長い付記・西原博史さんのこと⇒文末参照
第196回国会(常会)が始まり、安倍晋三首相の施政方針演説が行われた。白虎隊と明治150年から切り出し、「働き方改革」「人づくり革命」「生産性革命」「地方創生」といった浮ついたスローガンを並べたて、さまざまなエピソードを散りばめながら、延々と自画自賛が続く。150年前の天竜川氾濫を例にしながら憲法改正を呼びかけて終わる。5年間もこんな「演説」を聞かされてきたのかと思うと、日本国民の忍耐強さは驚嘆に値する。安倍政権は国民に「支持されている」のではなく、半分近くの有権者が選挙に参加しないことによって「維持されている」といえるのではないか。この政権に対する国民の感覚は、小泉進次郎議員がズバリ指摘するように、「奢(おご)り、緩みだけでなくて、飽きだ。だんだん飽きてきている」というのが肝だろう(『朝日新聞』2017年10月22日付)。
施政方針演説のなかで、安全保障関連法に基づく「武器等防護」として、「自衛隊は初めて米艦艇と航空機の防護の任務に当たりました」と述べた。これには驚いた。米艦防護は知られているが、航空機に対する防護(護衛)任務を「武器等防護」として行ったことは、この演説で初めて明らかにされたからである。重大な政策の変更もすべて、「何も変わっていません」といって、すり抜ける。この政権の、まさに姑息な手法はすべてに貫かれている。とりわけ憲法改正に向けたこの8カ月の安倍首相の言動がそれである。
昨年5月3日に唐突に打ち出された「9条加憲」の手法。党議拘束をかけた2012年自民党憲法改正草案(9条2項を削除して国防軍にする)の方向を覆すもので、当初は党内に異論・反論・オブジェクションがあったものの、いつの間にか党の方針となる勢いである。『東京新聞』1月27日付一面トップに、「9条2項残し自衛隊明記」という記事が出た。自民党憲法改正推進本部が「安倍晋三首相(党総裁)が2020年の新憲法施行を掲げていることを踏まえ、理解を得やすい案を優先した」として、3月25日の自民党大会でこの方針を確定するという。何がなんでも改憲という首相の意向を忖度して、すべてが決められていく。半世紀前の自民党「話しあいのマーチ」の歌詞にあった「云いたいことは なんでも云える 自由がここに あるんだぜ 話しあおうよ どこまでも」という世界は、いまの安倍自民には存在しない。
首相は、施政方針演説と代表質問への答弁では、不自然なまでに感情を押し殺して、メモを読み上げることに徹した。憲法改正を実現するまでは、ひたすら低姿勢で批判をスルーしようというわけか。この演説を自由党代表の小沢一郎氏はこう批判する(『朝日新聞』デジタル版1月22日)。
「憲法改正の話は付け足したみたいに最後に言ったっきりだ。そういう姿勢がおかしいっつってんだ、俺。あれだけワーワー自分で言っておいてね、あとはみんなで案を持ち寄ってうまくやってちょうだい、みたいなバカな話はない。自分はこういうふうにやりたいとなぜ言わないんだ?時々ひょっと言ってね、評判が悪いとまたぴゃっと引っ込めて。こんな不見識なことで憲法改正を口にする資格ないよ。あまりにも姑息でせこいよな。」
小沢事務所のツイッターでは、もう少し上品な表現で施政方針演説についてこうツイートしている。
総理の施政方針演説。憲法改正についてあれだけわあわあ言っておいて、付け足しみたいにちょっと触れただけ。後は持ち寄ってやってねと。評判が悪いとすぐひっこめる。押しつけ憲法だから嫌だという本音はひた隠す。憲法も立憲主義も理解していない総理に憲法改正を口にする資格はない。姑息でせこい。
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) 2018年1月23日
安倍総理はまだ「国のかたち、理想の姿を語るのは憲法だ」などということを言っている。周りに法律の専門家はいないのだろうか。憲法は国のかたちや伝統、理想をお花畑的に語るものではない。今のように暴走する権力から国民やその権利を守るためにこそある。もういい加減に憲法を理解してもらいたい。
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) 2018年1月25日
憲法理解も怪しい首相が、「憲法復古の大号令」をかけて党内を強引にまとめ、年内に発議にまでもって行こうと前のめりになっている。それを支えるためには、「メディア操縦」が重要となる。その一環として、メディア関係者との会食も、歴代政権にはない規模と頻度になっている。改憲的言説を広めてもらうため、「御用学者」や「側近評論家」などとの会食の機会も増えている(「首相の晩餐」サイトで、例えば2017年5月22日や12月15日をクリック!)。
首相との会食のための費用はポケットマネーとは思えない。官房機密費(内閣官房報奨費)から支出されているのだろうか。このお金の流れを仕切るのは、内閣官房長官である(直言「「全く問題ない」内閣官房長官―「介入と忖度」の演出」参照)。
先々週の金曜日(1月19日)、その官房機密費の支出をめぐって、市民団体が国に関連文書の開示を求めた事件の上告審判決が、最高裁第2小法廷(山本庸幸裁判長)〔裁判所ホームページPDF〕で出された。判決は、機密費の支払先や使途を特定し得ない一部の文書についての不開示処分を取り消した。
判決は、機密費について、「重要政策の関係者に非公式の協力依頼をするためなどに使われ、支出先の氏名などが明らかになると円滑、効果的な業務の遂行に支障が生じる」と認定した。そこから、支出を目的別に分類する「報償費支払明細書」のうち、情報提供者との会合の経費などに使う「調査情報対策費」と、謝礼や慶弔費に使う「活動関係費」を支出した日付や金額を記録した部分については「支払先や使途を特定することが可能になる場合もある」として開示を認めなかった。
だが、年間の機密費全体から小分けする際に記録する「政策推進費受払簿」や、1カ月あたりの支出額をまとめた「出納管理簿」の一部についてはその開示を認めたのである。一律不開示を狙った政府は驚いただろう。限定的とはいえ、機密費の一部の公開が認められたからである。市民団体側は、「開かずの扉をこじあけた画期的判決だ」(上脇博之氏)と判決を評価する。確かに、一律不開示としなかった点は評価できるだろう。
判決は裁判官全員一致だが、裁判長の山本庸幸判事による「意見」がついている。そのポイントは、「独立一体的情報論」に対してクギを刺したことである。ある情報が「独立した一体的な情報」かどうかを基準にして、これを細分化してその一部のみ非公開とし、その他は公開するというやり方はとれないという議論である。山本裁判長は、「独立一体」とされる情報の範囲は立場により異なることや、不開示の範囲が広がりすぎることは情報公開法の本来の趣旨に反することなどを指摘する。そして、かつての藤田宙靖裁判官の補足意見(最高裁2007年4月17日第三小法廷判決)を引きながら、独立一体的情報はどこまでかと抽象的に議論するのではなく、例えば図表であれば個々の部分、欄などを単位として、相互の関連性を踏まえながら個々に検討していき、それぞれが情報公開法5条各号の不開示事由にあたるかどうかをみていくべきだと主張している。官房機密費についても、誰に、いつ、どんな協力依頼内容で、いくら支出したのかを、「独立一体情報」として一律不開示にするのではなく、情報公開を基本に据えて、不開示にすべきものを精密に認定していくべしという方向を示唆したものだろう。
問題となる「政策推進費」は、判決の認定によれば、「機動的に使用することが必要な経費」とされ、「非公式に交渉や協力依頼等の活動を行う際に合意や協力を得るために支払う対価等」とされる。誰とどこで飲み食いしたかなどが特定・推定されるものについては不開示情報(情報公開法5条3、6号)にあたるとして公開を認めなかったが、内閣官房の金庫から官房長官の金庫にいつ(月単位で)、いくら移されたかという政策推進費繰入れに関する記録部分については不開示情報には該当しないとされた。これは、今後のことを考えるとけっこう重要である。
例えば、憲法改正の発議をめぐって国会が動いているときに、官房長官の金庫に大量の現金が移され、その金額がその月のうちに使われたという情報だけでも意味がある。先週亡くなった野中弘務元官房長官は、小渕内閣で官房長官を務めた際、「毎月5000万円から7000万円くらいは使っていた」と述べ、首相の部屋に月1000万円、野党工作などのため自民党の国会対策委員長に月500万円、参院幹事長に月500万円程度を渡していたほか、評論家や当時の野党議員らにも配っていたと暴露した(『朝日新聞』2010年5月1日付)。受け取りを拒否したのは評論家の田原総一朗さんただ一人というおまけもついた。その金額はご本人が1000万円だったということをのちに告白した(2012年10月27日)。判決の観点を貫けば、こういう政策推進費の不自然な額の繰入れが見られてしまうとなれば、従来のようにふんだんに使おうということへの躊躇が生まれるかもしれない。市民グループの阪口徳雄弁護士は、「今回の判断によって、官房長官がみずから管理する「政策推進費」の金額が分かることになるので、説明のできない額が官房長官に渡されることへの抑止力になるのではないか」と述べている(NHKニュース1月19日)。
最高裁段階で、きわめてデリケートな性格をもつ官房機密費について、一律不開示を否定した判決が出たことは意味がある。明治憲法下では、政府の機密費に関しては、会計検査院の検査に服さなかった(旧会計検査院法23条)。こうした戦前の状況への反省から、日本国憲法90条では、「すべて」という、例外を認めない強い表現がとられた(直言「会計検査院と特定秘密保護法」)。
まもなく確定申告が始まる。国民・納税者はもっと税金の使い道について関心を持つべきだろう。14億ともいわれる、領収書なしで使える「つかみ金」について、実にいいタイミングで最高裁判決が出たと思う。
さて、爆走する首相も、苦手な場所にくると突然顔が変わる。左側の写真は、昨年6月の沖縄戦没者追悼式での安倍首相の表情である。トランプとのツーショットと比べれば、翁長雄志知事の前ではこれだけ違う。同一人物とは思えない。右側の写真は、第3次安倍第3次改造内閣発足の時の記者会見の冒頭部分である。森友・加計問題の反省を迫られて、8秒間も頭を下げたことはご記憶だろうか。昨年の8月3日のことである。この時は、「改憲日程を軌道修正」と受けとられ、さすがに憲法改正に突き進むのを一時思い止まったかに見えた。だが、今年に入り、憲法改正に向けて一直線に突き進んでいる。「憲法違反常習首相」に改憲を思い止まらせるには、「モリ・カケ・ヤマ・アサ・スパ」の問題をはじめとして、安倍政権の抱える重大問題を、国会で野党がしっかり追及するとともに、メディアが地道に粘り強く報道していくことが不可欠だろう。
《長い付記・西原博史さんのこと》
1月20日深夜、同僚の西原博史さん(早稲田大学社会科学総合学術院教授)が不慮の事故で亡くなった。59歳だった。彼は昨年からイタリアのヴェネツィア国際大学との交換教授として現地で授業を担当していた。冬休みに一時帰国して、自分の研究室の院生の論文指導などを行い、亡くなった当日にイタリアにもどる予定だった。昨年9月23日に同僚の今関源成さんが急逝したが(直言の付記参照)、あれからちょうど4カ月で、またも大切な同僚に突然逝かれてしまい、茫然自失の状態が続いている。35年前に大学院に入ってきた超切れ者の後輩で、憲法、教育法、ドイツ法の分野で第一線の研究者だった。1月27日、早稲田大学国際会議場で西原家と早稲田大学社会科学総合学術院の共催で「西原博史先生 お別れの会」が開かれた。600人を超える人々が参加し、彼の学問と人間の大きさ、活動の広さと深さを実感した。
彼は院生時代から「良心の自由」を軸にした憲法の精神的自由権に関心をもち、研究を続けてきた。私の手元には、高柳信一『学問の自由』(岩波書店、1983年)が発刊された直後に、憲法専修の院生でつくる「憲法交流会」でその書評を担当した彼の手書きの「青焼きコピー」のレジュメが残っている。35年間、本のなかにはさんでおいたものだ。
憲法19条の思想・良心の自由の侵害は、何も直接的な思想調査だけではない。特定の考え方を注入する思想教育が禁止されるのはもちろん、個人にいかなる思想をもっているかを開示させたり、いかなる思想をもっているかを推認・推知しうる状態・環境をつくることも禁じられる(「沈黙の自由」)。15年前の直言「個人の良心が問われる時代に」で、「この問題のエキスパートである西原博史氏は、近著『学校が「愛国心」を教えるとき』(日本評論社、2003年)において、学校現場における思想・良心の自由の問題状況を、子どもに視点を据えつつ鋭く分析している」と紹介している。また、第1次安倍内閣が取り組んだ教育基本法改正問題を論じた直言「続・なぜ教育基本法の改正なのか」でも、「西原博史『良心の自由と子どもたち』(岩波新書、2006年)第4章が鋭い指摘を行っているので参照されたい」と書いている。この分野での彼の活躍は群を抜いており、具体的な訴訟における意見書なども執筆している。安倍政権が教育分野への介入と「忖度要求」を強めているなかで、彼を失ったことは大きな打撃である。
彼はゼミや院生指導が実に熱心で、頭が下がる思いである。監視カメラの問題を扱った西原ゼミでは、その活動を、西原博史編『監視カメラとプライバシー』(成文堂、2009年)として世に問うている(直言「攻め込んでいく防犯?―「安全・安心社会」の盲点(2)」参照)。 内外の学会活動にも積極的に取り組み、下働きのような仕事にも熱心に取り組んでおられた。私が全国憲法研究会の代表のとき、集団的自衛権の問題で学会として世に問題提起をしようということになり、学会内に設けられた憲法問題特別委員会の責任者として講演会の成功に奔走された。例えば、集団的自衛権行使を容認する「7.1閣議決定」の直後のシンポジウムのチラシをみると、末尾に実施責任者として彼の名前と研究室の電話番号が書いてある。このシンポでの私の挨拶を収録した直言「「壊憲の鉄砲玉」といかに向き合うか―憲法研究者の「一分」とは(その3)」で、西原さんの努力に言及している。
彼はツイッターを駆使しておられた。私はやらないので知らなかったが、「直言」20周年記念で管理人が書いた文章のなかには、西原さんのツイッターも登場する。この付記を書くために改めてツイッターを拝見して、ヴェネツィア国際大学で活躍されている姿が目に浮かび、いたたまれなくなった。
ヴェネツィア国際大学のホームページには、A tragic loss: VIU Professor Hiroshi Nishihara has died.というコーナーが設けられ、学生や関係者が次々に書き込んでいる。下の方にスクロールしていく途中で、いかに彼がかの地の人々に愛されていたのかが伝わってきて、涙がにじんできた。
このまま書き続けると、本文よりも長くなりそうな気配なので今回は控えておくが、今後この「直言」でも彼の仕事に触れるときがあると思う。
西原さん。安倍政権のもと、日本の人権、特に精神的自由のありようがますます危うくなるなか、この国と憲法と私たちの行方をしっかり見守っていてください。