カジノ賭博解禁法案の闇と影――この国に国会はないのか
2016年12月12日

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日(12日)から、南スーダンに派遣された自衛隊施設隊が「駆け付け警護」任務を実施できるようになった。イラク戦争が始まった13年前、その年の12月8日に「米英軍と戦闘状態に入れり・・・」から「米英軍とともに戦闘状態に入れり・・・」と書いたが、イラク派遣時の「武器使用」(イラク特措法17条)と今回とは質的に異なる。自衛隊が海外での武力行使を行う可能性が今日から生まれる。そのことについては「直言」でも書いたし、新聞各紙でコメントしたのでここでは立ち入らない(『毎日新聞』11月10日付〔PDFファイル〕および『朝日新聞』12月4日付)。

さて、今回はやや個人的な思いから書き始める。私は東京・府中市の東京競馬場近くで生まれ育った。親戚は競馬場の獣医で、曾祖父、祖父、叔父に続いて私が「獣医4代目」になる流れだった。しかし、私は法学部に進学してしまった。小さい時から馬は好きだが、ギャンブルが嫌いなので、この年になるまで一度も馬券を買ったことがない。かつては「趣味と美学の問題」と書いたが、本当の理由は、馬券を買いにくる人々を嫌悪する幼児体験がある。

5歳まで競馬場通りに面した家に住んでいた。3度泥棒に入られた。畳についた黒い靴跡はよく覚えている。中学教師の家だからお金などない。父が大事にしていたカメラと、仕立ててもらったばかりの母の着物が盗まれた。次の泥棒は、競馬でスッてしまって帰りの電車賃がなかったのだろうか、父の定期券とコートだけを盗んでいった。玄関にあった父の靴だけ盗み、履いてきたゲタを置いていった泥棒もいた。これがきっかけで、小学校に入る前に競馬場通りから離れたところに引っ越し、いまもそこに住んでいる。競馬開催日の最終レースの終了後に電車を使うのを避けてきた。殺気だった客がなだれ込んでくるから、降りるのに一苦労である。

私が6年間通った小学校、3年間通った中学校の学区には多摩川競艇場もある。平日も開催しているので、土日開催の競馬場周辺よりも環境はよくない。大枚をスッた中高年男性が駅までぞろぞろと歩くので、競艇場から京王線多磨霊園駅までを、住民は「オケラ通り」と呼んでいる。

父はこの学区の中学校の教師をやっていた。『朝日新聞』夕刊にかつてあった「一語一会」というコラムで、父のことを次のように書いた。「・・・多趣味で、好奇心のかたまり。数学の授業でも、生徒の笑いが絶えなかったという。合唱部やバレー部の顧問までかって出て、生徒との関係は濃密だった。その分、家では無口で、厳格。私が父と二人だけで話した時間は少ない。ある日突然、『退職届を出して来た』と家族に告げた。『生徒が怖くなったらおしまいだ』と一言。80年代初頭の『荒れる学校』に全力で取り組み、燃え尽きたのだ。・・・」

父はなぜ早期退職したか。学区内には2つの「公営ギャンブル」があるため、関連する雇用がふんだんにあり、税収は他市を圧倒している。反面、雇用の中身が問題である。母親が「公営ギャンブル」の仕事で得る収入が父親のそれを上回る家が出てきて、親子面談などに派手なコートや指輪をして出てくる。男をつくって家を出てしまい、子どもが荒れる。そんな状況を父は嘆いていた。若い教師では対応できないため、夜遅く一人で多摩川に車でいって張り込み、夜遊びをしている生徒をつかまえて家に連れもどす。連日そういうことが続き、夜も眠れなくなり、結局辞表を出した。寡黙な父はそのあたりの事情を何も説明しないまま逝ってしまった。しかし、死後20年以上たってから、教師を辞めた真の理由を、私の娘が当時の教え子だった人から偶然聞くことになる。その内容はここでは書けないが、「父はやはり教師だった」と、それを聞いて涙が出た。その父が生前、「ギャンブルで潤う地域は心が荒れる。子どもが荒れる」と言っていたことを思い出す。私が馬券を一度も買わなかったのには、このような体験がある。

ギャンブルは賭博である。賭博をした者は50万円以下の罰金(刑法185条)、常習性のある者や賭博場を開帳して利益を図った者は3年以下の懲役である(同186条)。この規定の合憲性が争われた訴訟で最高裁判所大法廷は1950年11月、「賭博及び富籤に関する行為が風俗を害し、公共の福祉に反する」から憲法13条に違反しないと判示した。その際、賭博の処罰根拠を次のように説明している。古い判例なので古色蒼然たる文章だが、そのまま引用する。

賭博行為は、一面互に自己の財物を自己の好むところに投ずるだけであつて、他人の財産権をその意に反して侵害するものではなく、従つて、一見各人に任かされた自由行為に属し罪悪と称するに足りないようにも見えるが、しかし、他面勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法27条1項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。

(最大判1950年11月22日・刑集4巻11号2380頁)

本来、競馬も競艇も賭博罪に該当する。だが、個別の法律によって特例として公的主体が賭博行為を行うときは、刑法35条(正当行為)によって違法性が阻却されるわけである。競馬や競艇の本質が賭博であることに変わりはないが、法律に基づき公的主体が行うから違法ではなくなるという論理である。違法なものが違法でなくなる最大の理由は国や地方自治体の財政への貢献ということである。賭博である以上、「胴元」がいる。競馬の場合、それは農林水産省である。競艇は国土交通省、競輪とオートレースが経済産業省、宝くじは総務省。後発の「スポーツ振興投票」(サッカーくじ)、別名totoの「胴元」は文部科学省である。

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そしてそこに、「カジノ賭博」が参入しようとしている。安倍政権は「アベノミクス」の「異次元の政策」の5番目に、「カジノ賭博解禁法案」(正式名称は「統合型リゾート施設(IR)整備推進法案」)を挙げた。2013年12月に議員立法で国会に掲出されたものの、最近まで「最重要法案」の扱いを受けてこなかった代物である。ところが、トランプ・安倍会談のあとに、にわかにこの法案の優先順位が変わり、12月1日あたりから急にスイッチが入ったようである(『東京新聞』12月2日付「核心」による)。所管の衆議院内閣委員会での審議は異様だった。11月30日と12月2日のわずか2日間、計5時間33分。審議時間の短さだけではない。その内容たるや、前代未聞の光景が展開された。冒頭の写真にあるように、与党のトップバッターとして質問に立った自民党議員は、「一応質問は終わったのですが、あまりにも時間が余ったので・・・」と言うなり、般若心経を唱え始めたのである。内閣委員長は「谷川君、質問をしてください」と注意すべきところ、何もしなかった。そして委員会での採決の強行。12月6日には衆議院本会議で可決された。あまりにも国会を愚弄している。

さすがに連立与党・公明党には法案への慎重論が根強く、委員会採決でも1人が賛成、2人が反対した。衆院本会議での採決は議員個人の「自主投票」となり、賛成22人、反対11人、欠席・退席2人と割れた。反対のなかには井上義久幹事長らの幹部も含まれていた。カジノ法案には自民党内にも異論があり、例えば山本一太議員はブログで、「強引に成立させることには反対。今回の衆院のやり方は乱暴だ。国民の目にも『数のおごり』に映る」と書き込んだという(『東京』12月7日付)。法案は参議院にまわり、明日13日の参議院内閣委員会、14日には参議院本会議で可決・成立する。法案の審議になっていない。いったい、この国に国会はあるのだろうか。

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政教分離違反でもありうる「国会議員の般若心経布教」での時間つぶしが許しがたいほどに、法案には解明すべき重大な問題がたくさんある。まず第1に、カジノ賭博合法化の根拠である。最高裁大法廷判決がいうように、賭博には犯罪の誘発や経済の機能障害などの問題がある。それを防止する賭博罪の例外を設けるほどの公益性があるのか。その疑問に対しては、経済財政の改善という公益性があると繰り返すのみである。第2に治安の悪化(外国人犯罪者の流入)、マネーロンダリング(資金洗浄)などの犯罪のおそれについては、警備強化と「カジノを運営する事業者の管理監督と取り締まりを強化する」というのが答え。第3に本当に経済効果があるのかという疑問に対しては、「建設需要や雇用の創出、観光客の増加が期待できる」というもの。そして第4。ギャンブル依存症に拍車をかけるのではないかという疑問に対しては、「実施法のなかで万全の対策を講ずるようにする」という答えである。第5に青少年への影響については、「写真付きの身分証明書で年齢確認をする」といった程度の対策である(『毎日新聞』12月3日付、『朝日新聞』12月9日付)。

日本国内でギャンブル依存症の疑いのある人は536万人という数字がある(2014年厚生労働省発表)。日本は「ギャンブル依存症国家」といわれるほどに、ギャンブル依存症の疑いのある人の率が高い(成人の5%)。米国の1.6%、オーストラリアの1%に比べても高い数字である。ここにカジノが参入すれば、ギャンブル依存の傾向はさらに進むと見込まれている(『東京新聞』2014年11月1日「こちら特報部」)。国会の審議でも、ギャンブル依存症の対策はまったく見えてこない。他の「公営ギャンブル」に比べて、他人の目、競争がかきたてられるカジノの場合、依存症の深刻度は高いと言われている。それゆえになおさら、ギャンブル依存症対策を実施法律に丸投げすることは許されない。しかし、法案の審議でこの問題でのかみあった議論はなかった。NHK「クローズアップ・現代」の2014年11月17日放送「“ギャンブル依存症”明らかになる病の実態」では、家族を巻き込む悲惨な実態とともに、依存症患者の脳機能のバランスが崩れてしまうことなどリアルに紹介されていた。カジノ賭博の解禁で、ギャンブル依存症の新規参入が増える可能性がある。

父が指摘した、「ギャンブルで潤う地域は心が荒れる。子どもが荒れる」という言葉を思い起こす。地域の環境と治安の悪化、青少年への悪影響などの観点から見ても、安倍首相がいう「カジノは成長戦略の目玉」という発想は根本的に間違っていると思う。この点では、『読売新聞』12月2日付社説が正論を書いている。「そもそもカジノは、賭博客の負け分が収益の柱となる。ギャンブルにはまった人や外国人観光客らの“散財”に期待し、他人の不幸や不運を踏み台にするような成長戦略は極めて不健全である」と。まったく同感である。

実は、比較的新しい「公営ギャンブル」である「サッカーくじ」(toto)について、それが導入されるときの議論の状況について、レギュラーをしていたNHKラジオ第一放送の「新聞を読んで」(1998年3月22日午前0時30分、再放送7時40分)で次のように指摘した。少し長いが引用しよう。

・・・いわゆるサッカーくじ法案が〔1998年3月〕20日参議院で可決。衆議院に送られ、成立の見込みという記事です。各紙とも参院文教・科学委員会可決の前後から一面で大きく扱っています(一面扱いは東京3月18日付)。1枚100円。Jリーグの十数試合の結果を予想する仕組みで、的中率に応じて払戻を受ける。最高1億円程度。コンビニやガソリンスタンドでも販売されますが、19歳未満には販売できない。18歳未満の禁止ハードルを高めたのは、現役高校生には売らないためでしょう。「スポーツ振興投票実施法案」という奇妙なタイトルのこの法案。JOC(日本オリンピック委員会)などは歓迎ムードだそうですが、与党内部にも反対論が根強くあり、各紙の論調も批判的トーンが目立ちました。児童・生徒への悪影響が生じたときの文部大臣の停止権限や、八百長をした選手・監督の処罰規定などを置いていますが、これらの規定自体が、すでに問題の発生を予測しています。長野オリンピック報道で一番熱をあげていた『信濃毎日新聞』が、「サッカーくじに賛成できない」という見出しの明確な反対論を20日付社説で展開したのが目をひきました。長野オリンピック事業費は、当初見積もりよりも1600億円もオーバーしたと18日付『毎日新聞』が書いていますが、とにかくオリンピックの興奮でうやむやにされていた不透明な金絡みの問題が今後出てくるでしょうが、それはともかく、『信濃毎日新聞』の社説がいうように、「かけの対象になれば、スポーツの見方そのものが変化しかねない」という指摘は重要です。競馬も競輪も最初からギャンブルという認識がありますが、サッカーの場合、サポーターと称する人々に見られるように、異様な興奮をよぶスポーツですから、途中からこれがギャンブル性を帯びてきた場合、競馬・競輪以上にギャンブル的になり、荒れてくる危険があります。PTA全国協議会や日弁連の反対声明のポイントは、青少年の非行・犯罪との関わりですが、私はそれ以上に、この国がヨーロッパ諸国などと比べて、GNPに占めるギャンブルの比率が高いことを指摘したいと思います。朝日新聞社の週刊誌「アエラ」はサッカーくじ問題を初めて論じた1994年7月25日号で、「気がつけばギャンブル大国」という秀逸のレポートを載せています。それによれば、日本のギャンブル熱は異常で、競馬・競輪・競艇・オートバイ・宝くじ・パチンコの6つのギャンブルをあわせるとGNPの5.7%。これは世界一です。競馬もイギリス・フランスの四倍以上。まさにギャンブル大国です。スポーツ予算が貧困なことは明らかですが、それは一般会計の予算を増やす努力をすべきで、サッカーくじ導入の根拠としては薄弱。財政が苦しいからギャンブルを導入という論理は、所得の低い層から多くとるという点で、消費税以上の逆進性を生むおそれがあるという声も『アエラ』は紹介していました。私は、「ギャンブル大国」の日本で、子どもまでも巻き込んで、より一層、ギャンブルを拡大することそれ自体の問題が根本的に問われているように思います。

「サッカーくじ」(toto)でさえこれだけの議論があったことをもう忘れられてしまったのだろうか。サッカーくじの「胴元」は新規参入の文部科学省だったが、「カジノ賭博」は内閣府、国土交通省、総務省をはじめ9つの中央官庁がかかわるという。利権をむさぼる「胴元」が拡大するわけである。

さらに競馬や競輪などとの決定的違いは、カジノでもうかるのは世界に数社しかない大手カジノ運営会社(米国のMGM、ウィン、サンズなど)だということである。ほぼ寡占状態である。日本のカジノも、この大手カジノ運営会社の草刈り場となるおそれがある。そうした疑問や問題について国会の審議でほとんど解明されていない。かくもすさまじい速度で法案を成立させようとする背景には何があるのだろうか。法案にはいい面も悪い面もあるという意味で、「カジノ法案の光と影」ということではなく、この法案の場合、「カジノ賭博解禁法案の闇と影」である。さまざまなうがった見方、憶測、推測がなされているが、その一つは、安倍首相によるトランプ「駆け込み警護」(トランプタワー58階)の際に、トランプからカジノの解禁を求められたのではないかということがある。報道によると、トランプ政権の有力な支持者(多額寄付者)の一人が「米国のカジノ王」アーデルソンで、トランプに2500万ドル(約28億円)提供した。アーデルソンは、カジノが解禁されれば日本に進出すると公言しているという(『しんぶん赤旗』12月10日付)。

最後に一言。「カジノ賭博解禁法案」は、「大阪万博よ、もう一度」の「日本維新の会」が推進勢力である。これにここまで安倍首相と官邸、自民党執行部が乗ったということは、自民・公明の連立政権の終わりの始まりかもしれない。さすがの公明党から11人の反対者を出したということで、これをきっかけに、憲法改正に鈍い公明党を切って、「維新」とともに改憲に向けて爆走する方向に舵を切りつつあるのだろうか。「カジノ」だけで、公明党は連立にしがみつくからそう簡単ではないが、公明切りの兆しがこの12月前半の国会で見えてきたように思う。

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