が、国民主権、民主制のルールから逸脱することを抑止する方に重点があった。天皇の行為に対する内閣の「助言と承認」も、皇室財政に対する国会統制も、民主制の徹底の側面をもっていた。だが、内閣の側が天皇に対して、憲法上列挙された国事行為以外のさまざまな「ご公務」を拡大して、結果的に天皇の負担を増やし、「公務の激務化」を招来しているという面は否定できないのではないか。もちろん、激戦地への慰霊の旅は天皇自身の強い希望を内閣が受け入れて行なわれたといわれており、拡大されてきた「象徴的行為」の評価も一律ではない。天皇の憲法擁護義務も、憲法に定められた限りのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。天皇に安倍内閣をいさめることを願うのは過剰期待であろう。実際、天皇の「心労」を増やし続ける安倍内閣を止めるのは国民自身でなければならない。それができない国民に向かって、「もっと憲法を」と天皇は訴えたのではないか。

最近、「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」(平野三郎記、昭和39年2月、憲法調査会事務局)が公表された。これは、憲法9条の発案者が幣原喜重郎であったことを示す有力な根拠となるといえる。そのなかで、幣原は、「天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案すること」は、「天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案」と述べている。この提案にマッカーサー元帥と昭和天皇自身が賛成することで、憲法9条と象徴天皇制が誕生したわけである。71年目の「8.15」と、憲法公布70年を3カ月後に控えて、天皇が「おことば」を発したことの意味を重く受けとめるべきだろう。

今回の「おことば」の問題について論じる場合、北海道大学の西村裕一氏の論稿が重要である(朝日デジタル2016年8月8日)。冷静な筆致で、この問題を論ずる際に必要な視点と論点を鋭く提示している。その指摘を受ければ、「天皇の意向」を勝手に忖度、推測、想像して論ずることには抑制的であるべきだろう。だが、いま私は外国の地にいて、日本の状況をリアルに認識することができないなか、この「直言」を書いたことをご理解いただきたい。

なお、「生前退位」の問題は憲法改正を必要とせず、皇室典範の改正で行うことができる。それをことさら憲法改正とリンクさせることで、フジテレビの「FNN世論調査」は「憲法改正してよいと思う・84.7%」という数字を引き出している(ネット上のテレビ映像〔8月8日〕参照)。悪のり、完全なるミスリードである。今後、この種の悪質な世論誘導が行なわれることが十分に予想されるので要注意である。

最後に、ドイツ紙の特派員は、天皇がしばしば使った「務め」という言葉に“Aufgabe”をあてた。これは「任務」や「負託」のほかに「使命」という意味がある。私は「命の使い方」と読む。

(2016年8月12日稿)

《付記》
今日は8月15日、71回目の「終戦記念日」である。正午(ドイツ時間午前5時)からの全国戦没者追悼式で天皇は「おことば」を述べた。昨年は戦後70年の「安倍談話」の直後ということで、注目すべき変化がみられた。この点については、直言「8.14閣議決定」による歴史の上書き―戦後70年安倍談話」を参照されたい。
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