トランプ新政権発足とメキシコ憲法100年
2017年1月23日

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1月20日、トランプ新政権が発足した。この写真は、南部アーカンソー州フェイエットヴィルの投票所で、大統領選挙の投票をした人に配られた「投票済みシール」である。投票日前から州都リトルロックなどに滞在していた中村良隆氏(明治学院大学、英米法)が入手し、私の「歴史グッズ」に提供していただいたものである。裏紙を剥がすと胸などに貼りつくようになっている。背景に使った新聞はUSA TODAY紙の2016年11月10日付だが、その9面には3000を超える郡(County)ごとの投票行動が出ている(写真)。50の州ごとの地図よりも鮮明に、地方がトランプに流れたことを示している。20日の大統領就任演説では、地方の貧しい人々に「ワシントンから権力を国民に取り戻す」という形で、「米国第一主義」の本体を曖昧にしたまま、自らの支持者、「忘れられた人々」に向けて選挙期間に言っていたのと同じことを語るのみで、最後まで自らを支持しない人々に対する言葉はなかった。

8年前の同じ1月20日にオバマ政権が発足していた。この機会にその時の直言「オバマ新政権と日本」をお読みいただきたい。冒頭で、オバマの大統領勝利演説(2008年11月4日)の一節を引用した。

「…若者と高齢者、富める者と貧しい者、民主党員と共和党員、黒人と白人、ヒスパニック、アジア系、アメリカ先住民、同性愛者とそうでない人、障害者とそうでない人が出した答えだ。我々は決して単なる個人の寄せ集めではなく、単なる青(民主党)の州や赤(共和党)の州の寄せ集めでもないというメッセージを世界に伝えた。私たちは今も、これからもずっとアメリカ合衆国だ。・・・長い時間がかかった。でも今夜、この決定的な瞬間、この選挙の日に私たちが成し遂げたことにより、米国に変革が到来したのだ。・・・」

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オバマ前大統領は8年間、ドイツのメルケル首相とは良好な関係を維持し、11月16日の任期中最後の欧州歴訪でドイツを訪れ、メルケル首相と会談した。共同記者会見では、「もし自分がドイツ人ならば、メルケル支持者になっているだろう」というほどだった。そのメルケルはトランプが当選した直後に電話をして、「ドイツと米国は、民主主義、自由、法と人間の尊厳の尊重――出自、肌の色、宗教、性別、性的指向、政治的立場にかかわりなく――という共通の価値によって結びつけられている。・・・こうした価値を基礎として密接な協力をしていく」と執拗かつ周到な言葉遣いで釘を刺していた。トランプも負けじと、1月15日のドイツ紙のインタビューに答えて、「メルケル首相は難民問題で致命的な誤りをおかした」と激しく批判した(Bild-Zeitung vom 16.1.2017)。オバマ政権と異なり、トランプ政権では、米国とヨーロッパとの関係、特にドイツとの関係は大きく変わるだろう。

ところで、オバマ政権は米国史上初めて、個人もしくは事業者が民間の保険会社の医療保険を購入するか、または公的保険制度に加入することを義務付けて、国民皆保険を実現する医療保険制度改革(オバマケア)を2014年から本格施行した。国民の6人に1人が医療保険に入れないという米国では画期的な出来事だった。連邦最高裁も、国民の保険加入を義務付ける条項を合憲とした(2012年6月28日判決)。

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しかし、トランプ新大統領は閣僚人事において、「オバマケア」廃止論者のトム・プライス下院議員を厚生長官に任命した。その際、プライスを、「オバマケアの廃止、置き換えを主導するのに群を抜いて適任だ」と評価したという(『朝日新聞』11月30日付)。「オバマケア」については、労働者層の支持を得て当選したという関係から、すぐに全面廃止ということにはならないだろうが、巧妙な形で換骨奪胎していくことは確実である(1月20日の就任初日に「オバマケア」見直しに向けた大統領令に署名)。その時、トランプに投票した労働者層も、「大後悔時代」を実感するに違いない。なお、トランプは、メキシコ国境に「壁」を築くという公約を掲げたが、具体的にはそれをどのように果たしていくだろうか。

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米国が「壁」で隔てようとしているそのメキシコでは、今年、憲法制定100周年を迎える。「メキシコ合衆国憲法(Constitucion Politica de los Estados Unidos Mexicanos)」で、私の手元にある全文翻訳は、大阪経済法科大学法学研究所発行の「法学資料3」(1989年)に収録されている同大学の比較憲法研究会の翻訳である。巻末に収録されている藤井紀雄「メキシコ合衆国1917年憲法解題」(上記資料88-95頁)を参考にして、メキシコ憲法について概説しよう。

1821年にスペインから独立したメキシコは、「米墨戦争」(1846-48年)に敗北した結果、領土の半分を失った。国内において権力を握った自由主義派は1857年憲法を制定した。そこには政教分離条項が含まれていた。当時国土の半分をおさえてきた教会勢力の解体を狙ったものだった。やがてカトリック勢力の抵抗によって内乱となる。1867年に政権を掌握したデュアス政権のもと、独裁と富の偏在が進んだ。農民の97%は土地がなく、少数の大農園の支配だった。1910年にメキシコ革命が起こり、独裁に反対する民主化運動から、農民・労働者を含む急進的改革運動に発展していった。この革命を正当化し、メキシコの新しい社会像を国民に示す必要性から、革命勢力の指導者、ベヌスティアーノ・カランサ(後の大統領)は、1916年12月、憲法制定議会をケレタロ(メキシコ中央部)に召集した。メキシコ憲法(全9編136カ条)は1917年2月5日に採択され、5月1日に施行された。

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「1917年憲法は労働者の血によって作られている」と言われるように、憲法のなかに労働・社会法で制定されるような事項が多数挿入されている。人権条項にある5条は「何人も・・・正当な報酬および本人の明示的同意なしに個人的な労働を強制されない」と定める。また、27条は所有権条項だが、「公共の福祉」による収用などの制限が詳細に書き込まれている。ヴァイマル憲法(1919年)153条に先行すること2年、所有権の制約のモデルと言えるだろう。

さらに、第Ⅵ 編「労働および社会保障」は、条文としては123条のみで、1号から30号まである。1カ条で30号とは異例の多さであり、その内容たるや、およそ憲法の条文にはふさわしくないような、労働・社会立法で扱われる個別的な事項が列挙されている。その徹底さには目をみはる。まさに労働組合の要求書を条文化したような印象である。それだけ、労働者も女性もさまざまな社会的弱者が差別され、虐げられていたということだろう。社会権について憲法上初めて規定したのは、ドイツの「ヴァイマル憲法」であるとされているが、より厳密に言えば、その2年前に制定されたメキシコ憲法こそ、社会権を憲法上明確に規定した史上最初の憲法ということになろう。憲法の条文の構成が稚拙であっても、メキシコの人びとの想いは条文のなかに生きている。

この憲法はその後、何度も改正されている。135条によれば、連邦議会の出席議員の3分の2と、州議会の過半数の賛成で憲法は改正できる。メキシコ憲法を調査した衆議院憲法調査議員団報告書(2004年2月)が衆議院のサイト内にある(クリックしてPDFファイルにリンク)が、それによれば、2002年11月までに119回も改正されているという。ただ、議員たちは回数にこだわっているようだが、136条で「憲法の不可侵性」が定められている点は看過されてはならないだろう。「1917年憲法」の原理に反する政府ができたときでも、人民が自由を回復した後に、直ちに憲法の原理が再確立されなければならないと規定している。労働者の権利保障を含めて、「1917年憲法」の同質性を損なう改正を禁止したものと解される。その意味で、国境の向こうの米国で、トランプ政権が「オバマケア」を換骨奪胎していくなかで、メキシコでは労働者の権利や社会福祉を保障する憲法が100周年を迎えたということである。

ここで、史上初の社会権条項であるメキシコ憲法123条を下記に引用しておこう(翻訳は大経法比較憲法研究会のもの)。憲法の条文としては未熟で未整理であることは否めないが、社会的弱者に対するきめ細かい眼差しは学ぶものがあるだろう。例えば、1日2回、30分の授乳が憲法の条文で権利として保障されているというのは何とも初々しい。

以上は、日本国憲法の制定過程で、GHQ民政局のベアテ・シロタ・ゴードンが女性の権利をたくさん書き込み、そこに非嫡出子の権利までも書き込んでいたことを想起させる。細かすぎると削除されて、日本国憲法24条の条文の立て付けとなった。ゴードンは、日本の女性の悲惨な状況を実際に見て回り、詳細な条文案を作っていたことが、いまの24条の見えざる背景にある。この事実をしっかり認識し、注目してきたのが、美智子皇后だった。2013年の誕生日に際しての文書回答のなかに、「日本における女性の人権の尊重を新憲法に反映させたベアテ・ゴードンさん」という言葉がある。「GHQの素人が作った押しつけ憲法」という粗雑な議論しかしない首相とは対照的である。

第Ⅵ編 労働および社会保障
第123条 連邦議会および州議会は、労働者、臨時労働者、事務労働者、家事労働者および職人の労働を規律するとともに、一般にあらゆる労働契約に適用される以下の諸原則に違反することなく、各地域の必要性にもとづいて、労働に関する法律を制定しなければならない。
(1)  一日の最長労働時間は、8時間とする。
(2)  夜間の最長労働時間は、7時間とする。すべての女性および16歳未満の年少者を非衛生的または危険な労働に従事させることを禁ずる。同様に、夜間の工業労働を禁じ、商業施設における夜10時以降の労働を禁止する。
(3)  12歳以上16歳未満の年少者の最長労働時間は、6時間とする。12歳未満の年少者の労働は、契約の対象とすることができない。
(4)  労働者は、労働日6日ごとに、少なくとも1日の休息をとらなければならない。
(5)  女性は、出産前の3か月間、過度の労力を要する肉体労働に従事することはできない。出産後の1か月間は、必ず休養しなければならない。その間、給与の全額を受け取り、その職および契約により獲得した諸権利を保持するものとする。また授乳期間中女性は、乳児に授乳するため、1日2回、各30分間の特別休憩を取るものとする。
(6)  労働者が享受しなければならない最低賃金は、各地域の条件を考慮し、労働者を家長とみなした場合、通常の生活費、教育費、適当な娯楽費を満たす額とする。労働者は、農業、商業、工業および鉱業のすべての企業において、利潤への参加権を有し、この参加権については本条第9号で定める。
(7)  性別、国籍にかかわりなく、同一労働に対しては同一賃金を支払わなければならない。
(8)  最低賃金は、差し押さえ、賠償または天引きの対象とすることができない。
(9)  本条第6号に定める最低賃金および利潤への参加形態は、各地方自治体の設置する特別委員会により規定される。特別委員会は、各州に置かれた中央調停委員会に帰属する。
(10) 賃金は、必ず法的通用力を有する貨幣で支払わなければならない。商品、手形、紙票または貨幣にとってかわるその他の代用物で支払うことはできない。
(11) 特別な事情により労働時間を延長しなければならない場合、超過時間に対する賃金として、通常の労働時間に対して定められた額に、100%加算される。時間外労働は、いかなる場合も、1日3時間を超えず、3回以上連続することもできない。16歳未満の年少者、および年齢にかかわらず女性に対しては、この種の労働は認められない。
(12) 農業、工業、鉱業およびその他いかなる事業の使用者も、快適で衛生的な宿舎を労働者に提供しなければならない。使用者は、その宿舎に対して地価の0.5%を超えない月額家賃を徴収することができる。同様に、使用者は、学校、診療所およびその他居住地に必要な施設を提供しなければならない。もし企業が市街地に位置し、100名を超える労働者を雇用する場合、使用者は上記の第一の義務を有する。
(13) 前号の労働施設において、労働者が200名を超える場合、公設市場、行政施設および保養施設を設置するための5000平方米以上の土地が確保されなければならない。またこのような労働施設でのアルコール飲料販売店および賭博場の設置は、これを禁ずる。
(14) 使用者は、就労する職業または労働が原因となって起きた、または就労中に起きた労働事故および職業病について責任を負う。したがって使用者は、法律の定めるところにより、死亡、または一時的もしくは永久的な就労不能の結果に応じて、ふさわしい補償を支払わなければならない。使用者は、仲介者を通じて労働契約を結ぶ場合も、この責任を免れることはできない。
(15) 使用者は、施設を設置する場合に、衛生および健康に関する法規を遵守し、機械、器具および用具の使用における事故を防止するための適切な措置を取るとともに、その労働を、事業の性質が許す限り労働者の健康および生命を最大限保障するように組織しなければならない。それに関する罰則規定は、法律でこれを定める。
(16) 労働者および使用者は、それぞれの利益を擁護するために、労働組合または専門職組合、その他を組織し、団結する権利を有する。
(17) 法律は、労働者および使用者の権利として、同盟罷業および事業閉鎖を認める。
(18) 同盟罷業は、労働の権利を資本の権利と調和させ、生産の諸要素間の均衡の獲得を目的とする場合に限り、合法とする。公務に従事する労働者は、労働停止予定日の10日前に調停・仲裁委員会に通告しなければならない。同盟罷業は、罷業者の多数が人員または財産に対して暴力を行使する場合、または戦時に、罷業者が、政府所属の施設および職務に帰属する場合に限り、違法とする。共和国政府の軍事工場施設の労働者は、国軍に所属しているため、本号の規定は適用されない。
(19) 事業閉鎖は、調停・仲裁委員会の事前の承認を必要とし、価格を生産費用の限界内に維持するための操業停止を生産の過剰が必要とする場合に限り、合法とする。
(20) 資本および労働間の紛争および争議は、労使からの同数の代表者および政府からの1名の代表者で構成される調停・仲裁委員会の決定に委ねられる。
(21) 使用者がその紛争を委員会に付託することを拒否するか、委員会の行う裁定の受諾を拒否する場合、労働契約が終了したものとみなされ、使用者は、争議の結果生じた責任を負うとともに、3か月分の給与を労働者に補償として支払わなければならない。労働者側が拒否した場合も、労働契約は終了したものとみなされる。
(22) 使用者は、正当な理由なしに、または専門職組合や労働組合に加入したことを理由に、または合法的な同盟罷業に参加したことを理由に労働者を解雇した場合、労働者の選択により、労働契約を履行するか、または給与3か月分に等しい額を労働者に補償として支払わなければならない。また、労働者が、使用者側の誠実さの欠如を理由に、あるいは労働者本人、配偶者、両親、子息もしくは兄弟姉妹のいずれかが、使用者から虐待を受けたことを理由に退職する場合、使用者は同様の義務を負う。虐待が、使用者の同意もしくは容認のもとに従業員またはその家族によって行われた場合には、使用者は、この責任を免れることができない。
(23) その年度に支払われるべき給与または報酬に対する、もしくは補償としての労働者の債権は、債権者会議または倒産の場合、他のいかなる債権よりも優先される。 (24) 労働者が、使用者、その共同経営者、その家族または部下と結んだ債務については、労働者本人のみが責任を負い、いかなる場合にも、またいかなる理由によっても、労働者の家族に請求することができないし、当該債務について労働者の1か月分の給与を超える額を請求することもできない。
(25) 地方自治体、職業安定所、その他の公的または私的な施設において行われる労働者に対する職業紹介の業務は、無償とする。
(26) メキシコ人と外国人使用者の間で結ばれる労働契約は、すべて通常の事項に加えて、帰国費用が契約使用者の負担となる旨が明記されていることが自治体当局によって認証され、かつ労働者の渡航予定先の国の領事査証を受けなければならない。
(27) 以下の事項は、契約中に記載されていても無効であって、契約者を拘束しない。
 (a) 労働の性質上、著しく非人道的な労働時間を定める条項
 (b) 調停・仲裁委員会が不当に低いと判断する賃金を定める条項
 (c) 1週間を超える期間後に日給の受領を定める条項
 (d) 賃金を支払う場所として、娯楽場、宿泊所、喫茶店、居酒屋、酒場、もしくは店舗を指定している条項。ただし、当該施設の従業員の場合は、その限りではない。
 (e) 特定の店舗または場所において消費財を購入する、直接的もしくは間接的義務を定める条項
 (f) 罰金の名目のもとに賃金の支払い停止を定める条項
 (g) 労働事故、職業病、契約不履行により発生した損害、または退職によって労働者が取得する補償の権利の放棄を定める条項
 (h) 労働者の保護および扶助に関し法律が定めた労働者の権利の放棄を意味する、その他の条項
(28) 家産を構成する資産は、法律でこれを定める。家産は、譲渡不能であり、課税および差し押さえの対象とはならないが、相続訴訟の手続の要件の簡素化にともなって相続による移転は可能である。
(29) 傷害保険、生命保険、失業保険、事故保険、その他同様の目的をもつ国民的な保険機関の確立は、社会的に有益である。それゆえ、社会保障を普及し、浸透させるために、連邦政府および州政府は、この種の機関の組織化を促進しなければならない。
(30) 同様に、分割払いで労働者が所有することのできる、安価で衛生的な住宅の建設を目的とする協同組合は、社会的に有益である。
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