この国はどうなってしまったのか。丸山眞男の「無責任の体系」を彷彿とさせる現象が目の前で進行している。最高責任者は自分だという人がその責任のとり方をうっかり明言してしまったところからすべてが始まった。「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞める」(確認のためにクリックしてください!)。きわめて明快である。この2017年2月17日衆議院予算委員会における安倍首相の答弁に合わせて、徹底した辻褄合わせが行われた疑いが濃厚である。
安倍昭恵氏が名誉校長となっていたからこそ、学校用地に対して、財務省近畿財務局は、会計検査院もびっくりという値引きを行ったのではないか。森友学園の籠池泰典元理事長の証人喚問を通じてその疑問が明確になっていくや、籠池氏は長期勾留という手法によって沈黙を強制され、その一方で財務省の決裁公文書の改ざんが行われていった。公文書改ざんというのは、「あったことをなかったことにする」むなしい作業、官僚たちにとっては屈辱的な行為であるがゆえに、ぼろが次々に出てくる。先週4月4日のNHK7時のニュースがスクープしたように、値引きの理由とされる「大量のごみ」が存在したことにするために、財務省職員は学園側に対し「トラックを何千台も使ってごみを撤去したと言ってほしい」などと、嘘の説明をするよう求めていたという。地元住民がNHKニュースのなかで語っていたように、何千台ものトラックが出入りすれば誰もが気づくわけである。そんな低レヴェルの嘘をつくように依頼させられた財務省職員はさぞやつらかったことだろう。
マックス・ヴェーバーによれば、官僚制行政は「知識による支配」であり、そのポイントは、法規に基づく権限の原則、官職階層性、文書主義、専門的職務活動などである(濱嶋朗訳『権力と支配』(講談社学術文庫、2012年)48-51、221-286頁)。プライドが高い財務官僚たちが、これらの原則に反することを上司に要求される。合理的支配が崩壊すれば、恣意の世界となる。いまの安倍政権のもとで、財務省のみならず、厚生労働省(裁量労働制データ捏造事件等)、防衛省(「日報」問題等)、国土交通省(大阪航空局「廃棄文書路上散乱」等)をはじめとする省庁で、考えられないような失態が連日報道されている。悲しむべきことだが、他の省庁でも「爆弾」は出番を待っている。
その原因はひとえに、「安倍官邸」を軸とする「一強政治」が日本の官僚機構にもたらした負の影響にある。「安倍官邸」の二大要素は、政策面では経産省出身の今井尚哉首相秘書官、人事面(官僚の統制)では警備公安畑の杉田官房副長官(内閣人事局長)、北村滋内閣情報官である。「安倍官邸「役人殺し」の構造と体質」(『選択』2018年4月号52-53頁)の見立てによれば、この3人は、黒澤映画「隠し砦の三悪人」になぞらえて、「官邸の隠れ三役人」と評されている。国会答弁や記者会見などの表舞台には決して登場しないが、「モリ・カケ・ヤマ・アサ・スパ」のすべてにこの「隠れ三役人」は隠然たる影響力を行使している可能性が高い。
これまでも何度も論じてきたように、安倍首相とそのご一党(自民党とイコールではない)によって「国家運営の私物化」あるいは「権力の私物化」が行われてきた。およそ政治家として「ぞうきんがけ」レヴェルの人物が内閣や党の要職を占める(直言「「政治家の資質」を問う?『職業としての政治』再読」)。後述の稲田朋美前防衛大臣などはその典型だろう。また、どこの独裁国家でも、権力者の妻が「女帝」となって権力をふるう傾向にあるが、安倍首相の場合、「女帝」ではないが、「ファーストレディの暴走」は際立っている。「アッキード事件」(山本太郎参院議員)という言い方がリアリティを増してくるかもしれない。
先週、安倍昭恵『「私」を生きる』(海竜社、2015年)を、送料の方が高いという値段で入手した。サイン本である(冒頭の写真)。通勤電車の片道で読了した感想は、帯にある通り、「自分の心にまっすぐに」という人なんだなということ。何も考えずに現場に向かい、直感で動く。そうすれば必ずそこから突破口が開ける(35頁)。「私、つい誰でも信じてしまうんです」。そういう昭恵氏は酒を飲むのが人一倍速く、「特に「まずビール一杯」は誰よりも速い。自分より速い人がいると、「あっ、負けた・・・」と悔しがるほど。そのせいか酒を飲み始めると、わりと早いうちに人と打ち解けます」(121-122頁)ということで、どんどん人と出会い、その人の依頼を受けていってしまう。普通の飲んべえのおばさんならこれでいい。しかし、彼女は首相夫人なのである。そこにつけ込んで、さまざまな人たちが彼女に接近し、酒の機会をつくりつつ、「突破口」を開いていった。籠池氏もその一人にすぎなかった。日本会議人脈を使い、自らの小学校を安く立ち上げようと奔走し、そうした過程で昭恵氏に目をつけ、「名誉校長」というタイトルを与え、子どもたちにも会わせて、「感涙」(財務省公文書で削除された産経新聞記事中の言葉〔PDFファイル〕)にむせんでもらう。籠池氏はそれを近畿財務局との交渉カードに使ったわけである。なお、昭恵氏は、作家の曽野綾子氏の助言に基づき、「寄付をするときは、必ずしかるべき人に直接、手渡さなければならない」を「肝に命じている」という(34-36頁)。2015年9月5日、塚本幼稚園の来賓用客間(「 玉座の間」)において籠池氏は昭恵氏から「100万円」を受けとったと主張しているが、これもその「指針」に基づくものだったのだろうか。
安倍首相は「私は指示していない」とか、「妻に聞いたらそんなことは言っていないと言っている」と答弁しているが、これは「総理大臣の職責」がわかっていない。「総理」は細かな指示を必要としない。その妻の一挙手一投足もまた、「総理の妻」としてみられ、扱われる。だから、森友学園の学校建設予定地の前まで行って、「いい田んぼができそうですね」と口にしただけでも、籠池氏が前後のやりとりをうまくつないで、「いい土地ですから前に進めてくださいと総理夫人に言われた」と財務局側に伝えれば、どういう「効果」があるかは明らかだろう。安倍首相は「進めてください」などとは言っていないと国会でいきり立つが、この幼稚な首相答弁に情けなくなる。刑事責任の場合は「疑わしきは被疑者・被告人の利益に」だが、政治責任の場合は「疑わしきは政治家の不利益に」が常識である。妻の言葉が財務局側を動かす力になったと疑われただけで、責任を自覚し、国会でそれなりの対応をすべきだった。まるで刑事裁判の法廷のように、証拠を出せと息巻く。改めて、安倍氏は「総理の器」ではないと感じさせる場面である。
『選択』4月号掲載の「安倍政権の「最善の終わり方」」(48-50頁)によれば、3月19日に、森喜朗元首相と渡邉恒雄読売新聞グループ社主が会談して、「今からでも遅くない。私(安倍)が悪かったと謝れば全てが解決する。それをなぜしないのか」という点で完全に意見が一致したという。渡邉恒雄氏までもが安倍首相を見放しつつあるということか。ともかくも、すべては昨年2月17日の「首相も議員もやめます」答弁から始まったわけだから、ここまでくれば安倍首相のとるべき手段はただ一つ、総辞職以外にはないだろう。4月17日から日米首脳会談(ゴルフ付き)だそうだが、もはや安倍首相の対外政策は八方ふさがりである。国会売店で売られているお菓子も、今回は「日米関係は瓦せんべい」 とだじゃれモードで、「日米関係は変わらない、かもね(Maybe!!)」とあって元気がない。ちなみに、このせんべいの賞味期限は「平成30年6月6日」である。
さて、財務省の決裁公文書改ざん問題が表面化した、まさにそのタイミングで、これまで「ない」とされてきた陸自イラク派遣時の活動報告(「日報」)が「発見」された。外付けハードディスクなどに「隠れていた」というのだが、本当のところはわからない。当時の防衛大臣は稲田朋美氏。「次期首相候補」と言われたことがあるなど、もう誰も覚えていないだろう。その稲田大臣(当時)に陸自は「日報」が発見されていたにもかかわらず、報告をあげなかった。「ない」と国会で答弁した以上、「ある」ことがわかったら、「何よ?。答弁した私の立場はどうなるの?」と泣きべそをかくことは確実だったので、こんな大臣には報告しなくていいと陸自が思ったとしても不思議はないが、しかし、ことは実力組織にかかわる問題である。制服組が防衛省内局(背広組)に報告しなかったことも含めて、制服組の独走と言われても仕方ないだろう。4月5日、制服トップの河野克俊統幕長は記者会見で、「大臣および国会に対して、背信的な行為を行ったと言われてもしょうがない。“シビリアンコントロールに疑義が出ている”というご批判があることについては、真摯に受け止めなければならない」と述べた(TBSニュース「Nスタ」4月5日)。
10年前、イラクにおける航空自衛隊の空輸活動をめぐって、情報公開請求に対して、「週間空輸実績(報告)」という文書が開示された。この写真を見ると、2008年に浜田靖一防衛大臣(当時)が開示したのが真っ黒な文書。右側は民主党政権下の北澤俊美防衛大臣による公開文書である。これで、航空自衛隊のC130によって、「戦闘地域」のバグダット空港に、武装した米兵を輸送していたことがわかってしまった(2008年4月の名古屋高裁のイラク派遣違憲判決参照)。今回の陸自の文書について、なぜ「ない」とされたかと言えば、国会で小泉首相(当時)が、自衛隊は「非戦闘地域」で活動するとしていたから、迫撃砲弾の着弾など緊迫する現地の状況を示す「日報」はこれに反することになる。森友学園問題における財務省の公文書改ざんと同じように、国会答弁に合わせて、現実を隠蔽して辻褄を合わせようとしたのだろう。
今回、重大な問題は、制服組が大臣や背広組に報告をあげず、ごまかし続けたことである。制服組がここまで大臣や背広組とは異なる動きをしたのには経緯と背景がある。14年前の石破茂防衛庁長官時代に、自衛隊は普通の軍隊とは違っておかしいところがたくさんあるということで、軍事的合理性に合わない仕組みに対して「挑戦」が始まった。そのあらわれが、統幕の権限強化と内局の防衛参事官制度の廃止である。その結果、政治と制服組との結びつきが強まる一方で、防衛省内局(背広組)の権限は次第に弱められ、制服の力が増していった。とどめは安倍政権下での防衛省設置法12条の改正である。
地上19階、地下4階の防衛省の建物で、11階に大臣、12階に内局、14階に統幕であるが、従来は12階が中心となって14階に調整をかけ、11階の大臣に伝えて補佐するという仕組みだった。それは、2015年の防衛省設置法12条の改正によって、12階と14階が対等の関係で11階を補佐するという形に変わった(直言「日本型文民統制の消滅?箍が外れた安保法制論議(1)」)。その結果、河野統幕長の存在は大きくなり、「首相動静欄」を見ても、首相と会う機会は頻繁である。彼は安倍首相に気に入られ、2回も定年延長されて、異例の長期政権になっている。防大21期の彼が居すわっているため、統幕長職の陸海空ローテーションや防大22期以下の昇任人事に乱れが生じ、ワリをくった幹部がいる。
実は、河野統幕長は安保関連法の制定過程でも突出した言動で知られる。2014年12月の訪米の際、米陸軍参謀総長に対して、安保関連法案は「来年夏までに成立する」と語った。まだ法案審議にも入らない段階で、法案の成立時期を伝える。きわめて政治的発言だった。河野統幕長は同時に、米アフリカ軍(AFRICOM)と自衛隊との関係について何度も言及していた。米アフリカ軍の司令部はアフリカにはなくて、ドイツ西部にある。そこに自衛隊の佐官クラスが常駐するようになった。これは、自衛隊が海外展開の軸をアフリカに置くことへの布石ではないか(直言「気分はすでに「普通の軍隊」?アフリカ軍団への道?」。河野統幕長と同様、「政治的軍人」が目立つのは海上幕僚長からあがってきた人物である。いざ、海外派遣となると、陸上自衛隊は死者を出す可能性が高い。海は昔から米海軍と一体できたこともあり、頭は米国モードで、イケイケ型の「政治的軍人」が出てくる素地がある。安倍首相が異例の1年半もの定年延長をやった河野統幕長は、「日報」問題の責任をとって、今度こそ辞任すべきである。任期は5月末なので、野党は任期満了を待たずに、制服組トップの辞任を求めるべきである。
ここまで隠蔽が続くと、この国は北朝鮮や中国を批判できない。安倍政権下で、「報道の自由ランキング」(180カ国中)は2017年72位、G7で最下位に転落している。「安倍政権「最善の終わり方」」(前掲『選択』4月号)は、国民の批判が高まり、内閣総辞職に追い込むことだろう。その上で、情報公開をさらに進めるべきである。さらに、この国の「隠蔽の真の闇」である「日航123便事件」(直言「日航123便墜落事件から32年?隠蔽の闇へ」)の真相解明なくして、この国は民主主義国家として世界に胸をはれないだろう。