10年前の「直言」(「「失われた5年」と「失われる〇年」――安倍総裁、総理へ」)にこうある。「先週、9月20日午後、安倍自民党「総裁」が誕生した。任期は3年である。明日26日には内閣「総理」大臣に就任する予定である。「総理・総裁」という、他国では理解できない「・」でつながる不思議な言葉。一政党のトップがあたかも自動的に首相になるかの如き状況が、この国では普通に起きている(細川・羽田・村山内閣のときの河野自民党総裁だけが例外)。…安倍政権発足の本質的な問題は、安倍が何をやるか、である。安倍晋三という人物の思想と行動が、一議員や一閣僚(官房長官)にとどまっていた段階とは異なり、いよいよ内閣総理大臣という最高ポストを得て、本格的に動きだす。その危なさは、交通法規〔憲法〕を確信犯的に無視するドライバーが、大型トラックの運転席に座り、道路に走り出したのに近い。このトラックは行く先々で、たくさんのトラブルを起こすだろう。ドライバーは、饒舌に語りながら、「お目々キラキラ、真っ直ぐに」トラックを走らせていくのだろう。この国の不幸は続く。…」(注:この「直言」から3年後に、谷垣禎一氏が「総理」になれない「総裁」となった)
10年前の自民党内にはまだ、はっきりと意見をいう議員、注文をつける議員がいたが(「安倍新総裁に要望、釈明、注文――自民党」『朝日新聞』2006年9月22日付参照)、この第1次安倍政権の危なさを、2007年4月16日の直言「権力者が改憲に執着するとき」で、私は次のように指摘した。
「日本は議院内閣制なので、…大統領制の国々と同じには議論できない。安倍首相の場合は、任期延長のための改憲ではなく、祖父の想いを受け継ぎ、自らの評価(人気)をあげることに執着しているようにもみえる。ただ、自民党総裁任期を延長するという「禁じ手」はありうる。日本は、「総理・総裁」という言葉があるように、与党の総裁任期が、首相としての存続期間に連動する奇妙な国である。ただ、権力絶頂期の小泉前首相ですらやらなかったことを、安倍首相がやることはまずない。日本では、権力者の「任期」ではなく、憲法改正手続のハードルを下げることに主眼が置かれているのが特徴かもしれない。…」と。
2013年初頭から始まる「憲法96条先行改正」の動きを、その6年前の時点で指摘していたが、他方で、自民党総裁の任期延長を「やることはまずない」と断定したのは間違っていた。このことを、昨年1月12日の直言「国家運営の私物化――権力者が改憲に執着するとき(その2)」のなかで、「これは判断が甘かった。…安倍首相とその周辺は、「安倍晋三は小泉純一郎を超えつつある」と本気で思い込みはじめているのかもしれない」と書いた。そして先週、『朝日新聞』10月20日付は一面トップで、「自民党総裁任期 延長決定 安倍首相 3選可能に」を伝えた。そこで今週の「直言」はこの問題を論ずることとし、「権力者が改憲に執着するとき(その3)」をサブタイトルとする。
この「総裁」任期延長によって、ついに「安倍総裁9年」が実現することになる。それは「総理・総裁」という言葉が存在する日本においては、内閣総理大臣の「任期延長」に連動してしまう。その結果、安倍首相の在任期間は3500日以上となり、大叔父・佐藤栄作の2798日を超え、内閣制度発足以来最長の桂太郎(1901年6月2日~1906年1月7日、1908年7月14日~1911年8月30日、1912年12月11日~1913年2月20日)の通算2886日をも上回ることになる。
なぜ自民党総裁の任期延長が問題なのか。一政党のトップがもう1期やれるようになるだけの話で、大統領のような国家機関の任期の問題とは質が違う、という意見もあろう。議院内閣制をとる国では、首相の任期が憲法上定められることは通常ない。直近の総選挙の結果、多数を占めた政党から首相を出すことになるわけだから、すべては選挙の結果に依存する。
自民党は1955年の結党以来、党規約にあたる党則で総裁の任期を定めてきた。1972年までは2年だったが、その後3年になり、1978年からまた2年になり、2003年の小泉政権時に再び3年になった。3選は一貫して禁止されている。現行の自民党の党則80条(PDFファイル)は以下の通りである。
党則80条
1 役員の任期は、総裁については3年とし、その他はすべて1年とする。ただし、重任を妨げない。
2 前任者の任期満了に伴う選挙により選任された総裁の任期は、前任者の任期満了の日の翌日から起算する。
3 総裁が任期中に欠け、又は第6条第4項の規定による選挙の要求があった場合において、同条第2項又は第4項の規定により新たな総裁を選任したときは、その任期は、前任者の残任期間とする。
4 総裁は、引き続き2期(前項に規定する任期を除く)を超えて在任することができない。
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自民党の「党・政治制度改革実行本部」が10月19日の役員会で、「総裁3期9年」とする案を軸に、「無期限」とする案を含めた最終判断を、本部長の高村正彦副総裁に一任した。またしても高村氏である。昨年の安保関連法制問題の時に活発に発言し、砂川事件最高裁判決を集団的自衛権「合憲」の根拠としてごり押ししたことは記憶に新しい。「100の学説より一つの最高裁判決だ」として、私も高村氏から名指しで批判された。その高村氏が久々に登場。参議院の議員定数不均衡訴訟(一票の格差)で、全国16高裁のうち半数近くの判決が出てきた10月19日時点で、「参議院の合区の解消には、単なる法律改正では無理なので、憲法改正が必要」と主張して、この問題を「お試し改憲」につなげる行動に出てきた(『朝日新聞』10月20日付4面)。便乗型改憲。端的に言えば悪のりである。そして、同日、総裁3選禁止規定(80条4項)に手をつけるべく、主要7カ国(G7)で議院内閣制をとる国の与党では、党首の再選禁止規定や任期の規定がないとして、「日本だけがグローバルスタンダードからかけ離れている」と主張したのである(『朝日』同1面)。党内の議論も、9月20日の「改革本部」の初会合から3度目で任期延長が決まったようで、「党内全体が安倍首相にひれ伏す様子に、ベテラン議員はため息をつく」という状況のようである(『朝日』同2面「時時刻刻・安倍1強 消える異論」より)。「グローバルスタンダード」などと大上段に構えてくるあたりも、高村氏らしい。
確かにドイツの与党、キリスト教民主同盟(CDU)規約34条を見ても(PDFファイル)、党首の任期に関する制限は定められていない。社会民主党(SPD)規約も同様である(PDFファイル)。左の写真はボンの歴史博物館の売店で購入した定規だが、一見してわかるように、アデナウアーから現在のメルケルまで、首相は8人しかいない。これに対して、戦後日本の首相は東久邇宮から安倍晋三まで33人という多さである。一人1センチとしても3人分足らないから、「首相定規」は日本ではできないだろう。それはともかくとして、なぜ自民党総裁の任期に制限が設けられているのだろうか。
結党以来、派閥間抗争のなかから総裁が選ばれてくるが、主要派閥のトップが総裁になる確率をあげるためにも、同一人物があまり長期に総裁であり続けることは避けたい。そうした生々しい問題意識が3選禁止規定の背景にはある。しかし、長年にわたって3選禁止のルールでやってくると、自分からそれをやめると言い出すのには相当ハードルが高くなる。長期政権だった中曽根康弘と小泉純一郎のときだけ、3選禁止の撤廃が語られたのは偶然ではない。しかし、両人ともに3選禁止規定には手をつけなかった。権力(者)の自己抑制とまではいかないが、やはり権力者としての「美学」(特に小泉の場合)があったのではないか。「総理・総裁」という言葉が普通に使われてきたように、この国では本格的な政権交代が起きない。「政権党交代」にとどまる(中野晃一『右傾化する日本政治』岩波新書、2015年)。自民党内部における派閥間での総裁交代が、野党代替的機能を長らく果たしてきた。それが小選挙区比例代表並立制(私は「偏立制」と呼ぶ)のもと、特に小泉政権の「自民党をぶっ壊す」以降、派閥の力が低下していき、党に対しても官邸主導の「非民主的中央集権制」が定着していく。第2次安倍政権にいたって、この選挙制度の弊害が極大化し、「総裁」と「総理」が文字通り一体化した「総統」(Führer)になりつつあるのだろうか。
内閣総理大臣は絶大な権力をもっている。それが自民党の党則の改正により、同一人物が最大9年まで首相の地位を維持することができるというのは、これまでの日本政治史になかったケースである。そもそもそうした重要なルール変更が、とうの本人の任期延長を目的として行われるところがいかにも不純である。
河野洋平元衆院議長(「総理」になれなかった「総裁」の一人)は10月4日のBSフジの番組で、党総裁の任期延長が決まった場合、2018年9月に任期満了となる安倍晋三首相の後継総裁から適用すべきだとの考えを示した。「自分で自分の土俵を広げるようなことはフェアじゃない」とも述べた(『朝日新聞』10月5日付)。まさに正論である。政治家ならば普通の感覚だったのに、いまではメディアまで腰がひけて、正面から「おかしい」といえなくなった。ドイツから帰って一番の違和感は、「恥」を知らない政治家の言動が、たいした批判も受けずに横行していることである。「総立ち拍手」しかり、農林水産大臣の「強行採決」発言しかり、そして「自分のための党則改正」しかり、である。
そもそも安倍氏が長期政権を担うなど、片腹痛しである。「総理」の座を投げ出した安倍氏に対して、私は2008年2月4日の段階で議員辞職を求めている。2012年12月に総裁になることが許されない存在だったのである。「総理」の座を投げ出した安倍氏が、「余人をもってかえがたい」などという歯が浮くような言葉で、3期9年にわたり内閣総理大臣の地位を確保しようとしている。万能感にひたる安倍氏を見ていると、本当に「恥ずかしい」という気持ちが沸き上がってくる。
参院選中盤の7月3日、東京・渋谷で「アベ政治を許さない」と書かれたうちわを手にした聴衆に対して、安倍首相は、「私たちを批判ばっかりしている。この選挙を妨害して恥ずかしいとは思わないんですか」と叫んだという(『毎日新聞』7月15日付「熟議なき国民投票」より)。この記事は、実際にそれを聞いた人の印象とは微妙にニュアンスが異なる。「「そんな恥ずかしいことはやめていただきたい」と何度も叫んでいて、わたしは一瞬何を言っているのだろうと耳を疑いました。政権批判をすることが恥ずかしいことだとは、前代未聞の珍事です。歴史上、そんなことを言った政治家はいなかった…」(ブログ「谷間の百合」7月10日)。
自らが憲法尊重擁護義務を課せられているにもかかわらず、「みっともない憲法」という表現を使った首相はいない。安倍総裁は、1955年の結党以来続いた3選禁止規定を党則から除く。「自民党をぶち壊す」と叫んだ小泉純一郎氏ですら2期で辞めて安倍氏に後を譲ったのに、とうの安倍氏が、自らのための任期延長をやろうとしている。これに正面から反対をとなえる政治家がおらず、本会議での首相演説で総立ちになって拍手を送るなど、自民党は本当に壊れてしまった。「恥ずかしい」「みっともない」のは誰か。
では、任期延長の狙いは何か。2020年7月まで在任していれば、自ら招致した東京オリンピックを開催国の首相として仕切ることができる。マリオで地球の裏側まで行ったのもその伏線だろう。憲法改正も「お試し」ネタにもよるが、9条改正をひとまずおさえて、とにかく自分の手で初めての改憲をやる。条文は問わない、という感覚で走るのだろう。そして、もう一つの狙いとして、2018年に「明治維新150年」の記念行事を主催したいという思いがあるようである。初代は伊藤博文、明治維新50年は寺内正毅、100年は佐藤栄作と、節目の歴代首相がすべて山口出身だったことから、安倍首相は昨年8月、山口市での講演で「私が何とか頑張っていけば(明治維新150年の2018年も)山口県出身の首相になる」と豪語したそうである。ちなみに、歴代最長の桂太郎も長州出身である(以上、『毎日新聞』8月5日付「夕刊ワイド」参照)。安倍首相の頭のなかは、長州藩士のままなのか。
冒頭の写真は、モスクワのみやげ物店で入手した「プーチン・バッジ」である。「我われを侮辱する者は、3日と生きられないだろう」とある。12月15日。安倍首相はプーチンと会談して、日ソ(露)の長年の懸案をネタにして、自分たちの権力を強化する。この点で安倍とプーチンは見事に利害が一致する(プーチンは3選禁止の裏をかき、2024年まで4度も在任可能)。かくして、安倍首相も、世界の専制政治家(Autokrat)の列に加わるのだろうか。