これは1937年3月31日の大阪朝日新聞号外である。林銑十郎内閣が、昭和12年度予算が可決された直後に抜き打ち解散をしたため、「食い逃げ解散」と呼ばれた。軍部の政治介入が強まるなか、「非常時局に寄与し得べき優良議員を選出して、議会を更生せしむる」というのが狙いとされている。「反軍思想の撲滅」のもと、選挙運動や言論の抑圧も強化されたが、4月30日に行われた第20回総選挙では野党が大勝。無産政党の社会大衆党まで戦前最高の37議席を獲得した。抜き打ち解散をやった林首相と軍部の狙い通りの結果にはならなかった。首相は退陣せずに居すわったため、倒閣運動が激化し、総選挙の1カ月後に総辞職した(粟屋憲太郎『昭和の歴史6(昭和の政党)』小学館、1983年参照)。ちなみに、この「食い逃げ解散」直後、逓信大臣などを歴任した小泉又次郎議員は、「理由なき解散」として林首相を激しく批判する演説を行っている。2005年に強引な「郵政解散」をした小泉純一郎元首相の祖父である。
林内閣総辞職後、軍部の強い意向を受けた第1次近衛文麿内閣が誕生。政党政治は終焉を迎え、大政翼賛会への道を転げ落ちていくのである(直言「わが歴史グッズの話(22)大政翼賛会」)。なお、歴史のトリビアだが、この大阪朝日新聞号外の裏面には、東京・ロンドン間を94時間で飛ぶ国際記録を出した「神風号」を讃える「亜欧連絡記録大飛行声援歌」の楽譜が載っている。「不偏不党の朝日新聞」(号外の表面)が、陸軍の協力を得て行ったイベントだった。盧溝橋事件の3カ月前のことである。
さて、「食い逃げ解散」から80年後の2017年9月28日、衆議院が解散された。12時2分開会。わずか2分の出来事だった。憲法53条後段による臨時国会召集の義務(自民党改憲草案では「20日以内」に召集)を自ら反故にして、草案の期限の5倍近い98日もたったところでようやく召集したかと思いきや(内閣官房長官名の回答参照)、開会直後に解散してしまった。冒頭解散ならぬ、憲法を投げ捨てる「暴投解散」である。解散権の濫用という法的な言説で語るのも恥ずかしい、解散権の悪用、逆用、誤用、私用と言わざるを得ない。メディアなどでは解散権について、「伝家の宝刀」「総理の専権事項」という言葉が長年使われているが、安倍政権になって、首相の「私が決める」という傾きと勢いが増している。
衆議院の解散とは何か。衆議院議員の身分を任期満了前に奪う行為である。憲法69条は、衆議院で内閣不信任決議案が可決され、あるいは信任決議案が否決されたときは、「十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならない」と定める。憲法7条3号は、「内閣の助言と承認」に基づき、「国民のために」「衆議院を解散すること」とある。しかも、69条は内閣総辞職の規定で、「衆議院が解散されない限り」という受動態で、誰によって解散されるのか明確ではない。そこで学説上評価が分かれてくるのだが、いまは一応、7条内閣説が通説・実例となっている。「対抗的解散」(憲法69条解散)と「裁量的解散」(7条解散)という言い方がされることもあるが、いずれにしても、憲法は、誰に解散権があるのかについて、明文の規定を置いていないのである。だから、自明のように首相の「伝家の宝刀」という形で、首相にフリーハンドを与えたかのように聞こえる表現は妥当ではない(直言「「念のため解散」は解散権の濫用か」参照)。
今回の解散について、安倍首相は、「国難突破解散」と命名した。少子高齢化と北朝鮮情勢を「国難」として、これを解決するために解散するというのだが、これは論理になっていない。全世代型の社会保障にするため、2年後に10%にする消費税の使途を、国の借金返済から幼児教育無償化などに2兆円分を振り向けるというのだが、それなら解散しないで所信表明演説のなかで問題提起をして、国会でしっかり審議して決めればよい話である。また、北朝鮮情勢が緊迫してきたから、それに対する対応について国民に信を問いたいというのだが、まだ任期が残っているのに、その「緊迫の事態」のなかで、わざわざ国会の半分が機能しなくなる状態を作り出すことの方が安全保障上、はるかに危ういのではないかという指摘もある。だいたい、衆院議員の任期満了前に「緊急事態」が発生し、予定どおり選挙を実施できず、任期満了が到来することで衆院議員が存在しない事態が生じることがないよう、議員任期の延長のための憲法改正が必要だといっていたのは、どこの誰だったのか。Jアラートを何度もならすような緊迫した事態をわざわざ作り出すなかでの衆院解散の狙いは明白だろう。『南ドイツ新聞』は、「戦術的な危機」という主見出しを打ち、「安倍は、スキャンダルの話題を脇にそらし、野党のカオスを利用し尽くそうとする」という批判的意見を見出しに挙げている(Süddeutsche Zeitung vom 26.9.2017, S.2)。
「今なら勝てる解散」は自民党の党利党略というよりも、党内の異論や違和感を無視して、「モリ・カケ」問題の追及から逃げたいという、端的に言えば「自己都合解散」である。こうした強引・傲慢な解散をやり、国政を停滞させる安倍首相こそ「国難」そのものだという批判が出ている。直近の世論調査でも、この冒頭解散を「評価しない」と回答する人が64%に達した(『毎日新聞』9月28日付)。14年前の小泉内閣時代の「今のうちに解散」、や、8年前の麻生内閣の時の「やけっぱち解散」などあるが、これらは、内閣不信任案可決による「対抗的解散」(69条解散)ではなく、首相がその時々の政治的脈絡のなかで利用する「裁量的解散」(7条解散)である。これに対しては、衆院議長経験者から異論が表明されている。何度か紹介しているが、保利茂元議長は、「特別の理由もないのに、行政府が一方的に解散しようということであれば、それは憲法上の権利の濫用ということになる。…“7条解散”の濫用は許されるべきではない」と主張した。また、綿貫民輔元議長は、「憲法7条に基づく解散は、政府が勝手に思いついたら解散やるぞということで、本当はおかしい」と述べている(直言「衆議院解散、その耐えがたい軽さ」)。
8月に「仕事人内閣」なる改造内閣を発足させたにもかかわらず、まともな仕事もせず(できず)、国会での質問を受けないで解散してしまった。何とも納得しがたい。召集初日の冒頭解散は1966年以来3回あるものの、いずれも改造内閣発足後初の国会ではなく、それ以前の国会で所信表明演説をやり、野党の質問にも応じていた。今回の解散は、モリ・カケ問題での追及をかわすための「自己都合解散」であり、国会論戦を経ない新内閣による「沈黙の解散」と称される所以である(『毎日新聞』9月21日付)。これは戦後初めての例ということになる。
解散風が吹き荒れるなか、民進党にも激震が走った。民進党常任幹事会の9月28日付「総選挙の対応について」というA4文書がそれだ。それによると、①民進党の公認内定の取消し、②「希望の党」への公認申請、③民進党は候補者を擁立せず、「希望の党」を支援する、というごく簡単なものである。この方針は、28日の両院議員総会で、満場一致で承認された。自党の議員の公認を取り消して、他党に公認申請するというのは、まったく理解できない。民進党が実質的に解党して、「希望の党」に選択的吸収をされるということだろう。小池百合子代表の一存で、「リアルな安全保障政策」と「憲法改正」の2つを試金石にして、民進党の議員の選別が行われている。安保関連法の憲法適合性を問うて反対した議員は、「希望の党」に移行できない。だったら、民進党から「希望の党」に早々に移って偉そうにしているこの人はどうなのか。
もとより、前原誠司氏が民進党代表になったときが、この党の終わりの始まりだったように思う。私は前原という政治家をまったく評価しない。この人の特徴は「破壊的軽口」にある。「楽しみにしていてください」といって、偽メール事件で証拠を見せるからと自信たっぷりに言い切り、結局出てこなくて民主党代表を辞任したのは、2006年3月のことだった。国土交通相時代の2009年9月、八ツ場ダム問題で「マニフェストに書いてあるから中止します」と言い切り、表情一つ変えなかった。羽田のハブ空港化発言でもそのパフォーマンスは続き、尖閣諸島漁船衝突事件では石垣海保を直接訪れ、職員を激励した直後に、外相に転じた(2010年9月)。大臣が突然いなくなって、海保は思いっきり梯子を外されてしまった(以上、直言「もう「思いやり」とは言わせない?――TPPの次はHNS」)。軽口の上に、すぐに責任を曖昧にして逃亡するのが特徴である。今回も、民進党両院議員総会で、「希望の党」に全員移行できるとほのめかしながら、その実、小池代表にそんなことは「さらさらない」と言い切られてしまった。前原という人物は、小池氏と日本新党以来の関係であり、石破茂氏との距離もかなり近い。前原氏は、安倍首相に対する批判的言辞にもかかわらず、その「壊憲」路線の隠れたサポーター、ないしブレない推進者と私は考えてきた。
政局が一気に展開しているので、ここで詳しくは立ち入らない。今週の5日あたりに、小池代表が国政に出る決断をする可能性も指摘されている。公示日に向けて、個別政策の発表が小出しに進むだろう。「原発ゼロ」「消費税凍結」などから、「辺野古凍結」まであるかもしれない。「自分ファースト」のためには手段を選ばず、の世界である。
今回の総選挙は支持政党や支持する候補に「投票」するという伝統的な選挙ではない。「政権選択」選挙でもない。7.1閣議決定以来、安倍政権は、執拗かつ執念深く、立憲主義の仕組みを破壊してきた。「壊憲」勢力は確実にパワーアップしている。だから、今回の選挙は、「立憲主義回復の選挙」である。少なくとも憲法53条を吹き飛ばすような解散をした政権与党には入れないという「選択しない選択」である。二段階の思考を用い、まずは立憲主義を破壊して、政策選択の選挙の前提を壊した人々に退場を求める。だが、この選択には大きなリスクを伴う。ユリ化の植物には毒性があるといわれ、「毒をもって毒を制する」という方法には限界と危険がある。そのことを自覚しつつ、総選挙という、政治を変えるための直球的な機会を、立憲主義回復への「はじめの一歩」とするための知恵と工夫が求められている。
《付記》法学部の同僚、今関源成教授が、60歳の若さで急逝した。大学院生の時に知り合ってから38年、いまの職場の同僚として21年、苦労をともにし、さまざまな場面でお世話になってきた。その彼を突然失い、いま茫然自失の状態にある。昨日まで2日間、お通夜と告別式に出ていて、直言の原稿に手がつかず、アップが遅れたことをお詫びします。なお、「中欧の旅(その4)」は休載し、機会をみてアップします。