ボンでの在外研究期間も残りわずかとなった。ドイツだけでなく、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、ロシアなどをまわった。そのうち、レンタカーで走った距離は4190キロに及んだ。小さなトラブルはさまざまあった。外国で生きるということは、まさに「トラベル(旅)とはトラブルなり」である。日常の生活から外に出て(トラベル)、異なる文化や習慣、「非常識」と出会うことにより発生する諸問題(トラブル)は、かえって印象深い思い出になったり、そこから新たな刺激を受け、新たな発見につながる。私の場合、最初のトラブルはインターネットの地元プロバイダーとの問題で、接続まで1週間よけいにかかった。ネット環境を整備する上でいろいろ勉強になった。次なるトラブルは市(区)役所の人員不足などのあおりを受けて、住民登録がなかなかできなかったことである。私の件もあって、ボン大学に来る外国人研究者の住民登録に一定の配慮がなされるようになった。続いて、外国人局でビザをとるのが大変だった。私は問題の現場に飛び込み、取材をかねて問題を体感しようとする傾向があるのだが、この時ばかりは青くなった。かなり粘って無事ビザがとれた。このことがあってから、ボン大学の客員研究員の対応について配慮がされるようになったと聞く。
だが、これらのトラブルはまだ始まりにすぎなかった。8月中旬からとんでもないトラブルに2つ巻き込まれた。1つは先週、「locky」というランサムウェア(欧州で猛威を振っているコンピューターウィルス)に私のパソコンが完全にやられてしまったことである。知り合いのドイツ人研究者の名前とよく似たメールがきたので、うっかり開けてしまった。うかつだった。画面が真っ黒になって、「脅迫文」が出てきた。すべての原稿や写真などのファイルが使えなくなった。指定のアドレスに アクセスしてファイルを元に戻す「身代金」を払わせるという仕組みらしい(トレンドマイクロ社の解説)。私は親指シフトキーボードの特殊なパソコンを使っているので、渡独前、これの予備機を2台確保し、1台を東京の自宅に、もう1台をマスター機とともにドイツに持参した。だが、妻もパソコンが必要になりその予備機を使用していたため、こちらに来てからの半年間の仕事はバックアップしていなかった。初歩的なミスである。ウィルスのため、「直言」原稿や翻訳・メモなどがすべて見られなくなった。東ドイツ取材の第2回もほぼ完成し、アップする直前だった。ショックが大きく、原稿を書く意欲がわかなかった。やむを得ず「直言」更新を停止するという「お知らせ」も出した。しかし、思いなおして、予備のパソコン(データは3月末まで)を使って、その前の週に妻が当事者として巻き込まれ、私も動いた「もう一つのトラブル」の経緯を、在外研究中の「トラブルの思い出」として記録しておくことにしたい。この件では、関係者との面談で、今後の改善点を約束していただいたので、その記録としてもここに残しておきたいと思う。
ボン市とその周辺の都市交通は、ボン市が出資する「ボン市交通公社」(Stadwerke Bonn VerkehrsGmbH: SWB)が運営している(以下、SWBという)。バス48系統、シュタットバーン(地下を走ることが多いのでUバーンともいう)6系統、路面電車3系統である。妻が乗ったのは、旧首都だった地域を通り、国連機関の職員が多く利用する611系統のバスだった。以下は、私が8月19日に日本語でまとめた抗議文である。これをドイツ語に訳して地元紙に投書するか、SWB広報部にメールしようかと、妻が苦しむなか一晩考えた。その結果、ボン大学東アジア研究所の講師に日本語のままメールして相談しようとしたところ、ccで付けた主任教授のラインハルト・ツェルナー教授が直ちに対応してくださり、何と私がメールをした2時間後に、ドイツ語の抗議文がボン大学の学長にも届いていたのである。これには本当に驚いた。以下、日本語とドイツ語の抗議文(右写真クリックでPDFファイルを開きます)を掲載する。
SWBのバス車内における車内検札と検札員の対応について2016年8月19日
ボン大学客員研究員、早稲田大学教授・法学博士 水島朝穂私はボン大学の客員研究員として2016年3月29日から9月11日までBad-Godesbergに滞在して研究生活をおくっています。妻は近くの教会の音楽サークルに参加するなど、ドイツ語にも少しずつなじんで、ドイツに対してとてもよい印象をもつようになりました。ところが、帰国まで3週間あまりとなった8月18日、その妻がバスにおける不正乗車を疑われ、しかも公衆の面前で大変侮辱的な扱いを受けるという大変残念な事件がおきました。検札員の誤解とわかったあとも、一切謝罪は行なわれず、妻は下車させられたバス停に一人放置されました。次のバスで帰宅したものの、著しい精神的打撃を受け、帰国が近づくなか、精神的不安定に陥りかねない状況にあります。
私はボン市交通公社(SWB)に対して強く抗議いたします。とりわけ言葉に不自由な外国人、妻のような打刻印がよく見えない老眼の高齢者などにとって、検札員の強圧的な対応は、今後、妻同様の「冤罪事件」を生む可能性がないともいえず、早急な改善が求められます。以下、妻の証言に基づき、当日の詳細な状況を再現いたします。
妻は自宅近くからボン中央駅(Bonn Hbf)まで、SWBのバス(611系統)を使用しています。8月18日、妻は私とともに地下鉄(U-Bahn)でボンまででかけました。私は所用のため別のところにいったため、妻はボンで買い物をし、一人で帰宅することになりました。その際、SWBの4枚綴りチケット(4er Ticket(1b))の最後の4番目を使って、13時10分に、ボン中央駅から 611系統のバスに乗車しました。その際、前扉から運転手の横を通り、打刻機にチケットを差し込みましたが、うまく機能せず、ようやく3回目に「チン」という音とともに、18.AUG1310(8月18日13時10分)という数字が印字されました(写真①参照)。その際、妻に続いて一人の若い女性が打刻し、妻のすぐ横に座りました。
611系統のバスがLudwig-Erhard-Alleeに停車するや、数人の検札員が乗車してきて、「チケットーーッ! 」と大きな声で叫びました。それまで眠っていた妻は、あわてて4枚綴りチケットを若い、赤いTシャツを着た検札員(この人物だけが赤いTシャツで、あとは制服のようなヤッケを着ていた)に手渡しました。検札員は4枚つづりを広げ、首をかしげるので、妻は4番目を指さし、「ここです」と伝えました。しかし検札員は最初から決めつけ的な態度で、「これは16日だ」というので、妻は十分なドイツ語表現が困難ななか、それでも「ここです。ここ! 」と4番目をよく見るように求めました。検札員は「16にも18にも見える」というようなことをいって引きませんでした。その間、バスは停車したままです。一緒に乗車した隣の席の女性が、英語で「私は見ました(I saw!)」と、妻が打刻したことを何度も伝えてくれました。しかし、検札員はその女性のチケットと妻のそれを並べ比べて、顔の前にかざして、「これは16だ」と言い続けました。妻は老眼で、インクの薄い打刻印がよく見えず、言葉も十分通じず、パニックに陥りそうになるなか、検札員が「外へ(außer)…」と「光を(Licht)」という言葉を入れたので、外の明るいところで確かめたいのだなと理解しました。ところが、「60ユーロ」というので妻はびっくりして、「ここです、ここです」とチケットの4番目を指さして大声で抗議しました。バスが発車できずに時間が経過するなか、周囲の乗客たちから、「外へ(außer)…」というような声が1、2あがってきました。妻は屈辱に耐えながらも、他の乗客の迷惑になると考え、納得がいかないままバスを降りました。と同時にバスは発車してしまいました。
妻が降車するやいなや、当該検札員はチケットの再確認もしないままに、「パスポートを出せ」と要求してきました。妻は大声で、「18日です。18日です。よくみてください」と叫ぶと、それまで強圧的だった検札員は「バスのなかは暗かった。光が足らなくてよく見えなかった」というような言い訳めいたことを言ったので、妻はさらに「18日です、18日です」と叫び続けたところ、「シー、静かに」といって気まずそうに妻に背を向け、仲間の検札員のところに行ってしまいました。妻は同僚の検札員のところに行き、「これは18日ですね。よく見てください! 」と詰め寄ると、その検札員は「同僚は光が足らなくて…」と、誤りを認めるようなことを、妻の顔も見ないで言いました。それを聞いた妻はすぐに当該検札員のところに歩み寄り、「ここに署名しなさい。あなたの名前を! 」と言って、チケットの打刻印が18日であることを確認する署名を求めました。検札員は名前ではなく、何かの番号をチケットの上部にしぶしぶ書き入れました(写真③参照)。当然、妻はパスポートも提示せず、60ユーロも払いませんでした。そして、「私はまた20分も待たなければならない」(20分に1本の路線)と強く抗議すると、「他のバスに乗り継いで行け」と言って、他の同僚も一切謝罪しませんでした。正規にチケットを買って打刻して乗車したのに、途中下車させられた上、多くの乗客の前で不正乗車扱いされ、しかも検札員のミスとわかったあとも謝罪なしでそのバス停に20分近く放置されました。遅れて帰宅したあとも、妻は心がかき乱され、悲しい思いに沈んでいます。
今回のケースは、無賃乗車を摘発して、その威嚇力によって乗客に運賃を支払わせるというドイツの仕組みのなかで、検札員の強圧的な対応によって、危うく60ユーロの制裁金を科せられかかった「冤罪事件」ということができます。外国人研究者の家族が、研究者とともにドイツで生活するなかで、さまざまなトラブルに巻き込まれることはありうることですし、私たちもいろいろと体験してきました。しかし、今回の場合、妻に対する公共交通機関の職員の対応はあまりにひどく、ここに強く抗議するものであります。
SWBの打刻機の印字にも問題があります。4枚綴りチケットにある「8月16日」という最初の打刻印はUバーン63系統に乗車したときのもので、インクは明瞭で識別可能です。そのあとに私と2人で乗った 611系統のバスの打刻機には不具合(インク切れ)があり、「16日」とかろうじて見える状態です(写真②参照)。問題となった最後の4番目の印字も、同じ611系統のバスの打刻印であり、写真のように、「16日か18日か」が確かに見えづらくなっています(写真①)。チケットの用紙の模様とも重なると見えにくくなります。少なくとも、611系統のバスの打刻機のインク補充が当面緊急に必要ですが、何よりも、妻が今回受けたSWBによる屈辱的な対応への反省を求めたいと思います。当該検札員は、「16日か18日か」の識別が車内でできず、明るい車外でやるといいながら、下車した妻のTicketを再確認することもせずに、パスポートの提示と60ユーロを要求しました。これは言葉が十分通じない外国人であることをいいことに、自らの「摘発成果」にしようとしたと疑われる事態であり、この検札員に対する指導・改善が強く求められるところです。なお、この時に下車させられた乗客は4人。1人は不正乗車を自覚していたと思われるドイツ人、もう2人は旅行者らしき人で言葉も運賃の仕組みも十分理解していないようだったと妻はいい、妻以外は3人とも制裁金を支払っていたそうです。
外国人研究者の家族が安心して生活していく上でも、大学としてもSWBに対して抗議していただきたいと思います。そして、国際的な研究協力の発展のため、今後の教訓としていただきたいと思います。
大学からの抗議が早かったこともあって、週明けの22日(月)になって、ツェルナー教授のもとにSWB幹部から「謝罪にうかがいたい」という連絡が入った。妻は、謝罪を受けるけれども、その前に私が書いた抗議文では意が尽くせなかった点について、同教授に自分の思いをメールで伝えた。私の怒りとはまた違って、妻の納得できない点というのは以下の通りである。
ツェルナー先生へ
この度は私のことで、さまざまなご配慮をいただき、まことにありがとうございます。数日の間は怒りと興奮がさめやらず、夫に抗議文を書かせ、先生へのメールとなったわけですが、皆さまのご親切とご配慮の結果、だんだん落ち着きを取り戻してきました。冷静になった目でこの「事件」について、順を追って整理していく毎日でした。そうでないと、当該検札員(以後、「赤Tシャツの職員」と書きます)が今後も同じような過ちを繰り返す可能性もあり、また、バスのなかで私と関わった女性2人(1人は同時に乗車し、隣に座った英語を話す若い女性、もう1人は私と同年代のドイツ人女性)のやさしさに感謝したいという気持ちもあり、この手紙を書きました。
この事件は、前日の寝不足が原因で眠り込んでいたところ、「寝込みを襲われた」状態でパニックに陥り、さらに老眼が進んでチケットの薄いインクの文字が確認できなかったためさらに動揺し、ドイツ語どころか英語すら出ない状態のなかでの情けない対応でしたが、しかし、相手の表情やいくつかの単語から、ある程度の状況が理解できたと思っていますので、その記憶を新たに呼び覚まして整理していきました。前回の内容の若干の訂正・補充も含まれていますので、最後までお読みいただけると幸いです。
1.「赤Tシャツの職員」への違和感
① 3、4人の制服職員の先頭に立ち、とてもはりきった様子で、大声で「チケットーーッ! ・・・」と言いながらバスに乗り込んできて、私と目があうや、真っ先に私のところに歩み寄ってきたことです。私は4列目に座っており、私の前方に1人、私向きに座ったドイツ人女性がいましたが、彼女にはチケットの確認をしませんでした。
② 全員が同じ制服らしきものを着ていたのに、彼だけが赤いTシャツを着ていたこと。rotes Hemd ではなく、T-Shirtです。通常、首から身分証を下げているのに、彼には何もなかったように記憶しています。だから、一般人が突然言いがかりをつけてきたようにさえ見えます。
③ 4枚綴りチケット(4er Ticket)の最後の4番目に打刻したことを示すために、私がわざわざ半分におりたたんで、「ここです! 」と指さして渡したにもかかわらず、「赤Tシャツの職員」は首をかしげ、チケットを開いて、意味がわからないというようなしぐさをしました。4枚つづりチケットは、使用する順番に打刻していくので、私はわざわざおりたたみ、使用する箇所を明示したのに彼はすぐに開いてしまう。彼はこのチケットのことを十分認識していないのではないかと思います。
④ 私の隣に座った女性(黒髪の外国人)の善意の証言を3度まで退けたこと。1度目は、「不正乗車した時は60ユーロを支払わねばならない」という彼の言葉にその女性は「I saw」と言いました。2度目は、彼が何度もしつこく、チケットを光にかざして「16かな、18かな。うーん、16・・・」と、眉を上げ下げして、オーバーなしぐさをとったので、彼女は再び「I saw」と言いました。
3度目は、彼がなかなか引き下がらず、私が「ここです、ここです!」と4枚つづりチケットの4番目のところを何度も指さすのを見て、「この人は自分のすぐ前に乗ったから、私の切符と比べてみたらわかる」と言って自分の切符を差し出してくれました。しかし、彼は2枚を大げさに透かし比べて、「いや、これは16だ」と断定しました。こうして、隣席の女性が3度にわたって私の「無実」を証言してくれた行為を無視したのです。
⑤ 「外で光をあてて見るから・・・」と私をうながし、降車させたあとにチケットの再確認もせずに、唐突に「パスポートを見せなさい」と威嚇するようにいった態度です。これは許せません。私をだましたわけですから。
⑥ 私の大きな声の抗議に、「赤Tシャツの職員」はこちらが驚くほど小さくなって、「シー、声が大きい! 」と何度も私を制したのです。バス停付近は、検札の職員と降車させられた乗客以外には誰もいなかったので、これは後方にいる同僚たちに聞かれたくないのだなと思いました。そして、彼は私に背を向けて、その場を離れてしまいました。いまから思えば、私が降車した後にチケットの再確認しなかったのは、すでにバスのなかで「18日ではないか」という認識がある程度できていたからではないでしょうか。
2. 証言してくれた女性とバスの運転手のこと
① どんどん時間が過ぎていき、10分以上バスが停車するなか、「赤Tシャツの職員」が「外の明るいところで見るから・・・」といったことに呼応するかのように、最前列の高い席で私向きに座っていたドイツ人女性が「外で見てもらったら」(draußenではなくaußer)という趣旨のことを言いました。私が彼女を見つめて「それでいいの」といったような表情を向けると、彼女はやさしく頷きました。隣の若い女性もうつむいたまま、小さな声で同じことを言いました。だから私は「エーッ?(日本語で) außer?」とたずね、まわりの乗客たちへの配慮から降りたわけです。2人の女性がとてもつらそうな表情だったことが記憶に残っています。多分、他の乗客たちも、息をのんでこの状況を見守っていたと思います。当初、私がショックで落ち込んだこの「外に出たら」という言葉は、「早くバスを出発させたいから外に出ろ」という冷たい態度からではなく、検札員が「外で光を・・・」といったのを聞いて、「明るい外でしっかり確認してもらい、無実をはらした方がいい」という私へのメッセージだったのではないかと、その時の彼女らの表情や声の出し方などを思い出すにつれ、判断するに至りました。この「事件」の当初は自分だけ孤立して、外に出されたという被害者意識がいっぱいでしたが、冷静になってこの時の私の対応と彼女らの言葉を総合して考えて以上の結論に至り、少し気持ちが楽になりました。
② 残念なことは、「打刻をしたと何度も証言してくれる人もいるのだから、もうやめなさい」と検札員に忠告してくれる人がいなかったことです。
それに、バスの運転手は何もしてくれませんでした。これも疑問です。いつもバスに乗るときに私は挨拶をします。たいていの運転手からは返事が返ってくるのですが、ボン中央駅のバス停に停車したこのバスに乗るとき、私が「Guten Tag」といったのに、外をぼんやりながめていて何もいいませんでした。少なくとも彼の横を私とその女性の2人が通り、打刻の「チン」という音を出したことは認識していたはずです。私はその後眠っていたのでわかりませんが、当該バス停までの間にさほど多くの人が打刻したとは思えないので(経験上)、私の打刻について何らかのことは言えたはずです。一言、「その人はさっき打刻したよ」と言ってくれれば、私は降車しないですんだのですから。
3. 検札がチームとしての仕事になっていないこと
① チームで検札をやっている以上、バスの前方で、長時間かけて押し問答が繰り広げられているにもかかわらず、制服姿の熟練者が誰一人フォローに入らなかったことがいまだに理解できません。
② 降車した後も、私は大声を出しており、バス停で何らかのトラブルが起きていることは明らかであるにもかかわらず、他の検札員はそれぞれが摘発した人たちの対応だけをやって、自分の仕事が終わったあとでも、誰一人私の方に来ようともしなかったことです。意識的に無視していたとしか思えません。
③ メガネをかけた年長らしき検札員に近づいて、私が抗議したとき、「同僚は光が・・・」というようなことを言うだけで、何も対応しませんでした。
④ 「20分も次のバスを待たなければならない」と抗議した時も、「他のネットワークを使うように」というのですが、私は611系統でなければ家の近くまで行けないわけです。私はチケットを買い、そのバス停まで乗る権利があるにもかかわらず、無理やり降車させられたわけで、謝罪もなしに私をそこに放置した行為は許せません。これは無責任以上のことで、この検札員たちはまったくチームとしての体をなしていません。少なくともチーフになる人物が謝罪をするのが最低限の義務です。言葉が不自由な外国人からすれば、この検札の制度はボン(ドイツ)のイメージを悪くしています。
4. SWBへの要望
① 「赤Tシャツの職員」を特定していただきたい。彼はこの仕事に不適切です。きちんとした研修と指導をしていただきたい。少なくとも外国人乗客のいじめになるような執拗な対応をしたことの責任はきちんととらせていただきたい。611系統のバスの乗客は彼の異様な行動を見ています。
② 検札員のチームの責任体制を明確にして、二度とこのようなことがないように会社として検札制度について見直しをしてほしい。
③ 外国人のなかには弱い立場の人たちがいること(私は老眼の高齢者(63歳)で言語能力が不足している。ネットが苦手で、スマホでチケットを買うことができないなど)への配慮をしっかりしてほしい。
④ チケットを正規に利用していたにもかかわらず、今回このような扱いを受けました。これは単に検札員の問題だけでなく、8月18日午後13時10分発611系統のバスの打刻機のインクが切れ、十分に機能していなかったことが原因です。再発防止の観点から、会社全体で、すべての打刻機の早急なチェックが求められます。
⑤ 最後に、私はこの事件のあと、眠れない日々が続き、精神的に大きな痛手を被りました。このような精神的苦痛があることを理解していただき、今後二度とこのようなことが起こらないように、会社として改善の努力を続けていただきたいと思います。
8月22日 水島典子
8月24日(水)午前11時。「事件」から6日目、ボン大学の会議室で、ツェルナー教授立ち会いのもと、ボン市交通公社(SWB)営業・マーケティング部長(女性)(以下、SWB幹部という)と会った。名刺にはProkuristin(人事権をもつ支配人)とあり、電車・バスの営業関係の責任者といえる。
まず今回のことはすべて検札員の対応の誤りから起きたもので、会社として心からお詫びしたいということが冒頭において示された。SWB幹部の態度はとても丁寧で、妻の言いたいことをしっかり聞いてくれた。さらに、私の最初の抗議文にはなかった「運転手の対応」についても、「運転手は運転だけに集中するように教育している」と述べるとともに、「隣の女性への対応」までも深く詫びてくれた。妻はその説明に納得したという。以下、そのやりとりを、妻のメールで紹介する。
なお、11時から幹部に会うため、私たちは611系統のバスでボン中央駅まで行った。後日「直言」で書くことを想定してバスの写真を撮ろうとしたが逆光だったので、別の出発間際の611系統のバスを撮影しようと早足で向かうその時、背後で妻の声がした。振り返ると、そこに何とあの「赤Tシャツ」が立っていた。仲間と車内検札に向かうところだった。乗降客が多い時間帯だったが、私は彼を指さして引き止め、直接抗議した。その点を含め、翌8月25日に、この件で妻が送ったメールをそのまま掲載する。
心配してくださった皆様へ
このたび私の遭遇した事件では、夫が色々な方々に「事件」のことをメール送信したために、たくさんの方々からお見舞いや励ましの言葉をいただきました。ここに改めまして感謝いたしますとともに、昨日のSWBの上司との面談の報告もさせていただきます。今回は夫に代筆を頼まず、パソコンにはりついて自分で書きました。文章が乱れたり、表現が適当でないかもしれませんがお許しください。
会社からは、かつて都内の大学に短期留学したこともあり、日本の交通システムも見てきたという女性幹部職(支配人、営業・マーケッティング部長)がきました(以後、「上司」と書きます)。その場にはツェルナー先生が立ち会ってくださいました。
上司は夫の抗議文をすべて読み、大変申し訳なかったと言い、私がとても傷ついたことも深く理解して丁寧に謝罪してくれました。その上で、私から言いたいことをすべて聞いてくれました。
「赤Tシャツの職員」は視力が落ちていたようです。これはびっくりしました。もっと若い人かと思ったのですが、実際ボン駅で会った時にはけっこう年配の男でした。私が上司に、「検札員の視力が落ちていたとしても、16日・18日が判断できない時はどうするのか」と問うと、上司は「「検札かサービスか」ということになりますが、それはサービスの方に重点を置いて考えなければいけません」と答え、「でも、この切符は明らかに18日です。本当に申し訳なかったです」と改めて謝りました。
また、臨席の女性が三度も証言してくれたことについて問うと、「本当に不幸なことに」と言って、彼が実は英語が理解できなかったことを上司は明らかにしました。
私はあの日はとても悔しくて20分もバスを待つ気力も失せて、なんでもいいから、とすぐ来たバスに乗りました。バスに乗って外を眺めていたら証言してくれた女性がうつむいて足早に歩く姿を見つけたので、お礼を言わなくては、と思い、急いで見知らぬ次のバス停で降りました。でも、もう彼女の姿は見つけられませんでした。だから、「勇気を出して証言し、傷つけられたあの女性の尊厳をきちんと理解しなさいと彼に言いたい」とも伝えました。上司は「本当にその通りです」と言って深く頷いていました。この上司が女性でよかったとこの時感じました。
夫が続けていくつか質問していましたが、その中で私が興味深かったのは、かつては国連関係の乗客にたくさんのただ乗りがいて国連関係のチケットを作ることによって改善されてきたが、そこに到るまでに苦労があったこと、検札の摘発率の目標を6.5%にして今は仕事をしているという内容でした。国連のことはともかくとして、その目標数字は冤罪を常に生み出す危険性があるのではないか、と思いましたが、上司とわかれたあとに気づいた点だったので、もう遅いですね。
全くメモを取らないで上司と向き合い話したので、記憶を元にここまでまとめました。上司はそのほかにも、たくさんの改善点を挙げ、今後研修やいろいろな見直しを通じて改善すると約束しました(彼女は詳しくメモをとっていました)。最後に、チケットを用意しようとか、私たちに研修センターの見学をしてほしいなどと言ってくれましたが、お断りしました。
その日は、ビックリ仰天の出来事が、その話し合いの前に起きていたことも付け加えさせてください。
611系統のバスでボン駅に行き、降車して大学に向かうため数メートル歩いたところ、右前にあの「赤Tシャツ」の巨体を見つけたんです。絶対に今度は逃さないぞ、と思ったので、私は前を歩く夫に聞こえる大きな声(日本語)で「こいつダー!」と指さし叫びました。私の声に気づいた「赤Tシャツ」は動揺し、顔を硬直させ口を手でおさえた。バス停は人で混み合い、彼はこれからチームと検札に向かうまさにその時でした。写真に撮るぞ、とカメラを取り出したけどやめました。でも駆けつけた夫がすかさず「あなたは、先週私の女房の検札をやったね?」と言うと、彼は「Richtig!」と認めたので、さらに夫は「女房に謝らなかったね?」と問い詰めると彼は「同僚が謝りましたので・・・」と答えたので、「今日これからあなたの上司に会って謝らせる!」と強い口調で言って大学に向かいました。汚い言葉を敢えて日本流に使えば「落し前をつけてやった」ということで、私はすっきりしました。
その後に大学に来た上司の話では、自分がここに来る前に「赤Tシャツの職員」から連絡が入り、自分も同行したい旨を伝えてきたそうです。あの「赤Tシャツの職員」の心のなかに反省の気持ちが見えた気もしました。
この「仰天の遭遇」があったので、上司と会っても落ち着いて話ができたのだと思います。
もうだいじょうぶです。皆様には大変なご心配をおかけしましたが、残りの滞在期間はドイツのよい思い出がさらに増えるように過ごしたいと思っております。
皆様への感謝を込めて。
8月25日 水島典子
面談したのがSWBの営業全般の責任者だったので、バス・地下鉄などのいろいろな問題について、日本との比較の視点でいろいろと要望した。東京都内の大学に短期留学の経験があるとのことで、日本のシステムをきちんと踏まえてこちらの要望を聞いてくれたのがよかった。彼女の父親も日本旅行をしたことがあり、成田空港で切符を買うとき、お金を入れたのに切符が出て来ないので、販売機をたたくと、窓から職員が顔を出し、切符をくれたので、父親は「日本の自動販売機の裏には1台、1台すべて人がいるのだ」と思い込んでいたという。
この面談の場で、私は3点指摘した。第1は、妻は正規の乗車券を持っており、それを証言する同乗者がいたにもかかわらず不正乗車(Schwarzfahrer)の疑いをかけられて降車させられたことについて、私は車内改札のやり方が、「疑わしきは乗客の利益に」(zugunsten der Fahrgäste )の観点が弱いと指摘した。ドイツは法治国家であり、「罰金」という刑罰は裁判官しか出せないのに、なぜ民間の改札員が「罰金」を科すような姿勢で臨むのか。不正乗車は民法的にも刑法的にも責任が追及されうるとはいえ、民間の検札員によってかなり恣意的な「権力行使」が行われ、「人間の尊厳」を侵すような侮辱的な態度がとられたことにまだ怒っていると述べた。SWB幹部は深く頷いて、妻のメールにもあるように、乗客に対する「サービス」という観点が弱かったことを率直に認め、研修での改善を約束した。
第2に、首都のベルリン移転後、ボンはこの20年間で「国連都市」に変わったことについて指摘し、途中の停留所の名前をいくつか挙げ(たとえば左写真の「連邦首相広場」、首都時代の公務員の年金生活者、国連関係者の家族などが多く利用する以上、老人や言葉の不自由な人々についての配慮が求められると指摘した。この点、SWB幹部は、妻に対する行為を何度も詫びるとともに、当該検札員(「赤Tシャツの職員」)が英語を理解していなかったことを明かした。ここでは、「残念ながら」(leider, leider, leider・・・)という言葉を何度も繰り返した。妻の隣にいた外国人らしき女性が懸命に妻をかばってくれたのを無視したのは、その女性のいうことを理解していなかったからだというのだ。ボンは首都移転後、UNVなど18の国連機関、150の国際的なNGOが所在し、1000人以上の職員が働いている。国連職員が「ただ乗り」をした時期があり、その後、国連機関との間で「ジョブ・チケット」を購入するようになったので「ただ乗り」は減ったというが、その家族はどうなのかまでは質問できなかった。
第3に、SWB幹部も日本で体験したように、日本のシステムは、「入口・出口規制」(Regelung von Eingang und Ausgang)である。これに対して、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリアなどのやり方は、いわば「途中規制」(Regelung von Unterwegs)である。どちらがいいのかは一概に言えないが、日本のやり方は乗客に安心感を与えるという点で(ドイツの抜き打ち車内改札は正規のチケットを買った私たちでもドキッとするから)、その限りで合理性があると私は言った。SWB幹部は、頷きながらメモをとっていた。
思うに、日本の「入口・出口規制」の場合、途中の車内検札の意味は、主として不正乗車の取り締まりであろうが、係員の乗客への運賃確認の接し方は、少なくとも、「摘発」的(悪事を暴いて公表する)ではないと言えるだろう。いわゆるキセルの防止(途中区間のただ乗り防止)、指定席やグリーン車などに普通席の人が乗っていないかのチェックのほか、行き先・方向変更への対応もある。眠っているのを起こされることもあるので、本当に必要なのかと思っていたところ、日本では「車内改札」が廃止される方向で、すでに新幹線の指定席の車内改札が3月26日からなくなっているそうだ。)。
これに対して、ドイツなどの「途中規制」は、何より個人責任の原則から、各自がそれぞれの正当な「乗車「権」」(チケットの打刻であれ、スマホのアプリであれ)をもって乗車するということを前提として(いわば大人扱い)、他方、不正乗車を発見すれば、それに対する60ユーロ(2015年7月1日から。それまでは40ユーロ)という高額の金額で威嚇して、不正乗車を減らすという手法である。SWB幹部は、ボンを含むドイツの全都市の交通システム協会の数値目標は、全乗客の6.5%を「摘発」することだという。検札員に、毎回成果を挙げねばという焦りも生まれるだろう。そこに「冤罪」が生まれる可能性が出てくる。妻が疑いをかけられた時に一緒に降車させられたのは、チケットの買い方をよく理解していない、ドイツ語も十分でない旅行者のように見えたという。
もともとドイツはどこの駅でもチケットを買う場所が少なく、自販機の機能もよくない。仕組みも不親切である。日本なら、新宿から高田馬場までいくらと、地図の上で駅を探して、運賃がいくらかがわかる。ドイツの場合は「カテゴリー」といういかにも哲学の国という方法で、まず1人か複数か、大人か子どもか、自転車があるか、当日券、週、月などの縦軸と、K(地下鉄は3駅、バスは6駅まで)、それ以降は一定の圏内のカテゴリーが1aから7までの横軸で値段が決まっている。だが、自分が行きたい駅やバス停がどのカテゴリーにあるのかについての情報が圧倒的に少ない。しかも、きわめて小さな字で書いてある。この写真は近所のバス停のものだが、よく見えない。駅やバス停で旅行者が迷っている場面に遭遇することもしばしばある。私たちも、最初の頃は間違ったカテゴリーで買ったことがある。取り締まる以前にもっと、切符を買いやすくするとか、情報をもっと増やすとかの努力必要だろう(駅でも、時刻表の位置が高い、字が小さいという、老眼や背が高くない人間には不親切なものが多すぎる)。本件では、まずは妻の「冤罪」をはらし、SWBに謝罪させることが第一目標だったので、これはほぼ達成された。あとは同種のことが繰り返されないよう、今後の改善に期待したいと思う。
バスの音を聞くだけで気分が悪くなり、検札をした「大男」の顔が浮かんで夜中に目を覚ます。買い物でも声が出てこなくなったと嘆いていた妻も、この日からよく眠り、普通に買い物もできるようになった。ようやくボンの自宅に平和がもどった、というその翌々日に、コンピューターウィルスにやられるというとんでもない「トラブル」に見舞われるのだが、これはまた後日。
《付記》本文でも書いた通り、欧州を中心に拡散しているコンピューターウィルスに罹患したため、「直言」原稿をはじめ、書きためておいた原稿、撮りためた写真などがすべて見られなくなってしまった。東ドイツ取材についての「「ベルリンの壁」崩壊から27年(2)」は、帰国後、パソコンが復旧して、ファイルが無事だったら掲載したい。
《追記》ロンドンのバスの検札――ゼミ13期生の体験
本直言を読んで、水島ゼミ13期生(2011年3月卒業)から写真付きのメール(2016年9月17日付)が届いた。卒業旅行で行ったロンドンで、バスの検札での体験を送ってくれた。以下、本人の許可を得てほぼそのまま引用する。
奥様の「事件」、大変驚きました。実は、私も大学の卒業旅行先のロンドンで同じような冤罪事件に巻き込まれた経験があります。ロンドン観光で、憧れのロンドンバスに乗車したときの出来事です。「チェック!(のような掛け声だったと思います)」と声を張り上げる検札員数名(大柄の男性)が途中の停車場でバスに乗り込んできました。検札員は、車内を見渡し、私と友人(当時マンチェスターに留学中)のところへ向かってきました。ICカードをチェックした検札員は、私に対して「残高不足。不正乗車だ。」と威圧的に言ってきました。訳が分からず動揺する私。友人が英語で抗議してくれたのですが、検札員は「Get off!!(降りろ!!)」と繰り返すばかり。誠に不本意ながら、他の乗客の視線もあり、降りることにしたのですが、「ICカードのタッチを運転手も認識しているはずだ」という確信がありましたので、運転手に事情を説明しました。
ロンドン交通局のバスは、日本のSuicaのようなICカード(オイスターカード)を乗車時にかざす形式なのですが、タッチした際に鳴るはずの「ピッ」という電子音が鳴らず(聞こえず?)、念のためもう一度タッチしました。この時、1回目のタッチ(残高十分で問題ない状態)、2回目のタッチ(1回目のタッチにより残高不足となり、残高不足のまま乗車した〔と認識される状態〕)という現象が起きていたのです。
検札員がICカードを専用端末に読み込んだ際に「残高不足」と認識され、「こいつは不正乗車している」となったのです。もちろん、バスの運転手は「運賃は徴収した」という認識がありますので、検札員に対して事情を説明してくれて、これで「一件落着」となるかと思ったのですが・・・。なんと、「規則のため」に、一度「罰金」を支払い、その後、ロンドン交通局に直接抗議をしてくれと言われ、25ポンド(当時で約3,000円)をその場で徴収されてしまいました。 この時、私の脳裏に浮かんだのは、「権利のための闘争」の文字でした。すぐさま、教えられたロンドン交通局のwebサイトにアクセスし、友人の助けを借りながら、英語で抗議文を送りつけました。すると、帰国後、約1か月半たって、ロンドン交通局より私宛に小切手(徴収された25ポンド分)が届いたのでした(謝罪はなし)。写真を添付します〔名前の部分は消してある(水島・注)〕。
当時を振り返り、問題だと感じた点を列挙します。
・言葉も文化も社会システムも異なる地域への旅行者(当該地域における弱者)に対する対応の問題。
・「疑わしきは罰する」という検札員の姿勢(※私の場合、運転手の証言に助けられました)。
・徴収された25ポンドは「学生の」旅行費用の一部であったこと(※返還されたのは、社会人になってから)
・ICカードの読み取りシステムの問題(重複タッチへの対応)(※検札員によるチェックがある前提であれば、残高不足のまま通すべきではない)。
・検札員のチェック体制(方法と姿勢)の問題。残高不足のICカードを不正乗車と断定したこと(※そもそも残高不足では乗車できない、複数タッチによる残高不足の場合はその場で運転手が取り消して対応すべきではないか)。
・最大の問題は、先生の「直言」にもありましたが、「途中規制」の問題です。
先日、日本の通信事業者が協力して、訪日旅行者向けWi-Fi環境の整備(一度の登録で全国の無料Wi-Fiが利用可能になる)を行うニュースが出ておりました(NHKニュース2016年9月16日)。「2020年」に向け、交通システムに限らず、あらゆる社会システムが「おもてなし」の心で整備されることを願うばかりです(そんな矢先の、築地市場問題ですが…)。
長々と失礼いたしました。あまりに類似した体験でございましたので、筆(キーボード?)を進めてしまいました。