「壁」思考の再来――ベルリンから全世界へ?
2016年12月5日

写真1

ランプ新政権の人事構想が発表されるたびにメディアに驚愕が走る。ジェームズ・マティス退役大将の国防長官起用を発表するとき、トランプが「“Mad dog”(狂犬)マティス」と自ら叫んだのには心底驚いた。ドイツの週刊誌『シュピーゲル』先週号(11月26日)の表紙は「ザ・トランプス――恐るべき力をもった家族」(Der Spiegel vom 26.11.2016, S.12-23)である。この特集のキーワードの一つは、「五番街の新しい寡頭政治家たち」。アメリカはいま、トランプを大統領に選んだことによって、かつて存在したことのないような、「政治的なるもの」と「私的〔家族的〕なるもの」、「企業経営的なるもの」の混濁を体験することになるとして、特に娘のイヴァンカとユダヤ人の夫クシュナーに注目している。この二人は「トランプカードのポストモダン版」とされ、イヴァンカは結婚前にユダヤ教に改宗し、3人の子どもをユダヤ教で教育しているという。特集ページには、イヴァンカ+クシュナーを真ん中に入れてトランプと爆笑する安倍首相の写真も掲載されている。ドイツメディアでは、安倍首相の「みっともない朝貢」への視線はことのほか冷やかである(Süddeutsche Zeitung vom 29.11.2016,S.9には、ドイツの知人から送られてきた記事を見ると、赤面しそうなアングルと大きさで安倍の写真が使われている)。

写真11

前記『シュピーゲル』誌の特集は、トランプの戦略担当顧問スティーブン・バノンや、支持母体の一つである極右、ネオナチの“Alt Right”運動とその指導者リチャード・スペンサーの思想と行動についての分析もある。そこに出ているスペンサーの写真は寒けがするほどだ。ユダヤ系のファミリーと反ユダヤ主義者の双方を政権の中枢に入れて、「家産国家」(Patrimonialstaat)の現代的形態が誕生する。政権内極右派とつながるスペンサーは欧州出自の白人による「民族国家」を思い描いている。当然、1億人以上の人が国を追われる。そうしたことが現実に起きるとは思えないが、対立する勢力を政権のなかで競わせ、その負のパワーを政権の駆動力に利用するのかもしれない。

「史上最低の大統領選挙」でトランプが反復継続して、繰り返し「不法移民は追放する」「イスラム教徒は入国させない」「メキシコ国境に壁を築く」と叫び続けたことの傷跡は、米国社会に生々しく残っている。最近でもトランプは、ツイッターに「国旗を燃やす行為は、許されるべきではない」「燃やした場合は結果が伴わなければならない。市民権剥奪か刑務所行きだ」と書き込んだという。これにはさすがに、身内の共和党のミッチ・マコネル上院院内総務も、「その行為(国旗を燃やすこと)は、不快な言論の一つの形として(合衆国憲法)修正第1条で認められた権利だ。この国には不快な言論も尊重する長い伝統がある」と述べ、この件に関しては連邦最高裁判所の判断を支持すると語ったという(AFP 11月30日)。1989年に合衆国最高裁は、自国国旗を焼却する行為を禁止する法律を違憲と判決している。トランプはスカーリア判事の後に超保守派の判事を任命して、この最高裁判決を逆転させようとしているのかもしれない。ツイッター書き込みはその意思表示なのだろうか。あな恐ろしや、である。

先週、ドイツの保守系紙が別刷の特集版を出した。タイトルは「壁のおぞましきカムバック(Das Schreckliche Comeback der Mauern)」である(Die Welt,vom 29.11.2016〔デジタル版を参照〕)。今回は、この別刷に出てくる文章とイラストを紹介しよう。

冒頭の写真は米国とメキシコの国境にあるフェンスである。この特集のリード文には、「トランプは壁を建設しようとしている。エルドアン(トルコ大統領)はすでにやった。ミュンヘンにも建設されている。グローバルに隔絶される」とある。

写真4

「ベルリンの壁」は1961年8月13日から1989年11月9日までの28年と2カ月と26日存続した。この機会に「壁を作る側の論理」を改めて知っておくことは意味があると思う。その「壁」が崩れてから27年後にトランプ政権が誕生した。約4分の1世紀の周期で、人類は孤立と開放を繰り返しているのだろうか。行き過ぎたグローバル化への反動がトランプ政権をはじめ、英国のEU離脱、ヨーロッパ諸国における右翼ポピュリズム政権の誕生につながったのだとすれば、いま、世界は「壁」によって象徴される「隔離」の方向に進んでいるのかもしれない。それは異質な他者の排除と孤立主義によって特徴づけられる。以下、この特集記事の文章と写真をかい摘んで紹介しよう。

写真5

左の写真は、メキシコの芸術家が米合衆国とメキシコとの間の「壁」を表象したものである。「一見すると悪意のない、美しくさえみえる。その内的真実は恐ろしいものである。将来米国とメキシコを分離する壁のビジョンだからである。いまはまだ冒頭の写真のようなフェンスにとどまっている。トランプは選挙戦で、将来「自由な国」を南から分離すると宣伝した。これはグローバル化の終わりを意味するのか」。右の写真は「荒野のなかの壁」として、同じ作家たちが描いたものである。

写真6

「1989年に「壁」は崩壊したが、いまそれが再び建設されている。ドイツで、フランスで、米国で、あるいはトルコで。ぞっとするカムバックである」。まずは「トランプの壁」。ただ、注意しなければならないことは次の点である。「メキシコ〔国境の壁〕という言明はかなり曖昧である。トランプはまず不法移民の国外追放をいい、次にそのうちの犯罪者を追放するにかわったが、それはすでに実務で行われていることである。また、トランプはメキシコ国境沿いに壁をつくるという計画によって喝采を浴びたが、現に存在する国境のフェンスをどうするのか(撤去か、拡充・強化か)については一言も述べなかった」。この指摘は重要だと思う。トランプが国境のフェンスの存在に意識的に触れず、「壁」を作ると叫んだのには理由がある。実際に「壁」を米国の4州にまたがる国境線3141キロに築く労力とコストを考えればありえないことなのだが、トランプの「壁」公約は、フェンスの充実・強化を超える、極端な「壁」思考を広めることに狙いがあるのかもしれない。

写真7

左の写真は「カレーの壁」である。フランス北部、ドーバー海峡に面したカレーには、「ベルリンの壁」以来ヨーロッパにおける最初の隔壁がつくられている。それはイギリス行きを望む難民から英仏海峡トンネルを隔絶するためとされている。「評判のよくない難民キャンプ」はトンネルのずっと手前にあるのに壁はつくられる。カレー市長はそれを「恥の壁」と呼んでいる。

右の写真は、「トルコとシリアの国境に世界第三位の現代的な遮蔽施設(自動射撃装置付きの)がある。それは難民を阻止し、ひいては内戦の拡大をとめるためのものとされる。歴史上の万里の長城、米国・メキシコ国境のフェンスと並んで、シリア・トルコ国境には、世界で三番目に長い堅固な国境施設がある。北朝鮮の崩壊への不安から、中国は「万里の長城」から2300年後に新しい侵入に備えをしようとしている」。

写真8

次の左の写真はドイツのミュンヘン南東部のノイペルラッハに建設中の新しい壁である。ここに難民収容施設があるが、住宅地とその施設とを隔てる4メートルの高さの壁が建設されている。施設内の騒音が住宅地にもれないための「遮音壁(Larmschutzwand)」とされている。だが、上空から撮影した別の写真を見ると、音というよりも、明らかに難民施設を住宅地から隔離するための壁としか思えない。2015年9月に最初のシリア難民が到着したとき、「ウェルカム」で迎えた市民のなかにもこの1年あまりで大きな変化が生まれた(直言「外国人管理の現場へ」参照)。Die Weltの解説によれば、「壁を作る者は不安を抱えている。病的不安をもつ者は不断の警告状態にある。脅威と感じられるものの敷居は下がる。例えばドレスデンでは、イスラムスカーフをかぶったムスリムの女性はいわゆるドイツのイスラム化の証拠とされる。実際、ドレスデンのムスリム市民の割合は1%以下である。不安は、ごくわずかな少数者でも脅威をなす重大事に見えさせるマジックミラーのようなもの」なのだろう。

以上、ドイツの保守系紙Die Weltの先週の特集記事は、トランプが挑発するメキシコ国境の「大きな壁」から、ミュンヘン郊外の難民施設を隔てる「小さな壁」まで見てきたが、そこに共通するのは「隔離」の思考である。「ベルリンの壁」の目的は「反ファシズム防護壁」(W.ウルブリヒト第一書記)が建前だったが、それは西側への対処ではなく、自国(東)から西へ「逃亡」する自国民を閉じ込める構造になっていた。まさに「国民総隔離の思考」である。それが4分の1世紀あまりで崩壊した。それから4分の1世紀が経過した2016年11月、新たな「壁」の建設が次期合衆国大統領の口から宣言された。

世界史的に見れば、トランプ新政権の誕生は、間違いなく巨大な歴史反動である。21世紀の今日では信じられないような王朝文化や朝貢外交、家族主義、「人治主義」、憲法への露骨な挑戦が始まるだろう。先週、カジノ法案を短期間に強行採決する安倍首相の心象風景は、国会など屁の河童(何せ「私は立法府の長ですから」)である。国民の批判など無視しても暴走する政権の殿堂入りを果たした安倍首相。プーチンとトランプを筆頭に、エルドアン(トルコ)、ドゥテルテ(フィリピン)、オルバーン(ハンガリー)、安倍(日本)等々、専制政治(オートクラシー)の仲間たち。トランプの在任期間中に、こうしたタイプの政権で世界は覆われてしまうのか。この打破に4分の1世紀が必要とすることがないと信じたい。


《付記》『朝日新聞』12月4日付4面に、「撤収し「9条の貯金」守れ 駆けつけ警護、識者に聞く水島朝穂・早大教授」が掲載されました。朝日の「駆け込み警護」コメント連載の最終回です。ご覧ください。なお、『毎日新聞』11月10日付〔ここでPDFファイルで読めます〕も参照ください。

《付記2》オーストリアの大統領再選挙の結果が出た。「ホーファー大統領」の誕生はかろうじて阻止された。緑の党系のファン・デア・ベレンの勝利ではなく、右翼ポピュリストを大統領に選ばないという選択だった(Ein Votum gegen Hofer, in:FAZ vom 5.12.2016デジタル版)。英国のEU離脱やトランプ新政権の誕生が「ドミノ倒し」のようにヨーロッパに及ぶことへの危機感や「ためらい」が微妙に作用したものといえる。特に女性の62%がベレン支持で、男性44%に比べて際立って高かった。「女性が決めた」という評価もある(Die Zeit vom 4.12デジタル版)。ただ、どの世論調査でもホーファーの支持率は高いので、オーストリアの政治状況の混迷は続くだろう。5月22日の大統領選挙については、ドイツで書いた「直言」の真ん中から下の部分を参照されたい。
トップページへ