「憲法くん」の古稀――日本国憲法施行70年へ
2017年1月9日

写真1

1月4日、毎年恒例のゼミの「おでん会」をやった。2005年から毎年欠かさず、12回目になる。今回は19期生(4年生)13人が私の仕事場にきた。「信玄棒道」方面を9.8キロほど散策した。今年は快晴で気温も高く、快適だった。2023年まであと6回、これを続ける。

さて、今年は日本国憲法施行70周年である。憲法は私より6年早く「古稀」を迎える。思えば、日本国憲法施行50周年(1997年)の5月3日、内幸町のイイノホールで「憲法フェスティバル97」が開かれ、「憲法施行50周年の「夜」」(コント集団「ザ・ニュースペーパー」with 水島朝穂)という公演を行った。私は早大に着任したばかりで、43歳。全国憲法研究会の事務局員として、憲法施行50周年講演会の実務を担当することになった。私の提案は、コント集団「ザ・ニュースペーパー」(TNP)に憲法ネタを提供して、これをコントにして演じてもらうというものだった。ドゥー企画(当時)の杉浦正士社長とお会いした。TNPはその日の新聞ネタをコントにして笑いをとってきたが、私は「明日の新聞をよむ」というコンセプトで、まだ法案段階だった通信傍受法や監獄法改正(「代用監獄」の法制化)、「淫行」処罰の東京都青少年健全育成条例改正などもネタにして、「明日の新聞」をコントにすることを提案。杉浦さんと意気投合。具体化に向けて話が進んだ。

ところが、当時の全国憲法研究会の運営委員会では消極意見が出て、結局、全国憲の企画としては採用されなかった。私は青くなった。このピンチを救ってくれたのは、高校の同級生、畏友・西肇君(伊藤塾・法学館社長)である。支援と協力を約束してくれ、同じ憲法記念日に別の場所で開催される「憲法フェスティバル」実行委員会(代表・森川文人弁護士)の企画として、夕方から実施される運びとなった。同日昼には、私が事務局で関わった全国憲法研究会の講演会がある。こちらは、作家・井上ひさし氏と小林直樹東大名誉教授の講演として、大隈講堂で行われた。憲法施行50周年の昼と夜の両企画に私は実務的に関わることになった。綱渡りだった。

この時期、全国憲の講演会の準備を進めながら、夜の憲法コントのためのシナリオを執筆した。授業が終わると、駒込の稽古場に通って、メンバーと憲法コントをつくる。これがけっこう大変だった。メンバーは時間通り来ない。三々五々、出たり入ったり。当時、松崎菊也さん、松元ヒロさんもメンバーで、稽古場では、みんなでウンウン唸りながら話をつくっていく。メンバーから、「先生、憲法3条と4条で一番問題な点は何ですか」「留置場と拘置所との違いは」など、次々に質問が飛ぶ。最初はどうなるかヒヤヒヤしたが、稽古場に通うごとに、ちょっとした憲法上の問題でもおもしろおかしくコントに仕立てあげられていった。これには舌を巻いた。すごい集中力である。私が執筆した「シナリオ」も、稽古のなかで無残に修正されていった(第1場のシナリオが見つかったので、ここに掲載する〔PDFファイル〕。シナリオ中の橋竜とは橋本龍太郎首相のこと)。

本番が近づいたある日、松元ヒロさんと稽古場近くの飲み屋に入った。そこで焼きとりを食べながら松元さんがこう言った。「先生、憲法の前文って、まるで詩のようですね。これコントになりませんか」。私は憲法を一人の人間にしてしまって、それが人生を語るように、自分の原点(初心)である憲法前文を語るというのはどうかと提案した。その場の語りと雰囲気のなかで、「憲法くん」というキャラにまとまっていったと記憶している。

写真2

さて、本番はというと、大隈講堂の全国憲の講演会もイイノホールの「憲法フェスティバル」も立ち見が出て大成功だった。翌日の『朝日新聞』社会面トップに写真入りで、この憲法コントが紹介された。「憲法を語る 戦後の荒波にもまれ50年」の見出し。そのなかで、「コント憲法くん「いらない、というほど私を使った?」」という縦見出しで、こう紹介した。

「東京都千代田区のイイノホールで開かれた「憲法フェスティバル」では、「憲法50年目の『夜』」と題して、ザ・ニュースペーパーの面々がコントを演じた。「うんちはしないがホラはふく」たまごっちの新種「政治家っち」を育てるハシモト首相が、クリントン大統領から「東京のど真ん中に基地が欲しい」「沖縄でもOKだったんだから、法律をちょっと変えちゃえば大丈夫」と迫られる場面など11の場面を演じた後、「きょう50歳の誕生日を迎えた憲法くん」が登場。「私をもう取りかえた方がいい、という人がいるが、みなさん私を『いらない』と言うほど使いましたか」と憲法前文を読み上げた。」

法セミ論文

『毎日新聞』5月4日付は、「憲法施行50周年を迎えた3日、東京都内では「護憲」「改憲」それぞれの立場の集会や記念行事が行われた。・・・千代田区のイイノホールでは、「97憲法フェスティバル」が開かれた。憲法学者の水島朝穂早稲田大教授のオリジナル脚本で、人気コント集団「ザ・ニュースペーパー」がコントを上演。憲法の精神が揺らいでいる現実を皮肉を交えて演じ、客席は大きな笑いで沸いた。」と書いた。

昼と夜の企画が終わった2日後に、直言「憲法施行50年行事を終えて」をアップした。そこでは、私の幼児体験(米兵が吐き捨てたガムをこっそり口に入れて友だちにいじめられたこと)も披露している。これは後に、拙著『憲法「私」論―みんなで考える前にひとりひとりで考えよう』(小学館、2006年)106-107頁で「私のなかのオキナワ」として紹介している。1997年は沖縄返還25周年の年でもあった。

この年は早大着任2年目で超多忙だった。日本評論社の『法学セミナー』に「現場からの憲法学」の連載もしていた。その第4回で、「日本国憲法施行50周年――「笑い」から憲法を考える」を公表した(1997年7月号82-86頁。上記の画像をクリックしてPDFファイルを開けます)。そこでは、全11場のうちの6場の内容が紹介されている。第3場「歴代首相の証人喚問」では、消費税導入に関して歴代首相を、伊藤塾の伊藤真さん演ずる「坂本竜馬(たつま)議員」が追及する。そして、最終の第11場が「憲法くんの独白:憲法前文のこころ」である。それは85-86頁に収録してあるのでお読みください。

この第11場は、私自身、舞台の袖で見ていて、涙がにじむほどに感動した。松元さんの演技の迫力に対してである。憲法前文をよどむことなく暗唱することは決してやさしくない。演出の杉浦さんは松元さんに憲法前文が書かれている「カンペ」(カンニングペーパー)をもっていくことをすすめた。万一舞台の上で「自国の主権を維持し、他国と、他国と、他国と・・・」なんて事態になったらアウトだからである。また、客席最前列には伊藤塾・法学館の西社長が陣取り、もし松元さんがつまったら、「そもそも国政は・・・」などと助っ人をする態勢でのぞんだ。しかし、松元さんはカンペを持たず、舞台に出ていった。そして、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて・・・」から始まり、「・・・全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」まで、憲法前文を一気に語りきった。会場は大きな拍手に包まれた。

その後、こまつ座機関誌、「季刊・the座」41号(1999年5月) に「コント脚本・憲法くん」(松元ヒロ・水島朝穂共同脚本)として掲載された。また、2002年5月3日の憲法施行55周年に岡山市で講演したが、この時は松元ヒロさんと一緒だった。松元さんの舞台には、もちろん「憲法くん」も含まれている。

岡山講演

不思議な縁で、11年後の憲法施行66周年の時に、再び岡山県で講演した。この時も松元ヒロさんのライブとセットである。会場には、千葉県から参加した、大学院時代の同期生、斎藤和夫氏もいた。彼は市原市の「憲法を守ろう・市原市民連絡会」でも、松元さんの「憲法くん」とセットで私の講演をやりたいという。その熱心さには驚いた。そして、憲法施行66周年の11月、千葉県市原市でも同様の企画を行った。

市原講演

こうした20年にわたる歴史のなかで、先月、松元さんと絵本作家の武田美穂さんの共著『憲法くん』(講談社、2016年)が出版された。『朝日新聞』2016年12月19日付夕刊は本書を詳しく紹介している。「〈へんなうわさを耳にしたんですけど、ほんとうですか。わたしがリストラされるかもしれない、というはなし。わたし、憲法くんが、いなくなってもいい、ということなのでしょうか〉 日本国憲法を人間に見立て、笑いとともに、その大切さを語る芸人・松元ヒロさん(64)。そのひとり芝居「憲法くん」が絵本になった」と。「絵本にはこんな場面もある。「わたし」を変えようとするのは、〈現実にあわないからだよ〉といわれた憲法くんは、問いかける。〈理想と現実がちがっていたら、ふつうは、現実を理想に近づけるように、努力するものではありませんか〉」。

この本のラストにおける「憲法くん」の独白は、20年前と同じである。あの時、イイノホールの舞台上の一人芝居で、松元さんが憲法前文を暗唱した直後、次のようにいう。「いやぁ、なんかこう、初心をいっちゃうとね、また元気が出てきますね。初心に戻ったという感じがしますよ。もし、みなさんが働けというのだったら、僕はまだ働きますよ。だってみなさん、僕はまだ、50歳ですよ。今が働き盛りなんですよ。だいたいね、65歳にならないと、年金ももらえないしね(笑)。でも、僕はみなさんのものです。みなさんが、僕をどうするか決めるんですよ。だから、みなさん、お任せしましたよ(大きな拍手)」(前掲・拙稿「日本国憲法施行50周年―「笑い」から憲法を考える」86頁)。

あれからまもなく20年が経過する。「憲法くん」は古稀を迎える。働き盛りとはいえない。そこで、この本では、こうなっている。「・・・みなさんにがんばれといわれれば、まだまだがんばります。だって、まだ70歳です。・・・でも、わたしをどうするかは、みなさんが決めることです。私は、みなさんのわたし、なんですから。わたしを、みなさんに、託しましたよ。」(『憲法くん』28、32-33頁)。

50歳から70歳へ。「憲法くん」も確かに年を重ねた。だが、20年前の舞台でも、この本のなかでも、「憲法くん」は同じことをいう。「もういいよ、変えてもいいよ、というくらいまで、わたしのことを使ってくれたんでしょうか」と。自民党のいう憲法改正の理由は次の3点である。① 占領下でGHQの素人により起草されたこと、② 長い年月がたち、時代にあわないこと、③ 新憲法の制定こそ、新しい時代を切り開く精神につながること、である。ドイツと同様、占領下の制憲という事情はそれだけで変える理由にはならない。いずこにおいても憲法規範と憲法現実の乖離は存在する。憲法に反する現実を変えることも選択の対象となる。③ にいたっては、あまりに情緒的理由で、憲法改正の根拠足り得ない。私は13年前に、安倍晋三氏の「改憲論」を、「あまりに情緒的な改憲論」と雑誌『論座』で批判した

いま、衆参両院では改憲勢力が3分の2を占め、憲法改正をやろうと思ったらできる状況にある。安倍辞任に向かった10年前と比べれば、いまは「安倍一強」で史上最長政権に向かっている。憲法施行60周年の時とは大きな違いである。この10年間で、史上最強の非立憲・反立憲の政権が爆走しているわけである。

安倍首相は、この1月5日に自民党本部で開かれた仕事始めの会合で挨拶。「新しい時代にふさわしい憲法はどんな憲法か。今年はいよいよ議論を深め、だんだん姿かたちを表していく、私たちが形づくっていく年にしていきたい」と述べたという(『朝日新聞』2017年1月5日付夕刊)。権力者(彼の場合は立法府の責任者でもある?!!)が「新しい時代にふさわしい憲法」を「形づくっていく」というのだから、憲法の議論ではない。新憲法の議論である。このまま「安倍一強」のパワーで憲法を安易に変更する道に乗っていけば、これまで70年間築き上げてきたものとは違った世界が「形づく」られていくことになるだろう。それでいいのか。ここは立ち止まって、国会における政治家たちの議論をしっかり監視していく1年にすべきではないか。

70歳は日本老年学会の定義によれば「高齢者」ではなく、「准高齢者」だそうである(『朝日新聞』1月6日付)。「憲法くん」はいう。「みなさんにがんばれといわれれば、まだまだがんばります。だって、まだ、70歳です」(前掲書28頁)。

トップページへ