明日、第二次安倍内閣が発足して5年になる。第一次内閣も合わせれば、厳密には「失われた6年」である。2006年9月25日の直言「「失われた5年」と「失われる○年」―安倍総裁、総理へ」で私はこう書いた。「安倍晋三という人物の思想と行動が、一議員や一閣僚(官房長官)にとどまっていた段階とは異なり、いよいよ内閣総理大臣という最高ポストを得て、本格的に動きだす。その危なさは、交通法規〔憲法〕を確信犯的に無視するドライバーが、大型トラックの運転席に座り、道路に走り出したのに近い」。そして、安倍が危ない理由として、「5年以内の憲法改正」を語るエモーショナルな改憲論、集団的自衛権の行使、「教育改革」の3つを挙げながら、「政治的ロマン主義」とオポチュニストという一面も指摘していた。
この11年前の「直言」で懸念した「失われる〇年」のカウントは、1年後の突然の辞任によって一度中断した(直言「送別・安倍内閣(その1)」)。その後、私は一貫して、安倍の「再登板」など、決してあってはならない(直言「安倍晋三氏は議員辞職すべし」参照)と警鐘を鳴らし続けてきた。だが、あろうことか、2012年9月の自民党総裁選で安倍は総裁に返り咲いたのである。「5年前わずか1年あまりで政権を投げ出した人物が復活してきた。在任中、国務大臣の特命職務として「再チャレンジ担当大臣」を新設。再チャレンジ担当室も設置したが、安倍の退陣で立ち消えになった。この施策で残ったのは、自分の再チャレンジだけだったというのでは、ジョークにもならない。」(直言「世はアナクロニズムに満ちて(1)」)と皮肉ったのも束の間、その年の12月の総選挙で安倍は大勝した。
かくして5年前の12月26日、「危機突破内閣」を自称する第二次安倍内閣が発足したのである。「日本を、取り戻す。」という奇妙なスローガンを掲げて登場したこの内閣の本質は、直言「「憲法突破・壊憲内閣」の発足」で指摘した通り、「旧政復古の大号令」であった。教育への支配と介入が、かつてないような執拗で粘着質なものになるであろうこと、「何よりも危惧されることは、改憲への動きが一気に進むことである」と書いた。「憲法突破内閣」としての本質はこの5年間で誰の目にも明らかになり、各種世論調査でも、「安倍政権のもとでの改憲に反対」は常に賛成を上回っている。
先週の火曜(12月19日)、安倍は都内で講演し、自衛隊の存在を明記する今年5月3日の憲法改正提案について、「停滞した議論を後押しするために一石を投じた。ただ、その石があまりにも大き過ぎ、その後が大変だった」と述べた(『毎日新聞』12月20日付)。安倍提案は、自民党改憲草案が9条2項の「戦力不保持」を削除し、「国防軍」としているのとは異なる。方針の大転換にもかかわらず、安倍は「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と勝手に期限を切っていた。当初は党内に反発もあったが、「忖度と迎合」の構造は確実に進んでいる。
12月20日、自民党憲法改正推進本部は、「憲法改正に関する論点取りまとめ」として4項目を公表した。自衛隊明記については、安倍提案と9条2項削除案が両論併記の形になっている。『朝日新聞』12月22日付は、「20日の会合では首相支持がじわりと広がるなど、党内論議は首相の思い描いた方向に進みつつある」と報じている。
「論点取りまとめ」では、緊急事態条項について、(1)国会議員の任期延長や選挙期日の特例の規定と、(2)政府への権限集中と私権制限の規定が示され、また、参議院「合区」解消のための47条改正、教育無償化のための26条3項の新設も提案された。これらの点については、その都度、この「直言」で批判している。上記のリンクをクリックしていただければ読むことができる。どれもこれも憲法改正の必要性も緊急性もないものである。
それでも憲法改正に驀進する安倍晋三。「改憲偏執症(paranoia)」とでも形容するほかはない。改憲自体が自己目的と化す。改憲のためには手段を選ばず。その目的と手段の非合理性、執念深く粘着質な性格と「感情複合」が混じり合う安倍という人間が首相の座についてから5年。この国は変わってしまった。「7.1閣議決定」をはじめ、日本の憲政史上に残る「憲法違反常習政権」としての歩みを続けている。安倍がやることなすこと、ことごとく憲法に反するか、憲法の趣旨を没却した政権運営が定着してしまった。
まずは安倍政権下での国政選挙である。私が「小選挙区比例代表偏立制」と呼ぶ選挙制度のもとで、徹底して投票率が下がるように仕向けられている。2012年総選挙しかり、2014年総選挙しかり、である。2013年参院選では「ねじれ解消」というミスリードがメディアを通じて行われた。2017年総選挙では、突然の解散(直言「「自分ファースト」の翼賛政治―保身とエゴの「暴投解散」」)という手法に加えて、台風の接近で投票率が劇的に下がった。この5年間、二人に一人しか投票しない「民主主義国家」という状況が続いている。
憲法53条に対する確信犯的違反も繰り返されている。2015年秋、安保関連法の強行成立のあと、野党は臨時国会の召集を求めたが、与党は応じなかった(直言「臨時国会のない秋―安倍内閣の憲法53条違反」)。森友・加計学園問題が焦点となった2017年は、6月22日に野党が憲法53条後段に基づいて臨時国会の召集をするも、政府は曖昧な態度に終始した。98日が経過したところでようやく召集したかと思いきや、9月28日、臨時国会の冒頭で衆議院を解散してしまった。憲法を投げ捨てる「暴投解散」だった。
総選挙後の特別国会もすぐに閉じようとしたが、さすがに批判が強く出て、会期が39日間とられた。写真の『東京新聞』12月8日付を見ると、11月1日召集、12月9日閉会だが、トランプ来日や外交日程などで、召集日を含めて平日の10日間は実質的な審議が行われなかった。予算委員会の審議は4日にすぎない。写真にあるように、過去20年間の会期日数をグラフにしてみると、2017年は190日と最低を記録している。200日を割ったのは初めてである。しかも党首討論は0回。首相が国会で答弁や演説をしたのが最も少ない国会となった。それは、森友・加計学園問題などで首相が追及される機会や場面を徹底して避け、時間を減らそうとしたとしか思えない。
国会審議の風景も変わってしまった。所信表明演説は過去に例を見ない短いもので、おざなりだった。11月27日から始まった衆院予算委員会初日の風景は象徴的だった。これまで「与党2・野党8」だった質問時間の割合は、首相の意向を受けた自民党のゴリ押しで、「与党5・野党9」となった。予算委員会が始まる午前10時過ぎから、お昼休憩をはさんで夕方4時までの長時間、与党だけの質問が続くというのは、「新日本国会風景」であった(衆院インターネット審議中継・予算委員会)。11月27、28日の両日について、政府の答弁時間を加えると、与党の質問時間6に対して、野党は4になる(『東京新聞』11月29日付)。森友・加計学園問題で与党議員がメディア批判を展開し、政府側の答弁を引き出す。分裂した野党の議員たちの質問力の低下もあいまって、かつての予算委員会の緊迫した審議からはほど遠い風景だった。来年1月22日から始まる通常国会でもこの状況が続くのだろうか。野党の奮起が求められる。
激動の2017年の「直言」を終える。全部で55回更新した。週1の更新なので普通は52回なのだが、今年は「憲法研究者に対する執拗な論難(難癖)」への対応を連続4回行ったので、例年より多い更新となった。来年も「直言」は52回更新することになるだろう。何が起こるかわからない。北東アジアと中東の状況が特に危うい。来年も「直言」をどうぞよろしくお願いします。
2018年1月1日午後9時~11時15分、テレビ朝日で『相棒16 元日スペシャル』が放映されます。『世界』6月号で対談した太田愛さんの脚本です。予告編をご覧ください。