1月20日、トランプ政権発足1周年を迎えた。世界は憎悪と不幸の方向に大きく転換した。数多くの諸悪の根源・元凶にトランプがいる。まさに歴史的退歩の象徴である。研究室にあるブッシュやフセインの「トイレットペーパー仲間」に早速トランプも加わった。
右側の写真はドイツの週刊誌『シュピーゲル』1月13日号の表紙である。「炎と怒りの時代に」。発売後1週間で100万部の大ベストセラーになっているマイケル・ウォルフ著『炎と怒り―トランプ政権の内幕』にひっかけて、トランプ政権のいまに切り込む特集である。トランプは「18時30分には寝室にひきあげ、チーズバーガーを食べ、FOXニュースをみて、友だちに電話し、ツイッターをやる大統領」とある。米精神医学会(APA)に所属する精神科医35人が連名で、『ニューヨークタイムズ』にトランプが重大な精神的不安定にあるという意見を出しており、同誌はこれを紹介しつつ、合衆国憲法修正25条(心身の故障などにより大統領職の遂行不能の場合の対処法について規定)につなげている。この精神科医の意見では、精神科医の倫理規定に反する(実際に診察をしていない、または本人の同意を得ていない場合に、公人について精神科医としての意見を述べることは倫理に反するとされる)ことを承知の上で警告を発するという深刻な事態に陥っていることに注目すべきだろう。
昨年11月の大統領当選1周年のときに出した直言「トランプ・アベ非立憲政権の「国難」」において、トランプ政権では気まぐれと恣意が支配し、ビジネスと家族を結びつけた権力の私物化が進み、米国社会の分断が進んでいることを指摘した。「トランプ津波」よってワシントンは惨憺たる状況にある。政治任用の政府高官の上院での承認手続が1年たっても遅々として進まず、昨年7月の数字だが、国務省の次官補(日本の本省局長級)以上の計31ポストのうち、26がまだ指名されていない(『読売オンライン』7月13日)。次官補以上の人事は年が明けた現在も未だに空席が見られ、トランプ政権は政府の体をなしていない。実際に現地でウォッチしている猿田佐世弁護士の『アエラ』に寄せた論稿「トランプ政権下の国務省・国防総省はスカスカだった」は、外交に無関心なトランプの状況をリアルに伝えている。猿田弁護士が実感したように、トランプ政権の人事的空白は外交において深刻である。左の画像はCNNの作成した、ブッシュ・オバマ・トランプの人事数(緑色が上院で承認されたもの、黄色が承認待ちのもの)を就任初年度12月31日現在において比較したものだが、そもそも任命数からして少ないトランプ政権国務省のスカスカぶりは明らかである。だから「トランプ外交」はブレにブレるのである。昨年後半は、いまにも核戦争が始まりそうな空気と雰囲気が続いた。
8月8日、トランプは北朝鮮のミサイル威嚇に対して、「世界がこれまで目にしたことのないような炎と怒りに直面することになる」と唐突に発言した。ヒロシマ・ナガサキをはさんだ日で、世界に緊張が走った。日本政府はJアラートを乱用して過度の危機感をあおり、子どもたちに頭をかかえて床に伏せる「訓練」までさせた(直言「「不安の制度化」の手法―トランプ・金・安倍の危ないチキンレース」)。
私は2017年5月の「直言」で、北朝鮮をめぐる重大危機はトランプによって「作り出されたもの」であり、トランプ外交の本質が、状況対応的で場当たり的、既存の政策の否定や力の行使をちらつかせながらも、方針は一貫しないことなどから、結果的に「相手の意図を読み間違える錯誤によって米朝の緊張がより悪化するかと思えば、急転直下で米朝接触もあり得る」という見方を紹介した。あれから半年以上が経過して、その見方の通りになろうとしている。
2018年1月1日の「新年の辞」で金正恩が「核のボタンが私の机上に常に置かれている」と強がりを言うや、トランプは翌2日に、「俺も核爆弾を持っているが、やつのよりもでかくて強力だ。それに俺のボタンはちゃんと作動する!」とツイッターに書き込んだ。それを報ずる『産経新聞』4日付1面下の見出しは「俺の方がでかい」だった。まさにガキのけんかである。ところが、1月10日の記者会見でトランプは韓国と北朝鮮による南北対話について、「我々は北朝鮮と問題を抱えるが、多くの良い対話が行われている。多くの良いエネルギーを感じている」と、評価に転じた。また、同日に韓国の文在寅大統領と電話で協議して、「文氏は(北朝鮮と)素晴らしい対話を持った。とても良い結果報告を受けている。多くの良いことが結果を出すことを希望する」と述べた(『朝日新聞』1月11日付)。これはどういうことだろうか。3月18日に平昌五輪が終わるや、軍事的手段を前面に押し出してくるかもしれない。
まともな外交になっていないのは、国務省がまともに機能していないことにも起因する。2017年12月、トランプは「エルサレムをイスラエルの首都と認定する」と宣言した。中東和平の紙一重の状況を考えれば、ありえない暴挙である。国連安保理でその撤回を求める決議案が採決される事態となった(12月18日)。米国以外の14カ国が賛成したが、米国が拒否権を発動した。思えば、2001年の「9.11」直後に「テロに対する戦争」を「十字軍」と言ってしまったブッシュ大統領(当時)と同様に、宗教的な対立に発展する最もデリケートな問題を平気で蹴散らしていくのがトランプである。
左の写真は、ヒトラーの『わが闘争』(Mein Kampf)にひっかけて、『彼の闘争』(Sein Kampf)である。ドイツ人の圧倒的多数はトランプを嫌っている。在任1年になるが、トランプはドイツを訪問できない。ドイツの論調は、トランプと金正恩は完全に同列で、「危ないサイコ」の扱いである。
そのトランプを「100%支持する」と公言し、蜜月を見せつける安倍首相も嫌われている。保守系新聞のサイトでは1年間、ずっと、安倍首相の間抜けな表情をサイトで固定している。
思えば、11年前、「安倍式改憲は、この国の屋台骨を壊す」として、家の悪質リフォームの問題に関連させて論じたことがある。「憲法という国の最高法規を改めるという議論について、いま、形容しがたい「薄っぺらさ」が広まっている。加えて、安倍晋三首相の言葉には、「のっぺりとした軽さ」すら漂う」と。いまの「安倍流改憲論」は、この傾向を一段と進化(深化)させている。憲法改正という最も論理が求められる世界で、感情的な言葉、情念、フェイクが繰り出されている。
「安倍流9条加憲」のまやかしは、去年5月のときに噴出したが、急速に自民党の正式の改憲方針になってきている。直言「安倍晋三トルクメニスタン大学名誉教授の改憲論と大学論」のなかでも紹介したように、「憲法学者の7割が違憲というから」という改憲理由も仰天である。
2016年2月3日の衆院予算委員会において、稲田朋美自民党政調会長(当時)とのかけあいに端的にあらわれている。稲田氏が、「憲法9条第2項の文言について、憲法学者のおよそ7割が自衛隊はこの条項に違反ないし違反する可能性があると解釈している。このままにしておくことこそが立憲主義を空洞化させるものだ」と質問すると、安倍首相は、「7割の憲法学者が、自衛隊に憲法違反の疑いを持っている状況をなくすべきではないかという考え方もある」と答弁した。「7割の憲法学者が違憲という。だから改憲する」という「論理」を引き出すための出来レースのような質疑だった。
安倍首相の「無知の無知」の突破力はすさまじい。書物をよく読む首相ならば、少しは知性や理性を感じとられるものだが、安倍にはそれがまったくない。質問させない、質問されても答えない、嘘をつくという3点セットを「アベ過ぎる」というらしい。トランプも自らを「天才」と呼んでいるが、安倍もまたその意味では「天性」だろう。安倍流「積極的平和主義」、にせよ、「地球儀を弄ぶ外交」にせよ、「安倍流ダブルスピーク」、さらには「安倍流権力私物化」等々、安倍政権が繰り出す統治手法は、これまでの日本の保守政権のそれにはないものである。
最後に、ノーベル平和賞を受賞した非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)事務局長の面会要請を安倍官邸は拒否した。米国の核兵器の正当性を揺るがせるようなことはしない。ここに「迎合と忖度」の日米安保の本質がよく示されている。「あなたはどこの国の総理ですか」と、長崎の被爆者ならずとも尋ねたくなるところである。
澤藤統一郎弁護士のブログ「憲法日記」の1月18日はおもしろかった。『毎日新聞』1月8日付の「仲畑流万能川柳」掲載の一句、《俺は持つ きみは捨てろよ 核兵器》に着目して、そのヴァリエーションを展開している。これが核保有大国の本音、もっと言えば「核不拡散条約体制」の根底にある思想かもしれない。そこで、澤藤氏は続ける。「多くの核非保有国が、こう言っている。これが世界の潮流だ。《世界中 みんな捨てよう 核兵器》 ところが、核保有国はみんなこう言うのだ。《俺だけが 捨てたらヤバイ 核兵器》 日本政府の立場はこうだ。《持ちたいが 持つとはいえない 核兵器》《揉み手して 入れてください 核の傘》 トランプは、金正恩にこう言ってみろ。《俺捨てる きみも捨てろよ 核兵器》 金正恩もトランプにこう言えないか。《約束だ 一緒に捨てよう 核兵器》・・・」。 (文中敬称略)