9月12日にドイツから帰国し、その翌々日から沖縄に滞在した。水島ゼミの沖縄合宿である。私のゼミは、普天間飛行場の辺野古移設をめぐる「名護市民投票」(1997年12月)の翌年夏の第1回以来、隔年で沖縄合宿を実施してきた。今回はその10回目にあたる。4回目は沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した3週間後だった。9回目にあたる前回(2014年)は、辺野古問題が風雲急を告げている只中だった。私のゼミは学生が自主的にテーマを選び、4つないし5つの班を編成して取材するので、私はその取材過程にあえて関わらないようにしている。戦争体験や平和教育をテーマにした班もかなり自由にやっている(10年前の直言「「語り部の話は退屈だった」か」参照)。14年前は台風にまともにぶつかったが(直言「暴風雨下30時間で考えたこと」参照)、今回はすんでのところで台風16号をかわすことができた。
さて、私はいつものように学生たちと別行動をとり、岸本喬さん(沖縄平和運動センター事務局次長)の案内で、海兵隊の「ヘリコプター着陸帯」(ヘリパッド)建設で揺れる東村高江方面を取材した。沖縄自動車道を使っても、片道2時間以上かかる。
向かった北部訓練場(東村、国頭村)は、面積では沖縄最大の米軍施設で、そこでは、目下、 「ヘリパッド」の建設工事が行われている。SACO(沖縄に関する特別行動委員会)最終報告に基づき、北部訓練場の3987haを日本に返還するため、返還区域にある「ヘリパッド」6箇所を、演習場の残りの部分(東村にある)に「移設」するとともに、着陸帯への進入路などの支援施設を整備するのが目的とされる。だが、「ヘリパッド」とは言い得て妙。ヘリコプターにとどまらず、オスプレイのようなティルトローター機、さらにはハリアー攻撃機などの垂直離着陸機(VTOL)も利用可能で、「垂直離着陸飛行場」(vertiport)と呼ばれる代物である。辺野古に建設される海上基地が当初、「〔普天間の〕代替ヘリポート」と言われていたことを思い出す。高江地区では、住民の8割が反対を表明し、賛成回答はゼロというから(『琉球新報』2016年8月3日付)、沖縄に対して中央政府が無理やり押しつけるという構図は一貫している。安倍政権は、「反対運動をやっているのは本土からきた活動家」というイメージ操作を積極的に行って、機動隊の力で強引に工事を完成させようとしている。この「丁寧に締め上げる」手法もまた、沖縄の反発をかうのである。
車が沖縄自動車道から国道58号に入り、名護市稲嶺に差しかかったところ、反対方向から警察車両が何台もあらわれた。9月15日午後1時過ぎだった。赤色灯をつけた覆面パトカーを先頭に、レッカー車2台が嘉手納基地爆音訴訟原告団の宣伝カーと軽自動車を牽引し、その後ろに警備車両が続く。ハンドルを握る岸本さんが、「高江で誰か逮捕されたようです。名護警察署に向かっているところですね」という。高江の「ヘリパッド」建設阻止の反対派に対する31回目の逮捕になるそうだ(後述)。
車は県道70号線に入る。東村役場を過ぎてしばらく行くと、もう両側は北部演習場である。やんばるの森はブナの一種である「イタジイ」がびっしりと山や丘を覆い、その形状から、「ブロッコリーの森」と言われている。二カ所で車を停めて、やや高台になっているところから北部演習場を見渡してみた。荒々しい大自然が残る貴重なやんばるの森。そこを縦断する県道70号線は片側一車線の狭い道路で、搬入口の付近から片側通行になっており、反対側は警察車両と警備会社の警備員の車で埋めつくされている。私が確認できただけでも、愛知県警、神奈川県警、福岡県警、大阪府警の機動隊と警視庁第4機動隊が警備に参加している。メインのN1ゲートは愛知県警が警備していた。どこでも機動隊員は通常は姿を見せず、車両のなかに待機し、前面の警備はすべて民間警備会社のガードマンが担当している。2年前のゼミ合宿の際に辺野古の現地を取材した時と同様である。
これに対して、建設現場への工事車両と建設要員の進入を阻止すべく、反対派の人々がこのゲート前にテントをはって24時間態勢で監視している(写真)。反対派の人々は何としても工事を止めようと、トラックや作業員が工事現場に入るのを、道路に車を並べるなどさまざまな方法で阻止している。この道路上の抵抗を排除すべく、都府県警から機動隊員が500人規模でここに派遣されている。本来、こうした警備の援助要請は警察法60条2項により、都道府県公安委員会から警察庁に、事前の連絡をすることになっている。だが、警察庁警備局警備課長名で関係都府県に対して行われた派遣準備指示は、沖縄県公安委員会からの援助要請を待たずに行われた。「県公安委の頭越しに派遣が進められている」と反対派が問題視する所以である(『沖縄タイムス』9月13日付)。法律上は事後の連絡でも足りることになっているものの、いかにも強引なやり方である。しかも、県外から派遣された500人規模の機動隊が使う給油や高速道路代などの費用は沖縄県警の負担だという(同9月11日付)。この2つの事実は、市民団体による情報公開請求で明らかになったことである。
ガードマンと警察車両、それに公安警察が写真・ビデオ撮影しているど真ん中に車を停車して、反対派のテントのなかに入って話を聞く。そこには、「座り込みガイドライン」が掲げられている(①非暴力、②自発的参加、③ユーモアと愛のセンスをもって)。高江地区の地図を見ながら説明を聞くと、「ヘリパッド」の狙いがよく見えてくる。東京の感覚では、北部演習場の過半が返還され、返還地にある7つの「ヘリパッド」が使えなくなるので演習場の「残余」の部分に6つ「だけ」移すのだから「基地負担の軽減」ではないか、という論法である。だが、現場に実際行ってみると、そこには巧妙に隠された仕掛けがあることがわかる。
まず、返還されるのは国頭村側で、東村側の北部演習場はそのままである。7つあったものが6つになるから1つ負担軽減、というのは浅慮である。7つの「ヘリパッド」は古く、今回建設中のものは新しく、かつ多目的化していることである。地元紙がドローンを飛ばして撮影した写真を見ると、やんばるの森が大規模伐採されて、無残な姿になっていることがわかる。貴重な原始の森に対する新たな自然破壊であり、「負担増」にほかならない。
さらに、軍事的に重要なことは、ここが世界で唯一のジャングル戦訓練施設である点である。すでに英国軍が身分を海兵隊出向という形で訓練に「参加」している。前述のように「ヘリパッド」のみならず、「オスプレイパッド」になる点も、海兵隊の部隊運用の点から見逃せない。Gという「ヘリパッド」は宇嘉川にも近く、海から川をのぼる訓練など、上陸作戦を含む多様な戦闘訓練を行うことができる。「ジャングル戦」に限らず、総合的な軍事演習場が新たにつくられると考えるべきだろう。まさに「新基地の建設」である。ドイツの平和学でいう、「質的軍拡」という面をもっているように思う。岸本さんと高江の現場をまわりながら、これは単に沖縄だけの問題ではない、日本の平和と安全保障にとって重要な問題であるということを改めて痛感した次第である。
この工事現場に隣接した林道をふさぐ反対派の「N1裏テント」も訪れた。逮捕された2人の抗議のために大半の人が名護警察署に行っているため、テントはガランとしていた。テントからさらに林道を進むと、正面に沖縄防衛局が建てた柵が見えてくる。そこには冒頭の写真にあるように、「許可なく立ち入ることはできません。違反者は日本国の法令により罰せられる。海兵隊太平洋基地」の表示がぶら下がっている。刑事特別法2条(施設・区域を侵す罪、1年以下の懲役)で、かの砂川事件で問題となった条文である。この表示の向こう側をよく見ると、柵の近くにこちらを向いて、直立不動の2人のガードマンがいて、その後ろに防衛局の職員らしき人がいる。振り返ると反対派のテントの手前には、「警察、沖縄防衛局及び両者の関係者の立ち入りを禁止します」という標識が立っている。まさにがっぷり四つの対峙である。
テント村からほんの少し離れたところに電源開発のやんばる海水揚水発電所の入口がある。そこは警視庁の機動隊が警備している(多摩と品川ナンバー)。発電所として使っていないので、いまは「ヘリパッド」の工事現場への搬送口になっている。今回はN1a、bと、これから建設されるH、Gに関連する搬入路などを見てまわった。すでにN4a、bは去年完成している。少し走ると、見晴らしのよいところに出た。海水揚水発電所の一帯は、原始の森が直接海に接している珍しい地域だという。「ブロッコリーの森」がまさに海につながっている。こんな風景はここでしか見られない。一体、こんな美しい大自然の場所に、「ヘリパッド」なる無粋な軍事施設を新たに建設する必要性がどこにあるのか。すでに決まったことだからというのでは、思考の惰性以外のなにものでもないだろう。
那覇にもどる途中、国道58号に出て名護警察署に寄った。福岡県警機動隊が名護署の正面に一列になって、抗議の人々を阻んでいる(写真)。名護署前で聞いた話では、昼前に県道70号に停車した宣伝カーから運転手を引きずりおろし、手錠をかけて現行犯逮捕したというのである。容疑は往来妨害罪(刑法124条)。「陸路…を…閉塞して往来の妨害を生じさせた者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する」。それまで高江では30件の逮捕事案があるが、この往来妨害罪の適用はなかったという。初めての適用だが、道路に停車して抗議する宣伝カーの運転手を引きずりおろして、直ちに逮捕は明らかに異例である。すぐ横にいた軽自動車の72歳の女性も同時に逮捕された。いつもの小競り合いのなかで、たまたま宣伝カーが「ゴージャック」という放置車両の移動用の装置が使えないよう、タイヤのところに鉄板を入れていたため、怒った機動隊員が即逮捕に踏み切ったようである。軽自動車の女性は明らかにとばっちりである。この写真は、その女性の軽自動車を「ゴージャック」で移動しているところである。この移動に抵抗したわけでもない女性をその場で逮捕したというのだから、これは起訴できないのではないか。警察内部でも行き過ぎという声が出てくるのではないか、と岸本さんに語った。
「ゴージャック」は東日本大震災で活躍した災害現場の必需品とされ、放置車両をすみやかに移動して緊急車両や援助物資を積んだ車の通行を円滑にするために開発されたものである。ただ、納入先として「警察庁、消防庁、自衛隊、市町村」とある。高江のような運動鎮圧のような適用例は初めてではないか。
本件では、逮捕から48時間ほどして、男女2人は釈放された。これまでは公務執行妨害罪で逮捕してきたが、さすがに往来妨害容疑で公判維持はむずかしい。那覇簡裁は、検察官の勾留請求を却下した。検察官はこれを不服として、その変更を求める準抗告の手続きをとったが、那覇地裁はこれを却下した。現場の市民は、「軽い罪でも身柄を拘束し、抗議行動の萎縮を狙った」と批判している(『琉球新報』9月18日付)。
岸本さんは、警察庁が初めて実施した「警察信頼度調査」(サンプル数49000人)の結果、ワースト3が神奈川県警、大阪府警、千葉県警だったことに注目する(『毎日新聞』8月31日付参照)。このデータを使って、沖縄にまでやってきて、抵抗するおばあたちのごぼう抜きなどやらないで、自分の故郷にもどり、信頼の回復に努力すべきではないか、と機動隊員に語りかけているという。
さて、沖縄合宿に参加した水島ゼミの一つの班(「沖縄独立班」(吉原優班長))は、福岡高裁那覇支部前で判決を待っていた。9月16日午後2時から、辺野古の新基地建設をめぐり、国が翁長雄志知事を訴えた「不作為の違法確認訴訟」の判決が言い渡された。結論は県の完全敗北である。それも並の敗北ではない。判決は、前知事が行った埋め立て承認に裁量権の逸脱・乱用による違法性はなく、翁長知事の承認取り消しは違法との判断を示した。この結論自体は予想されたものだった。しかし、理由がすごかった。
「都道府県全ての知事が埋立承認を拒否した場合、国防・外交に本来的権限と責任を負うべき立場にある国の不合理とはいえない判断が覆されてしまう。国の本来的事務について、地方公共団体の判断が国の判断に優越することにもなりかねない。これは、地方自治法が定める国と地方の役割分担の原則にも沿わない不都合な事態である。よって、国の説明する国防・外交上の必要性について、具体的な点において不合理であると認められない限りは、被告はその判断を尊重すべきである。」
そもそも法律上にある「防衛」ならばともかく、「国防」という言葉を憲法9条が存在するこの国において、裁判所が無批判に使うことはいかがなものか。この言葉づかいからして問題である。その姿勢たるや、外交や防衛については常に国の判断を優先し、地方自治体はただその判断に従う存在に成り下がれといっているに等しい。1999年の地方自治法改正以降、ここまであっけらかんと国中心の発想を展開した判決も珍しい。
国を勝たせるだけならば、前知事の裁量権の逸脱・乱用はなく、現知事による埋め立て承認の取り消しは違法という行政法レベルの理由づけで十分だった。それが、まるで三文・国際政治学者のように、具体的な国際政治や安全保障上の論点に踏み込んで、一方的な判断を加えている。「沖縄の地理的優位性について」として、オスプレイの飛行時間まであげて、米軍の活動の優位性を説く。「北朝鮮が保有する弾道ミサイルのうち、ノドンの射程外となるのはわが国では沖縄などごく一部であり、…」などと、三文・軍事評論家のように饒舌に語る。「在沖縄全海兵隊を県外に移転することができないという国の判断は、戦後70年の経過や現在の世界、地域情勢から合理性があり尊重すべきである」と断定するに至っては、米国内にも海兵隊撤退論がある現在、著しく偏った見解といわざるを得ない。「普天間飛行場の被害を除去するには本件新施設等を建設する以外にはない。言い換えると本件新施設等の建設をやめるには普天間飛行場による被害を継続するしかない」。この判決の物言いは、「もはや裁判の判決と言うよりも一方的な決めつけによる恫喝というしかない」と『沖縄タイムス』9月17日付社説は怒り心頭である。同社説はいう。「冷淡なだけではない。自身の信条に基づいて沖縄の状況を一方的に裁断し、沖縄の民意を勝手に解釈し、一方的に評価する。県敗訴は当初から予想されてはいたが、これほどバランスを欠いた独断的な判決が出るとは驚きだ。」と。
福岡高裁那覇支部前で、判決が出た瞬間のことを、班長の吉原さんは、私へのスマホメールでこう報告してくれた。「…裁判所前に集まった県民の方にお話をうかがい、改めて、私たちが沖縄県の問題に関して「他人事」を貫いていたこと、そしてその罪深さを班員一同が突きつけられました。判決が伝わった瞬間、あの場にいた人々が放った、うねるような憎悪の波動を、私は一生忘れないと思います」と。
県は直ちに上告した。20年前、沖縄代理署名訴訟最高裁判決が出された。これについて「直言」で書いた。この最高裁判決は、 「具体的判断の場面では、行政府の「専門技術的判断」の前に思考停止してしまった」。だが、今回の高裁判決はあまりにひどく、国の主張の代弁者のようになってしまった。この異様な偏りを、最高裁はどのように「是正」するだろうか。
辺野古でも、高江でも、共通する思いは一つ、「それにもかかわらず」(Trotz alledem)である。