昨日は「3.11」東日本大震災から7年だった。その日の私の小さな体験を7年前の「直言」で書いた。その後、東日本大震災について2011年4月から連載しているのでバックナンバーを参照されたい。なお、前回の直言「憲法改正のアベコベーション―「フェイク改憲」」の末尾で、「次回は、こうした「フェイク改憲」への対応について論ずることにしたい。」と予告したので、「立憲的改憲論」ないし「改憲的護憲論」等への応答を準備していたが、この1週間で国内外ともに状況が大きく変化した。そこで、これは来週以降にアップすることにしたい。
さて、「国難突破解散」から5カ月あまりが過ぎた。安倍晋三首相は、「モリ・カケ・ヤマ」問題で窮地に陥りながら、野党側の突然の失速(小池・前原の「希望」騒動等)に乗じて、「今しかない」と一気に解散に持ち込んだ。忘れもしない。憲法53条後段に基づき臨時国会を召集する義務があったにもかかわらず、これを98日間も放置した(長谷部恭男『憲法(第7版)』(新世社、2018年2月25日刊)369頁には、「内閣が、正当な理由なく召集時期をひき延ばすことは、憲法に違反する」の一文が追加)。そして、召集日の冒頭で衆議院を解散した。これは憲法を投げ捨てる「暴投解散」、モリ・カケ隠しの「解散権の私用」であると「直言」で批判した。史上2番目の低投票率もあって、与党が3分の2議席を掠め取り、メディアが「安倍一強」と持ち上げる状況が続いた。
この間、北朝鮮がいまにもミサイルを発射するかのような危機感を煽ったのは安倍首相である。Jアラートの政治的利用によって、国民に北朝鮮=核ミサイルという恐怖を刷り込み、自治体では子どもたちまでが「防空訓練」に駆り出された。どさくさにまぎれて、「イージス・アショア」や「スタンドオフミサイル」の導入、F35の追加調達、護衛艦「いずも」の空母化)等々、官邸主導で、トランプと米軍需産業が喜ぶ施策を次々に打ち出している。
「北朝鮮への圧力を最大限にかける」「対話のための対話は意味がない」と威勢がよかった安倍首相だが、韓国での冬季五輪で節目が変わった。そしてついに、3月9日、トランプと金正恩の米朝首脳会談の兆しがみえてきたのである。今後1カ月で事態がどう展開するかわからない。悲観も楽観も達観も禁物である。しかし、「ミサイルをぶっ放すぞ」とお互いにやりあっていた昨年秋からの戦争秒読み的状況が当面なくなったことだけは確かだろう。冒頭左の写真は、2月12日、ケルンのカーニバル(Rosenmontag)に登場した、「おれの方がでかい!」と競い合う二人を皮肉る山車である(当日のドイツ第二放送(ZDF)より)。それから1カ月もしないで、米朝首脳会談の可能性が出てきたというのは誰しも驚いただろう。だが、「おれの方がでかい!」という感覚で首脳会談までもっていくのがトランプである。普通の権力者ではないことを忘れてはならない。
先日、「全米170万部突破」の話題本の邦訳を読了した。米国で1月5日に発売されたMichael Wolff, FIRE AND FURY―― Inside the Trump White House, 2018(邦訳『炎と怒り-トランプ政権の内幕』早川書房、2018年2月25日刊)である。それによれば、大統領選挙前、トランプ陣営の「暗黙の了解」は、「トランプは大統領にならないだろう。いや、おそらくそもそもなるべきものではないのだ。そして、都合のいいことに、ならないことに確信があったために、なるべきでないという点についてまでは深く考える必要がなかった」ということである。「勝つはずではなかった」トランプが当選したことによる米国の混乱がトランプとトランプ周辺の困惑とともにリアルに描かれている。現在、政府の次官補以上の人事はなお空席が目立ち、トランプ政権は政府の体をなしていない。トランプ政権では、気まぐれと恣意が支配し、「ビジネスと家族を結びつけた権力の私物化」が進む。本書は、メラニア夫人の不思議なキャラとトランプとの奇妙な関係性を明らかにしている。
本書は、ホワイトハウスの住人たちを内側から描くが、なかでも「愉快な変人」から「奇跡の仕事人」として権力の中枢に入ったスティーヴ・バノンの描写が興味深い。「トランプの誇大表現、大ぼら、現実逃避、思いつきでものをいう性格、事実を曲げても気にしない様子は、狡猾さや衒(てら)いといったものとは無縁であり、自身の衝動をコントロールできない結果だった。この資質により、トランプの挙動はつねにストレートで行き当たりばったりだった。」このトランプの特質をバノンは肯定的にみて、巧みに操縦していった。バノンの考えていた政府戦略は「衝撃と畏怖」であり、重要なのは交渉より威圧である。しかし、バノンの路線は政権内で修正を迫られ、最終的にはバノンの失脚につながる。安倍首相が過度に入れ込んだのは、このバノンの路線だったのではないか。本書によれば、実際のトランプはもっとシンプルで、「権力者は誰だ?そいつの電話番号を教えてくれ。」である。「敵の敵は味方」という観点を軸に、ビジネスのように国際政治を展開していく。だから、北朝鮮の金正恩が米朝首脳会談をしたいと申し出れば、間髪を入れず応ずる。国際政治を取引(ディール)としか考えないこの人物の変わり身の早さに、安倍首相はついていけないのだろう。ツイッターで虚構(フェイク)を拡散するトランプにとって、金正恩との会談も勢いで決まったのかもしれない(それだけ金正恩はしたたかということか)。
私が記憶しているのは、2年前の大統領選突入前、トランプは、はっきりと、「政権を獲得すれば、金正恩とハンバーガーを食べて会談できる」と語っていたことである(『東亜日報』2016年6月17日付)。同紙によれば、「国賓晩餐ではなく、会議テーブルについてハンバーガーを食べ、より良い核交渉をする」と述べたという。米朝首脳会談で、本当にハンバーガーが机の上に乗る可能性が出てきた。朝鮮戦争の休戦協定(1953年7月27日)から65年で平和条約の締結というのを一方の極に、他方、会談直前で何らかの形で双方が決裂して、軍事的緊張が今まで以上に高まってしまうという可能性の間で、どのような結末になるか。本書によれば、トランプはその場での満足感を必要とする。それが彼のすべてである。トランプはものを読まず、人の話を聞かず、ピンボールのように、ただめっぽうに撃ちまくるとされている。気分次第で、平和条約までいくか、それとも武力行使か。安倍首相が、トランプに「100%支持」をいってしまうことの危うさがみえてくるだろう。
3月9日の大転換は、国務省もホワイトハウス内部でも根回しや調整ができていなかったようである。ティラーソン国務長官は当日朝の記者会見で、北朝鮮に対する圧力の強化を語っていたからである(3月9日夜のBBCニュースによる)。なぜ、トランプは首脳会談を受けたのか。中間選挙を前にして目立つ成果をあげる必要があるというのは普通の大統領にいえること。本書の視点からすれば、「そいつが電話番号を教えてくれたから」ということになる。
安倍首相は大慌てで4月に日米首脳会談をセットして、「微笑み外交に惑わされるな」「圧力をかけ続けよう」とトランプに要請すると恰好はつけたものの、「100%一致する」というトランプに梯子を外されたことは誰の目にも明らかだろう。「地球儀を俯瞰する外交」どころか、日本はすべてカヤの外で、安倍政権の対外政策はことごとく見通しを誤ったようだ。大統領当選の直後にトランプタワー58階に駆け込んだ安倍首相の醜態は記憶に新しい。歴代自民党政権は「迎合と忖度の「同盟」」の関係を米国ととり続けてきたが、安倍政権でその質が変わった。被爆国にもかかわらず、北朝鮮に対する核攻撃もテーブルの上にあるということに「100%支持」を表明して世界を驚かせたのもその一つである。
だが、そうした安倍首相の一連のパフォーマンスをトランプ自身はあまり評価していない節がある。本書を読んでも、「安倍晋三」の存在感がまったくない。ロシアやサウジアラビア、イスラエル、中国の話はあっても、日本が出てこない。本書で「本物の“ミニ・トランプ”」と評されている娘のイヴァンカ補佐官に、トランプ来日の際に安倍首相が過剰な接待をしたのは驚きだった。本書ではイヴァンカと夫のジャレッド・クシュナーをあわせて、「ジャーヴァンカ」という言葉があるというから、まさに「ファミリー・ファースト」であり、トランプの気をひくために、安倍側近はそこまでやらせたのだろう。
そもそも外交・安全保障政策には100%はない。さまざまな情報の入手、周辺諸国との関係強化、そして何より相手の内部に交渉のチャンネルを確保すること。これである。「押してもだめなら引いてみな」ができない。子どもじみた強がり、武力に訴える方策ばかり叫んでみせる。その安倍首相が異様に執着するのが憲法9条の「段階的改憲」である。これは前回の「直言」で批判したように、「フェイク改憲」である。浮足立って「対案」を出すのは時期尚早とか、フライングというレヴェルを超えて、安倍政権への「掩護射撃」としか言いようがない(次回「直言」参照)。
国内的にも3月9日は大波乱だった。森友学園への国有地売却をめぐり「手続きは適切だった」と国会で答弁した佐川宣寿国税庁長官(前・財務省理財局長)が辞任した(減給処分)。『朝日新聞』3月2日付のスクープで、決裁文書の書き換えの疑惑が国会まで止めてしまった。そうしたなか、3月7日に、近畿財務局で森友学園への土地売却交渉を担当していた官僚が自殺した。自殺前日にはこの決裁にかかわった27人に聞き取り調査が行われているという。再び「モリ、カケ、ヤマ」の事件の追及が活性化し、さらに「アサ、スパ」とも絡み合いながら、安倍政権の闇が明らかにされていくだろう(なお、財務省は3月10日、森友文書の書き換えがあったことを認めた(『毎日新聞』3月11日付))。
それにしても、安倍首相はなぜ、こうまでトランプ政権に「寄り添う」のか。現象的には内外ともに過度で過剰な忖度と迎合が構造化しているが、その一方で確実に、日本自身が軍事力の裏付けをもった対外的な「力の政策」(まずは「敵基地攻撃能力」から)を具備しようとしている節がある。その対内的保証が秘密保護法や警察国家化現象である。トランプの米国の「外圧」の形をとって、実は日本の「内圧」(帝国主義的膨張力)が確実に増しているように思う。
「自民党総裁 安倍晋三」の3期目はないとみていいだろう。自分のために賞味期限と消費期限を延ばして、人々に食べてもらおうというのが図々しいのである。「奢り、緩みだけでなくて、飽きだ。だんだん飽きてきている」(小泉進次郎談)。これから「飽き」の感情が加速度をつけてくるかもしれない。「地球儀を俯瞰する外交」の終わりも近い。