第96代内閣総理大臣の安倍晋三という政治家は、独特のキャラである。単なる無知や無教養の政治家ならたくさんいるが、彼は違う。「無知の無知」の突破力と破壊力のすさまじさは特筆ものである。議論のすり替えや論点ずらしを、悩むことなく、おおらかに行えるのも一つの才能と言えるだろうか。論理的あるいは政策的整合性が問われる事柄についても、その破綻や矛盾もなんのその、次々と「厚顔無知」や「傲慢無知」の施策や政策を繰り出してくる。「アベノミクス」に始まり、「同一労働同一賃金」「待機児童ゼロ」「高等教育の無償化」など、それまでの言説や政策との明らかな不整合を理解し、自覚できていれば、その表情にためらいや気恥ずかしさが漂うのだが、安倍首相にはそれがない。「問題ない」「まったく問題ない」が口癖の菅義偉官房長官のフォローもあって、またメディアの追及が不十分なことにも助けられて、問題が問題として深刻に議論されることなく次々に忘れられていく。
目下の「森友学園問題」でも、安倍首相夫人の昭恵氏と籠池理事長夫人の諄子氏とのメールのやりとりについて質問する議員に対して、「妻を貶めようとする気持ちがあるのだろうが度が過ぎる」という言い方をする(2017年3月27日参院予算委)。「恥ずかしい」という表現とともに、「貶める」という表現を多用・頻用するのもこの首相の特徴である。昭恵氏の怪しげな動きは欧米でも関心事になっており(南ドイツ新聞の記事)、こういう答弁をすることによって、国政に関する事案について解明すべき国会における審議というものを「貶め」ているのは、ほかならぬ安倍首相自身である。
ご記憶だろうか。2013年9月7日、ブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会の最終プレゼンで、安倍首相は、明るく、自信たっぷりに、「東京は世界で最も安全な都市の一つです。それは今でも、2020年でも一緒です。フクシマについて案じる向きには、私が皆さんにお約束します。状況はコントロールされています(under control)。」と演説し、質疑のなかでは、「汚染による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされています」と断言したことを(直言「東京オリンピック招致の思想と行動―福島からの「距離」)。「世界で最も安全な都市」のはずなのに、共謀罪の制定を説く際に、「2020年の東京五輪・パラリンピックを開催するためには、国際組織犯罪防止条約の締結は必要不可欠だ」と語った(日経)。この条約の締結は共謀罪の導入なしでも可能なのだが、この首相にかかると、過去3回も廃案になった問題だらけの共謀罪の導入が五輪開催の「必要不可欠」の前提になってしまう。
ご記憶だろうか。安倍首相は、昨年の大統領選挙の際、ヒラリー・クリントンが当選確実とみて訪米し、トランプ候補には会わずに、ヒラリー候補のみと会談したにもかかわらず、トランプ当選と決まるや、「超高速!」でトランプタワーに駆け込み、「トランプ氏は信頼できる指導者であると確信した」と瞬時に持ち上げたことを。
冒頭の写真を見ていただきたい。“Please look at me”と安倍首相が言ったために、トランプは安倍の手を握って見つめている。一方、ドイツのメルケル首相はトランプとの電話会談で、「ドイツと米国は、民主主義、自由、法と人間の尊厳の尊重――出自、肌の色、宗教、性別、性的指向、政治的立場にかかわりなく――という共通の価値によって結びつけられている」と苦言を呈した。この違いは大きい。メルケル首相との会談のおりには、記者団が握手をするよう求めても、トランプは横を向いて完全無視モードだった。これは外国首脳に対する態度としては、異例なほどの非礼、無礼である。ちなみに、3月20日に安倍首相が訪独した際、メルケル首相は、デジタルビジネス国際展示会「CeBIT 2017」の大画面に夢中で、安倍首相のさめた顔と対照的である。メルケルの「安倍嫌い」はかなり知られている。理由は明確である。トランプに媚びをうる無節操ということだけではない。これまでの言動から、安倍首相を「歴史修正主義者」(歴史改竄)と見ているからである。
ドイツの友人が『南ドイツ新聞』3月24日付の記事を撮影してメールで送ってくれた。「安倍さんはがんばる」「戦前ノスタルジーを抱く安倍首相」。幼稚園児が右手を挙げて、「がんばれ、安倍さん、がんばれ(Kämpf, Herr Abe, kämpf)」、と叫ぶ。右手を挙げて叫ぶのは、ドイツではナチス式敬礼を想起させる(写真)。籠池理事長は、安倍首相や多くの閣僚と同様、「日本会議」という「怪しげなナショナリストのロビー団体、戦前懐古(ノスタルジー)の団体」に所属している(Süddeutsche Zeitung vom 24.3.2017)。首相は、欧米メディアのなかでウルトラナショナリストとしての評価が定着しているが、意見の異なる者への排除と「レッテル貼り」の姿勢はすさまじい。財務省キャリア官僚出身の野党議員に対して、「日教組、日教組! 」と首相席から野次を飛ばして、予算委員長から注意されたほどである。浜矩子氏は、「安倍首相は幼児的凶暴性の強い人」と評しているが、その通りだろう。
ご記憶だろうか。今回の森友学園問題でも、当初の段階では、籠池理事長は「私の考え方に非常に共鳴している方」とシンパシーあふれる表情と表現で答弁していたのに(2月17日衆院予算委)、問題が深刻化するや、わずか1週間で「しつこい人」へと評価を逆転させたことを(2月24日同)。
森友学園の塚本幼稚園においては毎朝、教育勅語を園児に朗唱させている。国有地の払い下げ問題や「100万円寄付問題」の影に隠れてしまったが、この学園が「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)」を掲げた小学校を発足させようとしていたことを忘れてはならない。もし、この問題が発覚しなければ、「良い忖度」(松井一郎大阪府知事)が効奏して、今頃は入学式をやっていたかもしれないのである。「瑞穂の國記念小學院」(「安倍晋三記念小学校」)こそ、10年前に第一次安倍内閣が打ち出した「美しい国」のモデル校ではなかったか。
「教育ニ関スル勅語(教育勅語)」(1890年)は、「爾臣民 父母ニ孝ニ 兄弟ニ友ニ夫婦相和シ 朋友相信シ」と説きつつ、「一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ 以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂する戦前の国家イデオロギーである。稲田朋美防衛大臣は、「父母ニ孝ニ」など、「今日でも通用する普遍的な内容を含んでいる」という答弁を繰り返しているが、自らが所属する衆議院が1948年6月19日に「教育勅語等排除に関する決議」を行い、同日、参議院も「教育勅語等の失効確認に関する決議」を行っていたことを知らないはずはない。参議院の決議は周到に、次のように注意を喚起していた。「・・・教育勅語等が、あるいは従来の如き効力を今日なお保有するかの疑いを懐く者あるをおもんばかり、われらはとくに、それらが既に効力を失つている事実を明確にする・・・」と。
教育勅語は、親子や兄弟、夫婦、友人の間の関係についての道徳を説いたものではない。一見、今にも通じそうな物言いは、すべて、「一旦緩急アレハ 義勇公ニ奉シ」、つまり一朝有事の際は公に対して命を捧げよということに通ずる。それを子どもたちに日々刷り込むため、天皇・皇后の写真(「御真影」)への拝礼と教育勅語の奉読が繰り返されたのである。 「御真影」の「下賜」開始の2年後、1891年11月17日に文部省は、「御真影」と教育勅語謄本を「校内ノ一定ノ場所ヲ撰ヒ最モ尊重ニ奉置セシムヘシ」という訓令を出した。戦時下の1940年代には、ほとんどの学校に独立した「奉安殿」が設けられた。文部省「学校防空指針」によれば、「自衛防空上緊急に整備すべきもの」のトップに「御真影、勅語謄本、詔書謄本の奉護施設」が挙げられ、第二順位は、「教職員学生生徒及び児童の退避施設」であった。子どもたちの命よりも、天皇の写真と教育勅語謄本といういわば紙きれが重視されるという倒錯した状況のもと、1945年の空襲で、「御真影」を「守護」するために死亡した教師(校長および訓導)は10人にのぼったという。中学校に奉安殿を守る「学校守備役」の生徒がいて、空襲で命を落とした。天皇絶対のマインド・コントロールは、真面目で責任感が強い人ほど深く浸透したのである(詳しくは、拙稿「防空法制下の庶民生活」⑤)。
なお、左記の写真のうち左は清水稲荷神社(目黒本町一丁目)で、かつての鷹番国民学校の奉安殿が使われている。右の写真は朝日稲荷神社(大田区東雪谷五丁目)で、池雪国民学校にあった奉安殿が移設されたものである(水島朝穂・大前治『検証 防空法』(法律文化社、2014年) 107頁より)。
そのように、戦前において教育は、「教育勅語」により、天皇の権威に直接依拠していた。三大義務(納税、兵役、教育)のうち、教育の義務だけは帝国憲法には含まれていなかった。「教育勅語」を頂点とした勅令主義をとり、文部省は圧倒的な支配力をもっていた。国家が教育全般に介入し、これを操縦・支配した結果は、悲惨な戦争の惨禍となってあらわれた。それゆえ、戦後教育は、この「教育勅語体制」との決別から再出発をしたわけである。出発点は、教育の分野においては教育基本法の制定である。戦前の「教育勅語体制」がもたらしたもの、その反省の上に立ち、教育内容に対する国家統制や、行政の安易なコミットを遮断することに主眼が置かれていた(詳しくは、水島朝穂「戦後教育と憲法・憲法学」(樋口陽一編『講座・憲法学』別巻〔日本評論社、1995年〕)参照)。国民主権と「個人の尊重」・人権を基礎とする日本国憲法秩序のもとで、「教育勅語にもいいところがあった」といって無批判にこれを持ち上げることは、ドイツでいえば、「ヒトラーがやったのは悪いことだけじゃない、いいことだってあるんだ」(R. ジョルダーノ『第二の罪』」)と同じにみられるという自覚が必要である。
この教育基本法体制に手をつけ、教育に対する国家統制を強化したのが第一次安倍内閣であった。「懸案」だった教育基本法の「改正」を行い(直言「教育基本法の「魂」を抜く」参照)、「安倍色(カラー)」の教科書検定をやって、沖縄県民を激怒させた。歴史教科書も「官邸のチェックで改めさせる」という露骨な政治介入を行ったのも安倍政権であった。歴代首相のなかで、安倍首相のみが政権の「カラー(色)」をことさらに押し出そうとする。
なお、頭は戦前のままという稲田防衛大臣に対して、横路孝弘・元衆議院議長が、自身で作成された歴史年表まで配って、教育勅語の果たした役割、とりわけ戦争との関係を切々と説いていたのが注目される(3月16日衆院安全保障委〔YouTube〕)。稲田大臣は神妙に受け答えしているが、ほとんど内容がなかった。
『毎日新聞』の特集ワイド「最近話題の「教育勅語」肯定論は:歴史修正主義と表裏一体」に私のコメントが出ている(『毎日新聞』3月28日付夕刊)。安倍首相とその閣僚の圧倒的多数は、『南ドイツ新聞』が「怪しげなナショナリストのロビー団体」と評する日本会議のメンバーである。私は4年前に日本会議のメンバーが大半のシンポジウムで話すことを依頼された(シンポの様子その1、その2)。皇紀を使ってカウントすることを含めて、まったく別世界だった。
2018年度に小学校の正式教科となる「道徳」の教科書の検定がこのほど明らかになった。文科省からついた計244件の修正意見を見ると、仰天の内容である。例えば、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ愛着を持つこと」という理由から、「友だちのパン屋でおいしそうなパンをお土産に買う」という箇所は、「和菓子屋さん」に修正された。また、「アスレチック公園で遊ぶ子供たち」という箇所は「和楽器を聞く子供たち」に修正された。これが「郷土への愛着」なのか。「家族など生活を支えてくれる人々や現在の生活を築いてくれた高齢者への配慮」として、「消防団のおじさん」は「消防団のおじいさん」に修正された(『朝日新聞』3月25日付)。これでは「安倍晋三小学校」の全国化ではないか。検定現場の「忖度」も末期症状を呈している。
なお、新学習指導要領が修正されて、中学の保険体育に銃剣道が加わった。また、3月31日の政府答弁書では、教育勅語を「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」というところまできた。「平和に反しない戦争」「憲法に違反しない集団的自衛権行使」と同様、安倍政権の「二重語法」(ダブルスピーク)の面目躍如である。
第二次、第三次安倍内閣は、ウルトラナショナリストに乗っ取られた政権である。衆参両院で「ねじれ解消」の結果生まれた「安倍一強」状況のなかでの驕りと弛みが、森友学園問題の根底にある。だが、「構造的忖度」と「日本会議的斟酌」はいつまでも通用しないことを示した。「一強」を誇ってきた安倍政権の終わりの始まりである。
《付記》森友学園の新理事長に就任した籠池町浪氏は3月30日に、新体制を表明するなかで、第一次安倍政権によって改正される以前の旧教育基本法から前文の一節「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」を引用し、その「指針を常に念頭におきつつ、内容・カリキュラムを柔軟に見直」すと述べた(PDFファイル)。安倍政権が「安倍晋三小学校」の全国化を狙う一方で、政権の理想の教育モデルだった森友学園の方は、安倍第一次政権が「改正」した旧教育基本法(教育勅語からの脱却の象徴)の理念を掲げようとしている。これはどうしたことか。何とも極端な「転換」ではある。