低投票率と「低投票所」――二人に一人しか投票しない「民主主義国家」(その2)
2017年10月23日

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48回衆議院議員総選挙が終わった。大河ドラマが終わった午後7時55分からNHKの開票速報番組が始まった。アナウンサーたちは妙にハイテンションで、まるでオリンピックを伝えるスポーツキャスターのようなノリだった。そして、「安倍政権の継続の是非について有権者はどう判断するのでしょうか」とうれしそうに問いかけてから、カウントダウンが始まり、ジャジャーンと、一瞬の静寂のあと出た画面がこれである。アナウンサーは、答えは「国民は安倍政権の継続を望んだ」でしたと言わんばかりだった。投票締切りの午後8時と同時に発表した「当選確実」第1号に、出口調査で圧倒的優勢が伝えられていた神奈川11区(小泉進次郎)ではなく、神奈川2区のあの官房長官をもってきた。NHK政治部の忖度と迎合は、画面づくりの細部に至るまで徹底しているようだ。

今回の総選挙は、史上2番目に低い投票率(53.68%〔小選挙区〕)だった。有権者の半数しか投票に行かない国がまっとうな民主主義国家と言えるのか。2014年総選挙は52.66%という史上最低の投票率だったが、投票日当日に滞在した宮崎県(投票率49.86%)から、直言「二人に一人しか投票しない「民主主義国家」」を出した。そのなかで、投票率の異様な低さの原因を4つ指摘したが、その2点目でこう指摘した。「野党の選挙準備ができないうちに解散に打って出るという「電撃戦」の結果だということである。・・・何より、解散理由がよくわからず、国民が関心を高めていく余裕がないままに投票日を迎えることになったことが大きい。投票率の低さをあえて演出する作戦だったのではないかと思えてくる」、と。

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1か月前のドイツの総選挙(9月24日)の投票率は76.2%で、前回(2009年)よりも高かった。ドイツでは、投票率が60%台になると「民主主義の危機」が言われるようになる。総選挙で50%台前半の投票率というのは、ドイツでは信じられない数字である。52.66%という異常な低投票率の結果、第3次安倍内閣が誕生した。特定秘密保護法から集団的自衛権行使を可能とする安保関連法、共謀罪等々、まさにこの国の立憲主義と民主主義にとっての「大惨事内閣」となった。そして、「モリ・カケ・ヤマ・アサ」の疑惑追及が進むなかで、その疑惑隠しのため、唐突に衆議院を解散して総選挙に持ち込む手法は実に巧妙だった(直言「「自分ファースト」の翼賛政治――保身とエゴの「暴投解散」)。北朝鮮のミサイル問題で危機をあおり、それを「国難」と表現して、自らがそれを突破する首相であるとのイメージを前面に押し出した。

だが、国民の批判は予想以上に厳しかった。このまま投票日にもつれ込めば危ういという時点で、はるか南の海に「救世主」があらわれた。台風21号である。伊勢湾台風クラスの「超大型」の台風ということが、選挙期間中から有権者に刷り込まれていった。選挙運動は大雨のなかで困難をきわめた。これはいずれの陣営にも共通の負担ではあったが、与党にとっての有利な点は、投票率が上がらないという効果を期待できることである。2000年の総選挙とき、当時の森喜朗首相は思わず、「無党派層は寝ていてくれたらいい」と本音を吐いたが、無党派層の票が野党に流れるリスクを最小化するには、投票に行きにくい状況が生まれることがベストである。今回の場合、「戦後最大級の高潮被害」などの台風予測情報が、投票日の5日前あたりから流されはじめ、投票日の天候への不安がじっくり醸成されていった。意識の高い層や、組織された層は、期日前投票に向かった。

今回の期日前投票は20.1%に達し、前回の6割増しという。2003年に導入された制度である。「宣誓書」を提出するハードルはあるものの(公職選挙法施行令49条の8)、私の選挙区の投票所入場券の「宣誓書」には、「レジャー」が理由として例示されていた。若い世代は期日前投票を好む傾向があるし、私自身も近年はこの制度を利用していた。台風が近づき、早く投票に行った方がいいと心配した妻は、期日前投票に行った。「目測で200人以上。待ち時間30~40分と言われた。スゴイ」というメールが届いた。私は台風下の投票所の状況を取材しようと、今回は期日前投票を利用しなかった。

高齢者層では、投票日に投票するのが原則で、「不在者投票」などは例外的という意識が強いのではないか。そのため、投票日の当日になって、台風のために避難を余儀なくされた人もいただろう。「不要な外出を控えてください」と呼びかけられているから、無理して行くことはないと家にとどまった人もいたことだろう。いずれにしても、今回の選挙に行くつもりだった人たちに、激しい雨や風は確実にハードルとなった。天候に問題がなければ、レジャーのついでに一票という子育て世代も投票所に向かったことだろう。地域によっては、投票日を1日、前倒しにした選挙区や、投票時間を午後5時に繰り上げて、投票を締め切る選挙区も出てきた。台風の接近は、この傾向をさらに助長した。

それにしても「皆さまのNHK」のアナウンサーたちには、「超大型台風」の接近で避難を呼びかけられている地域の人々への配慮が欠けていたように思う。台風情報について触れる時だけは笑顔から真顔にもどり、すぐにまた笑顔に変わる。自治体から避難を呼びかけられて、投票に行けなかった人がどれだけいたのかはわからない。大雨で、投票所に行きたくても行けなかった有権者もいただろう。こんなひどい状況下で、「政権選択」のための選挙が行われたのである。まるで、震災で人々の頭が真っ白になっているのを見計らって「改革」を行う「惨事便乗型」手法(ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』〔上・下、岩波書店、2011年〕)の応用である。

その結果、安倍政権は全有権者の半数ちょっとの得票率で、国民の審判を得たと胸をはる。「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」(憲法前文)するという場合、低投票率で生まれる政権の正当性はどうなのか。今後、問題にすべき点である。

この点に関連して、36年前の質問主意書が重要である。「極端に投票率の低い選挙の場合の当選効力に関する質問主意書」(昭和56年4月7日提出・質問第28号(小沢貞孝提出)である。1981年4月の千葉県知事選挙が投票率25.38%という過去最低の数字で、当選者の得票率は有権者比で12.2%だったことを指摘し、公職選挙法95条の当選人の規定に、有効投票に対する最低得票の規定(有効投票の4分の1以上)はあるが、登録有権者数に対する最低得票の規定はないという問題を挙げて、「民主主義の基本である選挙において、現在「一票の重さ」が論議されているなかでもあり、最低得票についての規定を定める必要があるのではないだろうか。」と質問した。

なお、主意書は、フランス選挙法126条1項(a)が、第一回投票で(ア)有効投票の絶対多数(過半数以上)、(イ)登録有権者の総数の4分の1に相当する得票数の(ア)(イ)のいずれも満たすことが必要であると定められていることに鑑み、「有権者の意思の尊重と当選人の重みについて考慮している」として、① 「各級選挙において、当選人となるためには、有権者総数に対する得票率の最低を規定する必要があるのではないか。」、② 「前項で最低得票数に満たないときは、その選挙で得票した上位二人による決戦投票を行うようにすべきではないか。」という点を指摘していた。

これに対する政府答弁書「衆議院議員小沢貞孝君提出 極端に投票率の低い選挙の場合の当選効力に関する質問に対する答弁書」(内閣衆質94第28号〔昭和56年4月14日〕) は、「投票について選挙人の自由に委ねている現行制度(任意投票制)の下では、選挙に参加した有権者の投票結果をもつて全有権者の意思の反映があつたものと考えることが適当であり、当選人となるための得票の基準は、現実に選挙において表明された有権者の意思表示、すなわち、有効投票を基礎として定めることが妥当であると考える」、と。

当選に必要な得票の基準を有権者総数との対比において固定的に定めることも立法政策上は一つの考え方であろうが、この場合、当選人が得られないため決選投票を行つたとしても、その結果は先の選挙とほとんど同様のものとなることが予想されるだけでなく、かえつて激烈な競争を招き多額の経費を要することとなろう。このような観点からも、現行法は、当選に必要な得票の基準を有権者総数との対比ではなく、有効投票総数との対比において定め、更には立候補者数が定数を超えない場合には、無投票当選の制度を認めているものである。」と答弁した(② の論点は省略)。

自民党の比例区の得票は、有権者総数の4分の1ちょっとであり、最低投票率がないことに便乗して、安倍政権の暴走は続くのである。この質問主意書の問題提起を再検討してみる必要はないか。また、憲法改正国民投票法に最低投票率の規定がないことは、上記の答弁書の論理では説明できない。この点は別に問題にしていく必要があるだろう。

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今回、台風下の総選挙を体験して、改めて日本の投票所の仕組みはおかしいと思った。私が投票したのは雨足が激しくなり、風も強まりだしていたときだったが、家から5分くらいのところにある公会堂の投票所には、けっこう人が集まっていた。駐車場がないため、車を入口近くまでとめて、足が不自由なお年寄りが2人がかりで投票所のなかに入っていった。その間、雨が降りしきるなか、私を含めて10人ほどが道路上で濡れながら待っていた。簡単に終わると思ったが、傘置き場はいっぱいで、びしょびしょの傘を左手にもって、受付に並んだ。小選挙区の候補者名を書いて投票箱に入れたあと、比例区と最高裁裁判官国民審査を2枚同時に渡された。ところが、銀色の投票台には4人の人が記載をしていて、その真後ろに並んで待ち、終わった人が入口にもどるため(台風対処で出口が閉鎖されていた)、投票台の周囲は密集・混雑していた。そのため、他人の投票が見えてしまった。国民審査で迷っていて手が進まない人が立ち尽くしていると、後ろに立った人が急かすような動きをしていた。私もびっしょり濡れた傘を持ったまま記載しているので、人にその傘が触れる距離で気分がよくない。国民審査では、鉛筆で×をつけると、その音が隣の人に聞こえたらしく、露骨に覗き込んできた。これでは投票の秘密は守れないと、今回の台風下のびしょ濡れ投票の体験から改めて思った。選管職員がモップをもって、人の流れの合間を狙って、床の雨水をぬぐっていた。こんな選挙は初めてである。しばらく投票所の近くで観察していたが、今回、子どもを連れて投票所へという子育て世代の投票風景は見られなかった。

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8年前の直言で、「「投票の秘密」は守られているか」という問題提起をしたが、この間、何の改善もない。憲法15条4項は「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。」と定める。「投票の秘密」の狙いは、もっぱら「誰に投票したか」について他者(公的機関のみならず、社会的権力や私人を含む)から不当な圧力を加えられることを防ぐことにあるとされている。そもそも、「投票の秘密」には、他人が「投票の記載を見ること」がないようにすることに加えて、「投票に関わるボディーランゲージ(身体言語)」によって投票行動が推知されないことも含まれるのではないか。

今回のように、国民審査で、裁判官に×を連続してつければ、カタカタカタという音がしてしまう。しばらく記載台の前に立ち、そのまま投票箱に向かえば、「この人は何も書いていないな」とわかってしまう。きちんとした目隠しやカーテンがあれば、人々のこういう「ボディーランゲージ」に関わる投票の秘密は確実に守られる。しかも、今回、たくさんの人が並んでいる。心理的圧迫感があれば、次回からの投票に差し支える。18歳選挙権を得た若い世代に聞きたい。この投票台の仕組みに違和感はなかったか。日本の投票所は不備のある「低投票所」ではないか。

左の写真は、ドイツのネットにあったフライブルク市の投票所の様子である。誰からも見られず、じっくりと投票することができる。右側は同じくブランデンブルク州の投票所である。カーテンがあるから、投票をする一切の身体言語を他人からキャッチされることはない。日本の投票所は改善の必要があり、それは憲法15条4項の実質化のためにも必要であろう。

今回の総選挙について、海外メディアの論調は懸念を含むものが多い。アメリカABCの10月23日のニュースはこう述べている。「日本の首相、安倍晋三の連立与党は、日曜日の選挙に大勝利を収め、最も長く務めた首相となる機会を強化し、平和憲法を改正しようとする彼の押しの一手を再び活気づかせる(re-energising his push to revise the pacifist constitution)ものとなった」と。こうした問題については、また次の機会に論じることにしよう。

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