「新たな戦前」なのか――日本国憲法施行70年
2017年5月1日

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後日は日本国憲法施行70年の憲法記念日である。当日私は仙台市で(チラシ)、翌4日には青森市で(チラシ)講演する。2006年5月2日に青森市で、3日に山形市で講演して以来11年ぶりに東北で憲法記念日を迎える。2014年15年は全国憲法研究会代表としての挨拶のみ、昨年はドイツ在外研究だったので、憲法記念日の単独講演は実に4年ぶりとなる。

思えば1986年から全国各地で憲法記念日の講演を続けてきたが、憲法施行40年は札幌市、50年は東京、そして60年は水戸市だった(付記参照)。施行60年の時は第1次安倍内閣で、「安倍首相の日本国憲法への憎悪と非難の程度は、明らかに憲法尊重擁護義務を負う首相として限度を超えている」と記している。10年前よりもパワーアップした安倍「壊憲」内閣が暴走する施行70年は、「新たな戦前」の様相を呈している。

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ゴールデンウィークが始まった4月29日早朝、北朝鮮が「弾道ミサイル」を発射した(とみられる)というニュース速報が流れた(午前6時頃)。東京メトロは午前6時7分から全線で一時運転を見合わせた。10分後に「着弾の恐れがなく安全と判断し、運転を再開した。北朝鮮によるミサイル発射を受けた措置は初めて」(『産経新聞』4月29日デジタル版)。地下鉄から乗り入れる東武東上線もほぼ同時刻、運転を見合わせた。駅のテロップには「お客様の安全確保のため」とある。JR西日本では、日本海側を走る北陸新幹線のみ運転見合わせを行ったが、JR東日本をはじめ、私鉄各社は平常運転で対応が分かれた。

この時間帯に発信されたと思われるツイートには、「東京メトロ車内にて『北朝鮮がミサイルしたとの情報が入りました。安全確認のため停車します』。幾度となく電車乗ってるけど、初めてこんな放送聞いた…これからどうなるんだ」(04/29 06:20:44)という不安がにじみでる。すごい数のリツイートがなされ、拡散されていった。しばらくすると、「『戦時化』気分の人為的創出」(06:44:38)とか、「『北朝鮮のミサイルがー』と大騒ぎしてるわりには大臣の半分は外遊という名の慰安旅行で思い出作りなGW。これだけでとんだ茶番だと分かる。お互いに相手の脅威を煽って政治利用してるだけ」(07:32:02)、「いや、変だよ。今まで何年も前から何十回も北朝鮮はミサイル打ってるわけで。なんで今回に限って、東京メトロ全線が止まるの。しかも多くは着弾したとしても影響の少ない地下鉄じゃん」(07:47:16)、「東京メトロが運転見合わせたのですね。ちなみに韓国ソウルの地下鉄を運営する二つの会社『ソウルメトロ』と『ソウル都市鉄道公社』では…何もありませんでした」(08:28:07)等々の懐疑的なツイートも広まっていった。

なぜ東京メトロと東武鉄道は「10分間」の運転見合せを行ったのか。4月からそのような対応をとるマニュアルができていたようで、今回初めて実施したという。政府の「国民保護」の施策の一環ということだろう。連休初日の早朝という乗客が相対的に少ない時間帯だったが、13000人に影響が出た。これが平日のラッシュ時だったら大騒ぎになっていただろう。東京メトロは、今後は「Jアラート」(全国瞬時警報システム)が出てからにするとTBS「報道特集」(4月29日放送)の取材に答えている。

4月25日は朝鮮人民軍創建85年記念日だから、北朝鮮が核実験かミサイル発射を行う可能性があるとして、日本のメディア(のみ)は早朝4時30分から夕方まで「北朝鮮きょうXデー!?」という趣旨の番組で埋めつくされた(25日付テレビ欄参照)。にわか専門家(元海将など)が放送局を掛け持ちして、北朝鮮が「何かをする」ことを待った。映画監督の井筒和幸氏は25日の生放送に出演した際、生本番用の構成台本に、「緊急用」として「ここで番組内容を変更して緊急ニュースをお伝えします。北朝鮮が〇時〇分頃、日本の〇〇地方の方向にミサイルを発射しました。〇〇に落下する恐れがあります。ただちに屋内に退避して身の安全をはかって下さい。・・・」とあったという。「あまりに珍妙」「噴き出してしまった」と感想を記している(『日刊ゲンダイ』4月28日付コラム「怒怒哀楽」連載92回)。メディアの興奮と「期待」に反して、結局何も起こらなかった。NHK教育テレビは当然としても、テレビ番組欄におけるテレビ東京の「静けさ」が際立って見えた。

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一体、この空騒ぎはなんだろう。私が「朝鮮君主主義臣民共和国」と呼ぶ国の二代目、三代目指導者がミサイル(最初は「人工衛星」)を国際政治的玩具として利用してはしゃいでいるのは、いまに始まったことではない。米韓合同軍事演習に合わせて緊張を高める動きに出てくることは、もはや年中行事ですらある(次は今年の8月の予定)。軍事的緊張を極度に高めて、外交交渉の手段に使うのを「瀬戸際外交」というが、三代目になってその手法がやや極端になってきたものの、二代目からの路線の基本に変わりはない。問題は、米国側の変化である。日本のメディアにその視点が決定的に弱い。

冒頭の写真はドイツの『シュピーゲル』誌の最新号の表紙である。タイトルは「死のゲーム――ドナルド・トランプと金正恩は核戦争のリスクをおかしている」。特集記事でも「二人の男と爆弾」という表題で、金正恩と並んで「この対立には第二の不確定要素が存在する。彼はホワイトハウスにいる」というトーンで冷静に分析している(Der Spiegel vom 22.4.2017, S.10-18)。トランプ側の事情としては、「在任100日」になるも内政面で十分な成果を挙げられていないことから、「軍事的オプション」を使って前任者との違いを明確にする狙いがある。他方、金正恩も自己の国内基盤を強化するとともに、米国との交渉において有利に立つために、軍事的緊張を極限にまで高めておこうとする。今回は、大口径自走砲や自走ロケット砲多数を沿岸に並べて派手な砲撃演習をやって世界を驚かせた。「これをソウルに向けてやるぞ」というアピールだが、とうの韓国では、ポスト朴槿恵の大統領選挙の行方にもっぱら関心があり、38度線に近い地域における高層住宅建設が中止になったという話も聞かない。

今回の危機の本質は、「北朝鮮の脅威」を過度に煽って、自らの「在任100日」成果不十分を覆い隠そうとするトランプにあるというべきである。北朝鮮の三代目はそれに便乗している節がある。佐橋亮氏(神奈川大学准教授)も、この「北朝鮮をめぐる重大危機」はトランプによって「作り出されたもの」という評価である(『朝日新聞』4月29日付15面オピニオン「耕論」)。トランプ外交の本質は、(1)オバマ前政権や歴代政権との違いをアピールし、成果を強調すること、(2)状況対応的で場当たり的であること、(3)既存の政策の否定や力の行使をちらつかせながらも、方針は一貫せず米国の信頼性を低下させていること、とされる。その結果、相手の意図を読み間違える錯誤によって米朝の緊張がより悪化するかと思えば、急転直下で米朝接触もあり得ると診る。同感である。戦争の危機かと思ったら、突然、トランプと金正恩が「ハンバーガーを食べながら」会談して、トランプ外交の成果を誇るという場面が出てくるかもしれない。しかし、それに至るまでの軍事的緊張の過度な利用は、末端での偶発的な武力衝突につながる可能性もあり、実は危ないのである。

トランプ政権発足後、4000人の連邦職員が入れ代わるワシントンで、上院の承認を必要とする556人の政治任用高官中、承認が得られたのは24人だけで、8割以上の468ポストが指名さえされていない(『毎日新聞』4月28日「トランプ米政権 発足100日」より)。米国はいま無政府状態で、家族が政治介入する前近代国家か、北朝鮮や中央アジアの専制国家と似た状況にある。シリアに対する国際法違反の武力行使も、トランプのかなり感情的な判断があったようだ。欧州諸国はそうしたトランプ政権との距離を慎重に測定しながら対外政策を展開している。ところが、日本の安倍政権だけは、トランプにあまりに密着している。日米電話会談で安倍首相は、「(対北朝鮮で)全ての選択肢がテーブルの上にあることを言葉と行動で示すトランプ大統領の姿勢を高く評価する」と語ったという(『読売新聞』4月25日付より)。

「全ての選択肢」には通常兵器による武力行使だけでなく、核兵器によるそれも当然含まれる。被爆国日本の首相が、核戦争のカードまできるというトランプの威勢のいい「言葉」だけでなく、その「行動」を高く評価するとは何事だろうか。ここは、北朝鮮の武力挑発に対して毅然と、しかし冷静に、あくまでも平和的手段で臨むよう希望するというのが日本の首相らしい意見表明だろう。しかし、こういうとき、安倍首相は予算委員会などでの答弁時に、眉毛を山形にしてハイテンションで抗弁するのとはうってかわって、「私は最高責任者」という恍惚感に浸った表情としゃべり方をする。これがまた危ないのである。

先週まで安倍首相は、昭恵夫人の森友学問土地払い下げへの関与を示す証言や録音データが出てきて絶体絶命、のはずだった。しかし、25日前後から北朝鮮の問題が前面に出てきて、メディアの扱いも下がり、ホッとしているところだろう。この政権の3つのツール、「情報隠し、争点ぼかし、論点ずらし」を駆使して、さまざまな嘘を現実のものにしていく。まさに「フェイク政権」である。

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調子にのった安倍官邸は、4月21日、「内閣官房国民保護ポータルサイト」で「弾道ミサイル落下時の行動について」という文章を出し、都道府県の危機管理担当者を集めて説明会も開催した。このマニュアルによれば、着弾の可能性がある場合、頑丈な建物や地下街に避難し、建物がない場所では物陰に隠れて地面に伏せるよう要請。屋内にいる時は、窓から離れることを求めている(『朝日新聞』4月22日付)。宮城県の教育委員会では、4月26日付で、「弾道ミサイル落下時」の「全校集会・ホームルーム等での指導内容について」を出して、各学校に対応を呼びかけた(資料1枚目2枚目3枚目以降〔PDF〕)。くるところまできたらしい。「ミサイルがくるぞ」とばかり、子どもたちに防空演習をさせようとした戦前の体制に近づいてきたようである。

安倍首相は4月13日の国会答弁で、北朝鮮がミサイル弾頭にサリンを装着する能力を保有している可能性があるとの見方を示した(『朝日新聞』4月14日付)。「最初は毒ガスから」が防空演習の常道のようで、戦前の防空法も1937年制定以降、真っ先に行われたのは防毒マスクをつけた訓練だった。広島県大久野島で毒ガスを製造し、中国でこれを使用しておきながら、国民に対しては、米軍による毒ガス攻撃への危機感を煽っていた

空からミサイルがくるぞ、毒ガスだぞという恐怖を煽る「国民保護法制」が実は現代の防空法であることについて、以下、水島朝穂・大前治『検証 防空法』(法律文化社)から、関係する部分を簡略化して引用しておこう。なお、4月30日に初めて発動された米艦防護(安全保障関連法のなかで最も根拠づけが怪しい「武器等防護」の米軍への拡大)についてはまた別に論ずる。

・・・日本政府は、2003年12月、北朝鮮のミサイルに対抗するとして、「ミサイル防衛」(MD)の導入を閣議決定した。導入費だけで5000億円、維持・運営費などで1兆円は軽く超える買い物である。米国では、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)システムが、技術的に問題があり、かつ超高額という財政上の問題もあってその採用が消極的になっていたところ、ABMとよく似たMDを、とびっきり素直な「上客」である日本に採用させようとしたわけである。米国政府から直接購入する「有償軍事援助」(AMS)のため、米国の軍需産業には安定的な利益がもたらされる。

2005年6月、MDに法的根拠を与えるために自衛隊法改正が行われ、82条の3「弾道ミサイル等に対する破壊措置」が追加された。・・・「弾道ミサイル等に対する破壊措置の実施に関する達」(自衛隊統合達第4号、2007年3月23日)には、ミサイル飛来の報告は「統合幕僚長を通じて行うものとし」(3条)とある。迅速性が優先され、制服組トップの権限が強められている。「国民の保護に関する基本指針」(2005年3月)によると、相手国のミサイルの「迎撃」場所は「我が国領域又は公海の上空」に一応限られている。やがて「相手国がミサイル発射を行った時点では遅い」という意見が勢いを増し、結局、相手国がミサイルに燃料を注入した時点を「着手」とみなして、「迎撃」するということも想定されている。「敵基地(策源地)攻撃能力」である。これは「迎撃」という形をとった、相手国への「先制攻撃」に踏み込むことにならないか。「防衛」概念の時間軸は、前倒し、事前、予防、先制的なものになればなるほど、自らの安全のためには手段を選ばない「安全の専制」への傾きを増すことに注意しなければならない。・・・

・・・北朝鮮の「テポドン」騒動に便乗して、かつての防空法制が形を変えて誕生した。「国民保護法」(2004年法律第112号)である。正式名称は「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」である。そこで国民は国家による保護の客体であり、自治体は統制と下請けの手段となる。他方、「国民の協力」の形態は、ある種の参加型を伴う面も否定できない。国家の防衛体制強化のために、国民および自治体が協力するという構図である。国民参加の「有事」システムとして機能するところに、「国民保護法制」の問題性がある(「『国民保護法制』とは何か」『法律時報』2002年11月号4-9頁参照)。

「国民保護法制」の中心となる「民間防衛」は、武力攻撃事態において、国民の生命・財産を守り、建築物や設備、文化財などを防護し、速やかな復旧をはかる組織的な活動であって、中央政府(外国では内務省など、日本では総務省)の計画指導のもと、地方自治体の組織、指導のもとに、主として軍以外の民間人が主体となって行う防護活動である。総合的な防衛体制のなかで、軍事防衛と「民間防衛」は車の両輪となる。もっとも、日本では、これが成功したためしがない。国民の生命を守るどころか、「退去の禁止」(防空法8条の3)や精神主義的防空指導により、むしろ犠牲を増大させたことは本書で詳しく論じた通りである。・・・

・・・一番の問題は、究極の人災であるところの戦争(武力行使)が、自然災害のようなトーンで扱われていることだろう。「武力攻撃災害」概念である。武力攻撃により直接・間接に生ずる人的・物的被害をいう(法2条4項)。戦争は天災ではなく、典型的な人為的行為(人災)である。「国民保護」法制は、「武力攻撃事態災害」概念を導入することによって、一般の消防や災害救援システムを細部にわたって軍事的合理性の観点から組み換えていく。・・・「武力攻撃災害」の救援組織や各種訓練への参加についても、単なる災害とは異なり、「武力攻撃」である以上、救援組織のあり方や訓練参加の仕方のところでも問題を生じやすい。なぜなら、「武力攻撃災害」の救援体制は、戦前の「隣組防空群」などに類似して、市民生活の相互監視・相互統制機能も果たしかねないからである。これに反発を感じて、参加・協力を拒否する人が必ず出てくるだろう。「敵性」国民のレッテルを貼られる場合はなおさらである。

全国瞬時警報システム(J-Alert)と防災無線を連動させる仕組みも、国民保護法制の関連で全国各地、山間部の市町村にまで普及している。・・・

・・・1933(昭和8)年8月11日付『信濃毎日新聞』2面に、同紙主筆の桐生悠々の手になる「関東防空大演習を嗤(わら)う」が掲載された。曰く。「帝都の上空に於て、敵機を迎え撃つが如き、作戦計画は、最初からこれを予定するならば滑稽であり、やむを得ずして、これを行うならば、勝敗の運命を決すべき最終の戦争を想定するものであらねばならない。壮観は壮観なりと雖も、要するにそれは一のパッペット・ショー〔操り人形劇〕に過ぎない」(桐生悠々『畜生道の地球』中公文庫、1989年19頁)。

この論説のために同紙の不買運動が起こされ、編集局を追われることになった悠々。彼は別の論説で、「国民の立憲的訓練」ということを強調している。

「我憲政は、議会は、政党は、選挙は何が故にかくも下落したか。曰く。全体としての国民がなっていないからである。全体としての国民が立憲的思想に目ざめないからである」と。そして、「誰のためにまた何のために投票しているのか」がわかっていれば、「今日の議会や政党はかくも下落しなかっただろう」とも述べている。そこで、悠々は、「立憲的訓練」の必要を説き、選挙権をもつ成人ではだめで、子どもたちが重要であるという。憲法教育の必要性だが、それはただ教え込むのでは足らず、「行うことによって学ぶこと」が大事だといい、学校に自治制をしき、児童に日常的な選挙の訓練をさせるべきだと説く(「国民の立憲的訓練」1938年5月、桐生・前掲書161-162頁)。

太平洋戦争に向けて突き進む時期ではあったが、総選挙を前にして悠々は国民に「立憲的訓練」を説いたのである。国会の状況は、尾崎行雄(咢堂)が、国会議事堂は存在せず、「国会表決堂」が存在するのみと慨嘆するような状況だった。日本の政治の末期症状のさらなる末期に、防空訓練を「嗤ふ」と書いて主筆の地位を追われた悠々が、「立憲的訓練」を主張したことは記憶されていい。「防空訓練」から「立憲的訓練」へ。市民が憲法に基づく政治のあり方にもっと関心をもち、自らを憲法的に磨いていけば、よりまともな政治が生み出されていくだろう。「何を守るべきか」という問題も、立憲主義をきちんと踏まえた議論のなかで解決されるべきだろう。・・・

まもなく憲法記念日である。北朝鮮のミサイルに対する、学校や地域での避難訓練(防空訓練)ではなく、桐生悠々がいう「立憲的訓練」が求められている。そのための第一歩は、安易な憲法改正の議論にのらないことである。5月3日は憲法について、しっかり学び、考える日にしてほしい。

《付記》この30年の憲法記念日講演一覧
1986年釧路市、1987年札幌市、1988年(ドイツ滞在中)、1989年札幌市、1991年(ベルリン在外研究)、1992年広島市、1993年大分市、1994年東京(全国憲)、1995年山口市、1997年(ニュースペーパー〔4日富山市〕)、1998年甲府市、1999年(ボン在外研究)、2000年広島市2001年徳島市(4月29日那覇市)、2002年岡山市2003年札幌市(2日和歌山市)、2004年東京(全国憲)、2005年沼津市2006年山形市(2日青森市、4月29日京都市)、2007年水戸市(2日札幌市)、2008年高知市2009年福山市(2日岡山市)、2010年静岡市(4日仙台市)、2011年大牟田市2012年高松市2013年岡山市(2札幌市、4日水戸市)、2014年東京(全国憲代表挨拶)、2015年(全国憲代表挨拶)、2016年(ボン在外研究)、2017年仙台市(4日青森市)、2018年未定。1990年と96年は転任直後のため講演なし。
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