今日は沖縄の本土復帰45周年である。『オキナワと憲法』(法律文化社)や、『沖縄・読谷村の挑戦』(岩波書店)などの著書を出版し、メディアや現地での講演、さらにはこの「直言」(バックナンバー参照)を通じて、私は20年以上、沖縄の問題について発言・発信してきた。目下、安倍政権は、沖縄県や県民の主張に一切聞く耳をもたぬという姿勢を貫いている。ここまでかたくなで、あからさまな態度をとった政権はこれまでになかった。「沖縄は日本ではない」という植民地感覚が米軍にも中央官庁の出先にもあり、政府も沖縄に対しては、本土の地方自治体には決してとらない強引かつ傲慢なやり方で押し通す。菅義偉官房長官は、45年前まで「植民地総督」(琉球列島高等弁務官)が使っていた「ハーバービュークラブ」跡に立つホテルに翁長沖縄県知事を呼びつけ、沖縄県民の怒りをかった。北部の高江で起きている現実は、昨年私も直接目撃したが、これが本土のどこかで起きれば大騒ぎになるのに、メディアの「静けさ」は一体何だろう。本土の人々の沖縄への無関心は、「(北緯27度線の)海に見えない線が引かれて、沖縄の人々は本土と切り離された」状態を許している。トランプ政権の誕生を契機に、直言「「壁」思考の再来」を出したが、これをヒントにした朝日新聞の企画「分断世界「壁」は何を守るのか」(『朝日新聞』2017年5月6日付)のなかで、私は、「北緯27度線に「壁」がある。沖縄と本土を隔てる海上に一線が引かれている」と語っている。いま、「本土の沖縄化」と「沖縄の復帰前化」が進んでいる(『週刊金曜日』2017年4月28日/5月5日合併号31頁の拙稿の指摘)。
さて、日本国憲法施行70年の5月3日、私は宮城県仙台市に向かう新幹線のなかで、定期購読している全国紙3紙と『東京新聞』、駅売りの『産経新聞』の切り抜き作業をやっていた(仙台駅で『河北新報』をプラス)。この日の『読売新聞』には驚いた。1面トップに安倍晋三首相の単独インタビュー。「憲法改正20年施行目標」「9条に自衛隊明記〔高等〕教育無償化前向き」「「戦後」脱却へ強い決意」の見出しが踊る。インタビューは4面すべてを使い、3面の社説が「自公維で3年後の改正目指せ」と踏み込んだ方向づけを与える。施行70年のまさにその日に、この新聞社は、社説の副題にいう憲法の「「本丸」に着手するなら戦略的に」という狙いで首相への掩護射撃を行った。このインタビューは4月26日3時12分から約37分間行われた(『朝日新聞』4月27日付首相動静欄より)。一方、5月3日当日の日本会議系「第19回公開憲法フォーラム」では安倍首相のビデオメッセージが流された。翌4日付『朝日』1面トップは「首相「9条に自衛隊明記」 改憲・2020年施行に意欲」である。自らの改憲主張を連休中の2日間にわたって新聞の1面以降の紙面を占拠させ、テレビニュースでも注目させるメディア操縦の手法はなかなかなものだ。日頃のメディア幹部との「会食」(直言「メディア腐食の構造―首相と飯食う人々」参照)の成果とも言えるが、今回はそれにとどまらない「大物策士」の助言と協力があったと私は見ている。読売インタビューの2日前、4月24日の「首相動静」欄によれば、この日午後6時31分、「東京・飯田橋のホテルグランドパレス。日本料理店「千代田」で渡辺恒雄読売新聞グループ本社主筆と食事。8時47分、東京・富ケ谷の自宅。」(『朝日新聞』4月25日付)とある。なお、ビデオメッセージの収録は、5月1日14時15分から約12分間、首相公邸で行われたとされているから(5月2日付首相動静欄)、読売インタビューの方が先行している。ビデオメッセージのなかの安倍首相の顔が赤らんでいたので飲酒していたのではとの見方も出ていたが、首相動静欄によれば直前に散髪に行っており、さっぱりした顔で登場ということのようである。
それにしても、メディアの常識を超えた『読売』突出には既視感がある。23年前、日本国憲法公布48周年の1994年11月3日付も今回と同じ8頁を割いて、自社の「憲法改正試案」なるものをデカデカと掲載したのである。『読売』しか講読していない読者の一人が、「朝起きたら憲法が変わってしまったのかと思った」というほどだったのでよく覚えている。「試案」は憲法9条2項の戦力不保持を削除して、「自衛のための組織」(試案11条1項)とするなど、かなり大規模な「改正」案だった。そうしたものを大手新聞社が出すのはきわめて異例のことで、メディアのあり方も当時問われた。私は翌月発売の『法学セミナー』(日本評論社)1995年1月号で、渡邉恒雄社長(当時)の「私案」としてこれを批判した(拙著『武力なき平和――日本国憲法の構想力』(岩波書店、1997年)第5章第2節所収)。読売新聞社はその5年半後の2000年5月3日、「憲法改正第2次試案」を1面トップから8頁を割いて派手に掲載した(2004年にも公表)。
さきほど「大物策士」の助言と協力と書いたが、今回の首相インタビューは、巨大メディアを使って改憲攻勢を続けてきた渡邉恒雄氏(現在、読売新聞グループ本社代表取締役主筆)が関わっていると私は推測している。安倍首相としては、森友学園問題における立場が危うくなっていることに鑑み、国民の眼をそらすことのできる恰好の、かつ絶好のテーマといえる。13年前、プロ野球選手会がストライキを敢行したとき、「たかが選手が」と渡邉・前読売巨人オーナーが口走ったことは記憶に新しいが(直言「「たかが選手」の投げたボール」参照)、その渡邉氏が安倍首相に「直球で行け」という戦略的「指南」をしたのではないか。部数だけは日本最大のこの新聞の紙面を惜しみなく提供し、社説にも主筆たる渡邉氏の手が入っていることだろう。
安倍首相は5月1日、憲法改正について「機は熟した。今求められているのは具体的な提案だ。理想の憲法の具体的な姿を自信を持って国民に示すときで、しっかりと結果を出さなければならない」と述べた。その上で「この節目の年に必ずや歴史的一歩を踏み出す。新しい憲法を作っていくことに全力を傾けると誓う」と強い意欲を示していた(『産経新聞』5月1日付)。「機は熟した」のではなく、限りなく自らの任期と人気(内閣支持率)を計算した意識的な「本丸」への改憲攻勢と言えよう。この時期、このタイミングでの「9条改憲」への転換はいかなる狙いをもっているのだろうか。この点、東北での講演の合間に記者の電話取材に対応したのが下記である。
行政の長、行き過ぎ 水島朝穂・早稲田大教授(憲法)首相が唐突に期限を区切り、施行にまで踏み込んで9条改正に言及するのは驚くべきことだ。国会の議論はここ最近、大災害における国会議員の任期延長などが中心で、9条の議論は始まってもいなかった。議論の方向性を指示するかのような発言は、行政府の長として行き過ぎだ。
9条1項、2項を残したまま自衛隊の存在を憲法上に位置付けるとの考えも、「2項を変える」としてきた自民党や首相のこれまでの主張と矛盾する。戦力の不保持を明確にした2項を変えず、自衛隊の存在を別に書き込んで定めることは論理的に説明がつかない。これは「加憲」をスローガンにしてきた公明党へのメッセージではないか。高等教育の無償化に言及したのも、同様に日本維新の会へのメッセージだろう。
これまでと矛盾する主張を言い出した背景には、森友学園の問題があるように感じる。首相は「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と言った。国民の関心が高い問題で説明責任を果たしていないのに、そもそも改憲を言い出す資格があるのか。(談)
『読売』インタビューでもビデオメッセージでも、「2020年に新しい憲法を施行したい」と期限を区切った発言を初めて行った。本来国会の憲法審査会での議論を経て、国会が憲法改正の発議する道筋をとるべきところ、改憲時期まで首相が実質的に決めてしまうというのは異様な光景だった。首相は、国会の審議では憲法9条について不自然なほどに慎重な態度をとってきたのに、ついに正面から9条について、しかも1項、2項を維持した上で「(2項の2ないし3項に)自衛隊を明文で書き込む」という具体的な改正案に唐突に打ち出したのである。
60年以上にわたり政府の9条解釈では、憲法9条2項が「陸海空軍その他の戦力」の不保持を明確に定めているから、自衛隊はこの「戦力」には該当せず、「自衛のための必要最小限度の実力」と位置づけてきた。だからこそ、政府は、集団的自衛権行使はその必要最小限を超えるから違憲となるという解釈をまさに60年以上維持してきたわけである。その政府解釈を「7.1閣議決定」で覆した本人が、戦力の不保持と交戦権否認を定めた9条2項をそのままにして、自衛隊の根拠規定だけを憲法に新たに追加するというのはどういうことなのか。およそ論理的説明は不可能に近い。
自民党内からは、自衛隊を「国防軍」にする自民党憲法改正草案と整合しないという主張が出てきている。憲法記念日(安倍首相のおかげで「憲法懸念日」になってしまった)に憲法9条改正という「本丸」に踏み込んできた安倍首相。講演先の仙台で読んだ地元紙は、「首相は現状をじれったく感じている」(自民党中堅議員)という声を拾い、「憲法をめぐる首相の発言にいら立ちがにじみ始めた」とまとめ、「改憲論議 首相いら立ち」という4段見出しを打った(『河北新報』5月3日付)。他方、首相側近の萩生田光一官房副長官は、「憲法が70年という節目を迎え、これだけ環境が整って国民の声もある中で、(衆参各院の)憲法審査会がなかなか動かない中で、一石を投じたというのが正直なところだと思う。自民党の党内議論も加速してくれというメッセージだと私は受け止めています」(『朝日新聞』5月8日付夕刊)と懸命にフォローしている。
だが、安倍首相の勢いは止まらない。9日の参議院予算委員会では、「首相は改憲したい条文が毎回変わる」と追及されると、「(憲法)96条(改正手続)とか様々なことを申し上げたのは事実。政治家は時として、どれくらいの民意を得られるかどうかについて発言する場合もある」として、「改憲の理念」ではなく、国民の賛成を得やすい条文を押し出すという「改憲戦術」を正直に認めてしまった。
前日の衆議院予算委員会では、9条改憲に唐突に踏み込んだことについて、「自民党総裁としての考え方は読売新聞に相当詳しく書いてあるから、ぜひ熟読していただきたい」と答弁した(『毎日新聞』5月9日付)。「この場には自民党総裁としてではなく、内閣総理大臣として立っている」として、論点をずらした答弁を繰り返した。予算委員長から、「新聞社の件など不適切でありますので、今後気をつけていただきたい」と注意されるも、安倍首相は笑顔で返すだけだった。「新聞を熟読せよ」と答弁するなど、ここまで国会をバカにした首相がこれまでいただろうか。「たかが選手が」とやった渡邉読売巨人オーナー同様、安倍首相は「たかが国会議員が」と思っているのだろう。もはや気分は「立法府の長」、である。
また、憲法研究者をここまで敵視した首相がかつていただろうか。安倍首相は『読売』インタビューなどで、「憲法学者のうち自衛隊を合憲としたのはわずか2割余りにとどまり、7割以上が違憲の疑いを持っていた」ということを理由に「自衛隊を合憲化する」ために改憲をすると繰り返し語っている。この首相に論理はない。「合憲化」という言葉は裏返せば、政府解釈と異なり、現在は自衛隊が違憲だということを首相自ら公言することになるからである。そもそも、集団的自衛権行使には憲法改正が不可欠というかつての内閣法制局長官らの主張を一顧だにせず、「7.1閣議決定」によって公然たる憲法破壊(究極の「解釈改憲」)を行った首相に、憲法の明文改正を説く資格はないというべきであろう。
私はこれから神戸で行われる全国憲法研究会と憲法理論研究会の春季総会(学会)に向かう。憲法施行70年に、この国の首相から、とうとう憲法研究者は公然と「悪者」にされてしまった。この政権の「非立憲」の面目躍如である(直言「非立憲のツーショット―「みっともない憲法」と「いわゆる裁判官」」参照)。「天皇機関説事件」後、各大学の憲法学者たちがいかなる態度をとったのかをこの機会に想起する必要が出てきたようである(直言「再び、憲法研究者の「一分」を語る―天皇機関説事件80周年に」参照)。
冒頭にも述べたように、今日は沖縄復帰45周年である。最後に『沖縄タイムス』4日付社説から引用しておこう。「…日本の安全保障は「9条プラス日米安保」で成り立っている。沖縄県民は復帰後も、この日本特有の安保体制の負担を強いられてきた。これほど長期にわたって安全保障の負担と犠牲を一地域だけに過剰に強いる例は、ほかにない。9条改正によって、日米安保条約はどうなるのか。沖縄に常駐する地上兵力の海兵隊は撤去されるのか。そのような根本的な議論もないまま、「9条は改正するが、安保・地位協定・米軍基地はそのまま」ということになりかねないのである。そうなれば、沖縄の負担が半永久的に固定化し、米軍・自衛隊が一体となった「不沈空母」と化すのは避けられないだろう」。
今回の安倍首相の「憲法学者が違憲というから改憲する」というアベコベーションと、「高等教育無償化のための改憲」という奇妙奇天烈摩訶不思議奇想天外な主張については、次回の「直言」で改めて論ずることにしたい。(この項続く)